第282話 元ギルドマスター、森の視察に訪れる (4)

「それじゃこれから魔の森に向かいます。すでにホーンラビット達は冬眠期に入っていますんで森の脅威も少ないですが、危険地帯である事には変わりありません。

十分注意してください」


そう挨拶をするケビンの姿は、正に森の狩人と言ったもの。腰に回したポーチ付きのベルトには剣鉈を備え、防御より動き易さを重視した格好をしている。


「まぁそうは言ってもこの森に出る魔物はホーンラビットにボア、マッドボアにフォレストウルフと言った所ですから、お二人にとっては脅威でもなんでもないでしょうが。

それに太郎もいますしね。太郎、周囲の警戒は任せたぞ!」

“ガウッ”


ケビンはそう言うと隣に控える大きな体格をした黒いウルフ種の首を撫でる。


「ねぇロイド、あれってどう見てもブラックウルフに見えるんだけど、私の気のせいじゃないわよね?」

エミリアの問い掛けにロイドは疲れた様な声音で言葉を返す。


「あの身体的特徴、毛並み、全体から漂う気配。どこをどう見てもブラックウルフ、それもかなりの上位個体じゃないでしょうか。

こんな個体が現れたら金級冒険者パーティーが二パーティーは必要、それこそギルド長に出動をお願いしないといけないかもしれませんね」


「ハハハ、そうよね。そう言えばあなたこっちに来る途中でブラックウルフの首輪がどうこうとか言ってたわよね。今なら撫でれるわよ?」


「冗談はやめてください、あの発言は謝ります。

テイマーのテイム魔物に手を出した馬鹿がどうなるのかって事ぐらい、俺が知らない訳ないじゃないですか。ミルガルの受付で何度そんな馬鹿を見たことか、その対処に当たっていたのも俺なんですから」


エミリアとロイドがそんな会話をしていると、太郎を撫でていたケビンがロイドに顔を向ける。


「えっと、ロイドさんは太郎を撫でたいんですか?

良いですよ、別に。太郎は大人しいですから噛まれる事はありませんので。

その代わり優しく撫でてあげてくださいね。

観光客の中には乱暴な子供もいましてね、太郎も困ってるんですよ」


何気に言ったケビンの言葉。観光客の子供がブラックウルフを撫でてる?しかも乱暴に?それで被害が無いとでも言うのか?


「えっと、別に子供に被害なんてないですからね?その代わりちゃんと保護者の方にはお説教をして貰っていますが」


「あぁ、そうなのか?それじゃ遠慮なく。

おぉ~、何だこの滑らかさは、今までこんなブラックウルフの毛皮を触った事なんかないんだが!?」


「フフフ、そうでしょうそうでしょう。ウチの太郎の毛並みはグラスウルフ隊の更に上ですからね。美味しい食事と日々の手入れ、愛情を込めたブラッシングがその秘密です。

どうです?ウルフ種の魅力は。堪らないでしょ?」

「うっ、た、確かに。これは貴族共がこぞってウルフ種をテイムしたがる訳だ」


「イヤイヤイヤ、そんなお貴族様と一緒にしないでいただきたい。彼らは格好付けの為だけにウルフ種を側に置いているだけ。重要なのは愛情ですよ、愛情。

ワンワンは愛情を注ぐべき家族なんです!」

そう言い「な~、太郎~。太郎は賢いですね~」と言って首筋をわしゃわしゃ撫でるケビン。そんなケビンの様子にドン引きのエミリア。


「えっとケビン君、そろそろ出発して貰ってもいいかしら?時間も無駄には出来ないし」

「あっ、そうですね、すみませんでした。それじゃ早速向かいましょう」

ようやく動き出した一行、そんな中ロイドだけが先ほどまで太郎を撫でていた右手を見詰め、残念そうな顔をするのでした。



魔の森を進むこと暫し、森の中に魔物の気配はせず、ブラックウルフの太郎が警戒する中、目的の老木と呼ばれるトレントのいる地点へとやって来たのだが。


「これが老木?見事な大樹としか言いようがないのだが」

ロイドの上げる声、それももっともであった。

魔の森の中にそこだけぽっかりと開けた広場、その丁度中央に佇む一本の巨木。


「おいっす、神代様。ちょっと今日はお客様をお連れしたから。

こちら冒険者ギルドミルガル支部のエミリアギルド長と受付職員のロイドさん。そうそう、例の“白銀のエミリア”さん。職務権限停止処分を喰らったんだって。

まぁ当然だよね、自業自得って感じ?」

“ワサワサワサワサ”


青年ケビンの言葉に応える様に、ワサワサと枝葉を揺する“神代様”と呼ばれるトレント。


「「・・・はぁ~~~~!?トレントと意思の疎通を取ってるって、えっ、トレントをテイムしたのか!?」」

トレントのテイム。これまで見た事も聞いた事もない状況に驚きを隠せない二人。


「へっ?俺が神代様をテイム?そんな訳ないじゃないですか。ただ偶に肥料をやったり魔力水を撒いたりしているだけですよ?

神代様、今から水を撒くね。<散水>」

ケビンはそう言うと掌を横にして生活魔法<ウォーター>の応用魔法<散水>を行い始める。その様子に目を見開くロイド。


「ケビン君、その魔法は一体。ケビン君は水属性魔法の適性があるのかい?」

「あぁ、これですか?生活魔法の一つですよ。農家にとって畑の水遣りは重労働ですからね、子供の頃は水辺で<ウォーター>の特訓をしたものです。

何事も訓練、<散水>が上手に出来る様になれば農家として一人前って奴ですかね。

よし、こんなもんかな?あの、ちょっと危険なんで二人とも下がって貰えますか?

神代様、お待たせ~。もう動いて良いよ~」


ケビンの言葉に森側へと下がる二人。次の瞬間待っていましたとばかりに根を動かし始めるトレント。


“グニョグニョグニョグニョ”

地面から盛り上がり縦横無尽に動く根の動きに警戒態勢を取る冒険者ギルド職員たち、だがそんな二人のことなど知らないとばかりに神代様の食事風景を眺めるケビン。


「いや~、いつ見ても不思議ですよね~。だって木の根っこがあんなにグニョグニョ動くんですから。

ここって辺境の田舎でしょ?娯楽らしい娯楽が何もないんですよ。だから小さい頃に風もないのに枝葉が動いたり木の根が飛び出してくるのを見た時は驚きましたよ。

それから定期的に肥料を運んだり水を撒いたり。

その正体がトレントって魔物だって分かったのは、俺が森の老木が動くって報告してからなんですけどね。

森の守護神、神代様。あの幹に巻き付けてある綱は“注連縄”って言いましてね、扶桑国じゃ古くからある大樹には精霊が宿るとされているらしくて、ああした物を巻いてお祀りするんだそうです。

なんか神代様に相応しいと思いません?なんで付けさせて貰いました。

神代様も気に入っている様で、枝葉をワサワサ揺すられてましたよ」


精霊信仰、それは隣国ヨークシャー森林国で女神信仰と共に尊ばれる考え。

女神様は世界を御創りになられた、精霊様はともに寄り添い森で生きる術をお与えになって下さった。

ヨークシャー森林国では森の木々を大切にし、森を管理し精霊と共に生きる。

全ての国民が精霊と契約し女神様のお与え下さる職業とは別に、精霊魔法と呼ばれる魔法の使い手である。

過去二度に渡るバルカン帝国の侵攻を退けたヨークシャー森林国の精霊魔法、その根幹はこうした自然と寄り添い共に生きると言う思いにあるのかもしれない。


「ケビン君は例の発光現象について何か分かる事はありますか?その神代様の変化についてとか、何でも構わないのですが」

エミリアからの問い掛けに暫し考え込むそぶりを見せるケビン。


「しいてで言えばですが、神代様が凄い若々しくなったと言うか、なんか以前の老木感がなくなったと言うか。それとこれは俺の気のせいかもしれませんが神聖な気配がするって言うか授けの儀の時に領都の教会で感じた様な、そんなかんじがするんですよね。

だから何かがあっただろう事は間違いないとは思うんですが、それが何かまでは。

流石に俺も神代様が何を言ってるのかまでは分かりませんから。

精々が機嫌がいいか悪いのかってくらいですよ」


そう言い頭を掻くケビンに、それだけでも大したものだと思うロイド。

その時であった。


“ポワッ、ポワッ、ポワッ、ポワッ”

神代様より現れた幾つもの光の粒、それが中空に集まり一つの塊になり始める。

そして人々が見守る中、それは一つの形を創り出す。


“フワッ”

ゆっくりと揺れる八本の尻尾、白く輝く体毛、開かれた優し気な瞳。

中空に浮かび人々を見詰めるモノ、それは大きな身体を持つ白きレッサーラクーン。

その身体から発せられる神聖な気配は、その者が聖なる存在である事を知らしめる。


「えっ、もしかして・・・、そんな・・・。ラクーンさん・・・」

ケビンが漏らした呟き、それはどこか悲しげな感情が籠る、そんな言葉。


“ケーーーーーーーン”

上空に向かい一声鳴き声を上げた聖獣は、次の瞬間パッと光の粒子に変わり中空に霧散して行ってしまった。


つかの間の出来事、不意の邂逅。

周囲一帯に残る清廉な空気が、今の出来事が幻では無かったと言う事を物語る。


「あの、すみません。今ここで見た事はあまり周囲に漏らさないでいただけますか?

この場所を多くの人達に荒らされたくはないので」


悲壮とも取れる様な真剣な顔で語るケビンに、何も言葉を返せないエミリアとロイド。

ケビンは神代様に深々と礼をすると、一切口を開く事なく森を後にする。

エミリアとロイドはそんな彼の後をただ付いて行く事しか出来ないのであった。


「そうですか、神代様のところでそんな事が・・・」

村役場に帰ってきたギルド職員の二人はその場でケビンと分かれ、アルバート子爵の執務室を訪れていた。


「アルバート子爵様はその白いレッサーラクーンについて何か心当たりがおありなのでしょうか?あれからケビン君は一切口を開いてくれなかったものですから」

エミリアの言葉にアルバート子爵は暫し瞑目し、“ここだけの話と言う事でお願いします”と前置きした後、言葉を続けるのであった。


「お二人は“ポンポコ山のラクーン”と言う話をご存じでしょうか?領都で流行りの物語、先のランドール侯爵家との戦において多大な功績を遺した呪われし青年ラクーンさんのお話です。

あれは全て実話、私達アルバート子爵家騎士団のみならずグロリア辺境伯軍の全てがラクーン氏に命を助けられたと言っても過言ではない。

あのスターリン南門前の草原で自らの制御出来る以上の力を使い我々を救ってくれたラクーン氏は、その姿を八本の巨大な尻尾を持つ黒きレッサーラクーンに変え、一言を残し南の空に飛び去って行った。

“いつになるのかは分からないが、呪いの力が収まったら絶対にマルセル村に会いに行く。それまで元気でいてほしい”

それは我々マルセル村の者にとって、いえ、このドレイク・アルバートにとって唯一の希望であった。

ケビン君はラクーン氏にとっても懐いていましたから。

この子供の少ないマルセル村で年長である彼にとって、ラクーン氏は兄の様な存在だったのかもしれません。

そうですか、ラクーン氏が。

私からもお願いします、この話はあまり広めないでいただきたい。これはアルバート子爵家からの正式な要請と取っていただいて構いません。

それと改めてのお答えと成りますが、冒険者ギルド支部誘致の件ですが、正式にお断りさせて頂きます。

あの森に必要以上の人間を向かわせたくない。神代様がトレントである事は事実、トレントは高級素材であり冒険者にとっては金になる獲物に他なりません。

幾ら領主命令で討伐を禁じてもそれを守らぬ者など掃いて捨てる程いる。

それはこの地に腕試しに来る冒険者達が証明していますからね」


アルバート子爵から告げられた拒絶の言葉、冒険者ギルド職員としては反論したいその言葉も、冒険者ギルドエルセル支部の惨状がそれを許さない。


“コトッ”

テーブルに差し出されたティーカップ、口を付けるアルバート子爵に釣られる様に、乾いた喉を潤すエミリアとロイド。

口腔を抜ける爽やかな若葉の風味が、重く沈んだ心を癒してくれる。


「分かりました。ただし冒険者ギルドバルセン本部ルビアナ監察官には事の詳細を報告させて頂きます。その上であまり広めないで欲しいと言うアルバート子爵家の意向と、アルバート子爵領にはギルド支部を設置しないと言う決定をお伝えさせて頂きます」


「ありがとうございます。これはアルバート子爵家当主として、そしてドレイク・アルバート個人としても感謝を述べさせていただきます。

よろしければ我がマルセル村の自慢料理を食べて行ってください。角無しホーンラビットの出荷量はまだまだ多くはないですからね、是非その味をご堪能ください」


アルバート子爵の言葉を合図に、メイドにより運ばれる煮込み料理。

その味わいに驚き、言葉にならない声を上げるエミリアとロバート。


「ルビアナ監察官様には是非よろしくお伝えください。それと出来れば腕試しに来る冒険者たちをどうにかして頂けますと助かります。

最近は街道整備を行っているケビン君の従魔に戦いを挑んで返り討ちにされている様で、ケビン君から危険手当を請求されて困っているんですよ」


帰り際にアルバート子爵より釘を刺され苦笑いを浮かべるロイド。自由過ぎる冒険者たちの振る舞いに、自分の事は棚に上げ額に手をやるエミリア。


幌馬車は進む、ガタガタ音を立てて。一路冒険者ギルドミルガル支部を目指して。


「行きましたね」

そんな彼らを見送るアルバート子爵の隣から声を掛ける、一人の青年。


「あぁ、上手い事やり過ごす事が出来たよ。

しかし聖茶の力は凄いものだね。気持ちを落ち着け冷静な思考を取り戻す、言葉を変えればどんなに感情的になっていようとも強制的に理性的論理的思考が出来る状態にさせてしまう。

そうであればこちらの言葉にもちゃんと耳を傾ける。あとは現状をしっかり把握出来る様にアルバート子爵領の考えを伝えればいい。

冒険者たちの素行の悪さからくる治安の悪化、それは冒険者ギルドが長年抱える頭痛の種でもあるからね、説得は容易かったよ。

それにしても発光現象の原因は分からないとしながらも、それをラクーン氏に結び付ける、どんなペテンを行ったらそんな事が出来るんだい?」


そう言い青年にジト目を向けるアルバート子爵。

そんな視線を向けられた青年ケビンは、「俺は嘘は言っていませんよ?嘘はね」

と、相変わらずの飄々とした口ぶりで応えるのでした。

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