第324話 帝国の呪術師、魔境に散る

‟ハァッ、ハァッ、ハァッ”

激しく打ち付ける鼓動、荒い息、体中が重く今にも倒れそうになるも足を止める事は許されない。


「先に行け!!くそ、何だってジャイアントスネークの特殊個体なんてもんが。馬車すら一飲みにしそうなあんな大物、一体どうしろってんだよ。

俺がなるべく時間を稼ぐ、お前らは使命を果たせよ、先に逝く!」


‟ドガン、ドガン”

後方から響く投擲とうてき炸薬の爆発音、それは兵士の一人がいまだ頑張って時間を稼いでくれている証拠。

だが炸薬の数にも限りがある、これも長くは持たないだろう。


「振り返るな、我々は既に魔境領域に達している。

我々の使命は解術反応のあった現場の確認、それが帝国にとっての脅威となるのかの見極め。

命を惜しむな、思いを繋げろ。バルカン帝国に栄光あれ!」

「「「「バルカン帝国に栄光あれ!!」」」」


事の始まりはヨークシャー森林国での作戦であった。

ヨークシャー森林国は精霊との契約により国民全員が強力な魔法を行使する魔法大国。その力は契約する精霊の格の高さに比例し強くなる。

我々の使命は貴族の欲を煽り、陰謀に見せ掛け国内最大戦力でもある精霊姫を亡きものにする事。精霊姫とは高位精霊との契約を果たした精霊に愛されし者に与えられる敬称であり、今代の精霊姫はこれまでの歴史の中でも群を抜いて強力な精霊との契約を果たしたと噂される人物であった。


作戦は見事に成功、精霊姫は‟愛の試練”を模したゴブリンの呪いを受ける事で精霊から見放され、結果的にヨークシャー森林国の防衛力を大幅に削る事に成功したのであった。

だがそこに不安材料が残された。件の精霊姫の行方が分からなくなったのである。

既に呪いによりゴブリンの姿となった精霊姫は、素体となったゴブリンが寿命を迎える二年以内には確実に死ぬ。だがそれまでに何らかの方法で呪いを解術されてしまったのなら。

そんな我々に呪術師より齎された最悪の知らせ。


「愛の試練が解術されました。死亡ではありません、解術です」

「なんだと?それは間違いないのか!」


「はい、今解術された場所を確認します」

広げられた地図、呪術師が呪文を唱え、解術地点を指し示す。


「・・・本当にこの地点なのか?」

「・・・はい、術式からの反応は確かにこの地点を指し示しています。私は誓約により虚偽報告は出来ませんので」

そう言い首のチョーカーをさする呪術師の言葉は、疑う余地もない。


「分かった。直ちに調査隊を編成、確認に向かう。そちらからも人員を頼む」

「・・・分かりました。直ちに準備に入ります」

そうして向かった第一次調査部隊は、出発から三週間、大森林深層で消息を絶つ事となった。


「冬季期間の調査ですか?場所はフィヨルド山脈ですよね?正直自殺行為ですね。

確かに冬季期間は魔物の活動は少ない。大森林を抜ける事は容易でしょう。ですが冬山の厳しさはその魔物たちの活動を抑え込むほどに厳しい。山に慣れた者ですら生きて帰れるかどうか、そうでないものであるのなら死にに行く事と同意義です」


山岳調査を専門とする冒険者の言葉は絶望的な現実を突き付けるものであった。だが帝国軍人として命令は絶対であり、調査に行かないと言う選択肢はなかった。


「走れ!岩壁沿いに山頂を目指す。ジャイアントスネークの巨体ならこれ以上先には追って来ない筈だ。

気力で走るんだ!」

根拠など無い、ただの願望。だがそれでも部下に声を掛け、鼓舞し、先に進まなければならない。


‟キュワッ”

上空より響く魔物の鳴き声。

身体を覆う様に掛かる黒い影。


「糞ったれ、何だってワイバーンの群れが!!」


ここは魔境、人類が踏み込む事の許されない魔物の国。

精霊姫の解術は、我々の様な愚かな人間を誘い込む為の悪魔の罠だったのかもしれない。

迫り来るワイバーンの開かれた口が、我々の目にする最後の光景となった。


――――――――――


詰まらない人生だった。

物心付いた時にはどこかのスラム街で日々食べ物を探し彷徨い歩いていた。ゴミを漁り、物を盗み、追掛けられ、殴られ。

死ぬんだと思った事は一度や二度じゃなかった。

兵隊によるスラム狩りに捕まった時は絶望よりも安堵の気持ちがあった事を覚えている。

これで漸く死ねる。自分から死ぬことは怖かった。お腹が空く、ただそれだけの理由で生き残り続けた。


だが与えられたモノは安らかな死ではなく、終わる事の無い地獄だった。訓練と言う名の拷問、弱い者は死んで行く。

集められた子供は一人、また一人と消えて行き、生き残った数名が集められそれぞれの施設へ送られた。


私達が送られた場所は呪術師の養成所であった。

貴族社会では呪術は日常、日々呪い呪われる彼らはそうした対策の為に解術の行えるものを必要とし、呪いを防ぎ呪いを行える者を欲した。

それは何も貴族に限らず国の戦力としても呪術の有効性は認められていた。

私達はそんな国家の為の礎として忠誠を誓わされ、死の誓約を刻まれて、呪術の習得と研究を行わされる様になった。


「お前たちにはヨークシャー森林国における特殊作戦に参加して貰う」

配属されたのは他国の精霊姫と呼ばれる人物の呪殺作戦部隊。

国内を混乱させ防衛力を削ることが主な目的との事であった。

ただ殺すのではなく確実に精霊姫としての力を削がねばならないとの事であった為、ヨークシャー森林国の精霊と精霊使いに関する資料を徹底的に分析、比較的容易に仕掛ける事の出来る‟愛の試練”を基にしたゴブリン化の呪いを作製、生贄になる雌ゴブリンを用意し作戦を行った。


作戦は見事成功し、精霊姫は精霊との関係を絶たれゴブリンの姿になる事となった。

私達は再び養成所に戻され呪術の研究を行う生活に戻る、そう思っていた。


「愛の試練が解術されました。死亡ではありません、解術です」

その反応は不意に齎された。公爵家が精霊姫の解術の為様々な手を尽くしている事は分かっていた。だがそう易々と解術出来る様な術式は組み込んではいない。

ヨークシャー森林国の様な呪術後進国にどうにか出来る程、帝国の呪術は甘くない。

一年数カ月に及ぶ公爵家のあがき、それは涙ぐましいと言わざるを得ないものであった。


「公爵家は精霊姫を表向き病死とする事にしたそうだ。ただ流石に国内では醜聞となる。治療の為隣国オーランド王国に赴き、そこで不幸にも盗賊に襲われると言った筋書きらしい。

まぁ失敗したところでゴブリンが二体、長生きする事は難しいだろう。

お前たちは死亡反応が来た際の報告を頼む」


部隊長からの通達は然もありなんと言ったものであった。公爵家としてはいつまでもゴブリンになった者を庇う事など出来ない。これは貴族としての当然の判断であったのだろう。

だが人々の思惑に反し死亡の通知が来る事はなく、一月、二月と時間だけが過ぎて行った。


「・・・本当にこの地点なのか?」

「・・・はい、術式からの反応は確かにこの地点を指し示しています。私は誓約により虚偽報告は出来ませんので」


そして送られて来た反応、それは解術されたと言うもの。

その意味するところは精霊姫の生存。

帝国として、ヨークシャー森林国に精霊姫が復活する事は何としても防がなければならない。

その為にはその手掛かりとなるであろう解術地点に向かわなければならない。

だが解術反応が指し示す場所、そこは魔境フィヨルド山脈のど真ん中。

なぜ、どうして、これは間違いではないのか。

そんな思いがよぎるもこの事実は変え様がない。


「それじゃ先に逝く。俺たち駒に選択肢なんか端から無いからな」

選ばれたのは共に作戦に加わった男性呪術師。B二十四、それが彼の登録ナンバーだったか。


「第一次捜索隊が大森林深層部で消息を絶った。B二十四の反応もその地点で切れた様だ」

これが私達のもう一つの役割。自身の生命の終わりが部隊がどの地点で消息を絶ったのかを示す目印となるのだ。


「くそ、D十六、お前だけでも生き延びろ!」

‟ドンッ”


身体を襲う衝撃、一瞬の浮遊感、遠ざかる兵士たち。

咄嗟に自身に石化の呪いを掛ける。

これはただのあがき、崖からの落下の衝撃は生身の身体では耐えられない、かと言って石化した身体が耐えられるのかと聞かれれば疑問しか残らない。

少なくとも痛みの回避には繋がる、後は呪いが解除された時に考えればいい。


‟ドガンッ、ガコンッ”

走る衝撃、何かが割れる音。

未だに意識が残っていると言う事は命はあると言う事。だが石化を解除して果たして生き残れるのか。


あれからどれ程の月日が流れたのか、徐々に薄れ行く意識、思い出される過去。


‟詰まらない人生だった”

最早死は免れないだろう。痛みに悶え苦しむか、このまま石化した状態で何時か終わりを迎えるその時を待つのか。

石の人生、それも悪くないかもしれない。人の世は私には厳し過ぎた。


「へぇ~、何これ、面白い。月影、これってどう言う状態なの?」

「はい。おそらくは石化、そうした事を行う魔獣もいますが、場所と状況を考えるに緊急避難的に自身に石化の呪いを掛けたものかと。そう考えても状態が無事だったことは奇跡と呼べるのではないかと」

何か周囲で人の話し声の様なものがする。

だがこんな場所に人が来るなどあり得ない。仮に人が足を踏み入れたとして自分を発見する事など、砂漠に落とした小石を見つけるに等しい。

心のどこかに残っていた生きたいと言う気持ちが作り出した幻聴?自身にそんな気持ちが残っていた事に驚きを覚える。


「ねぇ月影、一つ気になるんだけど、石化した生き物は生きてるって換算されるのかな?それとも死んでる扱いなのかな?

いや、石化した生き物って重いと思うんだよね、手元に解術薬が無い場合その場に放置なのかなと思って。

マジックバッグに仕舞えるんだったら移動も楽じゃないかなって」

「さぁ、その辺の事ははっきりとは。ただ冒険者が石化した仲間を持ち帰ったと言う話は聞いた事がありますから、もしかしたらマジックバッグに入れて来たのやもしれませんが」


「うん、これは実験してみる価値が有るよね。もし成功すれば石化の価値がグンと上がると思うんだよね」

「確かに。捕虜を取るにしても衣食住は必要です。ですが石化であればそれもいらない。更にマジックバッグに収納できれば場所も取らない。

実験する価値は大いにあるかと」


何やら不穏な事を話し合う声。呪術の養成所でも様々な実験を行って来た、そんな記憶が反映されたかのようなその幻聴に、つくづく呪術まみれの人生だったのだと苦笑する。


「<収納>」

そう言われたと思った瞬間、意識が完全に途切れるのだった。



「やぁ、お目覚めかな?」

声が聞こえる。ゆっくりと覚醒して行く意識、何か硬い床に寝かされていることに気が付く。

瞼が開く。自分は一体どうしたと言うのか?

上体を起こし辺りを見回す。周囲が淡い光に包まれている、これは床から発せられる光か?

高い天井にはいくつもの光の玉が浮かび、薄暗い空間を幻想的に彩る。


「うん、どうやら大丈夫そうだね。自分の事は分かるかな?」

「私はバルカン帝国特殊作戦部隊所属、呪術師D十六」

掛けられた問いに、自身の口が勝手に答える。

上官でもない者の問いに答える、ましてや身分を名乗る事などしないように訓練されているし、出来ない筈なのに。


「そう。それでD十六はどうして魔境に?」

「解術反応のあった対象者の生存確認の為。解術が行われた反応の場所が魔境の中心部だったから」

作戦内容についてもベラベラしゃべる自分。だがその事に対し何の抵抗感も苦しみも感じない。


「それじゃ、もしかしてゴブリンになる‟愛の試練”は君が考えたのかな?」

「私一人ではなく呪術のチームで考えたもの。共に作戦行動についていた呪術師は、既に死亡通知が届いている」


「ふ~ん、それじゃあ君に掛けられた各種術式を解いたら、当然その通知もバルカン帝国に届いちゃったりするのかな?」

与えられた問い掛けに、返答の言葉が止まる。

“掛けられた各種術式を解いたら?”

その問いの意味が分からず思考が停止する。


「あぁ、こちらの質問の意味が分からない、その顔はそう言った感じかな?

君は石化の呪いに掛かっていた、それは分かるよね?そして今は動く事も出来れば話をする事も出来る。

手足も粉々に砕けていたからついでに治しておいたよ」

その言葉に初めて自分の手足があるどころか、身体のどこにも不快感がない事に気が付く。

私は崖から落ち、自身に石化の呪いを掛けた。奇跡的に意識を保つ事は出来たものの、呪いを解いた途端死んでもおかしくない状況だったはず。


「分かったみたいだね。今の君には一切の怪我も病気も呪いすらもない。君は全く新しい自分になった。

前に来た子はゴブリンになってたかな?

本当に人間って面白いよね」

そう言いくすくすと笑う声。

私はゆっくりと声のする方に顔を向ける。


“コツンッ、コツンッ、コツンッ”

漆黒のコートを纏い目深にフードを被ったその人物は、ゆっくりと歩を進め、私の傍にやって来る。


「D十六、君はどうしたい?もはや君を縛るものは何もない。

帝国に帰るもよし、他国に向かうもよし。多少の手は貸そうじゃないか。

君は一体何がしたいんだい?」

その人物はそう言うと、どこか楽し気にジッと私の答えを待つのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る