第18話

「なんか、元気ないみたいですね?」

「いや……別にそんなことはないさ」

 翌日の朝。俺達は昨日と同じ時刻に起床し、朝の食卓を囲んでいた。メニューは昨日と同じシンプルなものだった。それに対する不平不満は特になく、意識が別の所に行っていて、帰ってこないだけだった。

 意識は転々とあらゆる所に伸びていた。その一つ一つに目を通すだけで、軽い頭痛を覚えそうだ。

 そのうちの一つが、倉科から聞いた話。

俺が『失恋の神様』に願いを叶えてもらっているかもしれない可能性。そのため、現在の記憶を捏造、消されているかしれないということ。

そして、もう一つが、何かを知っている里奈の態度。

 ただ気がかりなことのみが増えていき、解消されることなく、新しいことが積み重なれていく。

 互いの行き先の共通点は、瑞希という女の子に行き着く。

 瑞希という女の子の記憶。ただ夢の中に出てきた女の子。それだけで済まされない所まで来てしまっている。

状況的に考えるのならば、俺は瑞希という女の子との失恋を願ったのだろうか? その結果、俺は彼女の記憶を失くしてしまった。そう考えるのが妥当な気がしてくる。

 でも、なぜそんなことを願ったのだろうか? 仮に失恋を願ったとしても、気がかりな点が次々に湧いてくる。

里奈の話によると、『失恋の神様』というものは、絶対に成就しない人達でないと失恋をさせないらしい。

 絶対に恋が成就しない相手。相手の御眼鏡に叶わなかった、それくらいでは『失恋の神様』に願いを叶えてもらうことはできない。普通の恋愛において、何事においても絶対という言葉は存在しない。必然的に、俺と瑞希という子の間には超えることのできない障害があるということになる。

 現代の社会において、それほど障害になるような壁が存在するのだろうか?

 考えられる可能性としては、身分の違い。俺達が生活をしている社会とは、数段階上の階級の人間。それも、俺達が見上げるくらいでは見つけられないほど、高い位の人間。

 俺はそんな高根の花に恋をしたのだろうか? 一体どこで、どんな形で恋に落ちたのだろうか。

 仮にそうだとしても疑問は残る。俺のことを一番よく知る、俺の意見から言わせてもらう。そんな状況だとしても、俺は恋の成就を願うだろう。

俺だったら失恋ではなくて、恋愛成就の神様の所に行くと思う。なぜ、失恋の神様に願ったのだろうか? その疑問だけが海底に下ろされた碇のように、引っかかって動けないでいた。

「せーんーぱーいー!」

「え、ああ。何の話だっけ?」

「今日はどうするのか、ですよ!」

 ぶーぶーっと不満をあらわにする彼女。しばらく思い耽り、彼女の話を心ここにあらずで聞いていたのが原因だろう。ジトっとした視線を向けられていたことに、今になって気がついた。もしかしなくとも、こちらが気付くまで、ずっと向け続けていたようだ。

 急遽、思考を投げ出し、提示された問題を考えること数秒。昨夜のうちに考えておいたタイムテーブルの一部を口にした。

「とりあえず、今日は『恋愛成就』の神様の所に行こうと思う。写真とかも撮らないとだしな」

「えー、今日結構暑いですよ?」

 そう言われ、横目でテレビの天気予報を確認する。天気予報のお姉さんは、ノースリーブ姿で、本日が今年一番の猛暑であることを述べている。はきはきと喋る様子から、暑さがあまり伝わってこない。

しかし、画面に映し出された数値を見ると、顔が引きつるものがあった。想像の五度上を行く気温。思わず顔がしかめてしまう。

「致し方あるまい」

「えー、暑いですよー。明日にしましょうよー」

 そんな魅力的な提案に気持ちが揺らぐ。脳内のベンジャミン・フランクリンでさえも、彼女の意見に熱い賛同の意を唱えていた。ゆらゆらと揺れた気持ちは、明日まで流されていきそうだったが、何とか踏み留まる。その暑に対するストレスに耐えてでも、ごちゃごちゃな頭の中を整理したい欲求に駆られていた。

 あの場所に向かえば、何かしらの手掛かりが得られるのではないか。そんな薄っすらとした期待を抱いていた。

 彼女はぐでっとした様子で、机に張り付いている。この状態の彼女を動かしてまで、付き合ってもらうのも悪いだろう。

「ただ写真撮ってくるだけだから、無理して来ないでもいいぞ」

 里奈は俺とは違い、昨日も灼熱地獄を歩いてきたのだ。無理に連れ出すほど俺も鬼ではない。というよりは、里奈が手伝える範囲は終えているのだろう。彼女自身も、そこまで『失恋の神様』について詳しいわけではないと言っていたしな。

 気遣い上手、まさに紳士である。

「また知らない女の子と一緒に行くつもりですか?」

 ジロリトした視線。昨夜のことは水洗トイレの流れと共に、流れたのかとばかり考えていたが、どうやらそんなこともないらしい。親切心で手伝っていたのに、当の本人は女とイチャコラしている。そんな勘違いをしていれば、里奈の態度も納得できるものがある。実際は、そんな青春イベントなどなかったとしても。

「女の子の知り合いがいるなんて、思ってもいなかったのに……」

 ぼそっと独り言のように、そんなことを呟いた。一定の温度を保ったエアコンが、羽休みのように静かになったせいだろう。本来聞こえるはずのない声が、最後まで俺の耳に届いたのは。

 物思いにふけるような表情。煽り文句という訳ではなさそうだ。独り言に返事をするべきなのか、一瞬迷ったが聞こえた上で無視をするという態度も如何なものだろうか。

「まぁ、来てくれた方が退屈はしないんだけどな」

 こちらも独り言で返答。

対面に位置しているというのに、互いに独り言を漏らす。声のボリュームのつまみを調整し、彼女の耳に届くようにと右に回す。

「デレるなら、もっとデレてくださいよ」

「デレてはないっての。結構遠いから、話し相手がいた方がいいってだけだよ」

「その言い方だと、誰でもいいみたいですね」

 いたずらっぽく笑う彼女に、こちらも合わせたように失笑する。何を期待しているのか、俺からの続く言葉を待っているようだ。

そんな期待に応えるはずもなく、俺は静かに立ち上がった。

「まだ午前中の方が涼しいだろ。早く行こうぜ」

「仕方ありませんね。そんなに言うなら、私が! この私が、一緒に行ってあげますか!」

「いや、そこまで頼み込んではないんだが……」

 そんなやり取りがあり、彼女の機嫌もいい感じに右肩上がり。その調子で、有頂天でも目指してはくれないだろうか。

俺のそんな思考が彼女に届いたのか、彼女は微かに口角の角度上げた。

一体、どこまで俺の考えが通じたのだろうか。そんな横書きか縦書きかも分からない、読めるはずもない心情を読み取ろうとするが失敗に終わる。

煮詰まった考えが、スパイスを加えられたように色を変えた。何も解決していないのに、どこにあるのか分からない心が軽くなる。

そんなやり取りを済ませた夏の朝。適当に支度を済ませてから、リビングに集合の約束を取り付け、一時解散の挨拶を告げた。

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