第5話 10月26日「柿の日」


 シャボン玉を割り、罪の持ち主を全員が私と感じているであろうその場を去る為、親子に向かって軽く会釈をし、飛行機の後を追って道へ入り込んだ。

 途端に入った道は、人がすれ違える程の広さしか無い道。日陰が支配したその道は涼しげな風で迎えるだけで、両端に立つビルのくすんだ匂いを嗅がせてきた。

 風上からは先客の、おばあちゃんがこちらへ向かって来ていた。

 

 ただの道ですれ違うおばあちゃんに、にこにこして挨拶をすると良いことがある。この裏技を、おばあちゃんが目に入る度に思い出してしまう。その裏技を私に教えたのは、うちのおばあちゃんだ。

 

 適当な間合いで笑みを向けてゆっくりと伝える。

 「こんにちは」

 

 渋い色のエコバッグをゆらゆらと揺らしたおばあちゃんが、わざわざ足を止め、笑みを返してくる。その笑みは隅々までのもので、その為の皺である様にすら思えてくる。そうしておばあちゃんはやはり言ってくれるのだ、「こんにちは」と。

 

 挨拶は、知らない人とする方が幸福度が高い。大袈裟に、受け入れて貰えた喜びが体にじんと響くのだ。

 

 おばあちゃんはまた歩き出す。左右に体を揺らし、ゆっくりと小さく歩いていく。外に広がったO脚の足がおばあちゃんの命綱となって、おばあちゃんを引き連れている様にさえ見える。荷物は重く垂れているから、大変なのかも知れない。けれども、その表情は完璧なまでに笑顔だった。逞しい者が辿ってきた道にでさえ、清らかとなった空気が満ちている気さえする。匂いを嗅いだ私の鼻に、金木犀の片が触れた。

 

 「お姉ちゃん」

 おばあちゃんが幾許かであっても苦労して進んだ道をわざわざ引き返そうと、こちらに向いている。

 「息子が来るって言うからさぁ、こんなに買ったんだけども」

 おばあちゃんは言いながら渋いエコバッグをそこで広げた。

 

 近くに行って中を覗くと、美味しい事ただそれだけをしっかりと伝えて来ようとする、丸々と綺麗なオレンジ色の柿が十以上に山となっていた。

 

 「こんなに食わねえから」と、おばあちゃんは片手を突っ込み、一つを差し出してくれた。

 

 「え、いいの?!」

 これが直伝の技という奴で、嬉しみというものを想像の端まで一瞬で広げて差し出すのだ。おばあちゃんがそう言っていたのだから間違いなど無く、故にの結果を私はいつも導き出していた。

 

 おばあちゃんはにっこりと一つ頷き、柿をまた持ち上げる。

 

 私は柿を下手で受け、おばあちゃんとの繋がりを柿で成した。

 

 私は礼深くを示して、おばあちゃんを道から見送った。

 

 決して何かを貰うつもりでの事では無かった。

 ただただ、いつもこうなってしまうだけなのだ。

 

 柿もたしかに、嬉しそうではある。

 

 

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