第4話
それにしても、非常に可愛らしい容姿をしている。きっと、もう彼氏がいるに違いない。
学校帰りにマックでおしゃべりをし、休日は映画館。勉学以外にうつつを抜かしながら、青春をレッツエンジョイピーポーしているのだろう。
学生の本分をはき違えた無礼者め。勉学への冒涜である。
けしからん。ああ、なんと羨ましい。
そんな彼氏持ち(仮)が、なぜ俺に接触をしてきたのか分からなかった。何より、俺とこの子には接点がなかった。俺ではなく、彼ピッピを誘うべきなのではないか? そんな考えを抱きながら、彼女の話を聞いた。
なるほど。合点がいった。理由を聞いてみると納得するものがあったのだ。
どうやら、俺以外のクラスメイトは他の部活に属しているらしかったのだ。いつの間にかマイノリティに追いやられていたようだ。一体、俺がいつ何をしたというのか。正解は、何もしてなかったからだろう。振り向いたら誰もいなくなっていたのだ。驚きはしたが、悲しくも寂しくもなかった。諦めの精神が地に根を張っているのかもしれない。これでは動けませんね。仕方なし。
このまま俺が、この誘いに乗ってしまったら、俺はこの子と放課後デート(部活動)に勤しまなくてはならなくなる。
学問を究めるために、学生本分を全うしてきた俺が、そんな横道にそれるような生活を送れるわけがない。
しかし、クラスメイトが困っているのを見捨てるわけにはいかない。不本意ではあるが、学友を捨て置くことなどできなかったのだ。全く、仕方がないことなのである。本当に。いやいや、本当に。
『俺はいいけど、彼氏が心配とかしないの?』
改めて考えてみると、ダンゴムシの裏ほど気持ちが悪いセリフである。
まるで、これから彼氏に心配させることが起きるけど、とでも言いたげなニュアンス。にちゃっとした笑みでも浮かべていそうだ。実際に浮かべてはいないけれども。そんな一歩間違えれば、寝取られ系漫画に出てきそうな言葉回しである。
『彼氏って、男だよ、僕』
困ったように頬をかく仕草。二次元的な反応なのに、それが絵になるくらい可愛らしい。この子が三次元にいることが可笑しいのか、はたまたこの子を拒絶した二次元が可笑しいのか。
……。
言葉を失うという言葉は、今このために作られたのではないか。文字通りに失われた言葉は、それと連動するかのように恋の蕾を刈り取っていった。鎖鎌を振り回して、恋路を邪魔する輩が俺の真横を通り過ぎる。無残に駆られた蕾は、踏みにじられ、二度と咲くことはないだろう。
聞き間違い。その可能性に残った希望全てをベットしようと、向き直る。
儚げな笑みの中に、困ったような眉毛の角度。その表情が全てを語っているような気がした。
こうして、僅かに残った希望は崩れ落ちていったのだった。
やはり、学生の本分は勉強。故に、そんなお戯れに付き合っている時間はない。ぎりぎりと歯を鳴らしながら、足腰に力を入れる。
『えっと、大丈夫?』
俺を心配そうに掛けられた声を右手で制しながら、正気を保つことに集中する。凛とした声に萌えの要素を三回振りかけたような声質。
声まで女子ならば、それは女子でカウントするべきなのではないか?
女子ではなかったからだとか、新たな可能性の扉を開けなかったからだとか、そんなことは決して問題ではない。
女子でないなら、断らせて頂こう。
そう心の中で決めたはずたったのに、春風のように心が揺らいだ。
『日常に飽きてきちゃってさ』
たははは、と笑うその顔に、何かが反応したのだった。
ずっと感じていた想い。諦めてしまった願い。
特に何かをしたわけではなった。待っていれば、勝手に青春というものが雨のように降ってくると思っていたのだ。
そんなことは絶対に起こらない。自分だけではなかったのだ。
そう思った時には、一歩だけ前に踏み出していた。
『ちなみに、何部?』
『オカルト部』
『オカ……オカルト?』
『うん、オカルト部』
声の節々に清々しささえ感じた。オカルトという単語からひどくかけ離れた声色。もう一歩踏み出したら、届くのかもしれない。そう思わせるだけの何かを感じた。
オカルトという日常からかけ離れた存在ならば、非日常という青春に触れることができるかもしれない。
そんな微かな願いだった。
「憧れ、だったんだよ」
「オカルトにですか?」
「違うっての」
青春に。
しかし、その憧れを潰そうとしているのも俺であるわけだから、世の中は不思議である。二人しかいない部員の一人がレポート未提出。そんな事態になれば、ご厚意で貸していただいている、この部室は差し押さえになることだろう。執行機関、おそるべし。
オカ研は部活を名乗っているが、正式な部活ではないのだ。何分、少数でありながら、精鋭ですらないものでして。
立ち位置は同好会。それゆえに、部室というよりは空き教室を使わせてもらっている形だ。それゆえに、顧問の機嫌を損なうわけにはいかないのだ。
「クソレポートでもいいから、とりあえず出さないとな」
まずは、題材となるネタ探しから始めないと。
そんなことを考えながら、できもしないペン回しに挑戦しようとしていた所、机に置かれたスマホのバイブ音が響いた。
ちらりと画面を確認すると、メッセージが一件。
部長の君からだった。
慣れた手つきでスマホを操作すると、結構な長文が書かれていた。そのまま目を通してみる。
『レポートしっかり進んでいるかい? 君のことだから、きっとまだ手を付けてないだろうね。もしかしなくても、まだテーマさえ決めていないだろう。君がレポートを提出できないと、僕も困るから、僕が使わなかったテーマを君に譲るよ』
なんというグッドタイミング。ご都合主義ここに極まれり!
まぁ、俺のレポートのことを結構心配していたしな。なるようにしてなったとも言えるか。何を達観しているのかと自分に突っ込みたくもなる。まるで他人事のような口ぶりだ。
「む。私が目の前にいるのにスマホいじるなんて、失礼ですね! 先輩は気でもおかしくなったんじゃないですか?」
「それを言ったら、現代人にまともな奴は一人としていないだろうが。部長からのありがたいメッセージなんだよ」
不満げに口元を曲げる彼女。俺の返しを聞いて、彼女の口元の角度はさらに険しいものになった。
「先輩はあの人といるとき楽しそうですよね。なんですか、やっぱりこの部活に入った理由も下心だったんじゃないですか。やらしー!」
「いや、ああ見えて男だからな、あいつ。テーマを見繕ってくれたらしい」
「へー。ちなみに、どんなのですか?」
彼女はそう言うと、ずいっと体を前のめりにして、こちらのスマホを覗き込んできた。揺れた髪のせいか、衣服のせいか。香料が混じったような甘い香りが、鼻腔を刺激する。
一度意識してしまうと、その香りを覚えてしまう。もっと暗記しようとしている懸命な嗅覚に、労いの言葉をかけてやろう。
あまり意識しすぎないように。そう念頭に置きながらも、視線は意識的にある一点に集中していた。彼女の白い腕が、ささやかな胸に押し付けられていたのだ。小ぶりだろうと、押し付けられれば柔らかく沈む。こちらもずいっと体を前のめりにして、胸を覗き込もうかと考えたが、やめておいた。
紳士たる我が、そのような破廉恥な行動を取るわけがないのだ。だから、せめて凝視するだけでやめておいた。
うん、とてもジェントルマン。
そして、互いに視線をスマホへと戻し、ありがたい部長の言葉をいただいた。
『・変わらない信号
・メビウスのミサンガ
・失恋の神様
以上、どれか面白そうなのをテーマにしたらどうかな?』
「どれも初めて聞くものばかりだな」
箇条書きで示されたオカルトの数々。しかし、不思議と引かれる物はなかった。
俺の想像していたオカルトとは少し違う。オカルトといえば、宇宙人、ピラミッド、フリーメイソンだと思っていた。どうやら俺の知識はにわか止まりらしい。そんなメジャーなものよりも、誰も知らない物を知っている方が通なのである。
『え? 知らないの?』
を枕詞にして話を始める、少し癖のあるやつことが通なのだ。
はいはい、閑話休題。
与えられたテーマに目を通し、厳選を始める。
まず、『変わらない信号』。これは普通に信号が壊れていて、変わらないってオチだろう。そんなレポートはオカルトではなく、報告書になってしまう。
続いて、『メビウスのミサンガ』。名前からするに、メビウスの輪からきてる奴だと思う。メビウスの輪って、紙を練って繋げると、表と裏がなくなるって奴だよな? ミサンガの時点で、メビウスの輪の要素は皆無になってしまう。よく分らないオカルトだ。
となると、残されたのは一つか。
「……。あっ、失恋の神様」
「え、知ってるのか?」
「確か、女子の間で流行ってた気がしますけど?」
「流行るのか? だって、失恋の神様だぞ?」
これが恋愛成就ならば、この噂は野を超え、山を越え、都で女子の間で流行るのも分かる。しかし、この神様は失恋の神様だ。
失恋なんて需要がない。需要がないものが流行るなんて、そんなことがあるのだろうか?
「噂になったってくらいですけどね。それでも、先輩たちよりは詳しいと思いますけど?」
彼女はスマホから顔を上げ、片肘を机に付けた姿勢を向けてくる。自信気に『どうだ、凄いだろ!』とても言いそうな表情。
互いにスマホを覗き込める距離。そこから顔を上げれば、すぐそこに彼女の顔があるわけで。そんな自信気な顔を目と鼻の先で観察することになった。
「……ふぇ」
「……」
幼馴染は女子として見れない。そんな戯けごとを言う輩は全体の一割もいないだろう。
近くで見ると、改めてその繊細な造りに感嘆する。
マイクロの世界で作られていそうな長い睫毛。筋が通っているというのに、高すぎない鼻筋。黒水晶のようなくるりとした瞳に、凛とした目元。
数秒の観察時間。その時間経過に伴い、桃色の絵の具で彼女の頬は染められていった。
「な、なに意識してるんですか!」
「それはお前だろうが」
かくいう俺も、体の奥の方が熱くなっている。これだけ熱を帯びているのならば、きっと表面にも分かりやすく、熱が伝わっているのだろう。自分の顔が見えないことが、これほど嬉しかったことはない。
「とにかくっ!」
がたっと距離を取る彼女。話を逸らすように、視線も逸らした。
「失恋の神様なら、私も協力してあげられますよ」
微かに香った甘い香りが、徐々に薄れていった。代わりに、エアコンのかび臭いにおいが、俺の鼻を上書きする。心の中で小さく舌打ち。
どうやら、目の前の現実を直視するしかないようだ。のんびりしていると、この拠点を端から崩されていく音が聞こえてきそうな状態。結構不安定な所に立っていたようだ。結構、居心地いいんだよな、ここ。
とりあえず、その場から立ち上がることから始めよう。
提出までの期限が迫ってきている現状。楽しそうとか、興味の有無で選べる立場にはいない。
情報の提供、人員の確保が見込めるのならば、そのテーマに絞る他ないのだ。
「よっし、失恋の神様をテーマにレポートを書くことにする。頼りにしているぞ、里奈!」
こうして、俺と里奈のレポート作りが始まったのだった。
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