1 脈動する運命 (2)

 時は遡ること午前9時。

 大陸の東側にあるフィージアという国。

 その国の西側の領地には、猛獣ひしめく森を背にして建てられてた、非常に頑丈で厚みのある塀と鮮やかな青色の屋根が特徴の勇者ジル・ヴァレーの屋敷があり、こここそがリリーの実家だ。


 この時間帯の屋敷では勇者の子供達が過酷な世界を生き抜くための術を学ぶため授業が行われていた。


「…魔法を扱うには、魔素を操るために魔物の素材でできた指輪が必要です。素材によって得意不得意があるのでよく考えて扱いましょう!例えば火の魔法を扱うにはサラマンダーの牙を嵌めた指輪を使います。すると火の魔法効率が格段に上がるのです!…」


 魔法基礎の授業。

 担当するのは通常であれば優秀な宮廷魔法師なのだが。

 他の娘とは違い、リリーだけ特別に屋敷のメイド長が教えている。

 本来であれば他のメイド達に指示を出さねばいけない立場だが。博識なメイド長の授業以外では、10分ももたないのだ。

 今年で9歳になるリリーは、少し大きめの椅子に腰かけ足をブラブラさせながら授業を聞いていた。明らかに退屈そうである。


「……」


 授業が始まってから一時間ほどたった頃、集中力が切れてきたのか、リリーは時折チラチラと窓の外にある森のほうを見ていた。


(そろそろ、リリーお嬢様の集中力が切れるころ合いでしょう、授業を変えましょう)


 メイド長の目がキラリと光る。さすが歴戦のメイド、リリーの顔を一目見ただけで状態を察し作戦を変える。そそくさと教本をしまい次のお勉強の準備を始めた。教鞭をふるっていた場所のすぐ横の棚を漁り次の授業に必要な教材を用意している。


「はい!魔法基礎の授業はここまでです。次のお勉強は、リリーお嬢様のお好きな魔法生物ーん?」


 手早く準備が終わりリリーのほうを振り向いたメイド長は茫然とした。先ほどまで椅子にちょこんと座っていたリリーの姿がどこにもないのだ。

 驚きのあまり固まったメイド長。だが、一瞬で状況を理解した。体の中で細胞が活発に動く、血液が通常の五倍の速度で酸素を脳に送り、脳が足に指示を出した。

 その途端きしむ教壇、舞い上がる木片。足の形にへこんだ大理石の床は涙を流した。

 メイド長が本気で走ったのだ。床が割れなかっただけ御の字だろう。


「リリーお嬢様!まだお勉強の途中ですよ!!!!!!」


 風をかき分け疾走する老婦。今年、齢70を超えるはずの肉体は密度の高い筋肉に覆われ微塵も衰えていない。領民が見たら確実にオカルトとして伝説になるだろう。

 長い廊下に出て完全にリリーを捕捉したメイド長は筋肉をうならせスピードを上げる。


「うわ!今日のアメリアおばあちゃん本気だ!」


 華麗なスタートダッシュを決め得意顔だったリリーは徐々に距離を詰めてくるメイド長を一瞥して、その速さに驚いた。

 殺気さえ感じられるほど鬼の形相で走り寄ってくる鬼を見て不敵な笑みを浮かべるリリー。その心を奮い立たせ気合を入れる。


「よーし、今日は絶対勝つ!だから、おばあちゃん…ごめんなさい!」


 リリーはすかさず懐からお手製の煙玉を取り出し、それを自分の足元に投げた。

 地面に着弾した球はモクモクと煙をあげ廊下に広がっていく。やがて、メイド長の視界を遮り始めた。だが─


「…ふん!」


 メイド長には小手先の技など通用しない。手を叩いた瞬間、風圧で煙を晴らしたのだ。開いた窓から煙が凄まじい速さで抜けていく。誰も70代の繰り出した技に見えないだろう。

 一瞬で視界が元に戻る。

 だが、前方に先ほどまで居たはずのリリーの姿はなかった。

 辺りをキョロキョロと見まわしてリリーの痕跡を探すが、その姿が確認できずメイド長は立ち止まる。


「…成長しましたねリリーお嬢様」


 数刻だけ面食らったメイド長は嬉しそうに豪快な笑みを浮かべた後、リリーを追うためこの場から走り去った。


「…危なかったー!咄嗟にこんな機転が利くなんてやっぱり私天才だ!」


 メイド長が居なくなった廊下にどこからかリリーの声が響く。声の主は開かれた窓の外、屋敷の外壁にロープを持って張り付いていた。

 どうやら、煙幕の後にメイド長が出した突風を利用して開かれた窓から脱出したようだ。その際、太ももに忍ばせておいたロープを振り、上の窓に括り付け落下するのを防いだ。見事な逃走劇である。


「ふ~……それにしてもー勝った!勝った!勝ったー!私があのおばあちゃんに勝ったんだ!やったー!ああ~おっとと…危ない危ない、落ちるところだった」


 ひと段落ついたリリーは安堵のため息を吐く。

 よっぽどうれしかったのだろう勝利の余韻に浸りすぎて足場にしていた石レンガから足を踏み外した。ロープを掴んでいたから大惨事を免れたが運が悪ければ落下していただろう。

 死ぬ未来を想像して一度冷静になったリリーは慎重にかつ素早く上の窓まで登っていった。


 窓から廊下に入った後、目の前の部屋にこそこそと侵入する。

 この部屋はリリーの妹であるスノーの寝室だ。

 部屋の内装は年頃の子供にしては珍しく本棚がいくつも置かれ溢れんばかりの本が並んでいた。ドレッサーにもどっさりと本が置かれているので本来の機能を失っている。天蓋付きのベットにはリリーから貰ったぬいぐるみが大切に置かれていた。

 部屋を見ればわかる通り、次女であるスノーは長女のリリーとは違い几帳面な性格なので部屋の中は非常に整っている。


「さぁーて、どこに隠したっけ?」


 だが、そんなことお構いなしのリリーは部屋を散らかしながらある物を探していた。

 探している物は昨夜リリーが妹の部屋に忍び込んで隠しておいた探検セットだ。探検セットには彼女が森を探検する際、必要になる万能ナイフなどの小物や実験道具が入っている。

 非常に大事な物のはずなのにどうして妹の部屋に隠しあまつさえ場所を忘れるのか常識人である我々には理解ができない。


「どこかな♪どこかなー♪……あ!あったー!」


 やっとこさ、それを見つけ大事そうに抱えるリリー。お探しの物が見つかったようだ。そそくさと部屋を離脱しようとした瞬間、誰かが肩を叩いた。


「…リリちゃん…こんな場所に隠してたんだね」

「…ひ!」


 リリーが声のする方を振り返るとそこには仁王立ちで立つスノーがいた。

 姉とは違い丁寧に手入れされた長い白髪を逆立たせ低い声でうなる実の妹にリリーはひどく動揺していた。

 笑顔が怯えに変わり表情が固まる。


「ハ、ハハ、スーちゃん!久しぶり!何故ここに隠したかって?それは他の場所がばれてるから仕方なくだよー隠す場所ここしかないと思ったんだ~……ごめんなさい!」


 しどろもどろになりながら必死に言い訳を並べたリリーだが、鋭い眼光で自身を睨むスノーを見て慌てて謝罪をした。それもただの謝罪ではない土下座だ。

 スノーは額を地にこすりつけたリリーの土下座を見た後、悲惨なことになっている自身の部屋を見て嘆息した。呆れを通り越して諦めかけた表情をしている。


「はぁ、ちゃんと夕飯までには無事に帰ってくるって約束して。最近は物騒なんだから…」

「許してくれるの?」

「今回だけよ、今日帰ってきたら掃除してもらうから」

「もちろんだよ!スーちゃんありがとうございます!!」


 一体どっちが姉なのかわからないやり取りを済ませ、リリーはそそくさと探検用の服に着替えた。それが終わると大きめのナップサックを背負い森側の窓を開き身を乗り出す。


「スーちゃん!行ってきます!」

「…行ってらっしゃい」


 スノーは小さく手を振った。

 それを見て満面の笑みになったリリーは予め設置しておいたロープを使い地面まで下りて行った。

 そして、堅牢な塀に穴をあけて作ったリリー専用出入口から森へと入っていく。

 リリーの去っていく後姿を見て部屋に残ったスノーは大きな溜息を吐いていた。なんだかんだ言って活発な姉のことが心配なのだろう。7歳なのに立派な苦労人だ。

 手を振るのを止め、いまだリリーを探し続けているだろうメイド長を止めるため部屋を後にした。


 これがこの屋敷で毎日起きている賑やかな逃走劇だ。

 屋敷の者たちは皆、ほんわかした暖かい眼差しでそれを見つめていた。

 誰も文句を言わないのはメイド長への信頼と人懐っこいリリーの愛嬌が大きいからだろう。

 だが、みんなもう少しお淑やかになって欲しいと思っている。いつも傷だらけ泥だらけで帰ってくるリリーのことを心配して心労が絶えないのだ。

 リリーの日常を振り返ると怪物に襲われるのも納得のお転婆ぶりだった。


──アイテム&人物&魔法&動植物紹介コーナー──


魔法


魔法基礎

・魔素はすべての元素に変化する

・魔素は情報の伝達力が強い

・魔法は魔素を操り生じさせるもの

・魔法を使用する場合、平人であれば触媒が必要である。森人と魔人は触媒を使う必要がない。

・魔法を使用する際の触媒は一般的に指輪である。※一番直感的に動かしやすく魔素に意思を伝える際の速度が指のほうが速いから

・指輪には様々な魔獣の素材が扱われる。※素材によって魔法に得意不得意がある。

・魔素に情報を伝える際、その人物の性格や感情などが魔法の効果に現れる。(例)性格が陽気で興奮状態の時、火を放つ魔法を使うと広範囲無差別攻撃になる。性格が陰気で憤怒状態の時、火を放つ魔法を使うと対象に当たった際、周りに飛び火し粘着する。


アイテム


名称・《リリーのロープ》

特徴・すぐ使えるように太ももに巻いている。

備考・リリーが森の丈夫な蔦を加工して作成したロープ。常に二本携帯している。100人引っ張っても大丈夫。

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