ミア、山で消えちゃったってさ。(4)
国道の側はどこまで行っても代わり映えのしない景色で、その正面にはやはり山がそびえ立っている。安価な衣服チェーン店。牛丼屋。パチンコ屋。潰れたボーリング場。パチンコ屋。ファミリーレストラン。もう少し行けば高速道路のインターチェンジが見えてきて、その近くには大型のショッピングセンターが見えてくる。あれが出来たのはタカオがまだ子供の頃で、当時は地元の商店街が猛反対したらしい。それから十年以上も経ってどうなったか。特に何も無かった。潰れる店は運命を受け入れながら潰れたし、そうでないところは改善策を出さずともまだ続いている。劇的な変化などない。すべてはいつも通り、時が流れゆくまま。
茹でカエルのようなものだ、と言ったのはキョウコだったか、それとも他の誰かだったか。この町にいる限り、気付かぬままに年をとって、そのまま何も起こらずに人生は廃れ過ぎてしまうのだと。
悲観的な考えだ、と思いながら、口には出さなかったのを覚えている。
信号が青に変わり、キョウコはシフトペダルを落とす。カコン、と小気味よい音が響き、二人が乗るバイクはゆっくりと走り出した。前回に乗った時は急発進も多く身の危険さえおぼえたが、それから比べれば彼女のライディングテクニックもそれなりに上達したらしい。クルマでも乗っていれば二人でお喋りしながら走るところだが、バイクの場合はお互い無言だ。見た目の密着性に反してデートというにはあまりにも素っ気なく、おまけにこのモタードはほとんど二人乗りを考慮していないため尻の座り心地も悪い。後ろに乗るタカオは二人分の荷物が入ったリュックを背負い、両手をキョウコの腰に回している。手袋と厚めのバイクジャケットに阻まれ、タカオの手は彼女の体温を感じるようなこともない。
走り始めてから一時間弱、国道から折れて山道に向かう県道にさしかかったところでコンビニに入る。
―――
「ずいぶんなガキが乗ってんな……と思ったらお前らか」
コンビニで思わぬ人物に出逢った。教師のクロサワである。傍らには愛車らしいコンパーチブルタイプの軽スポーツカーが止まっていた。聞けば、週末のドライブに向かう途中らしい。缶コーヒーをゴミ箱に放り、くわえ煙草のままキョウコのモタードに近寄る。
「けっ、WRか。いいモン乗ってやがる」
それだけ呟いて、クロサワはまじまじとバイクを見、そして離れていった。自分のバイクに触られそうになったのを警戒していたのだろう、キョウコは終始、ボトルの水を飲みながら独身中年教師を睨み付けていた。
タカオとキョウコが二人でこんなところにいること、という部分に彼の興味は無いらしい。
「てっきり補導対象かと」
「俺だってお前らくらいのトシには“こんなモン”にさんざん乗ってたし、仕事の外でまで教師をやるつもりもねえ」
「ちょっと二人でツーリングに行くだけです。青春の1ページってやつですよ」
「奥熊沢か。このクソ寒い時期に」
「はい」
「あんまり細い道に行くなよ。まだ凍結まではしてないにせよ、この冷え込みで落ち葉はずいぶん増えたし、路面のコンディションは相変わらず良くねえ。そいつのタイヤはあくまでオンロード用だし、グリップも過信するな。二人乗りで重心も変わってるからなおさらだ。“荷物”役をやるなら重心に気をつけてやれ。ともかく……事故って面倒を増やすような真似はするなよ」
やたら詳しいアドバイスが飛んできた。
「それから、お前らのことだからいちおう忠告しておくが……また半年前のアレみたいに……二人して山ん中で“失踪”するなんてこともな」
そう言うとクロサワはクルマに乗り込み、とっととコンビニを後にする。改造されたマフラーから放たれるエキゾースト音が、交通量の少ない県道に響いていた。
「そんなこと、言われないでも分かってる」
駐車場には二人が取り残され、そこでキョウコは吐き捨てるように呟いた。直接の担任ではないにせよ、あの“悪い意味で”有名な教師のことを、彼女もまたあまり良く思っていない。
――数日前、進路調査に適当な答えを書いて提出した時、タカオはそれとなくクロサワに聞いてみたことがある。この町に生まれて大学進学と共に離れ、そして何故またこの町に帰ってきたのかと。楽だからだよ、と、答えはただそれだけだった。生まれ見知った変化のない町。代わり映えのしない環境で鈍くなる感性。それは退屈な一方で、ことのほか楽なのだと。仕事は仕事と割り切り、熱をあげるようなこともせず、週末はただ愛車でドライブに興じ、好き勝手に遊ぶ。それが良い人生なのだと。どうしてそれで教師などという“面倒な”職についたのかまで、タカオは聞かなかったが。
「あたしみたいなのがバイクに乗るって、普通はやっぱりヘンなのかな」
小休憩を挟んだ後、バイクの傍で屈伸をしていたキョウコが突然そんなことを言った。免許もあれば、校則で禁じられているわけでもない(さすがに通学で使うのは許可されていないが)。乗ることも咎める人間もいない。それでも、クロサワのいた時代ならともかく、今のご時世にわざわざ中型二輪の免許を取る高校生は確かに珍しいともいえる。
「何を今さら」
「聞いてみるだけ」
「そりゃ、いきなり“取った”って言われた時には驚いたけどさ」
キョウコがバイクの免許を取った時は、タカオだけでなくチヒロもヤスヒトも驚いた。それが今年の四月のことである。当時はまだタカオとも付き合っていなかった頃だったが、三人の誰にも打ち明けることなく、ある日の昼休みの際に突然免許証を取り出して見せたのだ。
とにかく“アシ”が欲しかった、とキョウコは言っていた。それは事実だろう。駅前に行くのにも郊外のショッピングセンターに行くのにも、クルマやバイクがなければ、後は歩くか、スカスカな時刻表のバスに乗るしかない。だがそもそもキョウコはそこまで出掛けるのが好きな人間などではなかった。駅なら歩ける距離にあるし、ショッピングセンターは用事がなければ行くことなどない。移動だけなら原付でも事足りる。
「でもキョウコはこれに乗りたかった。ちゃんとした、そういうワケがあって」
理由の一つはそれからすぐに話してくれた。タカオと付き合ってからすぐのことである。彼女が小学生の頃に病気で亡くなった父親の……その形見であるバイクを受け継ぎたかったのだと。二人乗りをさせてくれるわけでもなかったが、休日の朝、あのモタードに乗って颯爽とツーリングに出掛けていく父親の姿は、幼いキョウコにとって憧れだったのだという。
走るより速いね、と、中学まで陸上部にいた彼女はそう言っていたのを覚えている。どんなにコンディションを整え、全身を限界まで奮いながら己の脚で走るよりも、手元のアクセルを捻るだけでずっと速い風になれるから。
「それに」
「うん」
「バイクなら、こうやって二人で走れるしね」
「後ろに乗るのにはあんまり向かないけどな」
「そこは我慢してよ」
そして。
……理由はもう一つある。今まで、それを彼女は決して口にはしていない。
けれどタカオは聞かずとも分かっている。
―――
県道を行き、信号を三つ過ぎたところで左に曲がる。一気に細くなった道は木々の間を縫うように曲がりくねる昇り坂へと変わっていく。左、右、と曲がるたびに、後ろに座るタカオは合わせて体重を傾ける。これが出来るかでタンデムは大きく変わる。夏に乗った時、キョウコに教えられたテクニックを身体が覚えていた。こうして彼女が安心して乗れるようにサポートをするのが良い彼氏というものだ。
時刻は十一時前。気温は低いが晴れているのはせめてもの救いか。単気筒がリズミカルに吹け上がり、キョウコとタカオを載せたバイクはぐんぐんと坂を登っていく。中途半端に紅葉した木々の隙間からのぞく陽光が、二人を照らしていく。後ろを走るクルマもなければすれ違うバイクもいない。こんな山道に、ただ二人だけ。
しばらく登っていった先に、ひとつのランドマークがみえた。
雁根岳のふところ、奥熊沢には灰川ダムというダムがある。観光地にもなっていない、展望が良いわけでもない、小さな事務所があるだけの、普段であればほとんど人も来ないような場所(クロサワのようにクルマを走らせたいだけの人間はもう少し広い道にいく)。そしてそのダムの傍には熊沢湖というダム湖があり、フチに沿うようにまた道が続いている。
ダムの事務所そばで一度バイクを止めたキョウコが、タカオのヘルメットをこつこつと叩く。
「……行く?」
この先に進むか、という意味だ。二人はそのために来た。もちろん行くに決まっている。けれど彼女は、まるで決意を確かめるかのようにタカオに問うた。この先はさらに道も細まり人気も無くなっていく。いわゆる旧道で、敢えて走るクルマなどいない。そうして道を進むと――やがて雁根岳を越え、山の向こうに出る。
二人はヘルメットを被ったまま、一度バイクを降りる。
ミアは半年前にここに来た。バイクで来れば半日もかからないが、町から歩いたとしたらどれくらいの時間がかかったのだろう? とタカオは思う。
そして現在まで、彼女は戻ってきていない。
――二人は、何故かそれを知っている。
――町の人々は、何故かそれを知っている。
――ミアはこの山で消えたと、皆それを知っている。
ダム湖に湛えられた水は太陽の光を反射してきらきらと光っている。
しばし湖を眺める二人の間に、ふと一人の少女の気配が沸き、すぐに消える。
「行こうか」
そうして二人は再びバイクに跨がり、山の奥へと入っていった。
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