第288話 村人転生者、領都へ赴く (3)

それは厳しい戦いであった。

領都への旅、モルガン商会行商人ギース氏から齎されたジニー師匠の著書<スライム使いの手記>の製本版完成の知らせは、俺の心を躍らせ旅の出発を決断させるに余りあるものであった。

すぐにでも領都に向かいその至宝の名作をこの手に取りたいと言う思いはあったものの、その行動はドレイク・アルバート子爵様より押し止められる事となる。

曰く、領都に向かうのなら行商人ギース氏と共に移動し、帰りに長期休みに入るケイトを連れ帰って欲しいとのこと。

冬場の行商は過酷である。多くの魔物が冬眠期に入るとは言えまったく魔物が出ないかと言われればそうではない、更に言えば冬の飢えに耐えかねた農民が盗賊化する事などよくある話。

そしてそれに輪を掛ける様に、厳しい寒さが行商人たちの行く手を阻む。

そんな過酷な旅をしてまでこの朗報を届けてくださった行商人様を置いて一人領都に向かう程、俺の心は薄情ではない。

与えられた恩には行動をもって返す。人として当たり前の事が出来ない様な者が生き残れるほど、この辺境の地は甘くないのだ。

辺境の寒村で村人たちが飢えをしのぎ生き長らえる事が出来たのは、互いの結束と助け合いの精神があったからに他ならないのだから。


だがこの領都への旅は、一つの不安材料を引き寄せる事となる。

畑の番人、隠れ住みしエルフ族の姫アナスタシア・エルファンドラの同行であった。


――――――――――


アナスタシアの心を動かしたもの、それは“ケビンとケイトちゃんの二人旅、そんなウラヤマけしからんもの許してなるものか!”と言う嫉妬心。

そして一度マルセル村を出てしまえば、そこに待っていたものは穏やかで快適な幌馬車の旅。

これまでも多くの旅を経験して来た。普人族のエルフ狩りに追われ、仲間とは散り散りになり、流れ流れ辿り着いたオーランド王国の最果て。

アナスタシアにとって旅とは辛く厳しく、そして命懸けのもの。悲しみも苦しみも生きていてこそ感じる事の出来る思い。


こんなところで負けてなるものか、生きて生きて生き抜いてやる。

そんな意地だけで、ただ生き延びる事だけを考えて過ごして来た。

そんな自分に与えられたこの穏やかな時間。

カタコト揺れる幌馬車の振動も、眠りを誘う子守唄の様に心地よい。

御者台には手綱を握る青年の姿、自身に穏やかな時間と安住の地を齎してくれた愛しの人。

彼は偉ぶらない、要求しない。これだけの恩恵を、これだけの幸福を与えておきながら“そうですか?それは運がよかったですね”とさらっと受け流す。

感謝の言葉も熱い想いも、引き攣った笑顔で誤魔化そうとする。


「俺なんて旅立ちの儀も迎えていない子供ですから」

確かに彼の背は低い。お義母様のメアリーさんにも届かない背丈に、「俺の成長期はこれからだ!!」と抵抗する姿も微笑ましい。

だがその精神性は長い時を生きるエルフの長老もかくやといった老獪さと思慮深さを兼ね備えたもの、長命種の何者かが姿を偽っていると言われた方がまだ納得出来ると言うほどのもの。

彼と過ごしてきた日々、それは驚きと興奮と発見の日々。彼の与える衝撃的な事象の数々は、自分がいかに狭い世界で凝り固まっていたのかを教えると共にそんな頑なな思考と心を粉々に打ち砕いた。

与えられた未知の数々、世界とはこんなに広く美しいモノなのかと、目を閉じていては見えなかったものが見えてくる喜び。

毎日が新鮮で、毎日が笑顔に溢れている。


そんな彼と共に向かう領都への旅、これほどうれしい事はない、これほどの機会もない。

共に過ごす宿屋の一室。男と女、二人だけの夜。

初日の夜は無粋な冒険者に邪魔されてしまったけれど、焦る事はない。

領都までの旅路はまだ始まったばかりなのだから。


―――――――――


それは厳しい戦いであった。

旅の初日、宿屋で男女別の部屋割りを提案するも“行商人様方をおまけで付いて来た者が煩わせてはいけない”とあえなく却下。

連れて行かれた二人部屋、何とも言えない妙な空気になった二人きりの空間。だがそこは部屋の扉を叩く護衛冒険者ソルトさんの訪れにより危機を回避。

冒険者パーティー“草原の風”の真剣なお悩み相談のお陰で、事なきを得るに至った。

二日目以降の移動は“帰りの行程での行商はしない”と言う行商人ギース氏のお言葉から、モルガン商会の幌馬車を収納に仕舞い俺の幌馬車での移動を提案。引き馬のクリスティーヌには俺が魔力によるアシストを行う事でより早い移動が可能となる事を説明し、これが採用された。

ただこうなるとアナさんのご機嫌がやばいことになり夜の危険がデンジャーになる為、収納の腕輪から馬具を取り出しクリスティーヌにセット、「一緒に乗馬を楽しみませんか?」とお誘いし御機嫌を取る事に成功。

アナさんはとってもご満悦、その晩はオークの森の手前ラッセル村の宿にて早々に就寝と相成りました。

その後も旅は順調に進み、魔物に襲われることも盗賊に襲われる事もなく明日は領都グルセリアと言った地点まで僅か六日で辿り着く事が出来ました。


街や村の宿に泊まるのに従魔登録もしていない太郎はどうしたのか?そんなもの俺の影空間にサクッと隠して不正持ち込みですが何か?行商人ギース氏がやたら驚いていましたが、「スキル<魔物の雇用主>の能力です。こうして使役魔物を仕舞い込む事が出来ます。この力があればこそテイマーである俺でも快適な旅が出来るんですよ」と言ったら感心した様に納得されていました。

嘘は言っていませんよ?<魔物の雇用主>の能力で借り受けたブラッキーの<影魔法>の発展形ですから。細かい説明をする気もないですけどね。


「ケビン君、正座」

“ササッ”


厳しい戦いであった。

三日目のミルガルの夜は街の料理を楽しもうと食事処で大いに騒いだ際、気合の入り過ぎたアナさんがエールを飲み過ぎて自滅。四日目は前の晩のお酒が残ったアナさんが幌馬車に揺られることでそのままアウト、五日目の晩は護衛冒険者パーティー“草原の風”の二人が再び部屋を訪れて<魔力纏い>の成果を披露、アドバイスを求めて来たのでその指導、そして六日目の今に至ったと言う訳である。

いや~、頑張ったな、俺。

お前確か物凄くよく効く酔い覚まし薬を持っていなかったかって?あぁ、そんなものもありましたね~。聞かれなかったからすっかり忘れてました、物忘れって誰にでもありますよね~。

うっかりミス、玄関の鍵の閉め忘れ。コンロの火の消し忘れで火事が起きる事件ってよくあるそうですよ?物忘れって怖いな~。


「ケビン君、話を聞いてますか?また明後日の事を考えてませんか?」

「はい、聞いているであります!余計な事など微塵も考えてないであります!」


目の前にいる柔和な笑みを浮かべる女性。

流れるような美しい銀糸、横に伸びた長く大きな耳、王都の芸術家たちが皆してため息を漏らしそうなその面立ち。

そこにいる者はまさしく伝説に謳われる世界樹に愛されし民、生きる宝石、ハイエルフの姫君。

でもアナさんや、こんなところで姿を晒していいんですか?大変危険な行為なんじゃ、この部屋全体に結界が張ってあるから大丈夫と、人除けの呪いも重ね掛けしてあるから近寄ろうとも思わないんですか、それは凄いですね、流石はアナさんです。


「それでなんで正座しているのか分かっていますか?」

「いえ、まったく分かっていません!」


「そうですか、変に誤魔化さないところはケビン君の美徳ですね。それではちゃんと分かる様にその身体に・・・」

「まずは言葉での説明をお願いします!自分、肉体言語は苦手なものでして!」


「チッ、仕方ありません。それではケビン君にも分かりやすいように説明しましょう。ケビン君はこの旅の目的が分かっていますか?」

「はい、行商人ギース氏が無事領都に辿り着けるように手を貸す事、領都学園へケイトを迎えに行く事、ジニー師匠の著書<スライム使いの手記>の製本版を手に入れる事。表向きの理由はこの三点となります。

裏の理由としてはおそらくグロリア辺境伯家からの呼び出しがあるかと。

前回はケイトの入学式でしたか、なんやかんや言って引き止められている最中にお城からハロルド執事長様のお迎えが来てそのまま連れ去られたんですよね~。

今回はパトリシアお嬢様関連でのお呼び出しかと、マルセル村出発の時にアルバート子爵様もいい笑顔でそうおっしゃっていましたしね、俺もその意見には賛成いたします」


俺の言葉に一瞬動きを止め、じっとこちらの顔を覗き込むハイエルフ。美人の無表情、超怖いんですけど。


「パトリシアお嬢様と言うのは以前マルセル村に訪れた儚げな美しいご令嬢の事ですね?もしかしてケビン君は私を捨ててそのお嬢様と・・・」


「アナスタシアの身体から溢れる黒い靄、それはまごう事なき闇属性魔力。

ハイエルフの姫はその心の葛藤からついに闇落ちをって何を考えてるんですかあなたは、そんな事ある訳ないじゃないですか。

あのですね、俺はついこないだまで平民だった辺境の村人ケビン君ですよ?今は名目上騎士家の長男ですが、準貴族って正確には貴族じゃないんですよ?

片やパトリシアお嬢様は王家に連なる辺境伯家のお孫様であり伯爵家のお嬢様。

言うなれば天翔けるドラゴンと地を這うキャタピラー、比べる事すらおこがましいほどの身分の差があるんです。

下手な邪推は頭と体がサヨナラバイバイですよ、本当に気を付けてくださいね?」


ケビンの呆れ交じりの冷静な物言いに途端頭の醒めるアナスタシア。確かに彼の言う通り、巷で流行りの創作物語じゃあるまいし、貴族と平民の恋物語などありうるはずもない。


「でもケビン君は私に全然興味がなくって、この旅の間も全くそんな素振りを見せなくて。私なんかまったく魅力がなくって、私は、私は・・・・」

知らず知らずに零れ落ちる涙。これまで抑えてきた感情が、寂しかった、悲しかった、恐ろしかった、縋りたかった。

自分でも気が付かないうちに抱え込んでいた様々な想い。

愛したい、愛されたい、不安で不安で堪らない。

複雑に絡まる感情の渦が、激情となって心を搔き乱す。


“ハァ~~”

大きなため息を吐き立ち上がるケビン。

彼はそのままアナスタシアに近付くと、泣き崩れ、幼子の様に震える彼女をやさしく抱き締める。

アナスタシアは一瞬ビクッとするものの、そのままケビンに身を任せる。

ケビンはアナスタシアの頭をやさしく撫でながら、耳元でそっと囁く。


「大丈夫、俺はマルセル村のケビン。アナスタシアを捨ててどこかに行ったりなんてしないから。

俺がこれまでどれだけ準備をして来たと思ってるの?マルセル村で快適に暮らす、その思いが変わる事は無いよ?これまでも、これからもね。

まぁなんやかんや言って突然どこかに出掛けたり、長いこと帰ってこなかったり、危険な事をして心配かける事もあるかもしれないけど、俺が帰ってくるのはマルセル村でありアナスタシア、君の元であることは変わらないんだよ?

アナスタシアは何が不安なの?俺が一度としてアナスタシアを拒絶した事があったかい?

俺が苦しい時、辛いとき、悩んでいるとき。常に傍にいたのはアナスタシア、君だっただろう?俺はすでに家族のようなつもりだったんだけど、アナスタシアは違ったのかな?」


ケビンの言葉に顔を上げ首を横に振るアナスタシア。

ケビンはそんなアナスタシアにニコリと笑みを向け、収納の腕輪から取り出したハンカチで頬の涙をそっと拭う。


「さぁ、その涙を拭いて?いつも明るいアナスタシアには、そんな辛そうな顔は似合わないよ?

明日はいよいよ領都グルセリア。領都に着いたら一緒に買い物でも行こうか?観光地巡りもいいかな、面白い場所を知ってるんだよ。

夜も遅い、今夜はもう寝ようか?

アナスタシアがぐっすり眠れるように傍にいてあげるから」

ケビンはそう言うとアナスタシアの両肩を抱え、ベッドへと連れて行く。

アナスタシアはケビンに促されるままベッドへ入ると、懇願するような小さな声で、「一緒に寝て欲しい」と訴え掛ける。

ケビンは苦笑しながらも「いいよ」と答えると、そのまま布団に入り、アナスタシアの背中をポンポンと子供をあやす様に叩くのであった。


すやすやと寝息を立てて眠るアナスタシア。そんな彼女に優し気な笑みを向けるケビン。

ケビンは思う、“ミッションコンプリ~~~ト!!”と。

厳しい戦いであった、逃れえぬ状況であった。だがそんな戦場で男は戦い生き延びた。

守られた貞操、チェリーボーイはいまだ散らず!!

ヘタレと笑うなら笑うがいい、これが俺の生きざまなのだから!

六日目の夜が更ける。

激戦を終えたケビンは戦いの余韻に浸ることなく、気を失うかのように意識を手放すのであった。

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