第325話 辺境子爵第二夫人、マルセル村の日常に触れる

春の農村は忙しい。土を起こし、肥料を撒き、畑を耕し、種を撒き。麦畑の草取りや春野菜夏野菜の準備と、今年の栽培計画を立て淡々と作業を行う。

騎士とは名ばかりの子爵家騎士団員は基本農家である。ある者は畑に赴き、ある者はホーンラビット牧場で兎たちや馬たちの世話に勤しむ。

皆がそれぞれに仕事を持ち、手隙の者など存在しない。


「ドレイク様、春の行商でバストール商会とモルガン商会に卸すビッグワーム干し肉とホーンラビット干し肉ですが」

「ビッグワーム干し肉に関してはマジックバッグに保管してある冬場に仕込んだものと、春になってからの仕込み分で足りるでしょう。

ホーンラビット干し肉は牧場のホーンラビットが冬眠から目覚めたばかりで痩せてしまっています、後一月は育てたい所です。

その頃には最初の出産が始まりますから、間引く個体にはよく注意する様通達を。

両商会には余剰分の野菜を放出しましょう」


そうなれば忙しくなるのは農民ばかりではない。各商会との折衝を行う領主側も多くの執務に追われる様になるのは必定である。


「デイマリア奥様、昨年の作付面積と収量の資料をお持ちいたしました。それとこちらは以前まとめたビッグワーム農法を始める以前のマルセル村の収穫量推移とビッグワーム農法を始めて以降の収穫量を比較した資料になります」

「ジェラルド、そこに置いて頂戴、どうもありがとう」


マルセル村から始まったビッグワーム農法、この画期的な試みはグロリア辺境伯領を救う一大革命であった。

デイマリアがマルセル村にやって来て最初に感じた事、それはあまりにも辺境らしくない牧歌的農村風景であった。

デイマリアは子供の頃からお転婆で、習い事よりも剣を振り回している様な女の子であった。それは成長しても変わらず、親の目を盗んではお付きの侍従を伴って街で冒険者の真似事をしたり、騎士団の訓練や遠征に紛れ込む様な事ばかりしていた。

元々の素質が優れていたのか努力の成果か、ジョルジュ伯爵家に嫁ぐ話がまとまった頃には領内でも指折り数える程の武人となっていた事は、相手方には決して言えない秘密であった。

そんな彼女であったからこそ辺境の実情はその目でつぶさに見て来たし、領内の食糧事情の問題も誰よりも真剣に捉えていた。


‟村の老人たちが瘦せ細るどころかあんなに生き生きと。これがビッグワーム農法の力だと言うの?タスマニアお兄様が本年度中には全ての村落でビッグワーム農法を行う準備を完了させると息巻いていたけど、これならば本当にグロリア辺境伯領の民が救われるかもしれない”


デイマリアはグロリア辺境伯家とジョルジュ伯爵家を繋ぐ橋渡しである事を自覚していた。であるからこそ積極的に伯爵家に尽くし、伯爵領の領民の為手を尽くした。

その教えは娘パトリシアにも受け継がれ、パトリシアは次期伯爵家夫人となるべく社交界での必要な所作ばかりか、領地運営に関する事柄迄積極的に勉強し吸収して行った。

だが親子の思いは夫であるジョルジュ伯爵により否定される事となる。妻を愛し娘を溺愛する最良の夫と思い込んでいた相手は、一方的な婚約破棄を言い渡された愛娘に罵声を浴びせ謹慎処分を言い渡し、妹のフローレンスとランドール侯爵家三男ローランドの婚約を認めると宣言したのだ。

これは実質的にグロリア辺境伯家との関係を断つと言っている様な物であり、ジョルジュ伯爵家における自身の立場が決定付けられた瞬間でもあった。


娘よりも家を取った夫、グロリア辺境伯家との関係を断ちランドール侯爵家に与すると判断したジョルジュ伯爵家。この家は自身のいるべき場所ではない。

貴族家における女性の立場は危うい。家と家との縁を結ぶ為、他家に嫁ぎその家の中での発言力を大きくする為に動き回る。実家の為に暗躍する事もあるだろう。

ともすれば一瞬でこれまでの全てを失う事さえも。

これもまた世の習い、要は自分たちは政争に負けたのだ。ジョルジュ伯爵家との縁が正式に切れたのはグロリア辺境伯家に戻ってしばらくしてからの事、現当主であり父のマケドニアル・フォン・グロリアがランドール侯爵家に対し挙兵する一週間前の事であった。


「パトリシアをランドール侯爵家嫡子ローランドの下に嫁がせる」


事態は目まぐるしく変化した。

ランドール侯爵家の策謀は時間を掛けグロリア辺境伯家の力を削ぐ事、領内に巣食う内患、身を削る思いで振るわれた大鉈により領内に吹き荒れた粛清の嵐。

ランドール侯爵家との武力衝突はグロリア辺境伯家の勝利で幕を閉じた。

そしてその背景に潜む王家の思惑も明確なものとなった。

グロリア辺境伯領は自治領としての道を決断し、王都から戻った次期当主であるタスマニア兄様が領地運営の主軸を担う様になって行った。


様々な出来事があったものの家族が一丸となりグロリア辺境伯家を盛り立てて行く、そう決心した矢先のダイソン侯爵家の独立宣言。

激しい時代の流れは愛娘の人生を翻弄し、地獄へと叩き落そうとしている。

そんな事態を許容する事など私には出来ないし、するつもりもない。


次期当主タスマニアに対する抵抗、それはグロリア辺境伯家の動乱において数々の武功を重ねたばかりかグロリア辺境伯領の民を救うビッグワーム農法を開発し、教会勢力との橋渡しとなる聖水布を作り出したアルバート子爵家へ嫁ぐ事。

娘を救い、且つグロリア辺境伯家の為に出来る最大の務め、それは武勇を誇るアルバート子爵家との橋渡しになる事。


時代の流れは止められない、話はすぐに纏まり、私は娘パトリシアと共にオーランド王国の最果てと呼ばれるマルセル村へと向かった。


均一に整えられた街道、領都や王都でもここまで振動のない道など見た事もない。

潤沢な食料、大勢の人間が突然やって来たにも関わらず、それを笑顔で許容し村人に一切の負担を掛けない備蓄量。

肌艶の良い村の女性、よく見ればその衣類は全てキャタピラーの攻撃糸繊維で作られている。

出されたお茶の清々しくおいしい事。

これが辺境、これがマルセル村。

誰の助けも借りる事なく自分たちの努力と創意工夫で周辺五箇村農業重要地区入りを果たした奇跡の村。


「いや、本当に助かります。アルバート子爵家における事務方の人材不足は深刻だったんです。

子爵邸建設の目処も立っておらずご不便ばかりお掛けして申し訳ないばかりか、村の運営も手伝っていただいて。本当に何と申していいのか」

「ドレイク様、お止め下さい。私は嫁いできた身、正しくは押し掛けて来たよそ者です。

ドレイク様にとっては負担以外の何物でもないと言う事はよく承知しております。ですがこれはグロリア辺境伯家の為には必要な事、何卒貴族の習いと矛をお収め下さい。


いえ、これはいい訳ですね。私はただ娘可愛さに暴挙に出た、貴族の習いと言うのならパトリシアはランドール侯爵家に嫁がせるべきだったのかもしれません。

ですがそれではあまりにあの子が不憫すぎる。みすみす世間の晒し者になる道を、母親として見過ごす事が出来なかったのです。

その為に他人であるドレイク様にご負担を掛けおすがりしている、本当に自分勝手な女なのです。

どうか私に仕事をお与え下さい、私を好きに使ってください。

その代わり娘は、パトリシアは。

パトリシアの事、よろしくお願いします」


ドレイク・アルバート子爵。辺境の寒村から冬の餓死者を無くした英雄、様々な改革で村を豊かにした奇才、鬼神ヘンリー・剣鬼ボビー・アルバート子爵家騎士団を従え、自身も一角の剣士である智将。

だがその本質はマルセル村を愛し、村人の幸せを願う心優しき村長。

そんな彼の心根を利用する、とても醜く自分勝手な自分。

まさに貴族といったそんな自分が嫌になる。

だが私の心は変わらない。娘パトリシアの幸せ、それが一番であり全て。

私はどうなっても構わない、どうかパトリシアを。


デイマリアはドレイク・アルバート子爵に「ご心配いただきありがとうございます」と礼を述べると、再び執務に戻る。

自らの有用性を示し、マルセル村にとって必要だと思って貰う為に。自身の働きが娘パトリシアの幸せに繋がるのだと信じて。


―――――――――


「お母様、只今戻りました」

マルセル村にやって来て一月、これまでにない快活さと明るさを見せるパトリシアに、自然笑顔になるデイマリア。


「おかえりなさいパトリシア。今日も実験農場に行っていたの?」

「はい、今日は団子先生と疑似ボール魔法で遊びましたの。

団子先生の教えは素晴らしいですわ。

‟魔力は己と共に在る。魔力とは想い。心を鎮め、自然と一体になった時、魔力とは何かが掴めるだろう”

団子先生の教えは魔力の本質に通じる道なのですわ」


・・・パトリシアはマルセル村に来てホーンラビットに弟子入りしてしまった。団子ちゃんと言えばケビン君の従魔で普通のホーンラビットより一回りは大きな個体だったはず。

最初その話を聞いた時は本気で心配したものだったが、マルセル村では魔物に弟子入りする事は普通の事らしかった。

確かミランダ様のお子様のエミリーちゃんも幼馴染のジェイク君と一緒にスライムに戦闘訓練を受けているとか。

その話を聞かされた時は、領都から来たよそ者である自分が揶揄われていると思ったものだった。

鬼人族と言う異種族の白雲君とスライムの大福先生との戦闘訓練を見せてもらった時は、余りの光景に思考が止まった程であった。

その隣で行われていたホーンラビットの白玉師匠とケビン君の組み手などは、“どこの勇者様?”と思ったものである。


「そう、それでその疑似ボール魔法というのはどういったものなの?」

「はい、少し待ってくださいね」

そう言いパトリシアが作り出したモノ、それは黒い闇のダークボールと真っ赤に燃えるファイヤーボール。そのどちらも本来闇と火の魔法適性のないパトリシアには作り出せないはずのもの。


「・・・えっと、これは」

「はい、闇属性と火属性の疑似魔力ボールです。元々魔法属性のある風と水は割とすぐに出来たんですけど光と土が難しくて。

まだまだ訓練が足りません。

これも<魔力纏い>の応用なんですが、<魔力纏い>は覚えてからが始まりだとか。どんな道も奥が深いです」

そう言い作り出したボール魔法でお手玉をするパトリシア。

・・・えっ?<魔力纏い>って所謂<魔纏い>の事よね?

確か相当な高等技術の筈じゃ・・・。


「あっ、<魔力纏い>はメイドたちも全員覚えましたよ?なんでもマルセル村の冬は寒すぎて<魔力纏い>が出来ないととても辛いんだとか。<魔力纏い>は村人の基本技術なんだそうです。

それと今は<覇気>の習得訓練もしています。何でも<覇気>は若さを保ち美容にも最適なんだとか。

マルセル村の最新の流行は、<覇気>を習得し水を弾くプルプル肌になる事だそうです。

これは村のお婆さんに教わって、ケビン様に頼み込んで訓練して貰ってるんです。皆さん本当に肌艶が良くって、メイドの皆も真剣そのものなんですよ?」


・・・この子は一体何を言ってるのだろう?

<魔纏い>に<覇気>?村のお婆さんに聞いた?

えっと、もしかしてマルセル村では<魔纏い>と<覇気>の習得が普通なの?

さり気なくパトリシアに付けていた若いメイドに目を向ける。

メイドはこちらの意図を察したのかコクリと頷きを返した。

そんな彼女にそっと近付き、「後で詳しく」と迫るメイド長のカミラ。

あなた目が真剣過ぎよ?はしたないからちょっと控えなさい。


「そう、パトリシアも頑張ってるのね。また色々教えて頂戴」

「はい、お母様。

そうそう、ケビン様が近々バルカン帝国がヨークシャー森林国に攻め入るはずと仰っていました。

何でも今回のダイソン侯爵家の独立騒動の裏にはバルカン帝国が付いてるそうです。“国内の各貴族家は王家の圧勝と噂している筈だが決してそうはならない、戦争は長引きなし崩し的に独立が認められるはずだ”とも。

バルカン帝国としてはオーランド王国の内戦が長引けば長引くほど有利になる為簡単には終わらせない筈と言うのがケビン様の分析でした」


「・・・はっ?バルカン帝国の侵攻?ヨークシャー森林国へ?

ヨークシャー森林国にはヘイゼルお姉様が嫁いでいらっしゃるのよ!?」


自分の都合だけで一方的に結んだ政略結婚。でもそれはグロリア辺境伯家にとってとてつもなく重要な繋がりを作り出す一手。

デイマリアは自身の判断が正しかったと確信すると共に、マルセル村の賢者ケビン・ドラゴンロードの深謀に戦慄を覚えるのでした。

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