第245話 辺境の訳アリたち、マルセル村の日常に溶け込む

「オヤジ、キュベットの収穫が終わったぞ。この後どうするんだ?」

「あぁ、キャロルの種蒔きがあるからビッグワーム肥料を撒いてから鍬で耕してくれるか?」


「応、分かった。キュベットは兄弟子のところに届けなくていいのか?」

「ケビン殿がお茶の木の様子を見に来ると言っていたからその時に渡せばいいだろう。俺もお茶の木の管理について意見が聞きたかったから丁度いい」


黒髪の少年は父親の言葉に桶に入れた肥料を小脇に抱え、収穫が終わったばかりの畝に撒き始める。偉丈夫の父親はそんな少年の姿を眺めつつ、大きなハサミを持ってお茶の木の剪定を行う。

マルセル村の外れ、緩やかな斜面に広がる畑では、ホーンラビット・・・失礼、鬼人族の親子が農作業に勤しんでいた。


「なぁオヤジ、俺は農作業なんて初めてで何も分からないんだけどよ、野菜って結構早く収穫できるんだな。まさか種を植えて二週間で収穫出来るとは思わなかったよ」

鍬を振るい畑に肥料を混ぜ込みながら、鬼人族の少年白雲は世の中知らない事だらけだとしみじみと口にする。


「イヤイヤイヤ、これはおかしいからな?キュベットを収穫するには普通種を撒いてから三カ月は掛かる、こんなに早く収穫するなど呪符を使っても無理だ。

扶桑の符術院に勤めていた頃に作物の成長促進やらの研究をしている部署があったが、栽培期間を三か月から二カ月に縮められたと言って大えばりだったぞ?

その研究だって費やした期間は二十年近かったからな?

村の方々の話だと、通常のビッグワーム肥料でもその程度の成長促進なら見込めると言ってたが、この村の肥料はおかしいからな」

鬼人族の男性蒼雲は、大事な息子が誤った常識を身に付けない様に慌てて訂正の言葉を加える。

マルセル村に移り住んで二週間の時が流れた。その間村の人々は農具や生活雑貨を与えてくれ、日々の食べ物も分け与えてくれた。

村の助役ボイル殿曰く、「これらの品は全てマルセル村からの移住民に対する貸付、そんなに気にしなくてもいい。生活が安定したら少しづつ返済すればそれでいい」との事。

ここマルセル村では村民に必要な物資が足りない場合村からの貸し付けと言う形で貸し与え、村の仕事や収穫した作物に対し木札と言う形で対価を支払う事で双方の調整を行っているとの事であった。

この木札は村に行商が訪れた際や、村長宅に蓄えられている商品を購入する際に使う物らしく、硬貨の代わりとして村の中だけで流通する貨幣であった。


「ケビン殿曰く、最初に撒いた肥料は野菜を急激に成長させる一時的な劇物との事だ。畑の土に対して悪影響の出るものではないが多用は禁物、手持ちの資金が無い我々に対する支援との事だったか。

家にしろ畑にしろ、ケビン殿には本当に世話になりっぱなしだな」

蒼雲はそう言いながら“雑草の成長も早いから畑の管理に気が抜けないのが欠点だがな”と苦笑いをするのだった。


「オヤジ、お茶って若葉を摘むんだよな?この茶の木って成長したばかりだろ?全部新芽じゃねえのか?どれを摘むんだ?」

白雲は自身の背丈ほどの大きさに成長した茶の木の畝を繁々と眺めながら問い掛ける。


「あ、うん、こればかりは何とも言えん。正直ここまで急速な成長を遂げた植物を見た事がなくてな、魔物のトレントでももう少しゆっくり成長するからな。

通常はこのいかにも採ってくれと言わんばかりに主張している黄緑色の柔らかそうな若葉を摘むんだが、これ、もう摘んでもいいものなのか?

その辺もケビン殿と相談と言った所だな」

ボイル殿が教えてくれた、どうにも気持ちの整理が付かなくなった時に唱えるといいと言っていたこの言葉。


「ケビン君だから仕方がない」

「急になんだよオヤジ、兄弟子の理不尽に耐えられなくなったか?まぁ分からなくもねえけどな。

別にいいんじゃねえか?兄弟子は兄弟子、常識外れだろうが何だろうが、こっちはその恩恵に助けられてるんだからよ。

前に無理やりジェンガって街に連れていかれた事があったんだけどよ、そこでギルマスって呼ばれていた奴が言ってたぜ、“理不尽や不条理、納得できない事なんざこの世じゃ日常だ。そこで思考を止めるんじゃなく事実として受け入れその上で行動する。物事に囚われ判断が鈍る事の方が問題だ”ってな。

後から兄弟子に聞いたんだが、あそこは暗殺者ギルドって所で俺は人殺しを養成する施設に送られる所だったらしい。道理で周りの奴が皆覚悟の決まった面をしてたはずだよ、まぁあの時の俺はオヤジを見つけ出してぶん殴る事しか考えてなかったからそれでも問題ないっちゃ問題なかったんだがよ」


そう言いニヤリと笑う白雲に、“こうして息子と一緒にいられるのなら確かに些事ではあるな”と一連の理不尽をそう言うものだと受け入れる事にした蒼雲なのであった。


―――――――――――

 

「おはようジミー君、毎朝畑の手入れを手伝ってくれてありがとう」

「おはよう、フィリー。フィリーも元の身体にすっかり慣れたみたいだね、今朝はディアに起こされるまえにちゃんとベッドから出られたかい?」

爽やかな朝の風が吹くボビー師匠の訓練場には、ヘンリー家の次男ジミーが家を留守にしているボビー師匠に代わり畑の手入れを行う為、家の留守を預かる二人の女性の下を訪ねていた。


「も~、ジミー君の意地悪。私だっていつまでも起こして貰ってばかりじゃないんだからね。今朝はちゃんと起きれたんだから!」

「ハハハ、ごめんごめん。ちょっと揶揄っただけだって。

フィリーが頑張り屋さんだって事はよく知ってるよ、それじゃ一緒に畑の手入れをしようか。

今日は収穫もあるからね、いつもより大変だけど頑張ろう」


何気ない挨拶、何気ない会話。ジミーにフィリーと呼ばれた女性、元公爵家令嬢フリージア・ブルガリアは、この当たり前の彼との交流に嬉しさを噛み締める。

彼女は呪いによりその姿をゴブリンへと変えられた者であった。ヨークシャー森林国のあらゆる解術師からその解術は不可能であると宣告されつつも、一縷の望みに縋り訪れた隣国オーランド王国グロリア辺境伯領。

だがそれは罠であり、待ち受けていたものは何者かの襲撃と家からの死亡宣告。

全てを失ったと思った。

人々に愛されていた自分、強力な力を持つ高位精霊との契約、公爵家の令嬢と言う身分、愛する家族や優しい使用人たち、愛を囁いてくれた婚約者。

だがフリージアにはたった一人、自分を庇おうとして共に呪われてしまった護衛騎士がいた。呪われた姿になろうとも共に在ろうとしてくれた大切な親友。

自分の事はいい、彼女だけでも人の姿に戻してあげたい。

親友、護衛騎士デイトリアル・エルガードの存在は、フリージアの心の支えであり生きる為の意味となった。


奇跡は起きた。

追い詰められ、発情した雄ゴブリンの集団に襲われそうになった所を助けられた。

旅の目的の一つ、グロリア辺境伯様との謁見を叶えて貰った。

生活の場と修行の場を与えて貰った。

旅の最終目的、大賢者シルビア・マリーゴールド様に引き合わせて貰えた。

ゴブリンの姿から解放して貰えた。


自身の置かれた現状、故郷の状況、ケビン君の深い考察は今こうして生きている事がいかに奇跡であるのか、そして物事は何も解決されていないと言う事を教えてくれた。


「まぁ難しい事は大人たちがどうにかするでしょう。それよりもこれからの事、剣士さんとローブさんがどうしたいのか。

ヨークシャー森林国に戻るもよし、グロリア辺境伯様に頼るのも良し、一人の女性として自らの足で人生を切り開いていくも良し。

こんな話、前にも領都でしたよね。何がしたいのか、何が自分たちにとっての最善なのかを二人でよく考えて。

只助けて下さいと言われてもどうしていいのかなんて分からないし、助けようとした相手に“自分の望みはそうではない”と不満を覚える事もある。

自分の人生は自分で決める、それが叶うかどうかは別にしても後悔はしないに越した事がないからね」


フリージアの望み、それは絶望の淵にいた自分に人の優しさと温かさを教えてくれた愛しの人、ジミーと共に在る事。

親友は人の姿を取り戻す事が出来た、ならば今度は自身の為の望みを叶える番。


「やぁおはようジミー、今朝もいい天気だ。今日は収穫があるんだったね、一緒に頑張ろう。

それと作業が終わったらまた私の剣を見て欲しいんだが」

「おはようディア、ディアは本当に剣が好きなんだね、僕と一緒だよ。作業が終わったら是非見させてもらうよ。

それじゃ二人共、今日もよろしくお願いします」


親友とも恋敵ともとなった。今のところ彼の剣術仲間の域は出ていない様子に、“私にもまだ分がある”と闘志を燃やすフリージア。


「フリージアお嬢様、言葉使いが少々乱れておいでの様です。公爵家令嬢でしたらそれにふさわしいお言葉使いがあるのではと愚考いたします」

「デイトリアル、安心なさい。すでに私はグロリア辺境伯様宛に家より死亡が通知された身、公的に公爵家令嬢フリージア・ブルガリアは亡くなりました。

今の私はフィリー、ただの村娘フィリーです。

それより剣士様はこのような片田舎にいてよろしいのですか?この村には剣士様を必要とする場などありませんよ?」


「ハハハ、何を仰いますか、私などまだまだ修行中の身、剣士など烏滸がましい。

私は村の剣術指南役ボビー師匠の下、愛しの男性と共に剣の腕を磨くただの村娘でございます。

この村では最弱もいい所ですので」


ムムムと互いに視線を合わせ唸りを上げるフリージアとデイトリアル。

そんな二人の光景に“フィリーとディアは本当に仲がいいよね”と見当違いの感想を抱くジミー。


「二人共、作業を始めるよ」

「「は~い、今行きま~す」」

仲良く返事をし朝の農作業を始める三人の若者。

既に畑で草むしりを行っていた二体のゴブリンキャロルとマッシュは、そんな人間たちの姿を端で見ながら、“これがケビンさんが言っていたアオハルって奴か、早速業務報告をせねば!!”とギャウギャウウゴウゴと盛り上がるのでした。


―――――――――――


「なぁ、聞いたか?ランドール侯爵家に遠征に行っていたグロリア辺境伯様方がお戻りになられるって話」

「聞いた聞いた。早馬の先触れが来たんだろ、グロリア辺境伯家の英雄の帰還、いや、凱旋だ。これをお出迎えしなけりゃグルセリアの住民とは言えねえだろう」


街角で噂されるグロリア辺境伯軍凱旋の吉報、各商店はグロリア辺境伯家戦勝記念大売り出しと題し多くの商品を割引価格で並べ、街の宿屋には彼らの雄姿を一目見ようとグロリア辺境伯領領内から集まって来ていた大勢の人が宿泊に訪れている。


「でも凄いよな、他領の大貴族家に攻め込んで一人の死者も無く城を落とすって、やっぱりグロリア辺境伯家騎士団は最強だろう」

「当り前だろう、何って言ったって“オーランド王国の盾”、大森林のスタンピードをものともしない我らが騎士団だぜ。

明日の到着の際には盛大にお出迎えしなくっちゃな」


人々は興奮する心を押さえる事も無く、一様に笑顔を浮かべ語り合う。

だが世の中にはそんな幸せを面白く思わない者も必ず存在する。その理由が理不尽な八つ当たりや自業自得と言ったものであろうとも、彼らにとっては関係のない話。


「クソっ、何が凱旋だ。我らのこれまでの献身を理不尽に切り捨て追い遣った愚か者共が」

「然り。愚か者どもに鉄槌を、自分たちがいかに無力な存在か、その身に思い知らせる必要がある。これは我らの正義、革命なのだ!」

“ゴブリンは一体見掛けたら百体はいると思え”と言う格言がある。グロリア辺境伯家に巣食っていた内患は、自らの行いを省みる事無くそのやいばをかつての主君に向ける。


「決行は明日、既に準備は整っている。愚かな君主はいらない、我らは次代の当主に仕えるのみ」

「「「愚か者共に死の鉄槌を」」」


暗い思惑は動き出す、自分たちの欲望は必ず叶えられるとほくそ笑みながら。

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