電車に手を振る

ヤマダヒフミ

第1話

電車に手を振る



 どこから語ればいいのかわからないが、私は、自分自身から語る事にしよう。私はあくまでも「作家」であり、そういう意味では、語る事に大して躊躇するというのも奇妙だが、一流の作家ではないのだから仕方がない。それに語るという事にもその最初にはいわゆる「さわり」のようなものがあって、「さわり」がうまくいかないと後の語りもうまくいかない。何事も最初が難しいという格言はここでも適用される。


 さて、私は作家だった。…やれやれ、もう過去形になってしまったようだ。実際、今の私が作家であるか、作家でないかというのは自分でもよくわからない。そういう微妙な立場に追い込まれているというのが、私の現状だ。


 私が作家になるまでの道のりをそう長く語る必要はないだろう。私はよくいる作家志望の一人だった。普通の家庭に育った。頭はさほど良くなく、中程度の文系の大学に進学した。大学ではそれほど勉強もせず、もっぱら小説を読んでいた。小説を読んでいる内に、自分でも書いてみたい欲求が現れてきて、最初の短編小説を書いた。一人の少女が、飼っている鼠と親友になる話だった。最後には鼠はどこかへ消えてしまう。その短編はどこかへ行ってしまって、もう読む事はできない。


 私は次第に文学にのめり始めた。よくわかりもしないまま、小林秀雄訳のアルチュール・ランボーを読み、ボードレールを読み、ローデンバックやロートレアモンを読んだ。プルーストを少し読み、ドストエフスキーやトルストイといったロシア文学にも手を出した。私は文学がどういうものかわからなかったが、そこにある種の瀆神的的な感情、ボードレールを中心とするある文学空間のようなものを読み取っていった。そういうものを模倣するのが文学だと漠然と考えていた。それと共に、文芸誌に載っているような「先輩方」の小説も手本としていた。ある種の文学性を持ちながらも、現代の日本と適合した小説を私は書こうとしていた。


 そんな試行錯誤を続けている中で、ある作品を書いている時、自分なりに手応えを感じた。私は新人賞に応募した。その作品は落選したが、私は続けて応募した。二度目の応募で、私は幸運にもデビューする事ができた。デビューしたのは二十七歳の時だった。


 その頃、私は食品会社で働いていた。新卒で入った会社だ。職場の人間も、両親も随分と喜んでくれた。


 そうして、私は作家としてのデビューを果たした。私の元に編集部からメールが来た時の衝撃と喜びは今でもよく覚えている。私はこれで人生の道が開けた、と喜んだ。これで人生は順風満帆だ、と。これからは作家として、人々からも尊敬されるような一本道を歩いていくのだと。私はまだ若かった。


 もちろん、現実はそんなに甘いものではなかった。躓きはデビューの時点から用意されていた。私の本は単行本にならなかった。私の小説は、出版されなかったのだ。


 私は、新人賞を取った作品は全て出版されるものだとばかり信じていた。また、芥川賞候補になるのだろうと期待していた。しかし私の小説はそのどちらにも引っかからなかった。ただ雑誌に発表され、いくばくかの賞金を得て、作家デビューしただけだった。


 私は新人賞を得た時点で、仕事をやめるつもりだった。私の担当になった編集者に相談すると、彼は「いや、まだそれは早いですよ。この業界はそんなに楽じゃないですよ。作家として食っていくのは大変ですよ。やめないほうがいいですよ」と何度も繰り返した。私は、彼が私を作家として独り立ちさせようとしていないのではないか、彼には何か計算があって、私の作家としての成長を邪魔しているのではないかと疑った。私は、さっさと仕事をやめて、筆一本で食っていきたかったのだ。


 私は傲慢になっていた。私は編集者や、他の作家、作家志望と飲みに行っては文学論を戦わせた。「僕の作品はプルースト的な意識の流れ手法の延長にあるんですよ…。それを現代流にアレンジしてみせたんです。こんな手法をやっているのはまあ、僕くらいなものでしょうね。他は誰もいないですよ。文壇では唯一無二と言ってもいいかもしれない」 今考えると、赤面せずにはいられないような恥ずかしい事も言っていた。当時の私は、さぞ、裏で陰口を言われていた事だろう。


 そんな風に私は自分を作家として高く評価していた。それにも関わらず、現実は全くそれについてこなかった。私のデビュー作は出版されず、二、三の評論家がぼんやりと褒めただけだった。編集者は、二作目を書くように促した。私は一作目を書く時に捨てたアイデアを使って、二作目を書いた。


 二作目を書くのに一年かかった。私は、苦労した分、いい作品になったと思いこんでいた。あるいは、思い込もうとしていた。二作目はある文芸誌に連載されたが、音沙汰なしだった。一般の視聴者からの反応も悪く、評論家は一人も言及しなかった。本として出版される事もなかった。


 それから私の作家人生は落ちていく一方だった。私は、編集者に促されて、短編を書いたり、エッセイを書いたりしたが、それらは雑誌に載ったり、載らなかったり、といった風だった。編集者が「必ず書籍化されます」と太鼓判を押された長編が、何度催促しても書籍化の目処が立たないという事もあった。その長編は苦労して書いたものだが、結局、出版の話は流れてしまった。私は腹を立てたが、その頃には、書籍化を確約した編集者はもう出版社をやめていた。私は振り上げた拳を打ち下ろす相手を持たなかった。


 編集者は、何度か入れ替わった。私は次第に書く気をなくしていき、編集者も、売れない作家である私にさほどの期待はしていなかった。後から考えれば、最初に私についた編集者は良い編集者で、粘り強く、私を一人の作家にしようとしてくれていた。しかしその頃の私は傲慢で、彼の話をまともに聞かなかった。彼は、その内に編集者をやめてしまった。噂話では、業界の空気に嫌気が差したらしい。


 最後に私についた編集者は、今どきのビジネスマンといった風だった。彼は「文学」というものを見下していた。「文学」とはわざと難解な内容にして、根暗で行き場のない青年が自慰行為でやっているものだと考えていた。彼が編集者として私と連絡を取る頃には、出版社や文壇というものの空気も変わってきていた。


 彼は私に提案してきた。「恋愛とAIを絡めた小説を書けませんかね。それだったら出版できるんですが」 彼は電話でそう言ってきた。私は絶句した。私の作風はそんなものとは程遠かったからだ。


 「どうですかね? 山崎さん。それだったら、確実に出版できると上の確約は取りました。これは間違いないですよ。売上次第では、文庫化も考えるらしいです。どうでしょうか? 映画化とか、色々な事も期待できると思いますよ。…山崎さん、山崎さんがこれまで、何やら難解な文学作品を書いて、鳴かず飛ばずだったのを僕は知ってます。…いえ、これを言うのは失礼なのかもしれませんが、でも、本当の事でしょう? 僕は前から思ってるんですけど、文学だって時代に合わせてアップデートしないといけないんですよ。そういうのが必要だと思います。いつまでも旧態依然としていたら、駄目ですよ。山崎さんは、恋愛とAIを絡めた、今の読者に受けるような作品を作ってください。それから山崎さん、できれば、SNSなんかも始めてほしいですね。ユーチューブチャンネルを始めるのもいいかもしれません。とにかく、今は小説なんて誰も読まないですから、色々な形で読者に訴えかけていかないともう駄目なんですよ。そうです、今はもう時代が違うんで。山崎さん、そんな感じで一つ、よろしくお願いしますよ」


 …結局、私はその要求を受けなかった。自分を売るのにも限界というものがある。私は、彼とは次第に疎遠になっていった。私はもはやプロの作家とも呼べない存在となっていった。


 今から振り返れば、後悔もないわけではないが、しかしそれ意外に選択肢はなかっただろうという気もする。もっとも、そんな風に過去を振り返っても仕方ない事だ。


 その編集者は後、あるベストセラー作品を手掛けて、大いに鼻を高くした。私は彼が「ベストセラーの仕掛け人」として紹介されて、インタビューを受けたネットニュースを見た事がある。彼は私に言ったのと同じ事を言っていた。「時代に合わせなければならない」「色々な角度で読者に訴えてかけなければならない」「陳腐なものを恐れてはならない。陳腐さは読者に安心感を与える。しかし、陳腐さの中に新味を混ぜて、読者に退屈をさせないようにする事も大切だ」 彼はヒットメーカーとして、自らの方法論を流暢に語っていた。


 私はそんな風に時代から弾き飛ばされた。いつの間にか、私は何者でもない人間になっていた。デビューした当時に夢想した、作家としての華々しい道はもはやどこにも見当たらなかった。私は書く事も読む事も怠って、毎日のように酒を飲んでいた。


 ※

 今述べたのは私の作家としての半生だったが、プライベートについても話さなければならないだろう。


 私は、作家としてデビューした後、結婚した。相手は、会社で知り合った同僚だった。一児を儲けたが、離婚した。親権は向こうが持っていて、今は交流はない。


 離婚の原因は私の方にあった。私の傲慢が原因だった。私は、作家として自分は大きな仕事をしているのだと思いこんでいた。私は愚かにも、自分は偉大な芸術家であるにも関わらず、世の中はそれを認めようとしないと思い込んでいた。作家としての道が険しいものになるほどに、私はそんな考えを強くしていった。


 私は、妻はそういう私を支えるべきだと思っていた。少なくとも、家族は私の味方であらねばならない、たとえ世界が敵に回ろうとも。…そう考えていた。そうした説教を妻にした事が何度もあった。しかし、実際には私はそんな説教をするほど立派な生活を送っていたわけでもなんでもなかった。


 妻はそんな私に愛想を尽かして出て行った。私は一人になった。


 私は最初の編集者のアドバイス通り、仕事はやめていなかった。作家は副業でやっていた。後から考えればそれは正解だったろう。私は勤め続けた。また、作家としての立ち位置も会社に説明して、私は一切昇進しなかった。昇進すれば仕事量が増えるのが目に見えていたからだ。私は執筆時間を残すようにしていた。


 何かが崩壊する時には、他のものも同時に崩壊するものだ。私が、ビジネスマンの編集者に嫌気が差して、プロの作家ではなくなった頃、一緒に仕事もやめた。その頃は精神が荒れ切っていて、遅刻したり、ミスをしたりといった事が続いた。私は、長い関係を築いていた上司にやんわりと辞めてくれないかと言われ、癇癪を起こしてさっと仕事をやめた。十五年以上勤めた会社を私はあっさりと辞めた。「辞める」といって社を出た時に、空にかかっていた夕日の風景が私には忘れられない。私はみんなが仕事中なのに、腹を立てて社を出たのだった。


 夕日の風景は何か異様なものに感じられた。ずっと続けてきたものを辞めた事で、肩の荷が下りたように感じた。これから新しい何かが始まるような、あるいは何もかも全てが終わっていくような不思議な感覚が私を満たした。私は、私とすれ違う人々が全員、どこか違う惑星の人々のように感じられてしかたなかった。


 離婚したのは、仕事を辞める二年ほど前だった。要するに、私はまず作家としての道を失い、ついで家庭を失い、最後に仕事を失ったのだった。運命は私にとどめを刺すように働いていた。少なくとも、私にはそんな風に感じられた。


 何もかもをなくした私は、40の年を迎えていた。まだやり直せる年齢とも言えたが、私はもう擦り切れた棒切れのような気分でいた。仕事を辞めた後は、失業保険を使い、それがなくなると貯金を食い潰した。次の仕事を探す気も起きなかった。自殺というのもチラチラと頭に浮かんできていた。私はすっかり自暴自棄になっていた。かつては情熱を燃やし、夢を抱いていた文学の道ももう燃え尽きていた。私は、文壇で日の当たる場所にいる作家を毒づくばかりだった。「けっ、彼らは本当は文学なんてやってやしないのだ」と。


 ※

 そんな頃に、私が出会ったのはあの老婆だった。老婆についての説明もしなくてはならないだろう。

 

 彼女は小柄な老女で、いつも荷を入れたカートを引いていた。白髪で、髪を後ろでくくっていた。私は彼女をしばしば、街で見かけた。


 彼女を街で見出したのは三年ほど前だった。彼女はその頃、引っ越してきたのかもしれない。あるいは、彼女はずっとそこにいて、私が中途からその存在に気づいただけかもしれない。いずれにしろ、その頃から、彼女の姿を街で見かけるようになった。


 私は街のあちこちで老婆の姿を見かけた。最初は全く気にしなかった。何度か顔を見かけたが、ほとんど何も思わず、通り過ぎていった。


 ただ、彼女が真っ赤なサンタクロースのような上衣をいつも着ているのは目を引いた。あくまでも私の主観でしかないが、強烈な原色の服を好んで着る人は、どこか精神を病んでいる人が多いようだ。老婆は長く白い髪を後ろで括り、上衣はいつも赤い服、下は真っ白なズボンだった。皺だらけの顔には小さな目が力強く光っており、柔和そうな目つきをしているが、その眼光は、平衡を欠いた彼女の精神を物語っているようだった。

 

 私がはじめて彼女の存在に注意したのは、ある弁当屋でだった。老婆はいつものようにカートを引いていた。店内には私と老婆と、もう一人客がいた。店に入っていく時から、老婆が店員と話し込んでいるのが見えた。


 私は老婆を見て(何度か見た顔だな)と思った。老婆は店員と何やら話し込んでいた。店員は背をかがめて話していた。雰囲気から、何かのトラブルだと見て取れた。


 店に入ったのは深夜だった。店員は二人しかいなかったから、一人がトラブル対応に追われていると、弁当を注文して出てくるのは遅くなる。私は待つのは嫌いなタイプだった。私は、店内の惣菜を見るフリをしつつ、話し込んでいる二人に近づいた。


 二人の話が耳に入ってきた。どうやら、老婆はカードに貯めていたはずのポイントがない事にクレームをつけているらしい。しかし店員の話を聞いていると、カードにはポイントはない事はレジで確認済みらしい。


 それでも老婆は、同じセリフを繰り返した。「でも、あなた、ポイントがあるはずじゃないの?」 店員は苛つきをあらわにしながらも同じ説明を繰り返していた。


 私は老婆の話しぶりを見て、また同じ事を延々と繰り返すのを見て、(駄目だこれは)と思った。老婆は恐ろしく頑固に自説を通しており、店員が丁寧に説明してもまるでわかっていない様子だった。


 老婆の表情は普段とは違っていた。小さな瞳から鋭い眼光が店員に注がれていて、それは「頑固な老人」そのものだった。また、その話しぶりや仕草などから、私は老婆が認知症なのではないかという疑いを持った。ある種の記憶障害であるとか、あるいは老齢による性格の変化など、色々なものが彼女に集積しているのではないかと考えた。


 私はそんな風に老婆の人となりについて判断した。しかしだからといって、老婆に同情したり、可哀想に思ったりはしなかった。所詮は赤の他人なのだ。街で出会った通りすがりの人物に過ぎない。老婆がどのようなパーソナリティを持っていようが知った事ではない。私はと言えば、老婆のせいで、弁当屋でほんの少しばかり損しただけだ。時間をロスしただけだ。私は、店を出た。よその店で食事を取る事にした。


 店を出た時、私は「あれは駄目だな」と呟いた。老婆の人となりに対する感想だった。真っ赤な服、顔の表情、一度思い込んだらもうそれ以外の事が考えられない態度、それら全てはある一つの方向を指し示していた。店を出た時、私は老婆がうっすらと臭っていた事も思い出した。風呂に入っていない人間特有の饐えた匂いだ。私は、夜の中で苦笑した。老婆の姿を思い浮かべながら。「あれは駄目だな」 私はもう一度呟いた。私は老婆を完全に、見下していた。その頃の私は既に離婚していた。仕事はやめていなかったが、荒れた精神状態だったのは否定できない。


 それからも何度か老婆を街で見かけた。老婆は大人しく、パチンコを打っていた事もあった。ぼうっと自動販売機の前に立っていた事もあった。それは深夜で、私がコンビニで飲み物を買いに行った時、老婆は自動販売機の前に立っていた。私はギョッとして立ち止まった。老婆は虚ろな目で、自動販売機と対峙していた。側にはいつものカートが置いてあり、老婆は飲み物を買うでもなく、ただ自動販売機に向かい合って突っ立っていた。


 私は奇異な物を見る目を老婆に向けながら、側を通り過ぎた。(また何かやってるよ…) 私にとって老婆は、街で見かける「おかしな人」の一人でしかなかった。私は老婆を、ほとんど狂人とみなしていた。


 それから少しの時が経った。私が老婆に対する態度を一変させた事態が起こったのはその頃だった。つまり、40になり、人生の全てに絶望しきっていた頃だ。


 ※

 私は疲れ切っていた。孤独で、寄る辺というものを持たなかった。他人は全て敵に見えたし、世界は私を蔑ろにするために作られた巨大な機械のように見えた。


 私はもう何年も書いていなかったが、時折、思い出したようにノートパソコンを開き、キーボードを打ってみる事もあった。しかし、どんな作品を書いたところで出版される当てもなし、また一般に人気の出るような作風でもない為、人々の称賛、要するにネット上に投稿して人気が出て、そこからデビューするなど、そういった経路での成功は全く当てにできなかった。書く事は全く意味がないようにしか感じられなかった。私はいつも書く手を中途でやめて、ノートパソコンを折り畳んだ。


 家庭を失い、仕事を失い、文学に対する情熱もなくして、する事もなかった。退廃だけが私に残されていた。毎日酒を飲み、深夜に酒や食糧を買いにアパートを出る事もしばしばだった。恥ずかしい話だが、窮状ぶりを別れた妻に伝えて、頭を下げて、金を借りた事もあった。元妻は「これで終わりにして」と冷たく言い放った。「子供と会わせてくれ」と頼んだが、断られた。後から振り返ると、断る方が当たり前だと納得できた。私はそんな事もわからないぐらいに錯乱していた。


 そんな折だった。私が老婆を再び見たのは。その時、私は一体何をしていたろう。おそらく、私はいつものように酩酊していた。私は、深夜、外をふらついていた。つまみを買いに出かけたのか、それとも酒を買い足しに行ったのか、今では覚えていない。


 私はいつものコンビニに向かった。しかし何となくコンビニを通り過ぎた。夜風が酔った頭には心地よく、もう少し足を伸ばしてみようと思った。


 私は歩いた。人通りのいない通りを歩いた。どこかで誰かが鋭い叫び声をあげたが、一瞬で音は消えた。私は歩き、気づけば踏切の前まで来ていた。

 

 踏切を越すと、道路に誰かが立っているのが見えた。その姿は闇の中からぼんやり浮かび上がってきた。私はその場に立ちすくんだ。幽霊かという考が一瞬頭をよぎった。その人物は小柄で、道路の真ん中寄りに立っていた。一体何をしているのか。私はその人物に近づいた。


 それはあの老婆だった。いつもの真っ赤な服を着ている。この蒸し暑さにもかかわらず、分厚い服を着ていた。(この婆か…) 老婆の顔を見ると、呆けたように踏切を見つめている。その表情はお面のようで、私は恐ろしかった。私は、頭のおかしい老人の横をさっさと通り過ぎようとした。こんな人間にはできるだけ関わらない方がいい。


 その時、踏切の警告音が鳴り出した。カンカンカンカンという音は、私に何か不安なものを感じさせた。私は老婆の横を通り過ぎてから、振り返った。相変わらず、老婆は道に突っ立っていた。


 黄色と黒の遮断桿が降りてきた。電車がやってくる。私は立ち止まり、老婆の五メートルほど後方から彼女の姿を見ていた。胸にざわつきが渦巻いていた。


 電車はすぐにやってきた。駅はすぐそこだから、電車のスピードは遅い。終電が近い為に、乗客は少ない。


 その時、私は意外な光景を見た。私は生涯、その光景を忘れないだろう。というのは、老婆が、電車の乗客に向かって手を振り始めたのだ。老婆は片手を高くあげて、左右に振った。


 私は唖然とした。最初、何をしているのかわからなかった。しかしすぐに、老婆が去りゆく人々に挨拶をしているのだと理解できた。


 電車のスピードは遅かったので、乗客の顔までくっきりと見る事ができた。乗客は誰一人として老婆の存在に気づいていなかった。彼らのほとんどはうつむいてスマートフォンを見ていた。


 老婆は手を振り続けた。走っていく電車に向かって。電車の中の乗客に向かって。乗客は、誰一人として気づいていないのに、老婆は手を振り続けた。私はその後ろ姿に、純粋に感動した。(ああ、そうか。この人は毎日こんな事をしているのか) 私はそう考えた。


 私がそう考えた根拠は、老婆の動作があまりにもスムーズだったからだ。昨日今日思いついた感じではない。老婆は当たり前のようにカートを側に置いて、深夜の道から電車に手を振っていた。老婆は、電車が通り過ぎるまで手を振り続けた。


 電車が去ってしまうと、私は振り返って歩き出した。私の目には涙が浮かんでいた。いや、私はその時にはもう泣いていた。


 私が泣いた理由は…ああ、それは、あまりにも単純な事だった。私は老婆の姿に感動したのだった。彼女は毎晩毎晩、誰に見られる事もなく、誰にも気に留められる事もないのに、無償の行為を行っていた。老婆は、深夜の電車の乗客に手を振っていた。乗客は誰一人気づかない。あるいは気づいたとしても、ただの狂女の所行としか思わなかっただろう。


 老婆は毎日、ああして電車に手を降っているのだろう。彼女は誰からも見られる事なく、気に留められる事もない。乗客達はうつむいてスマートフォンを眺めているだけだ。それなのに、彼女はそれをやり続けている。


 私は、頭が弱いと思って内心軽蔑していた人間が、私の知らないところで密かにそんな無償な行為を続けている事に激しく感動した。私はぼろぼろと泣いていた。


 その時に私が閃いたのは、文学の事だった。自分の文学についてだった。(そうだ、私はもう一度、文学をできるぞ) 私は、閃いた。老婆の姿が私にインスピレーションを与えた。


 これからの私は老婆のように文学をやればいい。そう思った。誰に目を留められる事もなく、気にされる事もなかったとしても、深夜に電車に手を振り続ける老婆のように、無償の行為として、世界の外側に向かって見えない手を振り続けてやればいい。それがこれからの私の「文学」になるはずだ。


 私は世を拗ねていた。私は、自分が世界から捨てられていると思っていた。私は世界を、人々を恨んでいた。だから、世界の為に、人の為に、そして自分の為にも書く気がしなかった。私はずっと、弱音を吐いていただけだ。自分は正しい、正しい場所にいるのだと呟きながら。しかしその思いは払拭された。あの老婆のように、おかしな狂女が深夜にしているように、誰に見られる事もなく、誰からも何とも思われなくても、果ての果ての誰かに向かって手を振ればいい。そんな風にして、自分の小説を書けばいいじゃないか。


 私は思い出した。デビューする前、無心に小説を読みふけり、無心に小説を書いていた頃を。あの頃、私はただ「書く」事そのものに楽しみを見出していた。私は何かを自分の手で創り出す事に喜びを感じていた。今の私にもあの頃の感触が残っているはずだ。アフリカに消えたランボーであるとか、冥界に飛び込んだ太宰治であるとか。彼らが開拓した文学の道はまだ私の中に微かに残っているはずだ。それはほんの僅かな欠片かもしれない。それでもどこかに残っているはずだ。私は、心の中のその道を辿っていけばいい。たった一人でも。報われなくても。老婆のように誰か見知らぬ人に手紙を書くように、書いていけばいい。これからは、そうすればいい。


 私はそんな事を考えた。晴れ晴れした気持ちだった。私は、泣いていた。馬鹿みたいに泣いていた。すれ違った誰かが、私を不審者を見るように見たのがわかったが、私はもう気にしなかった。


 私は未来への指針を見つけた、と思った。私は、もう一度、老婆をひと目見たいと思って振り返った。


 老婆の姿は一本道の遠くに微かに見えた。電灯の下でぼんやりと白髪が光っていた。私は人影に向かって、一礼した。私は振り返り、また歩き出した。(もう迷わないぞ) 私は心の中で呟いた。


 その時に私は、深夜の老婆が生み出した異様な光景から、芸術家としての自己の未来への指針を受け取ったように感じたのだった。私は颯爽と歩き、もう振り返らなかった。

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