第326話 領都の行商人、親友を労わる

‟カランカランッ、カランカランッ、カランカランッ”

マルセル村に響き渡る鐘の音。

農作業を行っていた村人たちは、皆その手を止め、顔を上げ鐘の音に耳を傾ける。

今年も無事にやって来てくれた。マルセル村に春の喜びを伝える鐘の音に、自然表情がほころぶ。


その音色は村外れの訓練場で鍛錬に励む若者たちの元にも届けられる。


「あっ、モルガン商会の行商人ギースさんだ。そうか、もうそんな時期になったんだ、全然気が付かなかった」

大汗を流しながら真剣に木刀を振っていたジェイクは、その動きを止め額を拭う。


「そう言えばそろそろだってお父さんが言ってたけど、今日だったんだね。家に帰って木札を取って来ないと」

汗で身体に張り付いたシャツに「帰ったら着替えないと」と呟き、今度は何を買おうかと思いを巡らせるエミリー。


「シルビア師匠、イザベル師匠、そう言う事ですので今日の授業はお休みでお願いします」

「そうね、私も領都からの行商は楽しみにしていたの。資金はケビンからせしめてるから潤沢よ?」

フィリーの言葉にニヤリと笑う賢者師弟。


「ボビー師匠、では今日の訓練はここ迄と言う事で」

「うむ、そうじゃの。ではシルビア殿、イザベル殿、魔力枯渇空間の解除をお願い出来るかの」

ディアの言葉に汗だくになりながら訓練の終わりを告げるボビー師匠。

彼らが一体何をしていたのか?それは何時か村の青年ケビンがケイトと共に行っていた魔力枯渇状態での訓練。普段無意識に行っている魔力による補助の一切を切り、己の肉体を鍛え直すと言う試み。

これはいざ魔力枯渇状態になった際に動けると言うばかりでなく、魔力強化の基礎となる肉体を強化する事でより大きな力を発揮出来るようにする為のもの。


「ケビンの奴が見つけた癒しの覇気を併用した訓練法のお陰で何とかなっておるが、魔力枯渇訓練はほんにきついの~。

あの地獄の走り込みを思い出すわいて」


ボビー師匠の何気ない一言に、ガタガタと身を震わせる若者たち。彼らにとってあの地獄の訓練は、生涯忘れる事の出来ないトラウマなのであろう。


「す、すまん、ちと不用意じゃったの。それでは今日の訓練はここまでとする。皆風邪を引かぬ様はよう着替えて村役場前に集合じゃ」

「「「「ありがとうございました、ボビー師匠!!」」」」


マルセル村の春の楽しみ。元気よく走って家に戻る弟子たちの姿に、自然顔のほころぶボビー師匠なのでありました。


―――――――――


「これはこれはアルバート子爵様、お久し振りでございます。

こうして再びお会い出来ましたこと、大変喜ばしく思います。

マルセル村の皆様もご壮健のご様子、アルバート子爵領の発展を示すような光景は見ていて気持ちのいい物でございますな」


「ハハハ、ギース殿、久しいの。こうして無事な顔が見れて私もうれしいよ。

まぁ立ち話もなんだ、中に入って茶でも飲みながらゆっくり話でもしようじゃないか。

ボイル、ジェラルド、ジョン、行商の準備を手伝ってやってくれ。村人はじきに来るだろう、販売の方も頼む。

ザルバ、お茶の準備を、それとケビンが来たら執務室に寄越してくれ」


ドレイク・アルバート子爵の指示に、各人が礼をしそれぞれの持ち場に移動する。その様子を眺めていたモルガン商会行商人ギースは子爵としての態度が板に付いてきた親友の頼もしい姿に、“こいつも頑張ってるんだな”と目を細める。


「・・・今年の作付けの予定は以上になる。

話では既に領都周辺でビッグワーム農法による野菜の栽培が始まっているとか。今はまだ先行的な知名度がある分マルセル村の野菜というだけで差別化が図れるが、いずれ他の産地の野菜と変わらない扱いを受ける様になるだろう。

ただ現在ビッグワーム農法を行っている農業重要地区入りを果たした四箇村の状況を見ても分かる様に、その品質が安定するにはしばらく時間が掛かるだろう。

モルガン商会長はその辺をどう考えておられるのだ?」


「はい、当モルガン商会といたしましてはマルセル村の品質の高い野菜類の知名度はいまだ健在と考えております。

ですがいずれそれに近付く高品質の野菜を生み出す産地は生まれるかと。

ですのでモルガン商会といたしましては他の地域にはない特色を持った野菜の栽培を提案いたします。

例えば南方のテール農業国では芋の品種改良を行い甘味の深いテール芋と言うものを作り出し、輸出品の目玉に据えているとか。

他にもより実付きのいいマッシュの生産など、現在のものとは違った新たな作物の創造を模索しているとか。

これまでは“畑のお肉、新鮮で傷みにくい野菜のマルセル村”といった売り文句がありましたが、ここに新たに“〇〇のマルセル村”という新たな特産物を作り出す必要があるかと」


“う~ん”

腕を組み唸りを上げるアルバート子爵。何事も先を走る者は追われる立場にある。次に続けと抜きつ抜かれつ、より良い形へと発展して行く。

これが健全な市場経済であり、市場原理。

領地を預かるものとして、マルセル村住民の代表として。

ドレイク・アルバート子爵の悩みは尽きない。


“コンコンコン”

「“失礼します。アルバート子爵閣下、ケビンが参りました”」

「うむ、通せ」


“ガチャッ”

アルバート子爵の許可の声に扉が開く。執事長ザルバに案内されて入室して来たのはアルバート子爵家騎士、ケビン・ドラゴンロード。

そしてなぜかその後ろからは見慣れぬメイド服姿の女性。


「失礼します。ケビン・ドラゴンロード、アルバート子爵閣下のお呼びと聞き参りました」

そう言い慇懃に礼をする騎士ケビン。メイドの女性もそれに倣い礼をする。


「うむ、ご苦労。ケビンには色々と意見を聞きたくて来てもらったのだが、その前に一ついいだろうか?

その後ろに立つメイドであるが・・・」

アルバート子爵の言葉に、この場にいる者の視線が背後のメイドに集まる。


「はい、これなるは私の個人的なメイドです。こちらはアルバート子爵閣下であらせられる、ご挨拶を」

「はい、主様。アルバート子爵閣下、初めてお目に掛かります。

ケビン・ドラゴンロードがメイド、十六夜と申します。

どうぞよろしくお願いします」

サッと頭を下げるメイド、肩に掛かる程の青み掛かった艶のある髪が揺れる。


「・・・またかね」

「またですね」


ケビンの言葉に、両手でこめかみを押さえ揉み始めるアルバート子爵。片やケビンは涼しげな顔でアルバート子爵からの言葉を待つ。


「ギース殿、すまんが商談は一旦ここまでとしよう。

で、ケビン君、聞かせてくれるんだろうね」

これまでの貴族然とした態度を引っ込め、普段の口調に戻るアルバート子爵。この使い分けが重要なのだと尊敬の眼差しを送るケビン。


「そうですね、簡単に言えば山に行って死にそうなところを助けた。仕事もない様なので雇う事にしたってところでしょうか」

サラッと答えるケビンに、何の事だと首を捻るザルバとギース。

だが約一名、言葉の真意に近付き頭を抱えるアルバート子爵。


「君は一体何をやってるんだい、何を。私はパトリシアの世話係を申し付けていなかったかな?」

「お嬢様なら他のメイドの方々もおられますし、団子に頼んで修行を付けて貰っていますよ?

やはり貴族に連なる方々は皆さん優秀ですね~。あと一月もあれば皆さん立派なマルセル村の住民になられますよ」


ケビンの言葉に乾いた笑いを浮かべるアルバート子爵と額を抑えるザルバ。そしてただ一人置いてきぼりになるギース。


「申し訳ありません、アルバート子爵様。自分奴じぶんめにはこちらケビン様の仰られている事がいまいち分かりかねるのですが」

混乱するも立場を弁え礼節を守ろうとする親友に、苦笑を浮かべるアルバート子爵。


「あぁ、ギース、もう言葉を崩していいから。それとザルバ、お茶とクッキーを頼む、どうも話の雲行きが怪しい」

「あっ、それでしたら俺が。最近アナさんがミランダ夫人のところに通い詰めてクッキーの作り方を教わったそうでして、大量に作ってくれたんですよ。まぁお陰で焼き窯を作らさせられちゃいましたけど。

抹茶味のほかにシンプルな蜂蜜味もありますんでどうぞ」


そう言いケビンが収納の腕輪からテーブルに取り出したのは、大皿に山盛りにされたクッキーと湯気の立ったティーポット。

ザルバはササッとティーセットを準備すると、アルバート子爵とギースの前にお茶を用意する。


“カチャッ”

温かなお茶を口に含み、ほっと一息吐くアルバート子爵。それに倣いティーカップに口を付けるギース。

口腔に広がる若葉の爽やかな香り、ほんのりとした自然の甘さが心を穏やかにしてくれる。


「それじゃ詳しく聞こうか」

準備は出来たとばかりに話を促すアルバート子爵。ケビンは「分かりました」と声を掛け詳しい話を始めるのでした。


――――――――


「う~ん、中々見つからないね~」


事の起こりはグロリア辺境伯家からデイマリア様が第二婦人としてアルバート子爵様に嫁がれた事でした。

本来このような事態は起こりうるはずのないものですが、そこは国際情勢と言いますか、運がなかったと言いますか。

娘であるパトリシア様をおもんばかったデイマリア様の暴走としかいい様がありません。これには当代のグロリア辺境伯様も一枚かんでるとか、目に入れても痛くないと言う程孫を溺愛する御方ですので、これは致し方がない事かと。

ですのでこの件で俺に八つ当たりするのは筋違いですからね?

そこはお間違いない様に。


ですが話はそう簡単には行きません。寄り親のごり押し、貴族である以上避け様のない事とは言え今回の措置はかなり強引なもの、奥方様であるミランダ夫人が納得するはずもない。

それもそのはず、ドレイク様はアルバート子爵家の婿、この婚姻は血筋的な話で言えばお家乗っ取りと取られてもおかしくないんです。


出戻りのデイマリア様、お相手は今寄り子衆で一番勢いがありかつ強大な騎士団を擁するアルバート子爵家、そして入り婿であるドレイク様との婚姻。

筋違いと取られかねないこの婚姻も、今にも内戦の起きそうな現状では誰しもが家同士の関係強化の為の政略的婚姻と思うはず、大々的なお披露目が無くとも誰も文句は言わないって訳です。


後はミランダ夫人が納得するか否か、そこはマルセル村の為にもドレイク様に頑張っていただくしかない。

そこで私考えました、もう一人お子様が出来れば多少はましになるのでは?と。

で、お山に狩りに行って来たんです。

騎士団のギースさんとグルゴさんに差し上げたものですね。その効果はお二人の元気なお子様が証明なさってくださってますし、子沢山はいい事ですよね。


「月影、見つかった?方向はあってるんだよね?」

「はい、間違いないかと。ただどうしても大体の方向としか分かりませんので。

それとこの場の魔力の強さが邪魔をして発見が困難になっているものと思われます」


アルバート子爵様には以前お話しましたが、月影は呪術の技術に長けております。その中に相手の居場所を特定するといったものがあります。対象者の体毛や思い入れの強い品を使い行う呪術なんですが、これの応用で対象種族の生存地域を把握するといった使い方があるんです。

奴隷商人などがエルフを見付ける為によく行われていた手法らしいのですが、現在はエルフ側が対抗術式を開発し発見出来ない様にした為廃れてしまったのだとか。

でもこれって特定の魔物を探すのにも使えるんです。


「いた~!!<影縛り>、<一閃>」


本当に探しましたよ、結局ヨークシャー森林国側に回る羽目になりましたから。俺じゃなければこんなに短期間に見つけられなかったんじゃないかな、全然いないんですもん、流石高級素材ですよ。


十六夜を見付けたのはそんな捜索が終わったときですかね。

崖下の岩場に魔力探知に引っ掛かる岩が転がってたんで、もしかしたら魔力結晶かと思って近付いたら石化した人間だったんです。

四肢は粉々に砕けてるしどうしたものかと思ったんですけどね、まぁ何とかなって現在に至るってところでしょうか。

折角拾った命、好きにしていいって言ったんですけどね。

暫く考えさせてくれって言って、結局居残っちゃったって訳です。


―――――――――


話を終え、いつの間にか収納の腕輪から取り出したティーカップに口を付けるケビン。

片や“何て話をしやがる”と眉間の皺を揉むアルバート子爵と、自身の中の常識が邪魔をして事態を飲み込み切れていない筆頭執事ザルバと行商人ギース。


「そうそう、それでこれが肝心の素材です。亀の魔物の肉と肝になります。調理の仕方は様々、さっと湯通しして香草と岩塩で味付けしてもいいですし、焼いたり蒸したりしてもいいです。

素材自体が旨味の塊みたいなものですから、あまり手を加え過ぎない方がおいしいですよね。

ただ効果が凄いのでエミリーちゃんやパトリシアさんには食べさせないでください、シャレじゃすまない事態になりますので」


そう言いケビンがテーブルに取り出したものは、大皿に載せられた布に包まれた肉の塊と小箱に仕舞われた肉塊。


「それでは失礼します」

用は済んだとばかりに部屋を後にするケビンと十六夜。

その場には“これ、どうするのよ”と言った顔のアルバート子爵と狐に化かされた様な顔のザルバとギース。


「なぁドレイク、これは一体何の肉なんだ?」

すっかり昔の口調にもどったギースの問い掛けに、苦笑交じりに言葉を返すドレイク。


「ギース、この辺にある山ってどこだと思う?そんなところに棲む中々見付ける事の出来ない亀の魔物。

その効果は子供を欲しがる夫婦が喜ぶようなもの。

オークキングどころの騒ぎじゃない食べる宝石、こんな事王侯貴族に知られてみろ、内戦止めて群がって来るぞ?」

疲れた顔で語るアルバート子爵に、言葉の詰まるギース。


「まさかエクアド「そこまででございます。どこに誰の耳があるのか分かりませんので」あぁ、すまん」

これ程の事態にも関わらずなぜか冷静な思考が出来る自身に驚きを感じるも、これ以上の詮索は止めようと決める。


「ドレイク、デイマリア様の件と言いパトリシア様の件と言いミランダ様の件と言い、独身の俺ではなんの力にもなれないが愚痴くらいなら聞ける。

今夜は久々に飲み明かそうか、いい酒を持って来てるんだ」

そう言い悪戯そうな笑みを浮かべ、ティーカップを手にするギース。


「嬉しい事を言ってくれるな、ご厚意に甘えよう。

ザルバ、お前も一緒にどうだ?」

「はい、お付き合いさせていただきます、アルバート子爵閣下」

慇懃に礼をするザルバの態度に、思わず吹き出す二人。


その夜、マルセル村役場の村長執務室では、談笑する男たちの笑い声が深夜遅くまで響くのであった

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