4-12

「この辺り、夜中は随分静かなんですね……」


 社長の指示でやってきたのは、都心よりはやや郊外に位置する住宅地。

 所謂ベッドタウンという場所だ。


 『慶明学園幼稚舎』は豊かな自然の中で子供を育てるという教育方針のもと、緑の多い郊外に建てられている。

 長距離のバス通学は園児に負担がかかることから両親はこの近くに自宅を構えることが多く、佃家族もその中の一人だった。


「逆に日中は用はない人はほとんど来ないから目立つんだ。

加えて早朝は犬の散歩やジョギングで人目に付きやすい」


「なるほど、だから余計に明るくなる前が勝負、と」


 佃が借りているというマンションの近隣のコインパーキングで車を降りると、キャップを目深にかぶった。


「焦らなくていい、気負いは禁物だよ」


 社長に背中を軽く叩かれた僕は、深呼吸をして自分を落ち着かせる。

 しかし心臓の鼓動は簡単に治まるものではなかった。


「僕たち、防犯カメラには映らないんですか?」


「映るヨ」


「ダメじゃないですか!」


 つい大きな声を上げてしまい慌てて口を塞いだ。

 メイさん曰く、見る人が意識の外なら問題ないらしいけど、不安が払拭された訳ではない。


「そんなにビビり散らかしてんなら、湊徒は車で震えて待ってればイイヨ」


 僕の不安が余程態度に出ていたのか、メイさんに足手まとい宣言されてしまった。

 自分から言い出したことなのに怖気づくなんてカッコ悪すぎだ。


「いえ、すいません、もう泣き言はこれで終わりにします」


 両頬を叩いて気合を入れた僕をメイさんは鼻で笑って僅かに微笑む。

 ただでさえ時間が無いので、雑談を打ち切り行動に移った。


 街灯の明かりを避けるように競歩の如く早歩きで進みながら、目的のマンションを目指す。

 既に遠くの空が白く霞み始めていて、どうしても気が逸る。


 すると社長が唐突にハンドサインで指示した。

 手のひらをこちらに向けているのでおそらく停止せよということだろうと、僕たちは無言で頷いて一旦物陰に集合する。

 この人は急にそれっぽい雰囲気を醸し出してくるから困る。


「このマンションですか?」


「うむ、14階の角部屋だ。

オートロックだし、なるべくカメラに映らないように表に面した非常階段を使おう」


「うへー」


 社長の言葉に怠そうに肩を下げたのは理子さん。


「クスクス。最近チチ以外も膨れて来たからダイエットにちょうどいいんじゃないカ?」


 それをメイさんがからかうように笑うと、一足先に上空へ飛んで行った。


「……卑怯者」


 理子さんはぼそりと呟くと渋々階段を上り始める。

 次いで社長が登り、僕は殿だ。


「はあ、はあ……結構、きつい、っすね……んく、はあ……今何階ですか……?」


「8階だね」


 社長のその言葉に絶望する。

 体感では10階は越えたかというレベルなのに……。


「非常階段は踊り場が多いから、ついどこまで登ったか錯覚してしまうこともあるかもしれないな」


 話ながらも社長の足は止まらない。

 膝で体を支え息を切らしている僕との差が広がっていく。


「……くそっ、だらしない。

僕がいちばん頑張らなきゃいけないのに……!」


 笑う膝にげんこを突いて自分を鼓舞する。

 既に力が入りづらくなった両足を必死に動かすのだった。


「ここが14階ですね」


 列の先頭でいちばん最初に着いた理子さんがフロアに入るための鉄扉に触れている。

 僕もなんとかふたりに離されないよう必死に食らいついて無事到着し、必死に呼吸を整える。


「これは電子キーではなく一般的な物理鍵ですね。

これならすぐに開けられます」


 理子さんはどこぞの鍵開け職人のように鍵を分析する。

 まるで『開かずの金庫』でも見ているようだ。

 そしてその言葉通り、扉は理子さんがノブを捻っただけで鍵なんて最初からかかっていなかったかのように、あっさり開いた。


「静かに、慎重に入りますよ」


 理子さんが人差し指を口の前で立てて『しー』の合図をする。

 階段の時と同じように、理子さんを先頭に社長と僕が後を付いて行く。

 それにしてもメイさんはどこにいるんだろう? もうとうに着いてるはずなのに……。

 しかし、今はメイさんのことを気に掛けている余裕もなかった。


「どうですか?」


 僕より一足先に佃家の玄関に辿り着いた理子さんが早速解錠を試みている。


「鍵自体は普通ですが、複数つけられてますね……でも数が多いだけです」


 理子さんは扉に手をかざし精神を集中させている。

 解錠魔法もまずは鍵自体の構造を把握する必要があるようだ。


「できました。いきます……」


 理子さんはドアノブに手をかけ、何か唱えながら静かに手首を返す。


「……開いた! よし行き──社長?」


 玄関のドアも理子さんの解錠魔法にかかれば一瞬だ。

 急いで踏み込もうとする僕を社長がハンドサインで制す。


「メイ君……ああ、頼むよ」


 そして、もう片方の手にはスマホを持っている。

 どうやらメイさんとなにか連絡を取っているようだけど。


「いいんですか? じゃあ……」


 そのまま1分程が経ち、社長が再びハンドサインでおそらく行っていいぞの合図を出す。

 そのハンドサインも急にしたりしなかったり、そもそもなんの合図なのか打ち合わせもしていない、完全に社長の気分だ。


 静かにドアを開け玄関に侵入する。

 真っ暗な室内を靴のままライトで照らしながら慎重に進む。


 ──”シンニュウシャ、ヲ、ケンチシマシタ……シンニュウシャ、ハ、タダチニ、タイキョ、シテクダサイ”──


「しまった、ソコムしてました!」


 突然鳴り始めた電子的な警告音声に驚いて逃げ出そうとする僕の腕を社長が掴む。

 振り返る僕に社長は首を静かに左右に振った。


「静かに。このマンションは防音構造だから、音声は玄関を閉めれば外まで漏れないよ。

警備会社への通報はメイ君が外で遮断してくれているから安心したまえ」


 その言葉に少し落ち着きを取り戻す。

 メイさんが入ってこなかったのはそのためだったらしい。

 と言うか企画立案者は僕なのに、なんで知らないんだ。


「取り乱してすいません、もう大丈夫です」


 思うところはあるけど、目的を見失わないようにしないと。

 僕は社長から離れ、室内を探る。


 ライトの僅かな明かりを頼りに、ひろしくんの夢の中で見た景色を思い出す。

 玄関からまっすぐ奥へ。右手にキッチンがあるはずだ。


「あった、じゃあ……こっちだ」


 記憶に頼れば当然あの時の記憶が脳裏によぎり、心臓の鼓動が徐々に騒がしくなってくる。

 いくら踏ん張っても足の力が抜け今にも腰が抜けそうなのを必死に堪えている。


 竦んで歩みを止めようとする臆病な太腿に数回げんこを見舞いながら、キッチンから左手に進んで居室の扉を開け、その先に目を凝らした。


「あ……あ、ぁ……!」


 そして、記憶どおり部屋の突き当りに厳重に目張りがされた引き戸があった。


「あそこだ……間違いない」


 あの先にまことちゃんがいる……いや、『まことちゃんだったもの』があるはずだ。

 恐る恐る部屋を進むと、震える手で目張りをはがした。


 ばりばり、びりびり……。


 胸が苦しい、吐き気がする……今にも心臓が飛び出しそうだ。

 テープをはがす手がしびれて感覚が無い。


 気が付くと社長と理子さんが目張りをはがすのを手伝ってくれていた。

 僕は何度も頭を下げる。


「あ、開けますよ……」


 やがて目張りは全て剥がされ、引き戸の取っ手に手をかけた。

 そして開けた先には──

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