第64話
旅行2日目。
マウンテンビューの2人の部屋からは、ウィスラーブラッコムの山々がよく見える。
フェアモントはスキー場のすぐそばに位置しており、スキー道具の貸し出しや案内などすべてのことをホテルのスタッフがやってくれる。
まさに至れり尽くせりのホテルなのだ。
そんなことを考えていると
「いやー、至れり尽くせりだよねぇ。」
「俺もまさに同じこと考えてた。」
「あら、奇遇。」
ルームサービスで朝食を頼み、頼んだ朝食を持ってきたスタッフに2人は早速アクティビティを申し込み、ウエアと板とその他もろもろのアクセサリーのレンタルをお願いした。
すると朝食を終えてすぐにアクティビティ担当のスタッフが部屋にやってきて説明をしてくれた。
曰く、スキー場に向かう時は手ぶらでいいらしい。
山へと登るリフトに着く頃には準備が万端になっているとのことだ。
ちょっとよくわからなかったのだが、実際に行ってみると理解できた。
言われた通りにスキー場へと向かうとまずホテルから出るところでウエアとスノーブーツを渡され、着込んだ。
それまで履いていた方はフロントで預かってくれるらしい。
また今日は晴れなので、雪焼けの心配があるらしく、日焼け止めは大丈夫か?と聞かれたので、自分だけ借りて顔に塗っておいた。
ひとみは万全らしい。
いよいよリフトに乗ろうという段になってスキー板を係員から借り受けた。
板の返却はゲレンデを出るときに返却スタッフがいるため、そこで渡せばいいと説明を受けた。
「なんでわかるんだろうな?」
「ウエアの色でどこのホテルかわかるようになってるらしいよ!」
「どこ情報?」
「同じこと聞いてる人がいたから聞いてたらなんかそうっぽいこと言ってた」
「信憑性が薄い…
でもそうなんだろうね、それっぽいし。」
「もっと信じてくれてもいいよ?」
帽子にスキー用のサングラス姿で表情はあまりわからないにもかかわらず、ひとみがドヤ顔してるのだけは十分わかった。愛おしい。
2人はリフトに乗り、10分ほどかけて頂上にきた。
「これ明らかに初心者用コースじゃないよね?」
「男は度胸よ!やってみなきゃ始まらないじゃない!!」
「そういえばひとみさんスキーできる人でしたっけ?」
「できるわけないじゃない。」
「ですよね〜。」
とりあえず滑ってみることにした。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!
止まらん!止まらん!!!!
止まらん!!!!!!」
あまりにも怖すぎたので、なんとか端っこにそれて横に倒れて止まった。
「ひとみは…。」
そこには、すいーすいーとなんとなくできてる風にS字に滑っているひとみの姿が見えた。
「なん…だと…!?」
愕然とする霧島。
「こうしてはいられない…!
おいていかれてしまう…!!」
霧島はどうしてこんなにも滑らないのだろうと考えると、腕に違和感を覚えた。
「あ、ロレックス忘れた。」
そう、ロレックスを部屋の貴重品ボックスに入れたままにしていたのだ。
「ロレックスがなけりゃこうなるのか…。
ということはロレックスがこれまですべての行動を補正してくれていたんだな…。
感謝がかなり大きいけど、日常生活のこのレベルまで補正してくれてたと考えると、もうロレックスなしで生活できない…。」
もはや思い込みかもしれないが、私はそう思った。
考えてみれば思い当たる節はいくつかあった。
車を買ってから渋滞に巻き込まれたこともあまりないし、銀行行って待たされることもほとんどない。運が悪かったと思うようなことはほとんどなかった。
唯一寝坊だけは時々するが、それは寝ているときにロレックスをつけていないせいだろう。
「ここはロレックスなしでもなんとかできる男だとアピールするチャンス…!!」
誰にアピールするつもりかはわからないが、霧島はやる気がみなぎってきた。
ゲレンデの端っこで、まず短い距離で止まる練習をしてから、再びゲレンデを滑走することにした。
「お、こういうことか。」
スキー板をハの字の状態にすると止まれるということがわかった。
また、重心を下げると少しスピードが緩むということもわかり、斜面に対して垂直の姿勢をキープするのが一番負担が少ないということも経験則で学習した。
「これでひとみに勝つる。」
少し先の方に行ってしまったので、止まって待ってくれているひとみになんとか追いつこうとする。
先に行かれたらもう追いつけないんじゃ?という心配はご無用である。
このウィスラーブラッコムスキー場は、北米最大のスキー場であり、高低差が1600メートルほどあり、山本体の標高は富士山の三分の二ほど。その山が二つ連なっている。つまり、コース一つ一つの距離が見たこともないくらい長い。しかも、そんなコースが200以上もあり、到底一週間程度では巡りきれない。
覚醒した私は、先ほど学習したことを頭の中で繰り返しながらひとみが待っている方に向かう。
「重心は下げない。体は垂直…」
綺麗なシュプールを描きつつ、ブツブツと呟きながらひとみの方に向かう。
ひとみのところまで来ると、基本に忠実に、ハの字型の足で止まる。
「意外と簡単だね、スキーって。」
ひとみは素敵な笑顔で私に言う。
「すごい負けた気がする。」
「さっきなんか叫んでたよね?」
「止まらないし、なんかスピード出るしですっごい焦ってた。」
「ゲレンデに大草原不可避」
「くやしいです。」
「まぁゆっくりと景色を楽しみながら行こうよ!」
「そうだね。」
このウィスラーブラッコムの景色は、雪原という言葉を体現したような姿をしている。
見渡す限りすべて絶景。
この景色の前では、どんな詩人も「絶景」という一言をつぶやくことしかできない。
それから2人は、初心者らしくゆっくりと大きなS字のシュプールを描きつつ下山した。
「もう一回行ってみようか。今度は反対側の山に行ってみようよ。」
だんだんと私も滑れるようになってきて、ひとみに提案する。
「行けるの?」
「頂上と頂上を結んでるゴンドラがあるんだってさ。」
「なにそれ楽しそう!!」
2人はまたリフトに乗って頂上を目指し、そして、ビークトゥピークというゴンドラの銀色の方に乗った。なんでも銀色のタイプは床が透けていて、下を見下ろせるらしい。
「ねぇ、すごいよ!!!!下が丸見え!!!!」
「なんか気分悪くなってきた…」
「もしかして高いところダメなの?あきらくん。」
「そんなことないはずなんだけど、これは少し怖いかも…」
「意外と可愛いところあるね。」
「ロレックス忘れたから、落ちたらどうしようとか思ってるなんて絶対言えない…。」
そんなことを考えていると、ふつうに反対側の山についた。
だいたいすぐに予想がつくような悪い予感ほど簡単には当たらないものだ。
「よし!滑るぞ!!!」
「おー!!!」
そうこうしていると段々と日も暮れてきた。
昼飯も抜きで一日中滑り倒したことにやっと気がついた。
「お腹減らない?」
「あ、忘れてた。どこかでご飯行こうよ!」
「そうだね。とりあえず道具返そうか。」
「はーい。」
まず板をゲレンデから出るところで返す。
さささでウエアをホテルのエントランスに入ってすぐのところで返す。
「ほんと手ぶらで遊べるっていいよね。」
「うん、本当に最高。」
「とりあえずご飯行くところ探す前に一回部屋でゆっくりしよ?」
「そうしようか。」
2人は部屋に帰ることにした。
ひとみがシャワーを浴びて汗を流している間、私は私でホテルインフォメーションを眺めていると、ザ・グリルルームというホテルレストランがあることを見つけた。
シャワーから出てきたひとみに提案してみる。
「肉どう?」
「ありよりのあり」
「ウッザ。」
「行きましょうか。」
すぐにフロントに電話して、2人分のの予約を取ってもらい、店に行く。
「予約していた霧島です。」
「お待ちしておりましたムッシュー霧島。」
そういえばカナダはフランス文化圏だからムッシュなのかなー、などと思いつつスタッフの案内に従って席に向かう。
「こちらへどうぞ。」
そうして案内されたのは窓際の、ウィスラーブラッコムがよく見える席だった。
「いい席だね、あきらくん。」
「うん、最高。」
先ほどの恐怖から、腕にちゃんとロレックスをはめていたのだが、いい席に案内してもらえて早速ロレックスの恩恵を感じていた。
「メニューどうする?」
「おまかせで頼んでみようよ。」
「それいいね!」
ウェイターを呼ぶ霧島。
「お決まりですか?」
「料金のことは気になさらないで結構ですので、おまかせで2人分お願いします。」
「かしこまりました。お飲み物は?」
「私には赤ワインをオススメのセレクトで、彼女にはグレープフルーツジュースとあればエルセンハムを。なければ軟水でお願いします。」
「かしこまりました。」
今日の気持ちとお腹の空き具合と好きなものや食べられないものなどを伝え、しばらく談笑していると、まずサラダが運ばれてきた。
コブサラダというらしく、細切れになった具がたくさん入っており、元はコブさんが作りはじめた、日本でも最近名前を聞くようになったサラダだ。
願わくばシーザーサラダのように市民権を得てほしいものである。
前菜にはカナダらしくスモークサーモンが出てきた。
メインディッシュはカナダビーフのステーキのようなものが出てきた。
これは、ただのステーキではなく、鮮やかなピンク色をしている。説明をされると元はさらに大きな肉のブロックで、真ん中のレアの部分だけを切り出されたものだと説明された。
「なんか手間がすごいかかってるね。」
「うん、それだけ手間がかかってるだけあって、とんでもなく美味しい。歯がいらないくらい柔らかい。」
「うん、歯がいらないね。」
メインが終わるとデザートが出てきた。
デザートは焼きリンゴにメープルシロップがかけられたクランペット?というものが出てきた。
クランペットが何かはわかってなかったが、こういうものをクランペットと言うのだろうと納得した。
「クランペットって可愛いよね。」
ひとみがクランペットを持ちながらそう言ったのを見て
「う、うん、可愛い。」
といってごまかしたが、焼きリンゴに添えられている軽めのパンのことをクランペットというと初めて知った。
最近ひとみは私がわからないことをピンポイントで攻めてくる。
だんだん罠が巧妙になってきている。
ほどよいどころかしっかりと満腹になったところで、心地よい満足感をたたえて部屋に戻った。
部屋に戻ると、部屋はすでにターンダウンしてあり、おやすみモードといったところであった。
「さすがは高級ホテル。ちゃんとターンダウンしてくれてる。」
「日本のホテルだとターンダウンしてくれるところとしてくれないところがあるよね。」
「旅館だとちゃんとしてくれるんだけどね。」
旅館と口に出した事で、レクサスを買った時に向かった京都の旅館のことを突然思い出した。
「そりゃ旅館はね。」
「春になったら旅館行ってみようか。」
「旅館行きたくなったの?」
「うん、オススメの旅館があるんだ。京都なんだけどね。」
「やった!京都好き!楽しみにしとく!」
二人のカナダの夜が更けていく。
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