2 忍ぶ魔の手 (1)

 夜蝶やちょうも鳴りを潜め完全な闇に包まれた屋敷の庭園。

 庭師の爺さんが毎日手入れをしている花畑のすぐ横、庭園の中央に水晶のような美しい魔法陣が浮かび上がった。

 魔法陣から出た粒子が徐々に人の形に変化していく、やがて魔法陣が消えるとその場所には二人と一冊が立っていた。

 一人はこの屋敷の娘リリーもう一人は魔人の少女オクシーで最後を飾るのは二人に踏まれている魔法の本ブックマンだ。


「ちょっちょ!な、なぜだ!なぜ私が下敷きに!ちょっと上のお二人さん重いですよ!早くどいてください」

「わ!ブックマンそんな所に居たの!びっくりしたよー。ごめんね~ブックマン、あまりにも踏み心地がよくて気づかなかった」

「…ごめんね…ブックマン…」

「イタタタ!痛覚がないけど痛いです!二人とも謝ったなら早くどいてくださいよ。踏まれる私の気持ちにもなってください!」

「「…はーい」」

「なぜ不服そう!」


 帰って来て早々茶番を繰り広げる一行。その練度は熟練の域に達していた。

 二人は踏まれてもがき苦しむブックマンの姿を見て、何だかかわいそうに思えてきたので仕方なしに上から地面に降りたった。

 それと同時に素早くブックマンが浮き上がる。その背表紙にはクッキリと二人分の足跡が刻まれている。


「…ん?あれなんだろ?」


 ケラケラ笑いながら見事な足跡を眺めていたリリーは何やら前方から視線を感じたようだ。

 暗闇の中を注視していると、その先に居たのはメイド服に身を包んだ女性だった。

 女性は色がピンクの髪をボブにしており、ニッコリとした笑顔でランタン片手にこちらに歩いてくる。


「あれ~リリーお嬢様~今までどちらに~いたんですか~?」

「エリカさん!何でこんな所に居るの?」

 エリカと呼ばれた女性はフフフと笑うと素敵な笑顔でリリーの問いに答えた。

「リリ~お嬢様の帰りが遅いのを心配して屋敷の皆で~探してたんですよ~」

「え!ほんと!どうしよ~絶対怒ってるよー…終わった…」


 絶望のあまり地面に突っ伏すリリーを横目に、エリカは腰につけていた鈴を取りそれを鳴らした。

 チリンチリンと涼しげな音色が辺りに響きわたり音波が屋敷全域に伝わる。

 すると、屋敷の様々な場所からぞろぞろとメイド長やスノー、果ては屋敷に勤めてる使用人たちがこの場所に集まってきた。

 みんな疲れ切った顔をしており、どれだけ必死にリリーを探していたかが伺える。スノーなんて涙やら鼻水やらで顔面が大変なことになっていた。

 地面から伝わる足音で皆が集まって来ることを察したリリーは顔を上げた後、服についた汚れを叩き落とし申し訳なさそうな表情で彼らを見つめている。


「え~と…みなさまごきげんよう…はは…はぁ…約束を破ってごめんなさぐふへっー!──」


 謝ろうとしたリリーが突然、数メートル先まで吹き飛ばされた。人垣から弾丸のような速さでスノーが飛びついたのだ。

 リリーはその衝撃に耐えられず花壇に植えられた花々の上に尻もちをついた。

 鈍い痛みに苦悶の表情を浮かべる姉を無視して、スノーはそのがら空きのみぞおちに頭部をめり込ませ止めとばかりに擦り付ける。そして、頭に伝わる体温を感じながら小さくゆっくり事実をかみしめていた。


「りりちゃん!よかった!よかった…よかったよ~……」

「……すーちゃん…ごめんね…ごめんね……いつもありがとね~…」


 リリーは自分のせいで嗚咽を漏らし泣きじゃくる妹の頭を優しく優しく撫でた。スノーが泣いた時は大抵こうやって泣き止むまで頭を撫でてやるのだ。どんな薬よりも絶大な効果を発揮してくれる。

 リリーの表情は慈愛に満ちた微笑みでスノーのことを見つめ、彼女が落ち着くまで囁くような声で感謝の言葉を繰り返し言い続けていた。

 やがて、そのそばにメイド長がスッと移動してきた。そして、リリーの頭を柔和な笑顔で撫で始める。


「リリーお嬢様おかえりなさいませ。お嬢様の帰りがあまりにも遅いので私達はとても心配していたんですよ。今日はもう遅いので後日何があったか教えてくださいね」

「うん、ごめんなさいアキレアおばあちゃん。ほんとはいつも通り帰るつもりだったの、でも、色々あってこんな時間になってしまって。ほんとにごめんなさい…」

「ふふ、分かっていますよ。リリーお嬢様が約束を守る良い子だということは皆わかってます。ちゃんと謝ってくれて婆やはそれだけで嬉しいです。さ、今から夕食の準備をしますのでお二人は先にお風呂に入りましょう」


 仲睦まじいその姿で彼女がどれだけ愛されているかがよく分かるだろう。

 そこに血のつながりはなくただ同じ時を過ごし、それを大事にしてきたという事実だけが彼女らを繋ぎとめる絆になっているのだ。

 互いを愛し愛され心から大切にしている様子を遮るように、満面の笑みでエリカが人垣の向こうに一人たたずむオクシーのことを指で示した。


「そういえば!さっきから~気になっていたのですが。そこにいる方は~どなたですかー?」


 エリカの言葉を聞いた屋敷の者達はやっと、蚊帳の外にいるオクシーに気づきだした。そのみすぼらしい外見を見てすぐさま憶測が飛び交いだす。


─あれ?こんな子、この屋敷にいたか?奴隷みたいじゃな─

─なんて汚い恰好をしているんだ!においまで腐ってやがる─

─まるで生ごみみたいね!ハハハ─

─…かわいい…─

 一人おかしいのが混ざっているが、概ね予想通りの反応でブックマンは安堵していた。これぐらいなら許容範囲内ですぐに納められる自信があるのだろう。

 すぐさまオクシーを連れてリリーのそばまで移動する。

 そして、仰々しい語り口でオクシーについて説明し始めた。


「皆様!本日はリリーお嬢様のために!集まっていただき誠にありがとうございます。この娘については、僭越ながらこのブックマンが説明をさせていただきましょう。このお嬢さんの名前はオクシーといいリリーお嬢様のご友人でございます。森で迷子になった我々を安全な場所まで案内し助けてくださった。いわゆる恩人に当たるのです!リリーお嬢様はオクシーに対して非常に友愛を感じておりますので、くれぐれも粗相のないよう、よろしくお願いたします。もしも〜先ほどのように〜この娘を侮辱ないしは軽蔑の眼差しで見た場合─明日はないでしょうね~」


 説明の途中、ブックマンの周囲で小規模な爆発が立て続けに発生していた。

 先ほどオクシーを見て笑っていた使用人達の頭が次々にポン♪ポン♪と弾け飛ぶ。地面に落ちる肉片は瞬く間にカラスや煌びやかな紙に変わり空に舞い上がった。

 説明が終盤になるにつれて元に戻り始めた。弾けた頭も飛び散ったカラスも紙も爆発する前の物に戻っていく。

 ただ、彼らの表情だけが先ほどと違い、慈愛のこもった笑顔に変わっていた。どうやら人格だけ弾けて戻らなかったらしい。地面に付着した少しばかりの肉片と血液がその証拠だ。残りの人生を人格者として生きられるブックマンからの些細な贈り物だ。

 誰も彼も別人に変わったことに気づかない奇妙で最高なパフォーマンスの上映後、改めてオクシーを見た使用人たちの目は慈しみに溢れている。


─…ほほ、リリーお嬢様がご友人をお連れになるとは流石ですじゃ─

─…よく見るとかわいくないか!─

─…かわいいかわいいかわいいかわいい─

─…整えれば、夜露をまとうガランメシアのようにお美しくなりますね~─


 長ったらしい説明を利用して、皆が見ていない隙にオクシーの手を握っていたリリーは周りに見えるように腕を高々と掲げた。


「そうだよ!オクちゃんは友達なんだーそうだよねー?」

「…うん…そうかも…」


 俯き返事をしたオクシーの顔を覗き込むメイド長。そのすべてを見透かそうとする眼差しにブックマンは冷や汗が出るのを感じた。

 事前に対策として何重も認識疎外の魔法をかけその上から布を巻いた。その外見からは一切オクシーが魔人という事実はわからないはずだ。

 だが、もしも魔人という事実がバレてしまえばすぐさまその首が飛ぶだろう。戦争の時代、数多くの魔人を殺戮した戦士にはそれは容易いことなのだ。

 リリー達に緊張が走る。ビリビリと痺れるような空気が数分間続いた。

 やがて、確認し終えたメイド長は立ち上がり周りの使用人に目配せをした。何らかの合図を出したようだ。

 その合図によって使用人達が一斉に屋敷の方へ走っていく。屋敷の内部で騒がしい音が聞こえだした。

 どうやら、客人をもてなす準備が行われ始めたようだ。


「オクシー様と言いましたね。お嬢様を救ってくださり、ありがとうございます」

「そんな…私に様なんてつけなくていいです…それに…感謝されるようなことは…していませんから…」


 深々と頭を下げたメイド長を必死に止めて、申し訳なさから縮こまるオクシーを見てメイド長は警戒心を一段階下げたようだ。

 纏う雰囲気が少しだけ柔らかいものに変化した。


「では、オクシーさんとお呼びしますね。オクシーさんはリリーお嬢様がお認めになった存在。そんなにおびえなくても大丈夫ですよ。とって握りつぶしたりしませんので。フフフ」

「…はい…ありがとうございます…」

「フフ、それでは皆様、全部解決したようなので屋敷に戻りましょうか。オクシーさんもリリーお嬢様達とお風呂に入った方がいいでしょう」

「うん!汚れちゃったしみんなでお風呂に入ろ!」

「…わかった…」「…うん…お姉ちゃん達と入る」

「お嬢様達だけでは心配なのでメイドを一人つけますね。エリカ!リリーお嬢様達のお世話をしなさい」

「…は~い、分かりました~それでは~リリーお嬢様とスノーお嬢様とオクシーさんを浴場までご案内します~」


 そう言ってエリカは三人を先導して屋敷の中へと入っていった。

 この場に残されたのはメイド長とブックマンだけだ。

 数分後ブックマンは少しずつだがズルズルとその場から離れだした。

 どうしてもメイド長と二人きりの状況が耐えられないのだろう。徐々に距離が開いていく。

 そんな、逃げようとするブックマンを鷲掴みしてメイド長は微笑みかけた。その目は猛禽類のそれと酷似している。鋭すぎてそのまま包丁として使えそうである。


「まて本。お前には部屋でじっくり詳しく説明してもらおうか!」

「ひー!分かりました!話します話します~だから破らないでくださ~い」

「虚言はやめろ。私がお嬢様の私物を破るわけないだろ?」

「はい、そうですね~。ですが!その威圧感でこちらは頭が痛くなるんですよ。少しは抑えてください」

「お前に痛覚などないだろ?行くぞ」


 爽やかにそう言い放ったメイド長は自室目指して颯爽と歩き始めた。

 もう何を言っても逃げられない状況だと察したブックマンは、本日何度目かの溜息を吐くと大人しくなってそのまま運ばれていった。


…─…─…


───アイテム&動物&人物&世界観解説コーナー───


登場人物


・名称─メイド長(アメリア)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る