第19話
真夏の太陽を背に、二日連続で自転車を漕いでいた。いつから俺は熱血系になったのか。そんな疑問は熱に溶かされ、液化していた。その一端が、頭から零れ落ち、アスファルトに塩気を含んだ水溜まりを形成していた。稀に見る夏場の水溜まり。それは人々の思考が熱で溶かされ、その一端を見ているのかもしれない。
天気予報の情報によると、昨日よりも最高気温が二度ほど低いらしい。数値上の二度の違いというのは、もう誤差の領域である。体感温度は昨日よりも確実に高い。そう言える理由が存在するからだ。
「っ! くっつきすぎだっての」
「声が上ずってますね。先輩、もしかして緊張しちゃいました?」
「暑いんだよ、夏なんだよ!」
炎天下の中、なぜか二人乗りで自転車を漕いでいた。
背後には幼馴染の君。男女平等の社会で、二人乗り時に男子が自転車を漕ぐ描写は、世間様から叩かれるかもしれない。叩かないというのなら、俺が自ら叩いてやるとしよう。二回中、二回とも男子がペダルを漕ぐのは不平等であると。
「その暑い夏の日に、昨日は女の子を後ろに乗せてたんですよね?」
「いや、さすがに、ここまでくっついてはないって」
「くっついてはいたんですね?」
きりきりと腹を締め付けるように、彼女は抱きつくような形で腕に力を入れてきた。絞られた腹から声にならないような声が出た。そして、そんなことは小数点扱いだとでも言い捨てるように、背中が発狂していた。
とち狂ったように叫ぶ姿を覗いてみると、俺の背中は歓喜に満ちた表情をしていた。ああ、俺の背中である。比喩的な表現をしただけだ。
何事かと思ったが、その理由は目視するまでもなかった。
胸が押し付けられていたのだ。二つの丘を観測し、新大陸を発見したマゼラン一行を彷彿とさせる喜びよう。陰からその様子を見ていた俺でさえ、その姿を見せられて引いている。
夏ということもあり、後部座席の彼女は薄着姿。フリルのブラウスに、淡い色をしたデニム生地の半ズボン。そんな涼し気な恰好で抱きつかれたら、どうなるのか。柔らかい感触と共に、気温とは別の温かさが体に伝わってきてしまう。小さいが故か、若いが故なのか。ハリを感じる感触。ツンとして見えても、女性らしい柔和な節があるようだ。初めて感じるぬくもりに一抹の興奮を覚える。
動揺するなという方が無理な話。全意識が背中の神経に集中し、運転に気が入らない。自転車の漕ぎ方の知識が浮遊していき、俺の元から離れていく。慌てて掴もうとするも、手をすり抜けて、上昇気流と共に天高く上がっていった。虚しく手を掲げると、気流に乗り損ねた知識が断片的に絡みついてきた。その知識を頼りに、ペダルを踏み込む。踏み込むだけで、次の行動が頭に浮かんでこない。
マジで事故する五秒前である。
「久しぶり……」
「ん?」
「昔、二人の乗りをしたことがありましたよね。いつからか、自然としなくなりましたけど」
「あー、そんなこともあったな」
彼女を後ろに乗せてペダルを漕いだことは、初めてではない。その当時の記憶を引っ張り出し、なんとか自転車の速度を維持させることに成功する。安定を保った自転車は、等速直線運動よろしく、進んでいく。
そうだ、彼女を後ろに乗せたのは初めてではない。昔は何度か乗せた気がする。どんな状況だったのか、どれほど昔のことなのか。そのことについては思い出せないが、俺の後ろに誰かが乗っていた記憶がある。昔の記憶というものは、大事な部分が抜け落ちているものだ。
「ていうか、里奈の家によって、自転車回収しても良かったんだぞ?」
「えー、面倒くさいですよ」
俺が自分の自転車を車庫から出すと、彼女はしばらく考える素振りをし、自分を荷台に乗せろと言ってきた。どうせ家が近いのだろうから、自転車を取りに行く案も提案したのだが、秒で却下されてしまった。
そのせいで、二人分の体重のかかったペダルを漕ぐはめになったのだ。こちらの方が俺的には面倒臭い。それに、荷台の乗り心地が良いとは到底思えないのだが。
少しの沈黙と会話をするように、彼女の息遣いを感じる。もう一呼吸の間に、俺の思考と会話をするように、口を開いた。
「それに、道案内が必要ですよ? スマホ運転は違反ですから!」
「二人乗りも十分に違反だけどな」
彼女の正当のようで、不正当の考えを指摘する。抗議をするような唸り声を聞き逃し、代わりのバイブ音に反応する。
忘れていたような声を出した彼女は、腹に回していた腕を片方だけ解放させた。ちらりと見てみると、その片手でスマホを操作している。これはスマホ運転に入らないのだろうか? 警察に見つかったら、二人乗りとスマホ運転でカードを二枚ほど切られそうだ。その場で二枚揃えたら、黄色から赤色へと色を変えるのだろうか。とても気になる。
彼女が見ているのはスマホの地図アプリ。昨日、倉科から聞いた『失恋の神様』が祀られている神社。
その神社は、一部の人間しか入ることが許されない秘境の地。数年に一度だけ開かれる門を潜り、いくつもの試練を乗り越える。その試練の先に、その神様が祀られているのだ。なんてことはなく、地図アプリに表示されるほどに世間に近い存在だったのだ。
しかし、その地図が示した場所はこの街でも端の方。自転車でも結構の距離がある所だった。それゆえに、分からないところだけ地図を見る必要があった。
アプリ上で見た神社の写真。何かを思い出す手掛かりになるかと思ったが、特に思い出すことはなかった。写真では記憶を刺激するには弱かったのかもしれない。
まぁ、そうポンポン思い出すことができれば苦労しないか。
「せんぱい」
「なんだ?」
「なんで急にやる気になったんですか?」
言葉に詰まった。緩急の効いている話題についていけず、喉から言葉を発することができずにいた。淡々としたトーンからは読めない感情。背中越しの彼女の表情を窺うこともできない。間の長さに良くないものを感じ取り、間を埋めるように俺は言葉を紡いだ。
「なんでって、初めからやる気だったっての。失礼だな」
「やる気なんかなかったじゃないですか」
「部活存続のためにーー」
「何か私に隠してますよね?」
煢然たる声色でそんなことを呟いた。緩みかけていた腕が、再び強く俺の腰の辺りを抱きしめる。先程とは違った仄かなぬくもりが伝わってくる。俺のぬくもりを求めるようにして。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます