第270話 王都諜報員、観光客を出迎える

マルセル村のほぼ中央、村の健康広場と呼ばれるそこのすぐ脇に建てられた真新しい建物。建築者曰く「超急造のただの箱」との事だが、大きな石のブロックで組み立てられたそれはとても重厚で、僅か一日で作られたなどとはとても考えられない造りになっている。格子状の大きな窓からは外の光が差し込み、天上に取り付けられた天窓と相まって室内を明るく照らしだす。

床には木目の美しい床板が敷かれ、柔らかな雰囲気を醸し出す。

奥には一枚板で作られたカウンターテーブル、部屋の中に置かれた何台かのテーブルと椅子。それはここが飲食店か何かだと言う事を如実に表している。


“カチャッ”

「いらっしゃいませ。ただ今お伺いします」

扉を開け建物に入ると、元気のいい女性の声が来店を歓迎してくれる。


“コトッ”

テーブルに差し出された水の入ったコップ。一口口に含めばその心地よい冷たさに、これが井戸からの汲み立てのものである事が分かる。

“パチンッ”

村門脇の門番受付で渡された食事札をテーブルに置く。給仕であろう女性はその札に目を遣り、ニコリと微笑んでから口を開く。


「お客様は観光の方でございますね。当店でお出しする事の出来る料理は“本日のおすすめ”のみとなりますがよろしいでしょうか?」

給仕の言葉に了承を示すと、早速料理の載った皿が運ばれ、テーブルの上からは旨そうな匂いが漂う。


「本日は秋野菜と角無しホーンラビットの煮込み、ピタパンとサラダになります。赤ワインを一杯無料でお付け出来ますがいかがなさいますか?」

給仕の言葉にワインを頼み、煮込み料理にスプーンを伸ばして一口。

“$%&&!!”

口腔でホワッと柔らかくほどけるホーンラビット肉。それと共に広がる肉の旨味、秋野菜の優しい味わいがホーンラビット本来の旨味を更に引き立てる。

付け合わせで出されたピタパンの素朴な味が、料理の旨味をしっかりと受け止める。サラダの爽やかな瑞々しさも心地よい。


“ゴクッ、ゴクッ”

喉を過ぎる赤ワインが、この皿の世界観にぴったりとマッチする。これは全てが揃ってはじめて完成する秋の味わい。

季節の訪れに感謝し、秋の恵みを口いっぱいに味わい尽くす。


“カチャン”

飲み干され空になったスープ皿にスプーンを置き、満足気な笑みを浮かべる。


「どうもありがとう。それとこの村の名所があったら教えて欲しいんだが?

最近“耳”が遠くてね、門番受付で教わった筈なのだが良く聞こえなかった様でね」

お客からの問い掛けに暫し悩んだ素振りを見せる給仕。


「う~ん、そうですね。個人的にお勧めなのはホーンラビット牧場ですかね。あそこの可愛らしいウサギさん達は本当に癒されますから。

それと村の礼拝堂なんていかがです?それほど大きい建物と言う訳じゃないんですが、何か神聖な雰囲気で心が洗われると言うか、自然と女神様に祈りを捧げたくなる、そんな場所になります。

それとこれは最近領都で流行っているお話で“ポンポコ山のラクーン”と言うものがありまして、そのお話に登場する呪われた青年ラクーンさんが立てられた建物と言うのが村の貯蔵倉庫と酒造所とビッグワーム干し肉の加工場なんですけど、そこを見にくるお客様と言う方たちがおられましてですね。

お土産にポンポコラクーンのお人形とか刺繡の入ったハンカチとかがあるんですよ。

良かったらこちら、“マルセル村の観光案内”をお持ちください」


給仕はテーブルの上にエプロンのポケットから取り出した冊子を置くと、一礼の後厨房へと下がって行くのでした。


――――――――――――


マルセル村に訪れた新たな問題。

マルセル村は目立ち過ぎた。

“鬼神ヘンリー”、“剣鬼ボビー”、先の動乱においてランドール侯爵家の軍勢をほぼ二騎で鎮圧せしめた伝説的な元冒険者。

アルバート子爵家騎兵団、領都グルセリアで発生した大規模なスタンピードをたった五騎で制圧せしめた新たな英雄たち。

彼らに会いたい、彼らと手合わせ願いたい。

羨望と欲望、ある者は純粋な憧れから、ある者は己を高める為の好敵手として、そしてある者は自らの名声を高める為の踏み台として。

武を志す多くの者が、それぞれの思いを胸にこの辺境の地を目指し集まった。


だがそれだけならまだよかった。マルセル村に彼らの思いを叶える義理は無い。残酷に、冷徹に、ただ脅しを掛ければそれでいい。やってくる脳筋馬鹿(観光客)、その全てをまともに相手していたのでは村の運営に支障をきたすどころの話ではないのだから。

だがそうもいかないのがもう一つの問題、「ポンポコ山のラクーン」の聖地を目指す一団の訪れであった。

それは心温まる辺境の村長と呪われた青年の物語。一杯のスープの恩を返す為に命を懸けた青年ラクーンの献身。

この時代の男達の胸を打ち、女達の涙を誘った青年ラクーン。彼の足跡をこの目で見たい。

ただの石作りの建物も、その背景に物語があることで特別なものへと変わって行く。

そこにあるのは平凡な建物、だがその目に映るのは青年ラクーンと優しい村長との戯れ。自然ほころぶ笑顔。

そんな純真な人たちを脅して追い返す?無理無理無理。

もうね、罪悪感が凄いの、「ラクーンさんが早く帰って来れるといいですね」って涙交じりに声を掛けられた時の村人たちの引き攣った顔と来たらもうね、「“あれは作り話でした、ラクーン青年はそこで鍬を担いでる理不尽です”なんて言えない」って言って俺にどうにかしろって、どうしろってのよ。


ドレイク・アルバート子爵様に村役場の村長執務室に呼び出された俺氏、「ケビン君、これどうしようか?」って俺にそんな事言われましてもね。

で、頭を悩ませていた所にとある提案をしてきたのが月影さん。

「村門前で怪しい者は引き留めて追い返せばいいのでは?歯向かって来たのなら問答無用で犯罪者、捕縛なり無礼討ちなり。

叩きのめしてエルセルに引き渡し、冒険者ギルドでその者たちの口座の金を徴収すれば幾らかにはなるでしょう。金が無いと言うのなら冒険者ギルドに借金させるなり斬首なりを選ばせればいい。貴族に刃を向ける事がどう言う事か、冒険者たちは今一度思い知る必要があるのです。

人手が足りないと言うのなら畑脇の小屋に暇人が一人、それとちょうど訓練が終わったばかりの者がおりますし」


この提案は即採用、門番役として忙しい村人の代わりにマルセル村強化合宿を終えたブー太郎先生にお越し願いました。報酬は特注ベッドと中綿にホーンラビットの毛を使った寝具ですね。

やっぱり冬場は暖かなお布団様が欲しいですもんね、ブー太郎体毛少ないし。


ただそれだけだと脳筋馬鹿(観光客)と聖地巡礼(観光客)の区別がつかないんで門番詰め所を設置、脳筋馬鹿のお相手はブー太郎(ちょうど訓練が終わった者)が、聖地巡礼のお相手はアナさん(畑脇の小屋の暇人)が行う事になったって訳です。

ただ最近はそれなりにお客様がお越しになるんで、案内人の補充が急務なんですが。

現在は人手がないと言う事でグラスウルフ隊をお付けして、観光案内地図を見ながらそれぞれで見て回って貰っております。

この観光案内地図、木彫り版画でございます。俺っち頑張ってスリスリしました。紙やインクはエルセルで購入、やっぱり文明社会って素晴らしい。

こう言ったスローライフ的エピソードで、紙やらインクやらを一から全て用意するラノベ主人公様って心底スゲーと思います。俺には無理、面倒臭いから。


でもそれじゃマルセル村に間者が入り込むんじゃないのか?来るんじゃないんですか?でもだからと言ってね~。

マルセル村って宿屋なんかないですし?夕方にはお帰り願いますし?

宿泊?当然村の外ですが?それは門番受付ではっきり明言しますんで、問題ナッシング。某夢の国と同じシステムでございます。

入り込む余地無し、マルセル村にはまだパークホテルは無いのさ、見る場所なんてほとんど無いんだから諦めて。


そんで急遽必要になったのが食事処、これまでマルセル村にそんな施設なんてありませんでしたからね。場所は健康広場の隣、村人の憩いの場も兼ねようと言った魂胆です。

まぁ急造ですので簡単な箱ものですが、ちゃんと必要な設備は用意してございますともさ。

キッチンと竈は勿論建物脇にスライムトイレを設置、緑先生と黄色先生に井戸を掘って貰い土属性魔法レンガで補強して貰っております。俗に言う釣瓶つるべ式井戸って奴ですね。排水は建物から排水路を引いて小さな排水プールを設置してございます。水が溜まったらスライムを放す予定です。まぁそんな事しなくても勝手に住みつくんですが。


必要な従業員はメイド隊のお二人ですね。何かマルセル村の視察(エミリーちゃんがご案内)でショックを受けられていた様子でしたんで、お仕事をですね。本来ならアルバート子爵邸にお勤めする所なんですけど、まだないんですよ、肝心の建物が。

お前は造らないのか?

俺は万能じゃないんだよ!ふざけんな!

いいよ?コンクリート打ちっぱなし方式住居で良ければ一週間で建ててみせるよ?でもそれってどうなの?

これから数多くのお客様をお迎えしなければならないアルバート子爵邸、ちゃんとした石工に頼むのが筋かと。ストール監察官様の御助言ではありませんが、グロリア辺境伯様におすがりするのがよろしいと思いますよ?


表向きの仕事もなく裏の仕事も立ち行かずと大変なストレスを抱えていらっしゃったメイド隊のお二人、そこで「やっぱり諜報員と言えば酒場じゃないでしょうか?」とご提案申し上げたって訳です。

店名も拘りました、“渡り鳥の箱舟亭”、どうです、いかにも裏家業の諜報員が集いそうでしょう?

でも敢えて店内は明るく“そう言った後ろ暗い事はありませんよ”と言った雰囲気に。

フィクションじゃないんだから疑って下さいって言った建物ってのもね~。

昼間は村の奥様方の憩いの場として、夜は男衆の盛り場として。

無論お触りは厳禁ですよ?そんなことした日には翌日顔を腫らしちゃってますからね?

辺境の村の情報スピードは光回線並みに早いんです。女衆の情報網を舐めるな?


無論この提案はメイド隊にもメリットがあります。村の憩いの場であり他所からやって来る観光客が必ず訪れる場所ともなれば、村の情報、間者の情報、全てに目が行き届きますからね。

上に上げるべき報告書のやり取りもとってもスムーズ、お互いWIN-WINの関係って奴です。


「アルバート子爵様、ケビン様にお聞きいたします。どうして私共にそこまで?」

これはガーネットさんからの質問。彼女は大福ヒドラと俺との戦闘のショックから自力で立ち直った猛者、大変頼もしい。リンダさん?聖茶で一発回復ですが何か?

ただあれって色々と心に葛藤を抱えるみたいでしてね、時々空虚な笑いを漏らすんですよね~。精神衛生上頼り過ぎるのもどうかと。

日常レベルの大した事のない状態なら元気になるだけの美味しいお茶なんですけどね、やはりお布団様の御威光には届かない様です。お布団様万歳!!


「話は単純です、情報は一所に集約しておきたい。やたらな者をマルセル村に入れたくは無いんですよ。ここは辺境の最果てマルセル村、多くの者が逃げ延びた先に辿り着く最後の地。

全てを失い傷付いた者がマルセル村で身体と心を癒し再び旅立つのはいいのです。この地を食い物にし立身出世を目論む、儲け話の種にする。そう言った事は他所でお願いしたい。若者たちがマルセル村を巣立ち大きく羽ばたく事は寂しくもありますが喜ばしい事でもあります。同じように村人が新たに何かを志し一歩を踏み出すのもいいでしょう。

ですがそれとこの地で何かを掴み取ろうと言うのは違う。その者たちにとってマルセル村はただの道具に過ぎないのだから。

私はね、マルセル村の村人が利用され傷付く姿を見たくは無いんですよ。

そう言う意味でこの話には互いに利点がある、そうは思いませんか?」


ドレイク・アルバート子爵の言葉は至極尤もであった。要は領主が暗黒街の大物を支配下に置く事と変わらない、領地の安定の為に清濁併せ呑むことが出来る、そう言う人物と言う事なのだろう。


「それとリンダさん、本当にすまなかったね。徐々に慣れてくれればいいと言いながらかなり衝撃的な光景を。でもあれもマルセル村の一面だから、冬の農閑期になるともっと酷いから。

正直どこの戦闘民族って感じになっちゃうから。しかもそれがただの趣味って言う意味の分からない状態にね。

ですので二人には心の支えになりそうなお仕事を持って頂こうと。二人は既に大切なマルセル村の一員ですから」


そう言い優しげな瞳で微笑むドレイク・アルバート子爵の言葉、それは一領地の為政者としては有り得ない様なものであった。だがその一言は、これまで培ってきた常識が徹底的に破壊され心身共に疲れ切っていたメイド隊にとって、何よりの救いとなる言葉であった。

その様子を側で見ていたケビンは思う。“これって新興宗教の洗脳じゃね?ショックを与え追い込んでから相手の事を全面的に受け入れる、全てを肯定するような優しい言葉を投げ掛ける、それってどこの教祖様?

王都の諜報組織の諜報員をもその懐に収めるドレイク・アルバート子爵、その度量、半端ないです!!”と。


――――――――――――


「お疲れ様でした」

ガーネットは一日の営業が終わり本日の売上木札数を帳簿に記入しながら、調理場の片付けを済ませ厨房から戻って来たリンダに声を掛ける。


「メイド長、お疲れ様です。ワイン樽の方が大分軽くなってきている様です。そろそろケビン君に新しいワイン樽を注文しておいた方がいいかもしれません」

マルセル村に出来た新しい名所、“渡り鳥の箱舟亭”。そこは表向きアルバート子爵家が運営する村の憩いの酒場。

昼間は観光客に食事を提供し、午後は村の女衆のおしゃべりの場に、夜は男衆の憩いの場に。マルセル村に新たに作られた娯楽施設は概ね好評で、村人たちに快く受け入れられる事となった。

また“真の役目”と言う意味でも情報の収集、“渡り”への報告と大変仕事がし易くなったと言ってもいい。


「そうですね、後で必要な食材をまとめてジェラルドさんに頼んでおきましょう。食糧庫も大分心もとなくなって来ていますし」

だがそれは全てドレイク・アルバート子爵の掌の上。王家の“影”たる我々が調査対象にいい様にされている。だがそれは何も隠したい秘密から目を逸らされているのではなく、むしろ村人全員から心配されると言うこれまで経験した事の無い状況。


「メイド長、私達って一体何なんですかね。昨日なんかケビン君から夜の清掃活動のお誘いを受けちゃいまして。

何でも村に入り込もうとする害獣退治らしいんですけど、ようは盗賊や間諜の殺処分らしいんですよ。

村門の案内板に堂々と書いてあるあれです。村人以外の夜間進入禁止って奴です。

捕まえて尋問しないんですかって聞いたら“面倒だから嫌”って言われちゃいました。

これ、耳目にも徹底しとかないとケビン君は容赦なくやりますよ?

でも普通間者にそんな事言います?この村っておかしいですよ」

いけない、またリンダの発作が。

私は急いで時間停止機能付きのマジックバッグから入れたての“お茶”の入ったポットを取り出すと、カップに注いで彼女に差し出す。


「まぁ気持ちは分かるけどお茶でも飲んで落ち着きなさい。今日はもう戻って休んでくれていいわよ、帳簿の方は私がやっておくから」


お茶を飲んで落ち着いたリンダは「いつもすみません、それではお先に戻らせて頂きます」と言って村役場に帰って行くのでした。

“本当になんでこんな事になってしまったのか、あの子は見所の有る“目”だったのに”

ガーネットは大きなため息を一つ吐くと、再びテーブルに向かい帳簿付けの作業に戻るのでした。

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