第15話

「逆に、おまえはどこまで知っているんだ?」

「失恋を演出してくれる神様。小説みたいな失恋をさせてくれる神様だって、聞いた」

「なんだ、もう知っているじゃないか」

 あえて遠回りをするような話しぶり。煙に巻くような態度に、気持ちだけが先走っていく。給水所で心を落ち着かせるように、ストローからコーヒーを啜った。

「俺が知っているのはそこまでだ。それ以上のことを何も知らない。記憶の捏造と言ったか? それに俺が当てられたとかなんとか」

「そこまで知っていれば、分かりそなものだがな」

 倉科は俺を見定めるように、視線を向けてきた。ゆっくりと減っていく彼女のカルピス。四分の一程飲み干すと、彼女はようやくストローから口を離した。

「小説みたいな失恋、か。面白い表現だ。それでいて的確だ。小説には演者がいるな? その演者は誰だと思う?」

「誰って、失恋を願った人と、その相手だろ?」

 当たり前のことを聞く。他にもギャラリーがいるかもしれないが、主な登場人物は二人。物語に必要なのは、ヒロインとその相手。

「本来は起こるはずがない失恋を生む。自分はいいが、相手はそんなことを考えたこともない。ここまで言えば、分かるだろ?」

 からんと倉科のグラスの氷が音を立てた。冷涼感を過ぎ去り、背筋が寒くなる。考えてもみなかった盲点。自分の中で、勝手に美談にまとめていた。そんなはずがなかった。フィクションの中は綺麗なのだと思い込んでいた。

 頬に油のようなものが流れた。

「相手の気持ちを、記憶を捏造する必要がある」

「そういうこと」

 正解のご褒美か、というタイミングで目の前にパスタが置かれた。食欲を誘うトマト香りも、今は鼻の奥が受け付けない。店員の声が遠く聞こえ、俺の代わりに倉科が対応していた。

 ただオカルトの話の真相を聞いただけ。少しだけぞっとするだけの話。それで句点を打てるのならば、気持ちは羽のように軽いだろう。他人事ならば、この話はこれにて終了する。 

しかし、この話にはまだ終わりが見えない続きがある。これから先が本番だ。

「俺は、『失恋の神様』が叶えた失恋の中にいるのか?」

「そんなこと私が知るか」

 即座に責任を投げ捨てるような言いよう。代わりに口をもごもごと動かし、目の前に置かれたパスタを頬張っていた。

 肩透かしを食らい、バラエティー番組風に前にこけてしまう。フォークがその音に驚いたように、小さな悲鳴を上げた。

「いやいや、俺が巻き込まれているみたいな物言いだっただろ?」

 ミステリアスな登場といい、作中でアドバイスをくれるお助けキャラ。日常と化した平凡を非凡へと導いてくれる、そんなキーマンかと思ったから、なけなしのお金を叩いてまで、奢ったというのに。

 勝手にこちらが解釈したくせに、もやっとした感情が生れてしまう。理不尽だと言われようと、視線にぐっと力を入れた。

その視線を受け取り、何を考えたのか彼女は片手でパスタを守るように隠した。俺の視線はパスタには向けらえていないのだが。さすがに、今さら返せとは言わんけども。

 猫の警戒を解くように、こちらにも同じものがあることをアピールする。力ない手で四撒き程パスタを巻き、それを口に運んだ。それを三回ほど繰り返すと、彼女の威嚇した猫のような目元が緩まっていく。

 何やってんだか。

 自身に対する感想なのか、彼女に対しての感情なのか。愚痴交じりのため息が漏れた。

 彼女はそのため息と会話をするように、口を開いた。

「少し真相を話しただけで、記憶が揺れたんだろう? 状況的に考えても、そう思うのが道理だろう」

「そう言われると、そうなのか」

 言われて痒くもない、首筋を一掻きする。その刺激を引き金とするように、記憶の中の女の子の名前を思い出す。彼女の言う、記憶が揺れた瞬間に思い出した名前。

『瑞希』。あの日、見た夢の中に出てきた女の子。そして、断片化された映像。これを記憶と呼んでしまっていいのかさえも躊躇われる。まるで、他人の記憶を覗いているような感覚。アニメの名シーンの切り抜きを見せられたかのようだ。それでも、そこに登場しているのは紛れもない俺だった。

「実感が、湧かないんだよなぁ」

「実感が湧くようだったら、それは捏造失敗だろうが」

 至極もっともな意見。反論のしようもなく、静かにコーヒーを啜った。トマトソースの味をリセットするように、感情が優勢していた思考をリセットする。本体の電源を切り、再起動をかけるように。

徐々に起動していく脳内の回路を、論理的に繋げ直して思考を立て直す。すると、本来湧き出るはずであった疑問が頭を出した。

「そういえば、なんでそんなに詳しんだ?」

 一番初めに到達するべく疑問。先ほどまでの、速さだけが売りの跳躍電動的思考に辟易とする。

「オカルトを作ろうとする人間だぞ。知らないわけがないだろう」

「オカルト、探したこともあったのか」

「探した先が、作るに通じていただけだ」

「ていうことは、俺もゆくゆくはそっち側に行くのか?」

「……嫌がるな、憐れむな、こっち見んな」

三段活用よろしく、一呼吸でいい終えると、彼女は俺の視界からフェードアウトしていった。コップを片手に、ドリンクのおかわりに向かったらしい。

可愛らしい後ろ姿から目を放し、思いに耽ってみる。眉間の奥の方が痛くなるような未来。俺も部長も一年後は信号のボタンとか押してんのかな? 夏場にパラソルさして、本当の意味で日陰者になってしまいそうだ。早めに足を洗おうかな、こっちの世界から。

再び俺の目の前に現れた彼女は、緑色の液体を手にしていた。小さな水泡が水面に目指して浮上している。こちらまで炭酸が抜ける音が聞こえてきそうな勢い。

その勢いをそのまま吸い込むように、彼女はストローで啜った。炭酸が強すぎたのだろうか、彼女は子供のように軽くむせた。何事もなかったように口を開いたので、見なかったことにしようと心に決めたのだった。

「半年経っても、付近の高校にも噂が浸透しないとはな。もっとネットワークの強化をする必要があったかもしれん。……ちなみに聞くが、『メビウスのミサンガ』の話は知ってるか?」

 独り言を聞かせるように、その延長線のように問いかけてくる。

「なんだ、『メビウスのミサンガ』も知ってるのか」

 本当に、この子は何でも知っているんじゃないか?

『メビウスのミサンガ』。部長から送られてきたテーマのうちの一つ。あまりにも情報が希薄過ぎて、調べることが困難だった。そのため、俺のレポートからは除外するはずだった物だ。

「知っているのか⁉」

 情緒の不安定ぶりを心配せざるを得ないような、感情の起伏。カフェインを摂取した子供のように、目を爛々とさせている。この娘、興味の有無によって、露骨に話し方に影響を及ぼすらしい。

「ミサンガがメビウスらしいってことだけ」

「あ?」

「せめて、は? にしてくれよ」

 舐めてんのか、おまえ、という言葉を語っている目元。なんで喧嘩に腰を入れているんだ。聞いた内容をそのまま話しているだけなのに、なぜ俺が睨まれなくてはならない。

「仕方ないだろ。俺が聞いたのはその情報だけだ。どういったオカルトなのかも聞いていない」

「名前だけ浸透したのか。……まぁ、もう少し月日が必要だな」

「浸透というか、かなり一部の耳に入った程度だがな」

「どちらも仕込んでからの日が浅いんだよ」

「仕込んだ? ていうことは、また君……お前の仕業なのか?」

「そういうことだ。なんだ、気になるのか?」

 彼女は機嫌が低空飛行のまま口元を緩めた。口角が上がり、微かに機体の先端が上向きになる。話したいんだろうなぁと察する自分と、明かされていないオカルトに少し興味を引かれる。心の中の変性した何かを解きたい気持ちに駆られ、彼女のペースに相乗りすることにした。

「一体、どういう意図で作ったものなんだ?」

 その俺の態度に、彼女は一度満足げに頷いた。謎の達成感を口の中で転がし、味わうようにゆっくりと。それから、一呼吸の溜めを作り、満を持すように口を開いた。

「尾びれ背びれが、どれくらい付くのかの実験だ」

「尾びれ背びれ?」

 噂にはあらゆるものがくっつく、時には、原形を留めないほどの付属品がついたりする。それを魚に例えた言葉が、尾びれ背びれ。その意味合いは分かってはいるが、それと『メビウスのミサンガ』の結び目が不明瞭だ。

「『メビウスのミサンガ』はその存在があることだけを、噂として流した。実際の中身は何もない。どれだけの余分な物をくっつけて帰ってくるか、その実験用のオカルトだ」

 俺の脳の中を解析したように、先回りした解答を目の前に置かれた。コトっと、小さな音を立てながら。

「よく思いつくな、そんなこと」

 感心と呆れが入り混じり、それが息となって外に排出された。その行動力は、馬鹿にされても可笑しくはないが、称賛に値するものだと言えるだろう。

『メビウスのミサンガ』。その実態などは存在せず、ただの言葉のみが存在する。本来存在しないオカルトが、どれだけ肥大化し、多様性溢れるものになるのかを確かめる実験。

 何でそんなことをしているのか、そんなことを聞いたらきっと、『日常に飽きたから』とでも返ってくるのだろう。

「なんか、お前のはオカルトとは別のものに感じるな。オカルトを信じているのか怪しくなってくる」

「少なくとも、おまえよりは信じてはいないだろうな」

目の前の彼女は嘲笑うように、顎に手を当てて笑みを浮かべていた。高校生にまでなって、オカルトの部活に所属していることを馬鹿にするように。微かに自分の表情がこわばるのを感じる。

しかし、それも一瞬のことのように緩んでいく。部活の内情を知らなければ、そんな反応になるのも当然か。逆の立場だったら、同じような反応を示したかもしれない。

「そこまで本気で活動はしてないんだよ、オカルト部は」

「なんで急に部活の話になるんだ?」

 きょとんと首を傾げる彼女。話しの脈絡を見失い、辺りをきょろきょろと探しているようだ。近くに警察官がいたら、腰を落として話しかけてくれることだろう。

 ファスナーに布を挟んだように、ぐいっと会話が止められる。挟んだ箇所を探すように、確認が始まった。

「俺がオカルト部に入っているから、俺の方が信じてるって思ったんだろ?」

「いや、違うけど」

「おぅん?」

 予期しない反応に応えるように、どこから出たのか分からないような声が出た。食い違った場所は分かったが、原因が不明になってしまった。

「私が言ったのは、おまえ個人のことだが?」

「俺? いやいや、部活には入ってるけど、全く信じてないぞ、俺は」

「信じてないのに、『失恋の神様』に当てられるかよ。いや、縋ったとかの方が近いのか」

 他人の話をしているように、話に置いていかれている。可笑しいな、会話の内容は俺を指しているみたいなのだが。話しぶりからするに、オカルトを信じていないと、『失恋の神様』に巻き込まれないような物言いだ。

 まるで、何かを忘れているような……忘れている?

「自分で願ったんだろ? 『失恋の神様』に失恋させてくれって」

「俺が、望んだ?」

 言っている意味が分からない。そもそも、『失恋の神様』のことを知ったのは昨日だ。昨日のうちに、『失恋の神様』に願った記憶もない。ましてや、失恋をしたい相手がいるわけでもない。だから、俺がそんなことを望むはずがない。

「今さら何を言っているんだ」

 訝しげに見るように、俺を覗き込む。まるで、俺が空気も読まずに、御恍けでもしているかのようだ。俺側のテーブルのみが、世界から切り取られたような静けさを感じる。今まで気づいていなかっただけで、音をなくしたように、止まっていた世界。続く彼女の言葉が、耳に届くよりも前に、俺の世界を揺らした。共鳴するように、世界に音が戻り始める。

 初めに飛び込んできた音は、大きく跳ねた、低い心音だった。

「『失恋の神様』は、互いに失恋をしたいと拝みに来た人にしか、願いを叶えないぞ」

 一定のリズムを刻みだす心音。その音は時を刻むように、止まることなく進み続けた。前にしか進む道はない。そんな意思を感じる。

 また俺は、何か重要なことを忘れていたらしい。

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