2 忍ぶ魔の手 (4)二人の従者

 (オクちゃんどうしたんだろ?)


 喜びの中、リリーはオクシーが俯いていることを不思議に思った。

 眼の前では素敵な魔法で華やかに始まったパフォーマンスが続いている。周囲の人は皆、男性の一挙一動に目を奪われているのに、下を向いて視線に入れないようにしているのはオクシーだけだ。


「大丈夫?オク」「おおおおお!」


 心配したリリーの声などかき消して観客達が突然歓声を上げた。男性が大きく腕を前へ広げまたも鳥を羽ばたかせたのだ。空中を優雅に飛び交う鳥達。

 今度はどのようにして楽しませてくれるのか、観客の誰もがワクワクした表情をしている。男性が動くたび歓声はどんどん大きくなりほぼ雄叫びになりつつあった。

 ここまで来るとリリーの声は蚊と同等である。これではいくら話しかけても聞こえないだろう。

 案の定、オクシーは気づいていないようだ。


(あーもう!)


 今度は肩を叩くことで気づいてもらえないかと試みる。伸ばした手がオクシーの肩に触れそうになる瞬間、男性が飛ばした鳥がリリーの前に降りてきた。


「え?!何?」


 観客達の視線がリリーに集まった。それを皮切りに次々と数羽の鳥が観客の前に降り立つ。

 それぞれの鳥は違う形の帽子を被って深々と頭を下げている。観客は可愛いなどと叫びキュン死している者まで居る始末。リリーも例に漏れず鳥たちをキラキラした目で見ていた。


(何あの鳥見たこと無いよー可愛い!あ…そんなことよりオクシーは……)


 ふと横を見れば下を向いていたオクシーも鳥たちの動向を観察している。リリーはそれを見て安堵した。心配は杞憂だったのだ。ただ慣れない場所で緊張していたのだと、そうリリーは結論付けた。

 注意散漫になっているリリーは気づかない。鳥を見るオクシーの顔に影がさし、どこか怯えているように見えることを。

 男性が手を叩いた。すると、可愛らしかった鳥たちが膨れ上がり爆発する。白煙が晴れると鳥が居た場所に男性が立っていた。手には花束を持っている。


「僕達のショーを見に来てくれてアリガトウゴザイマス。申し訳ないデス。ショーの準備が滞ってイルので、しばし時間をくれませンカ?」


 男性はそう言って眼の前に居る観客に持っていた花束を渡した。当然、リリーもその花束を受け取った。花束を受け取った人は目で美しさを楽しみ、鼻で幾層に重なった香りを楽しんでいた。その様子を花束を受け取れなかった他の観客が羨ましそうに見ている。

 

「それでは僕のパフォーマンスは終わりマス。ショーの始まりマデしばしお待ち下サイ」

 

 男性が膨れ上がり始める。爆発する寸前、男性はオクシーをチラッと見た。その視線を感じたオクシーはその視線を嫌うようにそっぽを向く。その様子を見て男性はフッと笑った。瞬間、爆発し元の位置に戻っていた。

 鳴り止まぬ拍手と歓声。

 広場の中心に居る男性は深々と頭を下げ広場の奥に消えていった。

 そこには1枚の布で作られた建物があり、赤と黄色と白の三種類の色が交互に布を染め、柱で基礎を作りその上からそれをかぶせたような作りとなっている。中では、しきりに動き回る人影がいくつも見えていた。

 男性が退場した後も観客による拍手は鳴り止むことなく。男への感謝と勇気を称える歓声が街を包みこんだ。

 時刻は17時30分太陽が沈みかけ空が鮮やかなオレンジ色に染まる頃、建国を祝う祭りもいよいよ大詰めである。

 祭りでは最後に毎年、評判の良い歌劇団やら演劇団やらサーカス団の中から招待して、祭りを盛大に締めくくるのが決まりとなっていた。今年も広場でパフォーマンスを披露した男性が所属している前年度結成してから半月で大陸全土を幸福の渦に巻き込んだサーカス団【オーダン&ラジリオル】を招待しての盛大なショーが始まろうとしていた。


「ここに来るの久しぶりだねースーちゃん!」

「え……リリちゃんは先週も行ってなかった?」

「あのね、年を取ると生き物は久しぶりの感覚が短くなるんだよ」

「…へー」

「オクシーさん感心しなくても良いですよ……リリちゃんは適当言ってるだけです」

「バレタカ」

「……ぷっ…フフ」


 冗談を言うリリーをスノーが軽く小突き、オクシーがその様子を見て小さく吹き出した。先程までいつもより暗い雰囲気だったオクシーだがリリーのおかげだろう。今は見る影もない。

 途端、他二人が顔を見合わせてクスクスと嬉しそうに笑い合い、リリー達は仲睦まじく談笑しながら広場の外周を歩く。


(オクちゃんさっきの表情、見間違いだったかな?)


 先ほど感じたオクシーの違和感を確認しようと、リリーはもう一度オクシーの顔を見た。今もスノーと二人で楽しそうに笑って話しているその様子を見て安堵の表情を浮かべる。


(うん…大丈夫そう)


 浮かべた心配は杞憂だったのだと感じたリリーは違和感をその場に置き去りにして後ろを歩く二人に混ざって談笑を再開した。

 街灯に照らされた石畳の外路には大勢の領民と商機を逃さぬよう血眼になって露天を切り盛りしている商人達の姿がある。

 見慣れない服装をした旅人、希少な動物を連れた商人、めったにお目にかかれ無い種族の遊女などがすれ違うたび、視線で追っているオクシーは非情に興味が尽きないようだ。

 活気のある様はオクシーにとって初めてのものなのだろう。

 その様子を見て勇者の娘であるリリーとスノーは誇らしげにしていた。

 今リリー達がいるこの広場は、見世物好きの勇者が領民も楽しめるように野外劇場として作られせたものだ。

 広場の中心には噴水が建てられており、勇者の姿をもした石像が空に向けて剣を掲げている姿を拝むことができる。それを囲うように円形のステージが広く設けられ、その周りを数万人ほど収容できる観覧席を放射線所に丸く配置している円形劇場のような作りとなっていた。

 その野外劇場で行われる【オーダン&ラジリオル】のショーの開始は19時30分。

 現在の時刻は17時40分なので後1時間50分の猶予が有る。

 だが、ふと時計を見たリリーは何故か焦り始めた。


「やばい!二人共、早く行こ!ショーが始まっちゃうよ!」

「リリちゃんちょっと待って!キャ!」

「……?!」


 リリーは素早く二人の手を取り、群衆の波をかき分けて広場の東側にある観覧席に向かって走った。

 あまりの速さに二人の足が空を踏むこと叶わず宙に浮き出す。

 そんなことお構いなしのリリーは更にスピードを上げ一心不乱に目的地を目指していた。

 何故こんなにも急ぐのか。

 無論目的は一つ【オーダン&ラジリオル】のショーをもっといい位置で見るためである。

 ショーの開演まで時間はまだあるが、厄介なことに目指している観覧席は現在位置の反対側に有る。この広場が国で二番目に巨大な野外劇場なのが仇となり反対側に行くのに数時間要してしまうのだ。更に厄介なことにショーを見に来た領民がすし詰め状態で通路を塞いでいる。その隙間は人一人通れるかどうかだ。

 だが、リリーの足が止まることはなかった。

 壁や天井など空間を最大限利用して、流麗な川のようにスムーズな動きで次々と障害を突破していく。


「キャーーーー!」

「ああああああああ……」


 リリーの突発的な行動により被害を受けた二名は様々な反応を見せた。スノーは最初こそ驚いていたが途中で冷静さを取り戻し状況を楽しんでいる。反面、オクシーは柄にもなく叫び声を上げて怖がっていた。


「……これはどこに向かってるの?ここは危ないから戻りたい」

「大丈夫です。オクシーさん安心してください。たぶんリリちゃんが行きたいのは高級観覧席です。そこなら広場を一望できますしフカフカの椅子に座りながらショーを見れます」

「……分かった……スノーの説明が分かりやすい」

「でしょ!スノーは自慢の妹だよ!」


 オクシーとリリーに褒められたスノーは照れて熟れた赤い果実のように真っ赤な頬を緩めて嬉しそうに笑った。その様子にリリーも胸を張って誇らしげに笑っている。忘れないでほしいのは、リリー以外ほぼ浮いている事実である。こんな状況で仲を深めないでほしい。

 先程スノーが言っていた通り、リリーが目指している観覧席は特別なものだ。

 それは領民が座ることができる観覧席よりも見晴らしが良く、広場全体を見渡せる代わりに、それなりの身分がないと入れないようになっている。

 他の観覧席との違いは以下の通りだ。

 一般観覧席は簡素な木製の長椅子を等間隔に配置し観客が並んで座れるようになっているだけだ。一方、リリーが向かっている高級観覧席は広場の東側、勇者の石像の背面が見える位置にある細かな装飾が施された豪華な建物の内部に設けられている。一階には出演者の休憩場や倉庫、二階にお客が様々なサービスを受けながら鑑賞できる例の観覧席が有る。

 施設の中に入るには会員であること身分がしっかりしていることが条件である。

 リリーとスノーは知っての通り勇者ジルの娘だ。当然この施設の会員なので使用することができる。

 だが、オクシーは身分が無い外の人間であった。それに魔人である。今はうまく角を隠しているが最高のセキュリティに見破られれば一発で仕留められるだろう。


(どうしようかなーあーでもないし、こーでもない)


 一番の障害をどう越えるかリリーは走りながら考えていた。

 所詮9歳の少女である。思いつく作戦はどれも陳腐なものであった。それに、知識を収集し吸収することに長けているリリーだが、人を言葉巧みに欺く知識に関して全くと言っていいほど縁が無い生活を送ってきた。

 素直に言えば誰もが信じてくれる温かい環境に身をおいていたできた誠実さは今の状況では足かせのようである。


(あー思いつかない~どうしよう)


 熱を帯びた頭で必死に考えを巡らせるリリー。そんなになってでも見せたい理由が彼女にはあった。

 リリーとスノーの二人は生まれて間もない2~3歳の頃からジルに連れられて何度もこの施設で公演を見てきた。会場を見渡せるほどの位置から鑑賞する。それは作品へ没入できる最良の空間だ。その素晴らしさは彼女らの人生観を一変させるほど、それを知っているからこそ新しく友だちになったオクシーに見せてあげたいのだろう。


(う~あ~あ!思いついた!これなら行けるぞ!)

「シシシ」

「……?」


 突然小声で笑い出したリリーをオクシーは不思議そうに見ていた。

 リリーの顔はイタズラっ子のようにワクワクが押させきれていない。唯一の突破口、それを発見できた喜びとオクシーがどのような反応をしてくれるか喜んでくれるかを考えてはニヤニヤしていたのだ。

 時刻は18時30分ショーの開始まで後1時間。

 スイスイと人と人の間を水のように進み、やがて三人は目的地である建物の入口、黄金の扉の前に着いていた。扉の左側には屈強な警備兵がピカピカの甲冑を着て大きな槍を持ち立っていた。


「着いたー!」

「「フー疲れた」」


 リリー以外の二人は疲労がたまりその場に突っ伏している。普段全力で走る経験が無いのだろう。リリーは疲労の影もなく不思議そうに二人を見ていた。

 警備兵からは障害物もあってかリリー達のことが見えていないようだ。スノーはそれを良いことにコソコソとリリーに近づいていった。


「リリちゃん大丈夫なの?」

「何がー?」


 リリーの返答にスノーは困った表情を浮かべた。

 彼女が心配しているのはオクシーとの身分差についてだ。先ほどリリーが解決した障害である。

 だが、スノーはそのことを知らない。問題を行き当たりばったりノリと勢いで乗り越えようとする節があるリリーを妹ながら心配しているのだ。

 リリーはスノーの言いたいことを理解していない様子で首を傾げている。

 スノーは仕方ない様子で周りに聞こえないよう耳打ちして教えてあげることにしたようだ。

 スススとリリーの耳元に近づいて言った。


(ほら、オクシーさんのこと警備兵さんになんて説明するの?)

(ふん!……大丈夫だよ大丈夫!)

(ほんとにー?)

(信じて!作戦が有るから!)

(不安だよ)


 鼻息荒目気合十分でキラリとサムズアップしてきたリリーを呆れ顔で見るスノー。オクシーは二人のやり取りを一歩空いた位置で見ていたがなんのこっちゃわからず小首をかしげている。


「よーし!じゃあ行ってくるね」

「信じてるよリリちゃん」

「もーお姉ちゃんに任せなさい!」


 ドンと一発、胸を叩いてリリーが物陰から出た。その後ろを他二人がついていく。

 三人が警備兵の前に並んだ。

 暇そうな警備兵はリリー達の存在に気づいたようだ。頭に被っていた兜を脱ぎひざまずいた。


「リリー様スノー様、当施設にようこそお越しいただきました」

「ヒメジーそんなに畏まらなくてもいいよ」

 ヒメジーと呼ばれた警備兵はフランクなリリーの発言を聞いても顔を上げることなく更に深々と頭を下げた。下げ過ぎじゃなかろうか?もう少しで地面に届きそうになっている。逆に不敬に当たりそうで心配であった。

「ありがとうございます…本日はサーカス団の催し物を見物するのですね」

「そうだよ、だからそこを通してほしいなー」

「はい、それはもう。そうしたいのは山々なのですが……失礼ですが、そちらのお方はどなたでしょうか?なにかご身分を提示できるものがないと中にいれることができかねます」

(きた!)

 

 リリーは浅く笑った。

 リリーの想定通り、顔を上げたヒメジー警備兵はオクシーを隅々まで見て警戒していた。疑心に満ちた目は鋭くオクシーの所作一つ一つを見逃すことなく観察している。

 一見どこぞの令嬢のように絶世美人であるオクシーだが、いくらおめかしして美しい外見を磨き貴族のように取り繕うとも消えない、内面に潜む自身のなさが立ち振舞にも現れていたのだ。

 オクシーはその視線にいたたまれない気持ちが溢れ出したのだろう。顔に影がさし表情がどんどん暗いものに変わっていった。

 だが、心配ご無用である。

 あんなにも自信満々にスノーに返答していたリリーが隣にいるのだ。この大ピンチを抜け出しハッピーエンドへと導く作戦を考え出しているだろう。

 リリーは不敵な笑みを浮かべてオクシーに近づきその手を取った。


「……リリー?」

「大丈夫」


 オクシーはギュッと固く握られた手から温かい力が伝わってくるのを感じていた。それは体温の差だろうか、それともリリーの性質だろうかオクシーにはわからない。何もわからなかった。

 ただ一つオクシーが感じたこと、それはひどく冷たく暗く氷のように閉ざされた心が溶けていく感触。それが今まで感じたこと無いほど心地よいものだったのだ。

 太陽のように晴れやかな笑顔で自分に笑いかけてくるリリーに対して胸の鼓動が早くなりオクシーは慌てて顔を背けた。初めて体験する心身の異常事態についていけず頭の上で疑問符が踊りだす。その感情が愛であることを今はまだ知る由もなかった。


「私に任せて!」

「う…うん…………」


 リリーはオクシーの内面の変化に気づかず更に強く手を握り始めた。オクシーの熟れた果実のように真っ赤になった顔が見えていないようだ。本人も自覚がないので仕方ないのかもしれない。

 一歩踏み出したリリーはヒメジー警備兵との距離を詰めた。


「この子は私のお友達なの。遠いところからわざわざ遊びに来てくれたんだよ!すごいでしょ!久しぶりに会うから一緒に見たいの!だから入れてほしいなーだめ?」


 機関銃のように一息でまくし立てたリリーを見て、何が有るのか身構えていたヒメジー警備兵は驚いた表情で固まっていた。

 情に訴えかける作戦とは拍子抜けである。

 まさかこれが作戦なのか?あまりにも拙い作戦であった。

 他の人が見れば友人関係なのはその位置関係からでも推察できる。久しぶりだから何だというのだ。甘えた態度を取ったところでルールは絶対である。例外を作ればそこから綻びが生まれてしまうのだ。

 当然、真面目を売りにしているヒメジー警備兵には響いていなかった。

 スノーは、あちゃーと言いたげな表情をしている。オクシーも怪訝な表情をしていた。一人リリーだけが何故か得意げである。だが、9歳が考えた作戦にしては上出来だこれ以上無いだろう。皆さんはどうか褒めて上げてほしい。

 案の定、ヒメジー警備兵も頬を引くつかせている。自身をキラキラした瞳で見つめてくるリリーを宥めて残酷な判断を下した。


「それはそれは…素晴らしいお方ですね。ですが、それだけではこの扉を通すことはできかねます。しっかりとした身分を証明できないのであればお二人だけ中に通し、お連れの方はこの場に留まることになるでしょう」


 その発言を聞いたリリーは驚愕で表情が固まった。あんぐりと空いた口から白いひよこがこんにちはしている。

 まさか失敗すると思っていなかったのだろう。先程までのかっこいいリリーはどこに行ったのか。オクシーも不安そうにしている。

 リリーが膝をつきそうになった瞬間、生気のなかった目がキラリと瞬いた。一筋の光明を放つ電球が頭上に現れる。つまり何かをひらめいたのだ。

 リリーは強い決意が込められた表情でヒメジー警備兵に詰め寄った。


「そんなーちょっとでもだめ?お願い!」


 自身の美貌をフル活用した色仕掛けである。

 あえなく撃沈かと思われたがここで諦めないのがさすが勇者の娘と言えるだろう。

 自身の持てるすべてを使っての最終手段。俗に言う必殺技だ。

 リリーのキラキラお目々攻撃が繰り出された。ヒメジー警備兵に200のダメージ。

 涙目キュルリンきらめく美貌を受けたヒメジー警備兵だったが、自身の唇を噛み太ももを強く叩くことによって、リリーのお願いを了承してしまいそうな衝動をなんとかこらえることに成功した。残りヒットポイントは1である。

 さすが必殺技、あと少しのところまで相手の理性を削った恐ろしい技であった。一般人が受けていたら全財産をリリーに捧げていたところだろう末恐ろしい娘である。だが、今回はヒメジー警備兵の覚悟のほうが上回っていた。


「ぐ……当施設の大切なルールです。だめなものはだめです…ぐは!」

「そんなー」

 今度こそ正真正銘の涙目でうなだれるリリー。それを見たヒメジー警備兵は吐血した。

 必殺技が効かなかったという事実が衝撃となって彼女を襲った。いまだかつてキラキラお目々攻撃をいなした人は居ただろうか?いや居なかったはずだ。彼女の父親勇者ジルであればイチコロである。

 リリーは崩れ去る現実を直視できず膝をついて天を仰いだ。視界が白く変わり目の焦点もあっていない。

 周りの三人は慌てふためきリリーに駆け寄った。スノーが横から揺さぶりオクシーが手を両手で強く握り返し警備兵は血まみれになりながら土下座している。


「その子は通して大丈夫ですよ」


 燦々たる現場に一石を投じる聞き馴染みのある渋めの声が響いた。

 そのダンディな声はリリーの背中越しから聞こえたようだ。

 三人が音のする方を見るとそこには、断られたことがショックでシオシオになったリリーの肩に紐状の栞を置いているブックマンがいた。栞は手の代わりだろう。

 ブックマンの存在に気づいたリリーは油をさしていないブリキの人形のように頭をギギギと回転させて本格的に泣き出した。


「うう~ブックマ~ン……」

「大丈夫ですよリリー。そんな涙混じりの顔ではせっかくの美しい顔が台無しです。いつもうるさいぐらい仰っているじゃないですか、貴女は太陽のように常に周りを照らしてこそ輝くのでしょう?」


 栞でポロポロと流れる涙を拭き取り慰めるブックマン。その言葉を受けたシオシオのリリーの体が徐々にツヤツヤと潤っていく。さすが自他ともに認める相棒である。主がどのようにして復活するのか熟知しているその手腕は目を見張る物があった。


「さっすがブックマン!分かってる!やっぱり私って可愛いよね~輝いているよね!」

「美しいや可愛いという言葉は他者に言われて初めて形をなすものだと私は思いますけどね」

「じゃあ、ブックマンは思ってないんだー悲しいな」

「私は貴女のその山より高い自尊心を育てた立役者の一人ですよ?思っているに決まっているでしょ」

「だよね!イエーイ!」


 キラリと復活を遂げたリリーとブックマンはその場でハイタッチをした。

 そんな二人を見ていた他の三人は状況についていけず、ある者は呆れた顔を作り、ある者は置いてけぼりをくらい呆然とその場に突っ立っている。

 血溜まりの中、土下座の姿勢のまま放置されている警備兵など見るも絶えない顔色でやり取りを見ていた。

 だが、ヒメジー警備兵はすぐに気を取り直したようだ。ハッとした表情で我に返ると、珍妙な空気に包まれた空間を断ち切るため立ち上がった。


「おほん!でー、ブックさん。何故大丈夫なんです?差し支えなければ理由を教えてくださいませんか?」


 ヒメジー警備兵は一息で空気を遮り話題を本題に戻した。膝に着いた血と顔に付着した血を払い真剣な顔で立っている。そのブックマンを見る目は疑心に満ち鋭く睨んでいた。

 ブックマンは済ました仕草でその視線を振り払う。具体的に言うなら栞を横に上げただけである。人体であれば肩を上げたぐらいの意味合いだ。この仕草をするなど強大な自身がなければできないだろう。否が応でも期待が高まる。

 唯一人だけスノーだけが少し不安そうにしていた。理由は単純、この主にしてこの従者である。主従関係とは共に過ごした期間で内面などが似てくるものだ。彼女はこいつもポンコツなのではないか、と危惧しているのだろう。

 この最高で最強の従者に限って主の意向に背く行動など取るはずもなく。日がな思慮が足りない主に変わりそのケツを拭いている苦労人は、残念ながら優秀だった。


「それは彼女の懐に有る物を見ればわかりますよ」

「……?」

 

 そう飄々と言い放ったブックマンはオクシーを栞で指し示した。

 オクシーはその発言に疑問符を浮かべ自身の体を弄っている。すると、服の内側から木製の変な模様が彫られた板が出てきた。

 5つの鈴と一本の剣に火が組み合わさった模様はどこか異質なオーラを纏っていた。

 オクシーには心当たりがないのだろう。片手で板を持って照明にかざすなどして観察している。


「……なに?板?」

「その紋章は……」


 板を観察しているオクシーの頭の上の疑問符が増殖を始め手をつなぎ踊りだしたが、その板を見たヒメジー警備兵は目を疑っていた。ゆるい空気のせいで崩れていた姿勢を再び正しオクシーに向かってひざまずく。


「そうでしたか…それはとんだ失礼を。よろしければお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「……?……オクシー」

「オクシー様、本日は当施設にお越しいただき誠にありがとうございます。どうか最高のひと時をお過ごしください」


 急に態度を改めたヒメジー警備兵に疑問を問う暇もなく。

 ヒメジー警備兵は素早く立ち上がって黄金の扉に近づくと軽くノックした。コンコン軽い音が響き音の波紋が浮かび上がり扉を青く光らせる。そして、重苦しい低音とともに扉がゴゴゴと内開きで開いていった。

 扉の隙間が徐々に広がり中の光が外に漏れ出す。そのまばゆい光を受けたオクシーは目がくらみ思わず目を瞑ってしまっていた。


「ほら!行こ」

「あ……」


 そんなオクシーの手を取りリリーが歩き出す。その後をスノーとブックマンが続いた。

 扉の先、ロビーの中央に黄金の階段があった。そこから二階へと進むと観覧席へ続く長い廊下になっていた。

 廊下の真ん中には金縁の真っ赤な絨毯が敷かれ、右壁に等間隔で美術品が飾られており、壁に埋め込まれた音響装置から流れる洒落た音楽が窓の外から聞こえる活気ある観客達の騒いでいる音と混ざり、進む者の心を緩やかに震わせる。

 この世のすべてを惜しみなく使用し、この空間と時間を有意義なものに感じてほしい、その心意気が深く感じられる何とも素敵な空間である。


 その長い廊下をリリーはオクシーと手をつなぎながら歩いた。その表情は徐々に近づく観覧席での光景を夢見て笑っている。

 そんな中、一人だけ真顔の人物が居た。

 スノーである。

 リリーとの距離が離れた瞬間、スノーはスススとブックマンに近づいた。


「ブックマンさん?何故オクシーさんがあの板を持っていたんですか?」

「ん?あーあれですか。ハハ」

「あの紋章……家のものですよね?」

「……はは」


 長い廊下を歩いている間にポロッと出たスノーの疑問聞いたブックマンは乾いた笑い声を出してごまかした。

 その態度で内に秘めた少しばかりの怒りが覚めるわけもなく。スノーに更に詰められたブックマンは慌てて話しだした。


「ハハハ、あれはあれです。こんなこともあろうかと彼女が寝ている間に忍ばせておいたのです!私は優秀な従者ですよ。主の行動の先を読むことなど造作もございません。ええそうですそうですそうなんですそうなんですよ」

「そうですか……」

「はい!」


 ブックマンの発言内容についてスノーはしばらく思案しているようだ。下を向き腕を組んで立ち止まっている。

 スノーの反応を見てそのオーラが形を収めたのを感じたブックマンは、人体であれば誇らしげに胸を張っているだろう動作をして得意げにこれまでの経緯を話している。彼には見えてないようだスノーが徐々に呆れた顔になっているのを。

 スノーが口を開いく。ブックマンは聞き逃さぬよう少し近づいた。彼は気づいていない彼女の口に見えている着火された爆弾を。


「…女の子の服を弄るなんて、ブックマンさんは変態さんですね」

「な……へ!変態…」

「変態です」


 爆弾発言が起爆した。

 聞き間違いを許さずの二連撃、本の体に強烈な電流が駆け回った。

 人外歴が長すぎたせいで彼は忘れていたのだ。女性の服に触れること、それも親交の少ない初対面の少女の物に触れることは重罪であることを。

 当然彼に悪気などまったくなかった。ただ主のためにリリーのための行動が裏を返せば変態おじさんと同じだったのだ。本の体なので性別の概念もなく昔のように性欲が湧くことも無いのがアドとなりブックマンは大敗北した。

 プスプスと黒煙を吐き力なく栞がたれ空を見つめる視線はどこかおぼろげだ。

 そんなブックマンを置いてスノーはリリー達の元へ小走りにかけていく。非情である。


「待って誤解なんですよー……」

(変態さんですね変態さんですね変態さんですね変態さんですね変態さんですね変態さんですね変態さんですね変態さんですね変態さんですね変態さんですね……)

「ガっ!ハ……」


 衝撃は内を駆け回り中で永遠と反響していた。

 虚しくヒラヒラと栞がスノーの姿を掴むことなく空を切る。

 心に深刻なダメージを受けたブックマンはボーと宙に浮きながら皆の後を着いていくことしかできないほど消耗してしまった。あんなにも、かっこよくダンディに現れた割にあっけない最後である。彼がナニカしたでしょうか皆様?しました。大罪を犯した者にしては軽い処罰に彼はむしろ感謝したほうが良いでしょう。



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