第14話
数分前とは打って変わって、巡回中の冷気を感じ取ることができる。どうやら、満遍なく隅々まで監視の目が行き届いているようだ。全体に目が行き届くように、大きな箱の中で視線を上下にしていた。エアコン万歳。
『変わらない信号』の場所から自転車でさらに十分。俺達は全国チェーンのファミリーレストランに来ていた。
荷台に女の子を乗せての初乗車。俺の比ではないほど汗をかいた彼女は、汗ばんだ俺の背中に掴むことを躊躇したが、仕方なしといった様子で掴まった。足をそろえて、横向きに座り、ぎゅっと抱きつく。そんなアニメのような二人乗りではなく、俺の服を手綱のように、握っていた。
夢見ていた二人乗りに対する幻想は崩れ、現実を受け入れる。それでも、彼女の握りこぶしが背中に接しているだけで、多少はドキマギしてみたり。
多少の青春を背中で感じ取り、ペダルを踏み込んだ。
十分の時を過ごし、今俺の正面に彼女が腰かけている。パラソルを足元に置き、麦わら帽子は膝元に置かれていた。
メニューに目を落とす彼女。オフショルダーに、肩紐がついた白ワンピース。どこかに出かけるにしては軽装で、庭先で水くれをしている様子が浮かぶ服装。
「なぁ、着替えとかって、持ってきてないよな?」
「持ってくるわけない」
「だよなぁ」
紳士たる我は視線を逸らす。それでも、コンマの時が過ぎたころには、視線は居心地の良さを求めて元の位置に戻っていた。
白のワンピースは透ける。これは世界の理であり、男子達の視線を釘付けにする世界の心理である。当然、目の前の女の子もそれに該当するわけで。
炎天下の中、噂が広まることを待っていたのだろう。首筋や鎖骨に、目視できるほどの汗が伝っていた。透明なそれは、衣服と体の距離を狭める原因となり、体のラインを強調する。強めの主張に折れる形で、奥から覗いて見えたのは水色。胸元にその存在を確認した。
本来見えるべきではない物を目の当たりにし、内なる何かが沸々と膨れ上がっていく。見た目は幼い少女。そんな彼女に縦縞ではない感情を抱いてしまっている。これは由々しき事態なのではないだろうか。脳内で危険を知らせる警報が鳴っている。
「知ってるか? 女の子はな、男子の視線に敏感だったりするもんだぞ」
そんな脈絡のない会話。ドキリと鳴いた心臓と、死後硬直のように動かなくなった体に、首を傾げる。背中に冷たい汗を感じた。はやり、汗をかいた直後に冷房にあたることは良くないらしい。
「そうなのか。利となる知識だな」
「他人事を装うな。私を小学生と間違えたくせに、その体に欲情しているのか?」
「人を犯罪者予備軍みたいに言うな。そもそも、君とは一つしか歳が変わらないだろ」
「否定する場所はそこじゃないだろ」
ろくに顔も上げず、視線はメニューに落としたまま。淡々と話すボケに、ツッコミを入れるのも大変になってくる。早く背中の汗、止まらないものだろうか。
ファミレスのメニューが終盤を迎えたころ、彼女は視線だけを上げてこちらを捉えた。瞬きを一つ。表情を崩すことなく、小さな口を開いた。
「変態」
「うぐっ」
胸の奥の方が熱を帯びて痛み出す。カバーガラスのように繊細な造りの心。それを親指で潰され、修復不能な心の傷となった。わけではない。
熱くなった心は、不謹慎なほどに熱気を高めていた。冷めた視線と抑揚を感じない声色。そこから飛び出してきたワードに一抹の興奮を覚えてしまった。
マイノリティ的な反応を示してしまう、異端児。いよいよ、彼女の言った言葉を受け入れなければならないのか。
「せめて、紳士と付けてくれ」
「馬鹿なんじゃないの」
呆れが八割混じったため息を一つ。彼女は汗でくっついた服を直すように、胸の辺りを引っ張った。少し気持ち悪かったのだろう。ああ。俺じゃなくて、張り付いた服が。
「それで、本当に奢ってくれるの?」
「ああ。でも、頼みがある」
「分かってる。『失恋の神様』のことについてでしょ?」
「そういうこと」
声のトーンに真面目成分を三割程増す。雰囲気に二割だけ還元され、残り一割は宙に消えていった。彼女はその二割を受けて、メニューを机の上に置いた。
何もナンパをするために、彼女を誘ったのではない。探していた『失恋の神様』に関する情報。忘れていた彼女の名前。捏造されたと言われた俺の記憶。
その全てを知っているように、歪められた笑み。その真相に手を伸ばすために、俺は彼女を誘ったのだった。
店員にドリンクバーと、ナスとトマトソースのパスタを二つずつ注文する。それぞれのドリンクが目の前に揃ったところで、俺は口を切った。
「教えて欲しい。君が知ってる『失恋の神様』の情報を」
「その『君』って言うのが、気に入らないな」
「え、ああ、申し訳ない」
「上からものを言われているようで癪だ。『座高的にも上から言葉を発しているしな』、じゃねーよ。喧嘩売ってんのか?」
「いや、まだ何とも言っていないが」
「倉科実里(くらしな みのり)。おまえは?」
「柊誠。ひとつよしなに。ときに、倉科」
「女子を意識して、名字で呼んでんじゃねーよ」
「えーと、実里?」
「いきなり下名呼びとか、馴れ馴れしいんだよ」
いやいや、どうしろと?
流れに逆らわず、提示された二つの選択肢を選んだのだが、どちらも不正解。となると、三つ目の選択肢『みのりん』を他にしてなくなってしまう。まさか、この可愛らしい呼び名がご所望だったとは。初めから言ってくれればいいのに。
どうやら、みのりんは恥ずかしがり屋さんみたいだ。
語尾にはハートマークを付けた方がいいか。そんな俺の考えをどう捉えたのか、難攻不落の城が蜃気楼なのではないか、と疑いをかけるように彼女は眉をひそめた。
あれ? ハートよりも星をご所望だったか?
「妙なことを口走りそうだな。そもそも、私がおまえと言っているんだ。おまえもおまえと呼べばいいんだろ」
「おまえでいいのか?」
「それが礼儀というものだろうが」
「そんな無遠慮な礼儀があってたまるか」
腑に落ちないといった両者の間に、微かな沈黙が流れる。一度緩みかけた雰囲気を再度引き締めるように、咳払いを一つして立て直す。破られた沈黙は、放っておくと塞がってしまいそうだったので、なるべく早めに畳みかけた。
「それで、『失恋の神様』って何者なんだ?」
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