第17話

「……」

「急に黙っちゃって、どうしたんですか?」

 本題の入り口。そこで小さく足踏みをして、入場のゲートを潜ることを躊躇ってしまった。両手で抱えている布袋には、未知の二文字が書かれていた。この袋の中身について、話さなければならないのだが、まだ俺も中身を確認できていない。今日会ったばかりの少女に、その中身を匂わされただけだ。

 今日知った、俺の置かれているかもしれない現状。一番の収穫であり、きっと『失恋の神様』を調べるにあたるモチベーションを大きく変える。しかし、確証が得られない。そんな不確定要素を、不確かな知識で語ることは如何なものだろう。このことは伏せておいた方が良いのではないだろうか?

 この話を聞かされた時、彼女はどんな反応を示すだろうか。

『実は、俺、『失恋の神様』に記憶を消されているんだ!』

 ここで重要になってくるは、その人物の置かれている状況だ。この声の主は、オカルト部副部長。夏休みにオカルトについてのレポートを書くために、後輩の幼馴染に手伝ってもらっている。

 その口語文をぶつけられるのは、手伝わされている後輩。委員会の仕事もあるというのに、先輩のご飯の支度、レポートの助手もしてくれている。先輩とは幼馴染の関係にあり、その繋がりだけが、彼女を引き留めていると考えられる。

 考えられる返答は三つ。

『へー、そうなんだったんだ! 大変だったね、疲れてるのかな? 何か嫌なことあった?』

『うわぁ。さすがに、それはないわ。きっついわぁ』

『え、ああ。そう……』

 どの返答が帰って来ても、彼女との間に修復不可能な亀裂が入るだろう。俺の高校生活での唯一の紅一点。それを失ってしまっては、身近な灰色を紅に変える他ない。致し方あるまい。新たな扉とルートの開拓に、勤しまなければならなそうだ。

ただでさえオカルト部に属している状況。それだというのに、俺がオカルトに巻き込まれているんだ、なんて言ったら、いよいよ末期症状だと思われるだろう。

 記憶を捏造されたとか、消された。そんな電波を受信したような発言は、慎んだ方がいいだろう。

 その残滓が脳内に残っているのならば、別ではあるが。

「そういえば、瑞希って知ってるか?」

 脳内にぽんと突然現れた言葉。それがなんであるかを確かめる前に、口がその言葉を発していた。言葉にしてから、数分前の里奈の態度を思い出す。トラウマのように思い出す、光を失った彼女の瞳。

じわっとした脂汗が全身の毛穴から溢れだすようにして、体が固まっていった。

このタイミングで、女性の名前を口にする。死期を早めるであろう愚行。潤したはずの喉の水分が一気に失われた。

「……え」

 言葉が漏れだしたような声。俺の緊張が伝わったのではないかと思うほど、彼女の体もまた、静止してしまった。その瞳の奥の方だけが、微かに揺れている。触れるべきではない話題に触れてしまったかのように、空気が固形化されたように固まった。

「里奈?」

「え、なん、ですか?」

「いや、知ってるのか? 瑞希のこと」

 一瞬、彼女の視線は俺から逃げるように逸らされた。その視線は、何かを隠しているように見えた。しかし、その先にあるものが判明する前に、彼女の視線は俺の元へと戻された。彼女はその行動をカモフラージュするように、目元を細めて笑みを浮かべた。

「知りませんよ、そんな女の子の名前」

 無理やり上げられたテンションを繕うように、会話の流れにはそぐわない口調。

違和感を覚えた。違和感という言葉が、凹凸にはめるようにぴたりと合う。

 知らない奴の反応ではなかった。確実に何かを知っているはずだ。しかし、これ以上の追求ができないでいた。笑顔の下に隠れた、会話を打ち切ろうとする圧力。

これ以上、話を広げても、何も口にしないといった意思さえも感じる。

 何かを知っている。今回ばかりは確信を持つことができた。

『知りませんよ、そんな女の子の名前』

 彼女はそう返答したのだ。

誰も、女の子なんて口にしていないのに。

 瑞希という名前は、男女ともに使われる名前だ。

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