第3話 10月24日「文鳥の日」
私はカフェで自由な時間を過ごした後、すっぱり頭を空にしながら外に出る。そうして何にも捉われないまま、道に行き先を委ねる。
すると面白い事に、やりたい事がその道にぶら下がって来たりするのだ。美容院を眺めて毛先の色を見つめてみたり、誰かの家の窓を見て新しいカーテンを想像の棚から引っ張り出してみたりする。
良く言えば自然体愛好家、ずばり言えば暇人の私はそうやって遊歩を楽しむ。まあ、ずばり言えば、カロリー消費であり。
私は暇人ダイエッターへと心持ちを繰り下げる。すると、普段見ない所に目が向く様に成る。電信柱の黒ずんだ灰の面を見ながら、掃除し甲斐がありそうと思ってみたり、詰まった灰色の側溝の目を、枝でほじくる下校中の小学生達と一緒に恐々と底を覗いてみたりする。これが成人女の等身大という訳では無いが、私は実際にそうである。
灰の世界には灰の道理がある。機能に染めたその灰の体達によって、我々は守られているし、助けられている。
だからこそ、綺麗を綺麗と言える暇がある。そうで無ければ、私はモンブランと出会う事も無かっただろう。
文化が当たり前な事は喜ばしい事だが、喜びだけで栄えた文化は無い。だからこうして色々と触れる必要があるのだ。
そうで無ければ、甘えと無関心に満ちた風土が毒霧として、その肺を冒す事になるから。
子供達と別れ、立ち上がり際にふと電信柱に触れると、柱に貼り紙が貼られていた。
ピーコちゃんを探しています、と書かれた、失踪した文鳥を探す貼り紙だった。
特徴は白い毛に少し小さい嘴、とあった。大抵はそうだろう。
文鳥は
口が聞けないその電信柱を見上げると、ぎちぎちと磔にされた姿が痛ましい。
そのまま見上げていると、何やら白い文鳥が電線に止まっていた。
「文鳥」
どこかに飛んで行ってしまいそうだったから、繋ぎ止める様に呟いていた。
電線は、文鳥からすれば止まり木だね、なんて思いながら一つ、問いが生まれた。
清らかな空の情景を切り裂くこの有刺鉄線で、人々を地に磔にする様な事態を以て、人はどうすれば自由に翔けるのだろう、と。
そうまでしなければ、人々が文鳥を文鳥と呼べる日も来なかったのだろうか、という自問も交えて。
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