第26話

「そろそろかな」

 せんぱい? の家を出て一時間くらいが経過していた。しばらく歩いていたら、土手の前まで来ていた。久しぶりに土手を登ってみて、少しだけ高くなった視点を満喫する。

 家の壁がないから、いつもよりもしっかりと届く夏の音。

直接耳元で歌われているような虫の声。七音どころか、五音音階にも到底達しない、音楽を背に私は夜の土手を歩いていた。

そんな私は『失恋の神様』に願いを叶えてもらって、現在失恋中だったりする。

 失恋をさせてもらえたから、すっかり元の世界に戻るものだとばかり思っていた。

これが中々戻してもらえない。もしかして、何か特別な手段が必要なのかもしれない。

どうしよう、もしそうなら戻れる気がしない。

 いや、むしろそうなった方がいいのかな? そうなれば、もう少しだけ先輩と一緒に過ごすことができる。この世界で、幼馴染としての私で。

 それにしても、早すぎるんじゃないかな、私の失恋物語。

 土手に転がる小石を蹴ってみても、この時が長引く予感もせず、小石は土手から転げ落ちていった。

 まるで、私達みたいだ。急展開過ぎる。

 一週間を考えていたのに、前倒しもいい所だ。倒し過ぎて、予定よりも早く終わってしまった。逆にスケジュール管理能力がないんじゃないかと疑ってしまう。

 いくら疑った所で、『失恋の神様』には感謝しかないんだけれども。

 振られてしまった私は、今さらあの部屋に戻ることもできず、世界が元に戻るまで静かに待つことにした。家を出て、適当に歩いていく。

 多分、戻ったが最後だろう。

 まだ夜が浅いせいか、空を見上げても満天の星空は窺えない。それでも、懸命に夏の大三角を探してみたりする。そもそも、夏の大三角形なんて見ても分からないんだけど。

 星に願いを。というくらいだから、きっと星を見上げて考えていいことは願い事だけなのだ。

私の願いは叶ったのだろうか?

 私がいつ恋に落ちたのか。どうしてあの人に恋をしたのか。その理由を求めようとした時期もあった。学者のように、私も躍起になって探したことがあったのだ。

 物事には全てにおいて原因がある。

なんかすごそうな言葉に出会ったときは、電流が体を走った気がした。だから、その原因というものを探してみたりしたのだった。

 当然、そう簡単に見つけることができれば苦労することはない。中々見つからない。

 長年探しても見つけることができず、苦戦していた時だった。ふと何かを失くしていたことに気がついた。

 あの人に向けていたはずの、恋愛感情とは別の愛情。

どこを探しても見つからない。落とすはずがなかった。いつも大事そうに身に着けていたのだから。

純度はかなり高かったと思う。だから、あれがなくなってしまうのは困る。長年かけて作り上げてきたものなのだ。

しかし、目を細めて見てみても、見つけることができなかった。

ポケットの中とか色んな所を見てみた。カバンの底とか、箪笥の裏側とか。どこを探しても見つからない。途方に暮れていると、別の見たことのない感情があることに気づいた。

 思わず首を傾げる。あの人に向けているこの感情は何のだろうか。

大学にでも行って成分を分析してもらおうか? そんなことを考えながら、その感情を凝視していると、一つの解答に行き着いた。

 この感情は混じり物だ。

 私の恋愛感情とは別の愛。それが徐々に色を変えて、恋愛成分を含んでしまったんだ。元は全く違ったものが、長い年月をかけて徐々に姿形を変えていったのだ。探しても見つからないわけだ。

 純粋なものではなくなっているのに、その混じり物は輝いて見えた。何カラットとか分からないけど、ダイヤモンドなんかよりは輝いていると確信した。

 仲の良い女子達がサッカー部キャプテンや、野球部エースに抱く感情。口で聞いても首を傾げることしかできなかった。もしかしたら、私は恋というものができないのではないか。そんなことさえ、考えていた。

けれど、それに近いものはずっと昔から私の心にあったのだ。運動なんて大してできないし、私の方が得意。頭は少し良いみたいだけど、秀才という訳ではない。

 それでも、温かい優しさくらいは持っている人だと思っていた。十年以上も側にいて、私を気にかけてくれて、馬鹿にしながらも私の味方でいてくれる。

 どこが好きとか、そんなピンポイントな好意は抱いていない。きっと、ほぼ全てが好きなのだろう。

幼いころからの純粋だった愛は、不純の入った恋愛感情へと姿を変えてしまったのだ。

 不純なのだ。間違っている。

 そんなことは分かっているから、絶対に口には出せなかった。口に出した瞬間、私とあの人の関係は音を出して崩れだす。修復することは不可能だろう。

それならば、一生この気持ちは隠しておこうと決めた。少しでも長く一緒にいたいと思っていたから。

 そう思っていたのに、人間とは欲深い生き物で、満足するということを知らない。気がつけば、あの人に自分を見て欲しいと思うようになっていた。

 一瞬でもいい。私を見て心揺らいで欲しい。劣情を抱いて欲しい。

 もしも、私とあの人がこんな関係じゃなかったら、私達は別の関係を結ぶことができたのだろうか。

 確かめたい。ずっとじゃなくてもいい。一生忘れない思い出を、少しだけでいいから。そう願い続けて、私は高校生になっていた。

 そんな私の元に、一つの噂話が舞い込んできた。

『失恋の神様』がいるらしいと。

女の子がしっかり失恋できるように、想い出に残る失恋をさせてくれると。

 高校生になった私は、そんな噂話に縋るように、その神社に向かった。そして、『吉見神社』という古びた神社で、私は拝むように祈った。

『私を女の子として見てくれますように!』

 この願い方は間違っているのかもしれない。失恋させてくれ、じゃないのだから。

それでも、この願いが叶うのなら、私はこの恋を終わらそうと思っていた。一瞬でもいいから、好きな人に女性として見てもらいたい。この願いは何か間違っているだろうか?

 それと同時に、どこかでこの願いが叶わないでくれと願った。

『失恋の神様』に願いを叶えて貰った二人は、生涯結ばれることはなくなってしまうらしい。

けれど、いつかは離れ離れになってしまう。この関係のまま、ずっとこの距離感を保つことは不可能だ。だからこそ、心に思い出を刻みたい。それと同時に、ずっと一緒にいたい。

 両方を願った私は強欲で、それでも神様は私の願いを聞いてくれた。

 叶えてくれたのは前者の方だけみたいだったけれど。

 十分だった。嬉しかった。

 私の胸元に視線が泳いで、それを平然とした態度で紛らわそうとしたり、後ろから抱きつば緊張して体を固くしたりして。

私が十何年間受けてきた態度とは、明らかに違っていた。

私を、女の子として見てくれた。

 思い出して、小さく噴き出してしまう。

 こんな単純なことだったのかと。こんな単純なことで喜んでしまうのかと。

それでも、振られてしまった事実は変わらない。振られたのに、鼓動が早くなっているのは異常事態なのだろう。そんなことは言われなくとも、知っている。

今、あの人に向けている感情自体が異常なのだ。それならば、この鼓動の動きも仕方がないと思う。

今の私では、本当の私に勝てないみたいだ。本当の私、強すぎる。

関係が違えば恋人関係になれるものだと思っていた。思い上がりだったかな。

諦めるしかないと改めて分からされた。

それでも、想い出にはなったのかな。

「瑞希!」

 名前を呼ばれて振り返る。

 遠目で見ても分かるくらいに肩を揺らして、おぼつかない足取り。荒い息遣いがこっちにまで聞こえてきそうで、立っていられるのが奇跡にしか見えない。

 ずっと、私を見つけるために走ってきたのかな?

汗だくで格好悪い。

 そして、最高にかっこいい。

なんで追ってくるかな。もっと、簡単に諦めさせてくれないものなのだろうか。

 震えそうな声を抑え込んで、涙を流さないで溜め込む。強く結んだはずの口元が小さく震えている。大丈夫。夜だから、そんなに表情は見えないはずだ。

今さらになって失恋したことを実感してきた。

 やだなぁ。諦めたくないなぁ。

「どうしたんですか? せんぱい!」

 きっと、この呼び名もこれで最後だろう。必要以上に大きな声で、私はあの人のことを呼んだのだった。

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