第13話

「っ」

 意外なものに出くわしたかのように、少女はこちらに振り向いた。

ぷにっとした頬からにじみ出る幼さ。くるりとした丸い目元と、ブラウンの肩よりも長いツインテール。もはや、狙っているんじゃないかと勘繰ってしまう。そんな屈折した考えを正すような視線。目の奥の方が澄んで見える。

その子の口元が、達成感をひけらかすように歪められた。

「ついに、私も噂されるほどになったのね」

「え」

 言葉に詰まる。予想だにしなかった言葉というよりは、口調。まるで、この時を待ち望んでいた。とでも言いたげな抑揚。

「ふふっ、ふふふっ」

 小さく笑い声を漏らす女の子。年端もいかない少女の背景に、人生を濃縮したドロッとしたような物を感じる。小さい体の奥底に、闇よりも深い何かを見つけてしまったようだ。

 どうやら、関わったらダメなタイプだったみたいだ。好奇心に背中を押され、調子に乗ってしまったのが悪かった。十二分に悪びれるから助けて欲しい。そう思って、脳内を突き破って出てきた疑問符達の方に振り向いた。当然、そこにはそんな集団がいるはずもなく、手で頭を確認しても、流血事件にはなっていないようだった。

結局、頼れるのは自分のみ。天涯孤独。

ちらりと退路を確認する。幸い、四方を囲まれているわけではなかった。落ち着いて安全確認。

二、三歩後ずさるようにして距離を取る。前方方向の信号に目をくれる。当然、渡ってきたばかりの信号が青になるはずもない。どうやら、前方方向への避難は無理みたいだ。

「ねぇ」

「は、はい?」

 俺が間合いを取ったことに気がついたのか。蛇のように先回りをし、俺の退路を塞ぐように少女は口を開いた。

 まだ他の方向の安全確認を終えていないというのに。

 対格差と年齢差を逆さまにしたかのような態度。態度と言葉遣いだけなら、俺なんかよりも一回りも、二回りも大きかった。

「私のこと、どこで聞いた?」

「友人から、だけど」

「そう。それで、私の噂はどこまで届いたんだ? おまえはどこから来た?」

 願望を望み待つような視線。穢れを知らない目をしている。正面から向けられると、胸焼けするかのような純粋さを放射されているかのようだ。

「どこまで届いたのかは知らんが、俺の高校までは届いていたぞ」

「どこ高校だ?」

 この場所から徒歩で通える県内にある高校。その高校の名を口にすると、少女は目に見えて肩を落として落胆した。

 先程の期待を返せ、とでも言わんばかりの眼光。

いや、そんな見れましても。

「はぁ。所詮はご近所様止まりか。いや、一般生徒にまで届いたのなら、第一段階としては良しか」

「いや、探してやっとって感じだ。俺がオカルト部だから知ってるのかもしれん」

 そう告げると、呆れを通り越した眼光を向けてきた。『我の期待を返さんかい!』と捲し立ててくる、借金取りを思わせる。

いや、本当にどうしろと。

歳に見合わない深いため息を漏らす少女。大して膨らみもないくせに、そんな胸の内に何を蓄えていたのやら。ぺったんこではないか。

「半年の努力がこんあにも、あっさりと……」

「半年?」

「何か問題でもあるか?」

 やんのか、こら、とでも言いた気な口調。喧嘩の速さから察するに、江戸っ子かな? 半年の年月を溶かしたからといって、こっちにあたってこないで頂きたい。絡まれた際に、解放を望まない人がいないわけがない。このまま会話の流れに乗っていたら、愚痴の波に乗せられて、沖にでも流されてしまいそうだ。

 あまり泳ぎが得意ではないので、遠くまで流されても困る。少し強引ではあるが、無理やりにでも褒めちぎってみようと思った。褒められて胸ぐらを掴んでくる奴、そんな輩は聞いたことがない。そんな輩はやばい奴に区分されるだろう。手始めに、適当に頑張っているね、とか言ってみるとしよう。

「いや、小さいのによく頑張っているなと」

「身体的特徴を揶揄する気か? 親の遺伝子でマウント取る気か?」

「ひねくれ形が個性的過ぎるよ」

 その言葉そのままお返ししてやろうか、と言いたくなるような容姿をしているくせ。

歯茎の裏まで頭を出した言葉を、胃液と共に呑み込み、酸味がかった声を出す。

胸ぐらこそ掴まれなかったが、それに同等する勢いを感じた。となると、この子はやばい奴なのだろうか。

先程の俺の言葉を構造分析する。どうやら、『小さい』という言葉に過敏に反応したと思われる。

確か、子供のうちは大人っぽくみられる方が喜ぶと聞いたことがある。歳下に勘違いするものならば、喉元をかっき切られてしまうらしい。となると、次のワードセンス次第で、俺の人生終了のお知らせの放送を聞くことになるかもしれない。慎重にいってみるとしよう。

「そうじゃなくて、年齢のことだよ。……中学生だろ? よく辛抱強く続けたなって、褒めているんだよ」

 スマイルを添えて、せめてもの称賛を送る。

 目の前でぱち、くりと瞬きを数回された。そして、少女に目元の笑っていない全力笑顔を向けられた。

「同じ高校の、一年生だけど?」

「え」

 ……下に見てしまった。とりあえず、喉元を守るように左手を添えておいた。

「初め小学生と勘違いしたろ?」

「いや、さすがに低学年だとは思ってないぞ」

 ここだけは断定できる。勘違いさせて怒らせてはならない。これ以上。傷口だけは広げてはいけないのだ。

「高学年だと思ったんだな?」

 ……もう黙っておこうかな、俺。

「またか、くそ。中学で三年間過ごしたぞ、何で私だけ体に反映されないんだ。何回補導されかければいいんだ、くそ。国家権力め!」

 ちらりと彼女を観察してみる。

 子供用の服がぴったりと合いそうな肩幅。ウサギの餅つきのように、ぺたんぺたんと効果音がしてきそうな胸。推測、背伸びしても百五十センチに届くことが絶望的な身長。百四十は……ある、よな?

間違えるなという方が不可能である。

 という訳で、とりあえず国家権力の肩を持つことに決めた。権力怖い。

「ていうか、本当に何でこんなことしてんだ?」

 同じ高校に通っている事実を知ってか、急に距離感が近く思えてきた。小学生女子との会話よりも、一つ下の女の子との会話の方が肩の荷が軽い。

「別に、理解してもらおうとは思っていないさ」

「理解しようにも理由が分からん」

「……オカルトを作ろうとしているんだ」

「オカルトを作る?」

 少し溜めた割には、サラッとした言葉。朝食とオカルトを聞き間違えたかと思うほど、当たり前のように口にした。

 理解してもらおうとは思っていない。その言葉が、再度脳内で再生された。

「何でオカルトを?」

「日常に、飽きてしまったんだよ」

 こちらに見向きもせず、彼女はそんな言葉を口にした。諦めている、というよりは希望を失くした視線を遠くに向けている。

 きっと、同じ質問をされたことが何度もあったのだろう。俺の反応を予期することもなく、放棄するような物言いだった。

 どこかで聞いたことのある言葉。俺が今ここにいる理由を作り出した言葉だった。

 俺達が見つけようとしていた物。それを彼女は作ろうとしていた。ただアプローチが違っただけで、大元は同じ。辿り着くその先が同じならば、意見を聞いてみたいと思うのも当然の心理である。

「探すんじゃだめなのか?」

「探す?」

 虚を突かれたように、裏返った声。目元をぱちくりとする仕草は、無垢な少女を彷彿とさせた。本当にこの子は高校生なのだろうか?

「この街にもあるらしいぞ」

 食いつきの良さに味を占め、ステップを踏むように竿先をくいっと引っ張る。まるで自分の知識かのように、博識ぶった口調が口走る。ふふんと鼻を鳴らす勢い。

「例えば、『失恋の神様』とかな」

「ああ、あれはダメだ。好きじゃない」

「なんだ、知ってたのかよ」

 昨日知ったばかりの単語をひけらかしたら、それが常識だったと知ったような恥ずかしさ。意気揚々としていた勢いは、羞恥のメーターを上昇させる方に転換したらしい。

 失態を緩和させるためか、間合いを埋めようとしたのか、話題の矛先を取り換えた。

「好きじゃないってのは、どういう意味だ?」

「そのままの意味だ。人の記憶を捏造するのは神秘性に欠ける」

「捏造?」

 喉の奥に骨がつっかえていた。小骨にカウントされない大きさの骨。気がつかなかった。それだというのに、そのことを今知ったかのような感覚。視界の隅にいるのは気づいていたのに無意識に目を逸らしていたのかもしれない。突如、違和感が背後から襲ってきたかのような感覚を覚える。

 ねっとりとした汗が頬を伝う。心臓が一度だけ、大きく跳ねあがり、心音を体の隅まで伝える。

「なんだ、知らんのか」

 今朝見た夢が蘇る。

 スクリーンに映る彼女の姿。いつもの教室。取り留めのない雑談。

 彼女との記憶が蘇る。

 一緒に歩いた通学路。近くのショッピングモール。触れたいと願ってしまった、彼女の指先――

「瑞、希?」

 彼女の名前が蘇る。

「ほう、そういうことか」

 新しい玩具を見つめる表情。俺を覗き込むその視線には、好奇心とは別のものが混ぜられていた。少しばかり、どろっとした何か。

「おまえ、『失恋の神様』に当てられたものか」

 彼女は遠巻きに見物するように、口元を緩めた。

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