第24話
「またっ、て言うのは?」
「私の知らないところで、こっそり女の子と会ってたんですね?」
「コーヒーショップで、居合わせただけだって!」
強めの語尾で否定をしてみたにも関わらず、俺の気持ちが彼女に響くことはなかった。顔を伏せている状況だというのに、溢れかえった感情が彼女を包み込んでいる。やがて、ぽつぽつと彼女はひとりごちた。
「心配してたのに。何かあったんじゃないかって、不安だったのに。連絡もなくて、私は暑いバス停でずっと待ってたのに。自分は歳下の女の子と涼しい所でおしゃべりしてたんですね。私に言ってくれれば、すぐに向かったのに」
感情の波に言葉を乗せるように発せられた言葉。終盤に向かうに従い、その波は高くなっていく。
一呼吸の間に言葉を言い切ると、ゆっくりと顔を上げた。
光の灯されていない目のまま、小さく首をこてんと傾けた。
「せんぱい、何で私に連絡してくれなかったんですか?」
「ひぇ」
どこから出たのか分からない声が、漏れ出ていった。
怒りの感情とは別の感情が、言葉の節々に見え隠れしている。高濃度で致死量に近い感情を当てられ、毒でも盛られたように喉の奥が縮こまった。
「……私だって、最近は一緒に行ってないのに」
「え、なんて?」
「何でもないですぅ」
ぷくっと頬を膨らませながら、怒りの感情を露にした。そして、不満な感情を織り交ぜたような視線を向けられる。
彼女の目に光が戻っていることを確認し、俺は安堵の息を漏らした。どうやら、怒っている人を前に、表情を緩ませる態度はお気に召さなかったようだ。彼女の頬が一段と大きく膨れ上がった。
「まだ気が抜けない状況だと思うんですけど?」
「一呼吸くらいさせてくれ」
「せんぱいは、私に対しての態度が投げやり過ぎます」
「別に、そんなこともないだろ」
「今だって、私が部屋に来なかったら、放置されてましたし」
いじけるような声色で、彼女は臍を曲げていた。構って欲しそうに、ちらちらと視線を向けてくる。こちらの本心は伝わっているけれども、言葉として何かを欲しているように感じる。
「だから、少し考えたら下りていくつもりだったんだよ」
軽い嘆息交じりの言い訳に、彼女は肩をピクリと反応させた。それから、俺の方を向きながら、きょとんと可愛らしく首を傾けた。
「考えたら?」
「え、あ」
何を考えていたのか。何の話をしているのか。彼女はいくつかの疑問符を、体現したような反応を見せてきた。
不意に求められた問いかけ。それに対して、俺は言葉を詰まらせてしまった。
虚偽をし忘れた言葉が意図せず漏れた。咄嗟に口から出た言葉は単語ではなく、バラバラの文字。何かを隠そうとする上で、二文字ほど腕から落としてしまったようだった。
その文字を拾うのに手間取ってしまい、空回りしたように時間が過ぎていく。当然、都合よく彼女が視線を逸らしていることなどはなく、直視をされていた。
今から新たな言葉を見繕うには、時間を浪費しすぎたらしい。無駄遣いした間が、この部屋の空気を別の物へと作り変えていった。
硬く、ぎこちない不均一な空気。一度深呼吸をしようものなら、酸素の代わりに二酸化炭素を吸ってしまいそうだ。
「瑞希っていう子について、ですか?」
弛みかけた空気が再び張り詰めた。低い間抜けな音が懐かしく感じるような、緊張感のある高音が聞こえてくる。
静かなのに、意思をしっかりと持った言葉。正面から向けられた言葉は、そっぽを向くことを良しとしなかった。
今から嘘をでっち上げたところで、バレない方が不自然であり、その策は妙案とは言い難い。
里奈と瑞希が同一人物である。
この考えは、あくまで可能性の一つであり、証拠があるわけではなかった。現状を分析した結果であり、狭い了見での考えである。
だから、どこかで証拠を掴まなければならなかった。彼女をつぶさに観察に、瑞希との同一性を証明する必要があったのだ。
しかし、膨大な時間と労力を注がなくとも、確認する方法もある。この手法が最も合理的であり、物的証拠を必要としなかった。
どのみち、確認しなければならなかったこと。それが不意に目の前に現れただけだ。好機を窺っているうちに、タイミングを逃してしまうこともある。
それならば、この流れに逆らわず、乗ってしまうのが吉というものだ。
「そうだ。瑞希っていう女の子について、考えていた」
一言一句、彼女の鼓膜を揺らすように、彼女以上に慎重に言葉を並べてみた。その言葉の振動に当てられたように、彼女は体を少し反応させた。以前よりも、目に見えて分かる反応。
どうやら、隠すのが下手になっているようだ。もしくは、隠すことをやめたのか。
少なくとも、俺の態度は以前とは違っている。一投目を投じた後は、畳みかける勢いで口を開く。
「瑞希っていう子のこと知ってるんだろ?」
「知りませんよ」
「前に、瑞希の名前を口にした時、女の子だって知ってたよな?」
「それは……」
「なぁ、瑞希ってもしかしてーー」
『里奈なのか?』
勢いに任せた舌は饒舌に動き、頭の中で並べた言葉をつらつらと述べていた。しかし、最後の重要な言葉を口にしようとした瞬間、急ブレーキを踏んだように舌先が動かなくなった。倒れかける舌先に力を入れ、なんとか気張らせた。
あと一言。その言葉を口にする前に気がついた。踏みとどまった反動で、一度視界を奪われかけた。
彼女が顔を上げた際、その表情に見入ってしまった。
大きく開かれた瞳。吃驚した感情とは異なる、哀情に染められたような瞳。その上から、油絵のように複雑な感情が幾重にも重ねられている。混ぜ過ぎたせいで、所々が黒く汚れたような色をしていた。
原形の色が掴めない。
そんな複雑な感情を垣間見たようで、思考と勢いが止められた。
「私じゃ、ダメなんですか?」
内に秘めた想いを漏らすように、彼女は口を開いた。複雑な感情は彼女の声を揺らし、ボリュームのつまみをいたずらに弄る。涙こそ流れてはいないが、流れていないことが不自然なようにさえ感じてしまう。
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