4-5
翌朝、寝醒めの体は少しだけ重かった。
掃除機をかけ床を水拭きし、窓は2回拭いた。
「あ、理子さんおはようございます。
……なんですかそれ?」
モップを片付けに廊下を歩いていると、物干し竿のようなポールを小脇に抱えた理子さんとすれ違った。
「昨日破られた結界を修復しにいくところです」
昨晩は平和な夕飯から一転、突然の蕩山理事長の来訪。
その際にあの黒塗りのミニバンで結界を突き破られたんだ。
「結界ってそんな簡単に破れちゃうものなんですか?
なんというか、バリア的なものかと思ってました」
「この結界の役割は認識阻害なので、物理的に侵入を阻む障壁結界じゃありません。
パリーンなんて割れると思ってました?」
「あの、それだいぶ古いっす」
そういえば以前、この結界は会社に辿り着ける人を条件付けでフィルタリングするのが目的だと理子さんが言っていたことを思い出す。
「力仕事なら手伝いますよ。
それで、この物干し竿みたいなのでどうやって直すんですか?」
僕は理子さんからポールをひょいと奪い取ると玄関に向かって歩き出した。
なんとなく今はじっとしていると色々考えてしまいそうで、体を動かしていたかったからだ。
「反対です。破損個所へは裏口から出た方が近いので」
その声に慌てて踵を返して今度は廊下を反対方向へ。
瞬間、理子さんにポールを掴まれ引き留められた。
「というか湊徒、結界が見えませんよね。
これはリコひとりでやるので、湊徒は自分の仕事をしてください」
理子さんはもう片方の手に持ったままのモップを指さし、僅かに微笑んだ……ように見えた。
「湊徒はナイーブですね。不安な気持ちは理解しますが大丈夫ですよ。
これでもリコたちはお得意様なので、協会もそこまで無茶振りはしてこないと思います」
心の内を見透かされてしまい、恥ずかしさから顔を伏せる。
彼女はそんな僕からポールを取り返し、ひとりで結界を直しに行ってしまった。
理子さんの言う通り少し心配し過ぎかもしれない。
気持ちを切り替えようと少し強めに頬を叩いた。
「……あの棒の使い方、今度ちゃんと聞こ」
──
「湊徒君おはよう。よく眠れたかい?」
事務室に行くと、社長が既にデスクに着いていた。
時計をちらりと窺うが、今朝は普段の始業よりも更に早い。
「あ、はい……」
「今日は長時間運転もあるし、いろいろ大変そうだから頼んだよ」
僕の心許ない返事に社長は少し活を入れるように語気を強める。
「大変、ですか?」
「ああ。佃という人物の件だがね、ここに確認したよ」
僕がデスクの前まで来ると、社長は昨日蕩山から渡されたメモの切れ端をひらひらさせながら深刻そうに切り出した。
「今日アポを取ってあることは間違いなかった。けどね……」
「なんです?」
無意識に唾液を飲みこむ。
「どうも面会ではなくて保護になっているみたいなんだ」
「……つまり、引き取ってこい、と。
親は、両親はなんて言ってるんですか!」
不意に聞いただけの社長に食って掛かってしまったが、社長はそれを咎めず黙って首を振るだけだ。
犯罪を犯したとはいえ子供が「厄介者として処理」されようとしている。
それも異世界転生をその手段として使い、執行するのは僕たちだ。
ここへ来る前は希望に満ちたイメージだった異世界転生がこんな使われ方をするなんて、あの時は想像もできなかった。
「まあ、多少予定が変わってしまったとは言え、どの道転生させるには弊社へ足を運んでもらう必要があるんだ、手間が省けたと思おう」
「……はい」
僕は静かに返事をする。
被害に遭われたご遺族には申し訳ないけど、せめて
──
「それじゃ行ってきます」
軽トラ『エクソダスコフィン(こふぃ~ちゃん)』はゆっくりと発進する。
僕は窓から手を出して社長とどこかにいるメイさんに挨拶をしながらアクセルを踏む。
車は一路社屋から出て国道に乗ると、彼が収監されているという医療拘置所のある都心方面へ舵を取った。
「さっき社長、僕たちを見送りながら『今度は揉め事を起こさないように』って顔に書いてありましたよ。
酷くありません?」
「ふっ。
湊徒が余計なことしなければ、今こうして拘置所へ出張なんて真似してないと思いますが」
鼻で笑うの止めてもらっていいですかね。
直接手を下したのは理子さんですよね?
それに結果的には影乃さんは助かったんですから、よかったじゃないですか。
「…………」
そう思っただけで、口には出さずにいた。
その代わりに不意に思い出したことがあった。
「あ、昨日寝るとき考えてたんですけど……」
僕は佃寛に殺害された人物やその遺族は当事者の転生でどういった扱いになるのか理子さんに聞いてみた。
それに対し理子さんは。
「犯人が転生し存在を失っても、奪われた命は残念ですが帰って来ません。
多くの場合は神隠しのような蒸発や事故に巻き込まれた形で辻褄合わせが行われます。
これは憶えておいていいです、転生者はいなくなっても成し遂げた偉業や強く心に刻みつけた行動は形を変えてこの世界に残ります。
先日の橘様のライブ映像が残ったように」
僕は理子さんの話に水飲み鳥の如く相槌を打つ。
仮に100メートル8秒で走った人が転生しても達成者が誰であるかが曖昧になるだけで、その記録を出した事実だけは残る。
「なるほど……じゃあ蕩山理事長が影乃さんのことを憶えていたのは?」
「よくはわかりませんけど、元々異分子だからでは?」
「……そんなもんですかね」
質問攻めに少し鬱陶しそうな表情を浮かべた理子さんを見て、僕はこれ以上の質問をやめた。
まだまだ時間がかかりそうな車内で険悪にはしたくなかったからだ。
僕はダッシュボードに設置されたスマホのプレイリストを検索しなるべく軽快な音楽を再生した。
──
「んん~~~!」
車を降りて数時間ぶりに伸ばす腰が、細い小枝を順に折っていくような音を立てている。
重たいドアを閉めると、その向こうで上体を反っている理子さんの丘陵が雲一つない青空を突いていた。
相変わらずぱっつんぱっつんですこと。
「予定より早かった。道が空いててよかったですね。
それにしても入り口で身分証明書の提示求められたときはビビりましたよ~」
僕たちは目的地である多摩医療拘置所に到着した。
入り口は厳重に鋼鉄製の門で閉じられており、入るためにダメ元で社長の名刺(フォーマルVer.)と今回依頼人である蕩山理事長の名刺を出したところ、あっさり通してくれた。
今回は助けられたが、協会が国のどれだけ深いところまで関与しているのか改めて疑念を抱くことにもなった。
「結構大きい施設ですね……この中全員……」
そう考えると急に緊張してきて、足がすくんだ。
「ほら行きますよ、自称ジャーナリスト」
怖気づいた僕を理子さんが追い越していく。
お尻を叩かれたような気がして、慌てて彼女の後を追う。
「1209番ですね、伺っております。
準備ができましたらお呼びしますので、お掛けになってお待ちください」
窓口で佃寛の保護を申し出ると、受付の女性は冷静に、まるで病院の患者のように対処した。
しばらくして体格のいい係員に呼ばれると、彼の後を付いて行く。
「あの人、武装してますよ」
僕は先を歩く彼の後姿に腰の警棒とスタンガンらしきものと、手錠を確認し理子さんにこっそり話す。
理子さんは無反応だったが、僕は改めてここが『そういう場所』であると再認識する。
「ここです。それでは注意事項と今後の手続きを──」
係員は何個目かの鉄扉の前で止まると、こちらへきっちり180度旋回して淡々と話し始めた。
あくまで事務的に説明しているが、最終的には自分の身は自分で守れということだった。
手続きに関しては 理子さんが署名しているところを僕はドキドキしながら見ているだけだった。
「それでは開けます。いいですね?」
係員がドアノブに手を伸ばし、こちらに意思確認をする。
この先には5人殺したシリアルキラーが待っているのかと考えるだけで心臓が高鳴って喉が渇いた。
「はい、お願いします」
理子さんがそう言うと係員は僅かに頷いてドアを開けた。
──なにもなく狭いコンクリートで四方を囲まれた、部屋というより箱、牢獄のような一室。
そこに一脚のパイプ椅子、座っていたのは──。
「……あれ?」
「!?
まま……ママぁ~~!」
理子さんを見つける一目散にその大きなバストに向かって飛びこんできたのは、どう見ても幼児だ。
「ど、どういうことだ……?」
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