第22話

 席に着くなり、開口一番の言葉。俺がオカルトと言った瞬間から、落ち着きを失くしたようにそわそわとしていた。

 彼女はこちらに嬉々とした笑みを向けてくる。俺の心情とは対極に位置する感情だが、今はこれくらいの感情を相手にする方がいいかもしれない。感情は伝播すると聞いたことがある。彼女の感情が、俺の心を上書きしてくれことを願って、重くなった口を開いた。

「俺の家にあの神社にいる。俺は記憶にない幼馴染が行ったことがあったらしい。それと」

「あ? な、なんて?」

「ああ、すまない。俺はあの神社に行ったことがあったらしい。それと、俺の家に記憶にない幼馴染がいる。気が動転して、話す順番を間違えたみたいだ」

「気が動転しても、そうはならんだろ」

 怪訝な表情で俺を見上げながら、彼女はそんなことを口にした。

俺は自身を落ち着かせるように、アイスコーヒーを啜り、熱くなった頭の中を冷静にさせた。カフェインの接種が効いたのか、心拍数を調整される。

落ち着きを取り戻してから、先程までの出来事を彼女に告げた。

 今日、『失恋の神様』の神社に行ってきたこと。そこで思い出した昔の記憶。断片的ではあるが、あの神社を訪れていた記憶。何をしに来たのかは覚えていないが、あの神社まで行っていたのだから、理由は一つしかないだろう。

失恋を願うために、訪れたのだ。

 そして、思い出したもう一つの記憶。瑞希という女の子が、俺と近い距離に存在していたこと。

朝ご飯を一緒に食べるほどの距離間。それこそ、幼馴染のような距離だった。

 しかし、彼女は幼馴染ではなかった。

 思い出した記憶によれば、俺に幼馴染はいないのだから。

俺に幼馴染はいない。そうなると、さっきまで隣にいた彼女は一体何者なのか。

当然のように一緒に生活をしていた数日間。未知の存在に対する疑惑の念が消えることなく、俺の数日の記憶を覆う。

まるで瑞希の存在を上書きするような存在。彼女の記憶をなぞるように、鮎川里奈との記憶が再生されていく。消えた記憶の代わりに、そこに居座っているようだ。

よく見ないと、その記憶が二重になっていることに気がつかない。黄色の蛍光ペンの上から、橙色のペンで上書きしたような、些細な違い。

それでも、意識してみるとその違いは明確になっていく。一度気づいてしまうと、全く別の物として視界に映ってしまう。

俺の記憶には瑞希という女の子がいた。しかし、里奈という女の子はいなかった。

あの子は一体、何者なんだ?

「面白いことになってきたな」

「臍が宿替えしそうなら、その臍むしり取るぞ」

「まぁ、そう腹を立てるなよ。興味深い方の意味合いだ」

 彼女は雅趣に富む作品でも眺めるように、ふむと小さく唸った。少しの間を使い、顎に手を当てて考え込む。

「幼馴染を自称している。おまえの中に、その女との想い出とかはないのか?」

「ないと思う。想い出は全部、瑞希という女の子だ。顔は思い出せないけど、そこは間違いないと思う」

「想い出はない……瑞希っていう女との記憶は、いつまでの記憶だ?」

「そこまで昔の物じゃない。多分、今年の夏までは一緒にいた気がする」

「今も今年の夏だろう」

「ああ。だから、最近までは一緒にいた気がするんだ」

「気がする?」

「そこら辺の記憶がぼやっとしている」

「なるほど、な」

 他人事であるがゆえに、冷静な判断ができるのだろう。彼女は何かを思いついたように、ピクリと体を小さく跳ねさせた。考えがまとまったのだろうか、ストローで甘そうな飲み物を啜ると、上機嫌に口元を緩めた。

「何か気がついたのか?」

「安心しろ。多分だがその女はストーカーとかじゃないし、ホラー的な展開にはならない」

「なんでそんなことが言えるんだ?」

「話を聞く限り、おまえと瑞希という女が互いに失恋を願ったことになる。それで起きた記憶の齟齬。今が失恋中という訳だろう?」

「そうなる、のか」

 俺が瑞希と失恋をしたいと願ったから、その記憶に靄がかかった状態になった。当然、それは『失恋の神様』による恩恵。俺と彼女が失恋を願ったから、彼女のことを思い出すことができなくなった。

「そう気を張るな。幼馴染が可哀そうだろうが」

「いや、その幼馴染の記憶がないんだよ。そもそも、俺に幼馴染なんていないわけだし」

 突如現れた俺の幼馴染。記憶にないはずの彼女に不信感を抱かない方が無理だ。

きっと、今の状態では彼女と正面から話すことも難しい。正体が分からない女の子が家にいる。そんな状態になれば、すぐに帰りたくない俺の気持ちも共感してもらえるはずだ。

「幼馴染の記憶がないことは、その女には告げるな」

「やっぱり、危険だからか?」

「そうじゃないさ。危険なわけがないだろ」

 彼女はこちらの察しの悪さに耐え兼ねたように、深いため息を吐いた。呆れが混ざった視線。彼女の手のひらには、何かしらを確信したような物が見え隠れしていた。

微かに漏れていた光。喉から手が出るほどの欲求に駆られ、テーブルに両手をついて身を乗り出す。グラスのコーヒーが大きく揺れたが、そんな事態は俺の眼中からは外されていた。

「まさか、里奈の正体が分かったのか?」

「六割程な」

 揺れたグラスが落ち着く様子に目をくれてから、彼女はこちらに視線を戻した。いつの間にか、彼女の瞳の熱量が下がっていた。

彼女の話しを聞く前にあった熱量は大きく削がれ、入店時に近いほどに冷房で冷やされていた。

「馬鹿が。現状を分析すれば分かることだろうが」

「頼む! 教えてくれ!」

「何でも聞こうとするな、自分で考えろ」

 そう言うと、彼女は残された甘い飲み物を苦いような顔で啜った。ホイップクリームとチョコレートソースに苦さなどはない。となると、どこに嫌気がさしたのか。そんなのは考えるまでもない。

 初めに彼女も言っていた。今回は情報の提供ではないと。

 つまり、今回の彼女はこちらに何かを教えてくれないというわけだ。情報提供のために、コーヒー一杯くらい奢っておけばよかったと後悔。

「どいつもこいつも色づきやがって」

「いや、今の流れからそうはならんだろう」

 その言葉は青春のような、爽快な色使いをしている人達に飛ばすヤジだ。確かに、無色ではなく、ミステリー色に染まりつつはあるけれども、青春臭さは微塵もない。それゆえに、その言葉は表現が違っている。

 その反論を述べようとしたが、体のそこからの勢いが足りずに口を開けなかった。

彼女が求めていた非日常。状態はどうであれ、俺はそこに立っていたのだ。

遠くを見る彼女からは、少しの哀愁のようなものを感じる。まるで、自分だけが取り残されたような寂しさも伝わってくる。

そう感じ取ったのは、俺が自意識過剰なのだからだろうか。

「しっかり失恋してこい」

 ろくにこちらを見ずに、残った甘い飲み物を一気に飲み干す。眉間に皺を入れながら飲む姿は、コーヒーショップに似つかわしくない表情をしていた。

 雑な言葉で叩かれた背中は赤く腫れながらも、二歩ほど転びそうになって前に踏み出すことができた。心が気持ち軽くなる。

 不器用なりの彼女からのエールなのだろう。

これは自意識過剰だと思った。

立ち去った彼女の残り香と、コーヒーの香り。一人残され、少しの間思いに耽ってみる。

 俺は心が幾分穏やかになったのを見計らい、家の付近に向かうバスに乗り込んだ。

コーヒーの苦みと、先程の倉科の言葉が後を引く。

 それほど多くのことを語ったわけではないのだが、彼女は俺の言葉から、里奈の正体に気づいたらしい。当事者である俺が分からないのに、話だけを聞き、彼女は六割ほど正体を掴んだと答えた。

『馬鹿が。現状を分析すれば分かることだろうが』

意味ありげな、彼女の言葉。

 その思考を習って、現状を再度確認する。

『失恋の神様』の恩恵を受け、小説のような失恋中。

 断片的にしか思い出すことのできない瑞希の記憶。

 そして、その記憶をなぞるような言動を取る里奈。

記憶にない幼馴染。

 正体が分からない里奈のことを不気味だとさえ感じとていた。何を考えているのか、なぜそこに存在しているのかさえも分からない。記憶にない女の子と俺が一緒に生活をしているという事実。気味悪がらないほうが無理だ。

しかし、ここ数日の記憶を遡ってみると、彼女に敵意がないことは明らかだった。むしろ、不自然なくらいに懐いている。まるで、長い付き合いがあるような雰囲気。少なくとも、俺が知らなくても、彼女は俺のことをずっと知っていたように感じる。

 箇条書きのように並べられた思考を、遠くから眺めてみる。さらに遠ざけてみたり、逆に近づけてみたり。若いくせに、老眼よろしくピントの調整に努めてみたりする。

 不意に、何者かに押されて心の底に落とされた。かくんと膝カックンをされた拍子に、何かを掴んだような感覚。

 掴んだ手の平を開こうとしたタイミングで、バスのドアが開かれた。

 開いたバスの扉に目をくれる。見覚えのある風景だと思ったら、俺の下りるバス停であったことに気づかされた。

 少しだけ、深い思考の中にいたようだ。下りる直前になるまで気がつかなかった。

家から徒歩数分の所にあるバス停。使用頻度の低さからも、バス停の名前に聞きなじみがなかった。

俺は急いで席を立ち、バスから飛び降りた。下から蒸し上がってくる熱気に顔をしかめながら、家の方向に体の向きを変えた。

「せんぱい!」

「あ」

 バス停のすぐ隣。俺が彼女を見つけるよりも先に、俺の前まで駆け寄ってきた彼女。心配そうに俺を見上げ、俺の顔を覗き込んでくる。

「顔色は……よくなってますね。よかったです」

 そんな俺の体調一つで、顔色を変えてくれる彼女。ブラウスは汗で濡れ、本来の色とは異なった色をしていた。髪の先から汗が流れ、首を濡らす。俺が帰ってくるまで、ずっとここで待っていたのだろう。熱を溜め込んだような頬が、安堵のため息と共に緩んでいく。

 数時間前に分かれた時とは、違った感情が胸の奥で湧いて出てくる。彼女の爽快な笑みによって、心の中が色づいてく。

 ミステリー色とは異なる、夏色をした青や黄色が何重にも重なっていく。油絵の着色や、スプレーで吹きかけられたような、統一性のない色。それらを一色に区分するならば、紛れもない青春色。

 分析した結果、一つの答えが浮かび上がった。

 瑞希の記憶をなぞるように、里奈の記憶が存在する。単純なことだった。確証もないし、根拠もない。それでも、この笑顔を見せられると断定する他なくなった。

 里奈は瑞希だ。

 瑞希は里奈である。

彼女達が同一人物である可能性。その考えが、俺の心の中で浮上した。

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