第100話
前面の窓にはタヒチの海が一面に広がっている。
そして、音響もしっかりと計算し尽くされた式場のホールで、ベルリンフィルのフルオーケストラとウィーンの聖歌隊による荘厳な音色が響き渡る。
この世の美しいものが凝縮された世界の中にウエディングドレス姿のひとみが入場してきた。
その美しさの世界の中でなおひとみの姿はひときわ美しかった。
ひとみが纏うドレスはマイケルシンコというドレスデザイナーが手がけたもの。
本当はオートクチュールでもよかったのだが、本人の希望から既製品を使うことになった。
「ウエディングドレスは買うと面倒。」
とのこと。
ひとみは着物だと親から子、孫へと代々受け継がれている素晴らしいものをすでに山と持っている。
そして、今ドレスなんぞ、また新しく買ってしまうとさらに場所を取る服が増えてしまう。
いつも眺めるわけでもなし、保管も面倒ということもあり、レンタル衣装を選んだ。
なにより、レンタル屋さんでたまたま見つけた、マイケルシンコのデザインに一目惚れしたというのが一番大きな理由だ。
この世の美しさを全て体現しているひとみと腕を組み、ガチガチに緊張している幸長さんが歩く。
幸長さんも緊張することあるんだな。と、この場に不釣り合いな呑気な感想を抱くあきら。
やっとの事であきらのもとにやってきた2人。
幸長さんは露骨にホッとした様子だ。
幸長さんは自分にひとみを託す。
周りには聞こえないように小声で
しっかりな。
と言われ思わず苦笑いをこぼしてしまう。
「どう?ウエディングドレス。」
「最高。」
「それだけ?」
「言葉が見つからないよ。」
事実、この美しさを凝縮した世界の中でなお光を放つほどの美しさを持つひとみにそれ以外の言葉をかけることはできない。
言葉を尽くせば尽くすだけ陳腐になってしまう。
その完成された美しさを独り占めするためにもあえて簡潔な表現を使う。
2人が牧師に向き直ったところで、会場のゲストは起立し、賛美歌を歌う。
歌う賛美歌はスクライヴェン作詞の「いつくしみふかき」。
聖歌隊の響きとゲストの心がこもった響き。
そしてベルリンフィルの最高の演奏。
この三つが混じり合い心を満たす。
どうやら天使の声も入っているようだ。
賛美歌が終わる頃には会場の誰もが涙を流していた。
牧師が涙を拭うと聖書を朗読する。
朗読し終わったあとに、アドリブで一言付け加えてきた。
「どうやら今日は、参列されているたくさんのゲストの中に天使も主もいらっしゃるようですね。
長い神職生活の中でこんなことは初めてです。」
「それは光栄ですね。しっかりとお祝いしてもらいましょう。」
今自分の左手にある腕時計も祝福してくれている気がする。
式前のカウンセリングの時に聞いたが、この牧師さん、どうやらすごい人のようである。
偉いんですか?と聞くと、プロテスタントに序列はありませんと言われたので定かではないが。
タヒチの島々の中で知らない人はほとんどいないらしい。
彼は結婚の誓約を2人に迫る。
病める時も健やかなる時も〜のやつである。
もちろん誓約は守る。
守るったら守るんだ!
そして指輪の交換だ。
互いの親戚の中で一番年少の男の子と女の子にリングボーイとリングガールを頼んでおいた。
バージンロードを2人が仲良く歩いてくる。
会場の誰しもがほっこりとした気分になった。
リングボーイから指輪を受け取り、ひとみの指に婚約指輪の数千万円のハリーウィンストンと重ね付け出来るデザインの結婚指輪をはめ込む。
無事大役を果たしたリングボーイたちはベルリンフィルの指揮者、ペトレンコの横に座っている。
指揮者が飴をあげたりしていて仲良くしてくれている。
ペトレンコは昨今のクラシック音楽界の重鎮中の重鎮。
本当ならただの夫婦の結婚式くらいではきてくれないし、ベルリンフィルも演奏なんてしてくれない。
しかし、式場のこけら落としということと、ダニエルや中村さん、エマ、サンズグループ、その他諸々の有形無形の働きかけによって実現した。
決して圧力がかかったわけではない。
あくまでも働きかけだ。
リングボーイリングガールよ、そこは世界中の管弦打楽器奏者が座りたくても座れない席なんだぞ。
ありがとうおじちゃんとか言っちゃダメなんだぞ。
ペトレンコも笑ってるからいいけど。
彼も彼女もきっと大物になるだろう。
そのあとは結婚の宣言をし、結婚証明書にサインをしたところで牧師がゲストに結婚が成った事を宣言した。
そこでひとみと腕を組み、ゲストたちから万雷の拍手を受けながら式場を退場する。
後ろからリングボーイ、リングガールがフラワーボーイ、フラワーガールに役割を変えて花びらを撒きつつ付いてくる。
挙式が終わったところで、ゲストたちはひとまず退場して準備をする。
その準備が完了したところで自分たちも外に出る。
外に出るとまた、オーケストラの演奏と聖歌隊のコーラスと共にみんなから花びらのシャワーを浴びる。
ブーケトスをするはずが、なぜかリングボーイがそれを受け取り、そのままリングガールにブーケを渡す。
思わぬプロポーズの瞬間に、シャッターチャンス!とばかりに写真がとられまくる。
顔を赤らめたリングガールが、コクンと頷き会場のボルテージは最高潮に。
余談ではあるがこの2人はのちに、この結婚式場で結婚する。
新郎新婦の2人は教会の前に止まっている馬車で披露宴会場に向かう。
たくさんのゲストに見送られ、披露宴会場に一足先に着くとひとみと自分は早着替え。
そうこうしているうちにゲストたちが披露宴会場に着く。
会場はガーデンウエディングに近いような海辺のレストラン。
ガーデンウエディングに近いというのは、まるで自然の中にいるようではあるが、ちゃんと屋内という事だ。
しかし、小さい子たちはすでに外の砂浜で遊んでいる。
怪我しないように気をつけてもらいたいものだ。
お色直しが終わり、カラードレスを身にまとったひとみがみんなに先駆けて自分の前に立つ。
やはりうつくしい。
この世の美しさをすべて凝縮したほどの美しさだ
(2回目)
みんなからの万雷の拍手に迎えられ、ひとみと腕を組んで入場する。
この結婚式の仲人は中村さんで、挨拶もビシッと決めてくれた。
披露宴のスタートは2人のムービーから始まり、その中には今日の映像も含まれており、どんなカラクリがあるのかは知らないが、この披露宴会場のドアを開ける瞬間まで繋がっていた。
最近の映像技術しゅごい。
ちなみにムービーの素材協力は幸長さんで、ひとみの大学生活の大体の映像は持っていた。
ひとみは恐怖におののいていたがそのおかげで素敵なムービーができたのだから文句は言うまい。
ムービーの後は友人代表清水の挨拶。
余興を挟んで両家の両親の挨拶。
そして、ひとみからあやめさん幸長さんへの手紙の朗読。
ひとみの手紙の朗読は素晴らしかった。
感涙にむせぶとはまさにこのこと。
会場どころか太平洋中が涙に包まれたと言っても過言ではあるまい。
この辺から記憶が曖昧だ。
幸長さんや父、新造おじさんなど親戚たちがこぞってやってきて、アホほど酒を飲まされた記憶はある。
清水もアホほど飲まされていた。
清水はおそらく自分より酒が強いが、やはり多勢に無勢。
早々に潰されていた。
重弘おじさんが四斗樽を30樽も空輸してきたのが悪い。
ダニエルもダニエルで前もってワインやブランデー、ウイスキー、シャンパン、その他諸々を酒蔵でも開こうかという気合いと勢いで持ってきていたのが悪い。
余興でベルリンフィルの人が一芸を披露していたのはすごかった。
ゲストのリクエストに応じてなんでも即興で演奏してくれていた。
大盛り上がりの会場にはおひねりが乱れ飛んでいた。いつのまにか投げ銭入れになっていたハープのケースは米ドルやらユーロやら日本円の紙幣でぎっしりになっていた。
たしかに小銭は向こうで換金できないからね…。
そんなぎっしりにしちゃったらあとでどうやってハープしまうんだろう…。
ベルリンフィルの人も楽しくなって気持ちよくやってるからいいけど、そんな簡単に余興なんかに借り出していい人じゃないんだぞ。
後の記憶はない。
気づいたらコテージでひとみの膝枕の上で寝ていた。
「あ、おはようあきらくん。」
ひとみは二次会できる予定だったカラードレスを着ていた。
「あれ、二次会は?」
「四次会までしっかり参加してたよ、あきらくん。」
呆れ気味で苦笑を漏らすひとみ。
「あぁ、そうか…」
思い出したような口調だが全く記憶にない。
これからはひとみから聞いた話の抜粋だ。
まず一次会でしこたま飲んだが、
二次会でも主役はひたすら飲む必要があるなどという言い訳をかましながら男連中で隣のパーティホールに突入。
そして三次会ではうつくしい景色が見たいなどとほざきながら砂浜にビーチチェアなどを並べ海を見ながらしこたま飲む。
四次会では涼しいところで飲もうと、最初の大宴会場に戻り、酒を飲み尽くす。
最終的には子供を除く男性参列者の約7割と女性参列者の2割がしかばねになった。数にして約70人。
ちなみにベルリンフィルの男性奏者は軒並み撃沈。聖歌隊の男性コーラスの方は1人生存。
その他沢山のしかばねの後処理にはたいそう苦労したそうな。
潰れてない参列者の人と式場スタッフの方々には大変ご迷惑をおかけしました。
目が覚めたことにより気分もかなりスッキリした私は、コテージのベランダにひとみを連れて出た。
そこには船から見た星空とは違う景色があった。
波の音のみが辺りを支配し、手が届くほど近くに星が見える。
海面には星が映り水平線で海と空が交わる。
部屋の冷蔵庫に備え付けられていたペリエをグラスに注ぎ、2人で乾杯する。
「今日のひとみはなによりもきれいだった。
その記憶はこれから先ずっと忘れることはない。
俺のお嫁さんになってくれてありがとう。
これからもよろしくお願いします。」
「うん、あきらくんのタキシード姿もすごくカッコよかった。
凛々しくて、シャキッとしてて。
私がこれまで見てきた人の中で一番カッコよかった。
私の旦那さんになってくれてありがとう。
これからもよろしくね。」
2人の夜は更けていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます