第248話 辺境男爵、領都グルセリアに凱旋す (3)
“ドゴーン”
草原に鳴り響く轟音、宙を舞う魔物の群れ。
“ブオッ”
吹き上がる竜巻、巻き上げられる魔物たち。
グロリア辺境伯領領都グルセリア、その西街門街壁の上に集まる多くの冒険者たち。
彼らは目撃する、その光景を。彼らは体感する、遥か遠方からでも感じるその強大な覇気の奔流を。
「あれが引退した元冒険者だと?現役ですらあれ程の強者なんてまずいねえぞ。
ドラゴンと渡り合った剣の勇者様じゃねえんだ、ふざけんなよ!」
冒険者ギルドグルセリア支部ギルドマスターは、目の前で繰り広げられる有り得ない光景に戦慄を覚える。
スタンピード、それは金級冒険者ですら死を覚悟して挑む厄災、被害が冒険者の死者だけで済めば僥倖、外壁の一部崩壊で済めば御の字。魔物の暴走とは食い止めるものではなく如何に被害を少なく抑えるか、それが常識。
だが目の前で展開されるそれは・・・。
「ギルドマスター、グロリア辺境伯様が御呼びです。何でも冒険者ギルドにスタンピードの後始末を頼みたいと。
魔物の搬入買取及び解体についてだそうです。おそらく一時間もしないうちに決着が付くだろうから終了次第作業に移って欲しいとの事です」
スタンピードにおいて冒険者の仕事が魔物の運搬だけだと!?
「わかった、すぐにお伺いすると伝えてくれ」
ギルド職員に連絡を頼み、再び戦場に目を向ける。
魔物との戦闘は冒険者の華、命を懸けて魔物を狩り人々を危険から守る。その為の冒険者、その為の依頼。
己の胸の内を巡る消化し切れない思い、これは悔しさか、怖れか、羨望か。
“ポンッ”
そんなギルドマスターの心の内を知ってか知らでか、その肩を叩く者が一人。
「落ち着いて下さい、ギルドマスター。お気持ちは分かります、私とて守護者とまで呼ばれた者、複雑な気持ちなのは同じ事。
自身のホームでもあるここグルセリアの危機に何も出来ずただ遠くから指を銜えて見ているしかない、これがどれ程の屈辱か。
ですがグルセリアが救われた、しかも誰一人として亡くなることなく、これは素直に喜ばなければならない、これを否定してしまえば私たちは冒険者ではなくなる。
私のこの想いは己の弱さから来るもの、あの地の者たちと同等の場所にまで登る事が出来れば、軽く流せる程度の思い。
私は以前“優先すべきはグルセリアの民を守る事、白金級冒険者を目指す事ではない”と言いましたが訂正します。先ずは白金級冒険者として名を馳せましょう。
目指す高みは見えた、どれ程の試練を乗り越えればあの領域に辿り着けるのか、血の滾りが止まりません。
では私はこれで」
“守護者”シンディー・マルセルは獰猛な笑みを湛えたままその場を後にする、その瞳を妖しく光らせながら。
強者は刺激し合い惹かれ合う、時には反発し、時には共闘し、時にはぶつかり合い。
“鬼神”ヘンリー、“剣鬼”ボビーの再来は、多くの冒険者たちの心に深い爪痕を残す事になるのであった。
―――――――――――
「<誘因>」
“““ブモー!!”””
“スパンスパンスパンッ”
血沸き肉躍る草原の戦場、辺り一面足の踏み場がない程数多くの魔物が横たわり、戦闘の激しさを物語る。
“ヒヒ~ン、ブルルルル”
「おぉ、シルバーよ、そっちも終わったのかの?この辺りはもう一体の魔物もおらんようじゃて。全開の誘因でもさっきの連中が最後であったわい。
しかしヘンリーの戦場は酷いもんじゃの、魔物が全て挽き肉にされておるではないか、あ奴は後処理の事は全く考えておらんのか」
血煙の漂う戦場、中でも鬼神ヘンリーが暴れた後は酷いものであった。
憂さ晴らしのように繰り出される大技、振るうだけで死が訪れるであろう双剣は、魔物をただの肉の塊へと変える。
騎乗する巨馬黒龍は、その一踏みで全ての魔物を肉片へと変え、彼らが通り過ぎた後にはただ死が横たわる。
「その点ザルバ殿やグルゴ殿、ギースは綺麗に始末しておるの、あれなら食料にするにしても革を加工するにしても需要がありそうじゃわい。
他の馬たちもその点上手く始末しておった、ただ遊んでおったヘンリーとは雲泥の差じゃわいて」
スタンピードとは厄災である、何も生み出さず、何も齎さず、ただ負の資産だけを積み上げる。だがそんな厄災に見舞われながらも魔物を冷静に商品価値のある状態で仕留める、それがどれ程異常な事であるのか。
通常の魔物討伐でもそれ程の事を出来る者がどれ程いると言うのか。
“魔物とは資源である”、辺境に住まう理不尽は、修羅をただの戦闘狂に留めず一流の狩人に仕立て上げた。
その身に叩き込まれた薫陶は、たとえそれが魔物暴走と言う厄災の場であろうとも十二分に発揮されたのであった。
「ヘンリーよ、そろそろ引き上げるぞい。ドレイク・アルバート男爵がお待ちであろうて。ザルバ殿、グルゴ殿、ギースや、怪我は無いかの?怪我をしとらんと思っておっても切り傷くらいあるやもしれん、解毒ポーションとローポーションは飲んでおくが良いぞ。こうした戦場では後から熱が出るなどと言う事はよくあるからの、何事も用心に越した事はなかろうて。
シルバー、それに他の騎馬たちも飲んでおくがいい。マルセル村までまだ頑張ってもらわねばならんからの。
ヘンリー、黒龍、聞いておったかの?お主らもちゃんと解毒ポーションとローポーションを飲んでおくんじゃぞ!」
多くの戦場を経験してきたボビー師匠の助言に反発する者などいない、この場にいるのは大なり小なりの場数と経験を積んだ者たちであるからだ。
戦士達は帰還する領都グルセリアに向けて。
西街門前に詰め掛けた多くの領兵が、多くの冒険者が、畏怖と憧憬の眼差しで彼らを迎える。
そんな視線の中街門を潜る彼らの顔は、とても地獄の戦場から戻って来たとは思えない、まるで遊びから帰る子供たちの様にどこか晴れやかで楽し気であったと言う。
―――――――――――――――
領都グルセリアに聳え立つグロリア辺境伯家居城、その荘厳な城の中、謁見の間と呼ばれる場所では多くの貴族、武官、文官が集まり、この度の遠征における論功行賞が行われようとしていた。
「グロリア辺境伯領領主、マケドニアル・フォン・グロリア辺境伯様のお越しです」
“““ザッ”””
その場にいる全ての者が片膝を突き頭を垂れ、領主マケドニアル・フォン・グロリア辺境伯の登場を敬意を持って迎える。
“コツンッ、コツンッ、コツンッ”
壇上に備えられた豪奢な椅子に腰を下ろし周囲を見回すグロリア辺境伯、その心には此度の騒動が自身の想定以上の形で無事に終息した事への安堵の気持ちが広がっていた。
「皆のもの面を上げよ。膝を上げ楽にするとよい」
グロリア辺境伯の言葉に一斉に立ち上がる面々、その表情は一様に真剣であった。
この場での評価は自治領となったグロリア辺境伯領周辺地域での自身の立場を決定すると言っても過言では無かったからである。
「皆このグロリア辺境伯家の為に参集してくれた事、心より感謝する。また皆の忠誠、このマケドニアル・フォン・グロリアの心に深く刻まれた。
我がグロリア辺境伯領はこれより先自治領として新たなる一歩を踏み出す、それには皆の協力が必要である。
オーランド王国北西部地域の平穏の為、我がグロリア辺境伯家に力を貸して欲しい。
頼んだぞ」
「「「ハッ、グロリア辺境伯家の旗の下に」」」
バッと胸に手を当てグロリア辺境伯家に忠誠を誓う一同、その姿に満足気に頷きを返すグロリア辺境伯。
「これより論功行賞を始める。武功第一位、ドレイク・アルバート男爵!」
その名前は文官により高らかに告げられる。
ドレイク・アルバート男爵は寄り子の中でも新参も新参、この戦の為に起用されたと言ってもいい助っ人の様な存在であった。所領を賜った経緯、寄り子として加わったのも農業改革の手腕が評価されたものであり、決してその武力が評価されてのものではなかった。
だがその認識はすぐに大きく塗り替えられる。
アルバート男爵率いるアルバート男爵家騎兵団、その威容はたった五騎の騎兵にも関わらずこの戦に参集した全ての兵力を圧倒した。
アルバート男爵の手配した呪われた青年ラクーンは崩壊した渓谷をたった一晩で開通させ、その後も立ちはだかる全ての障害を取り除いた。
アルバート男爵家の兵士、鬼神ヘンリー、剣鬼ボビーは、たった二騎でランドール侯爵家の全兵力を屈服させた。
そして・・・。
「ドレイク・アルバート男爵、貴殿と貴殿の騎兵団の働き、誠に見事であった。
ランドール侯爵家での武功然り、王家の使者との交渉然り。
そして先程のスタンピード制圧も然り。
貴殿の働き無しに此度の戦はこれほど短期間での無事な終息を迎える事など敵わなかったであろう。
これは我がグロリア辺境伯家ばかりでなく、オーランド王国北西部地域すべての人々にとっての最善であった。
マケドニアル・フォン・グロリアの名において深く礼を述べよう。
その働きに対し、子爵位の移譲、金貨二万枚を授けるものとする。
ドレイク・アルバート男爵、今後とも我がグロリア辺境伯家の為力を貸していただきたい」
子爵位の移譲、それはドレイク・アルバート男爵の働きがいかに大きいものであったのかを物語っていた。そしてその事に対し異を唱える者などこの場には誰一人としていなかった。
それはドレイク・アルバート男爵とアルバート男爵家騎兵団の働きが、それ程までに各貴族、武官の魂に刻まれていると言う証左でもあった。
「ハハッ、ドレイク・アルバート、身に余る光栄。グロリア辺境伯様に忠誠を誓います」
論功行賞は続く。多くの寄り子貴族家が、この戦に参集した騎士たちが、それぞれの働き、それぞれの立ち位置を明確に評価されて行った。
彼らは思う、今後ドレイク・アルバート子爵は決して無視出来ない存在となると。
辺境の地マルセル村。小さな所領地を有するアルバート子爵家は、オーランド王国北西部地域において大きな発言力を持つ家となる。
彼らは論功行賞の場においても気負う事なくにこやかな笑みを浮かべる新参の子爵に、熱い視線を送るのであった。
―――――――――――――
グロリア辺境伯領領都グルセリア、そこは今、熱狂的なお祭り騒ぎに沸き立っていた。ランドール侯爵家との武力衝突における勝利、発生したスタンピードをたったの五騎で制圧したアルバート男爵家騎兵団の活躍。
“鬼神ヘンリー”、“剣鬼ボビー”の名は瞬く間に領都中に広まり、最早その存在を知らぬ者などいないと言っても過言ではなかった。
「ねぇねぇ、見た?“鬼神ヘンリー”様のお姿。その身から溢れる強者の気配、私身体がブルブルって震えちゃったわよ」
「“剣鬼ボビー”様も一見好々爺と言ったお姿なのに戦場ではどんな魔物も圧倒する御強さらしいわよ?ウチの人が西街門の街壁の上から見たんですって。
人間じゃないって言ってたわ」
その活躍は始め多くの者から疑いの目で見られていた。だがスタンピードが起きたとされる西街門先に広がる草原から運び込まれる多くの魔物、その止まる事の無い搬送風景に、人々がそれが誇張なしの事実であると言う事を分からされるのであった。
「くそっ、何が“鬼神ヘンリー”、“剣鬼ボビー”だ!余計な真似をしおって」
だがそれは全ての人々に歓迎を持って受け入れられるものではなかった。
グロリア辺境伯に恨みを持ち、グロリア辺境伯家に改革を齎そうと画策した者たちにとって、アルバート男爵家騎兵団の活躍は邪魔以外の何物でもなかったのだから。
「同志よ、ではどうすると言うのだ。我々に残されていた手段は全て使い切ってしまったのであろう?」
そこは歓喜に賑わう街並みから外れた隠れた酒場、漏れ聞こえる不愉快な喧騒も余所にいるよりかは幾分ましであろう暗がりのテーブルを囲み、男達は苦々しい感情を隠すことなく顔を突き合わせる。
「手段はある、だが今は時が悪い。時流は完全にグロリア辺境伯に傾いた、今我々が動くのは得策ではない。
ランドール侯爵も弱腰になったのかその手勢を全て引き上げた。残された資金はそれほど多くない、今は雌伏の時、下手に動けば先はない」
「ほう、流石は我らが盟主、してどのような手を使うと言うのか」
「学園だ、あの地にグロリア辺境伯の目が届きにくい事はこれまでの調略で明らか、その隙を突く。息の掛かった者を送り込む、この手は未だ有効な手段、それを足掛かりに再びグロリア辺境伯家に根を張り我らの力を強めて行けばよい。
なに、今度は上手く行く、すでにお手本はあるのだからな」
「なるほど、流石は盟主殿のお考え、感服いたしました。
店主、酒だ、とっておきのワインを持って来い。
盟主殿、今この時が我らの始まりの時、栄光の未来に向け乾杯しようではありませんか」
“コトッ、コトッ”
テーブルに置かれた二本のワインボトル。男達の前に差し出されたワイングラスに次々と注がれるそれからは芳醇な赤ブドウの香りが漂う。
「ほう、これは中々良い品だ、我々の再起を図るのに相応しい。
では皆の者、栄光の未来に向け、乾杯」
「「「乾杯」」」
飲み干されるグラスワイン、ボトルの中身はすぐに無くなり、新しいボトルが用意される。
「う~ん、何だ、少し酔いが回って来たのか?とても眠く・・・」
“カタンッ、コロコロコロ”
テーブルに転がる幾つものワイングラス、倒れ伏す男達。そんな彼らを冷めた目で見詰める者が一人。
「どうやらこれ以上の引き出しは無かった様ですね。ギルドマスター、後の処分はお任せしても?」
そこには先ほどまで居たはずの男性の姿は無く、なぜかメイド服を着た女性の姿が。
「あぁ、こっちも仕事だ、貰った報酬分は働くさ。しかし何だったんだ?騒ぎを止めたいのなら初めからこいつらを仕留めるなり例のスタンピード発生装置とやらを奪うなりすればいいものを、ただ監視しているだけって。
実際大した騒ぎにはならなかったが、その辺がどうしても分からねえ。
アンタらは一体何がしたかったんだ?」
それはとても美しい月夜の晩、いつの間にか現れた小柄なガキとメイド。
暗殺者ギルドグルセリア支部の新たなギルドマスターとして就任した自身の前に訪れた絶対的な死。
「やぁ、いい月夜だね。少しお話と依頼があってね、今時間あるかな?」
そのナニカはそう言うとこのグルセリアで起きている一連の事変とこれから起こるであろう騒ぎについて語り出した。
「君たちにも仕事があるだろうからそれはそのまま受けて貰って構わない。その事に対してこちらから何かをする事はない。ただ後始末をね。
祭りの始末はきっちりつけないと、後から余計なちょっかいを出されても興覚めだろう?」
ナニカはそう言うと依頼料として金貨五十枚を支払いメイドと共に姿を消した。
そしてナニカの言葉通り貴族の役人から仕事を依頼され、魔物暴走発生装置の設置と呪術師による起動を行った。
その結果はご覧の通りであったが。
「ご主人様の言葉です。“君たちの様な存在はいつの世も、どこにでも生まれる。それを一々潰していたらキリがない。だから話の通じる様な相手が窓口になってくれている事は有り難い”
あなた方がご主人様の勘気に触れない事を祈っています」
メイドはそれだけを告げると、まるで初めから其処には誰もいなかったかの様に姿を消す。
暗殺者ギルドギルドマスターは背中に流れる冷たい汗を感じつつ、大きくため息を吐くのであった。
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