第21話

 体調不良を理由に、今は彼女と別行動をしていた。一人バスに揺られ、心ここに有らず。当然突き付けられた事実に、驚きを隠せないでいた。

隠すつもりが、慌ててどこかに投げ捨ててしまったのだろう。驚きの感情さえも、ここにはなかった。

神社の写真と自転車を彼女に任せ、俺は近くにあったバス停からバスに乗り込んだ。

 エアコンの良く効いたバス内で、冷えた汗が体温を奪っていく。ガラスに反射した自分の顔は蒼白としており、彼女が俺を心配するのにも納得するものがあった。生気を吸い取られたような顔をしている。もしくは、見てはならないものに遭遇したかのどちらかだ。

 彼女からの提案がなければ、きっと俺はその場から抜けられてはいない。今頃は彼女を乗せて自転車で帰っていたかもしれない。

 彼女に抱きつかれていた腹部には、消えない感覚が残っている。細くか弱い腕の感触。その感覚が纏わりついたように、消えずに残っていた。

 行きと帰りでの身体的状況の緩急差に、立ちくらみさえ覚えそうになる。

鼓動は不気味なくらいに不規則に速くなり、呼吸器系に影響を与えていた。呼吸が浅くなっていくのを感じる。

このまま帰ったところで、状態が悪化することは目に見えていた。いくら車内が冷やされていようとも、ここから体調が急回復することはないだろう。

熱射病や脱水症状などではないのだから、エアコンに当たっていれば治るわけではない。このままバスに揺られて帰宅したところで、血の気が戻ることはない。

時間が必要だ。

 丁度、その考えに至ったタイミングで、バスがショッピングモール付近で停車した。

俺が中学生の頃に造られたショッピングモール。駅に併設されているわけではないので、駅前のショッピングモールと比べると、集客力の点で劣る。

それでも、時間を潰すには十分すぎる設備だ。

バスが完全に停車してから、乗車客の三割程がバスから降りていく。俺も他の乗客の流れに沿って、後ろの方から下車をした。

バスから降りた瞬間、むわっとした空気が肺に入り込んだ。肺を焦がすほどではないが、不快指数を向上させるには、十分な環境。呼吸をすることさえも、嫌気がさしてくる。

車内の冷気が遠い存在にさえ思えてくる。

このまま外気に触れていたら、意識まで遠くに持っていかれるだろう。いち早く、店内に入る必要がある。

ふと顔を前の方に向けてみると、降りた客員達が列を形成して、一方向に歩を進めていた。行く先はショッピングモール。時間経過と共に俺との距離を確保されていく。人々が歩んでいるのに、一人立ち尽くしていれば当然か。

この灼熱地獄に、一人取り残されるわけにはいかない。本能的な衝動に駆られ、俺は追いかけるようにその列の最後尾に並んだ。

子供の蛇のように短い列は、一分も進まないうちに目的地に到着することができた。急激な温度変化に対応できない変温動物の小蛇は、冷気を浴びるなり弾けるように散っていった。

特に役目も目的もない俺は、思考をどこかに置いてきたまま歩くことにした。

 ショッピングモールに入ったところで、どこに行くか決めているわけでもない。ゆっくりと考えられる場所を求めつつも、頭が上手く働いてくれないでいた。

動悸の速さのせいで、思考は四方八方に散らばり、まとまろうとしない。

すると、扉からすぐの所にコーヒーチェーン店があるのに気がついた。視線だけで追っていたはずが、気がつくと体もそちらに引っ張られていたようだ。

喉の渇きとカフェイン不足を訴えていたのだろう。流れるように、引力にでも引っ張られるようにコーヒーショップに入店していた。

店内は六割ほどの席が埋まっていた。程よく空席も見られているので、席の確保は後回しでもいいだろう。そう思って、注文をする列に並ぶ。数人の列は何かを考えるよりも早く、解消されていき、すぐに注文をする番が回ってきそうだ。

「二名様でよろしかったですか?」

「え?」

 俺の前には麦わら帽子の小学生が一人。どうやら、その子はスルーされ、俺に声をかけたらしい。小学生が一人でコーヒーショップに入ることは視野になかったようだ。俺がこの子の保護者か何かと間違えたのだろう。

よく見ると、バスを降りたときに、俺の前を歩いていた子であったことに気がつく。知らぬ間に、一緒に入店をしてしまったようだった。勘違いをされてしまうのも仕方がない。

 炎天下での自転車走行、唐突に明けられた事実。そのダブルパンチで、瀕死寸前のエラー音のような物が脳内に響いていた。

 思考が上手くまとまらない。

俺は残った力で愛想笑いを浮かべようとーー

「一名様だ、一名様! 見た目でコーヒー飲めないとか決めつけるな、勝手に近場の人間を保護者に見繕うな、母親を探そうとキョロキョロするな!」

 して、そのまま固まった。

 どこかで聞き覚えのあるツッコミ。見た目とはあべこべな言動。

俺は強い既視感を覚え、その麦わら帽子の君の顔を覗き込んだ。

ぷにっと柔らかそうな頬をした、童顔百パーセント。黒色の半袖のワンピース姿は見ていて愛らしく思える。見た目とは不釣り合いな言葉と、態度で店員を圧迫しようと試みようとする子供。

「倉科、だよな?」

「お、なんだ。おまえは昨日のーーん? おまえって、そんなに色白だったか?」

「あ、ナチュラルでこの白さってわけではない」

 昨日の今日で、せわしなく肌色を変えられるほど器用ではないのだ。

そんな訂正とツッコミの間のような思考が頭に浮かんだ。そのおかげもあってか、速まった鼓動の勢いが緩んでいく。知り合いと会ったせいもあるのだろう、思考が冷静さを取り戻したようだ。

一日会っただけの人間を、知り合いとしてカウントして良いのかという議論は、物議をかもす気がするので今はしないことにする。

 少しでも知っている人間と会話をした方が、気持ちが楽になる。そんな自分勝手極まりない気持ちをそのままぶつけるように、俺は彼女を引き留めるように口を開いた。

「倉科、話をしたい」

「いや、昨日もしたばかりだろう」

 眉を潜めながら、絵に描いたような煩わしさを伝えてくる。昨日偶然、話しただけの関係。知り合いと名乗るには、希薄過ぎる関係性なのかもしれない。

だから、今ここでは議論したくなかったのだ。

 確かに、俺達は偶然共通の話題で繋がっただけの関係。フレンドリーに肩を組んで、お茶をする関係ではない。

共通の話題でもない限り、話し続けることは困難だろう。

「昨日の話で、進展があった」

「昨日の話?」

「オカルトの話だ」

「聞こうじゃないか」

 食い気味で食いつき、彼女は見た目に良く似合った笑みを浮かべた。好奇心と探求心に自我を支配されているのではないかと、少しだけ心配にもなってしまう。オカルトの話と分かった瞬間、瞳を爛々と輝かしている。

 変なおじさんに『オカルトの話があるよ』と言われたら、喜んでついていってしまいそうだ。将来的に、犯罪に巻き込まれてしまうのではないだろうか。

「それじゃあ、二名で」

 待ち惚けを食らっていた店員に、来店人数を告げる。謝罪の姿勢に入りかけていた店員は、目まぐるしい事態の急展開についてこられず、少しだけフリーズをしていた。

会計は割り勘になった。彼女に時間を費やしてもらうのだから、その分の対価を払おうとしたが断られてしまった。今回は情報の提供ではないから、代金はいらないとのこと。

彼女からお金を預かり、まとめて会計を済ませる。

俺のアイスコーヒーと、彼女のなんとかチーノ? ペーノ? という飲み物を受け取り、二人掛けの椅子に腰かけた。

『コーヒー飲めないと決めつけるな』とか言っていたが、本当にコーヒーを頼まなかった。つまるところ、店員さんの決めつけは、何も間違えていなかったのだ。全く、迷惑な客もいたものである。

「さて、話を聞こうか」

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