第26話 出禁の男 2

「今日は偶然お肉の特売日で良かったですね。

おかげで想定よりランクの高いのが買えましたよ」


 帰りの車内、恵比寿顔の僕とは対照的にメイさんの表情はイマイチすぐれない。

 まだ引きずってるのかもしれない、僕が元気づけてあげなきゃ。


「メイさんはソースは和風派ですか、洋風派ですか?

でも今日は良い肉なんで、僕のオススメは塩コショウです」


「やっぱりオカシイ」


「……はい?」


 メイさんは僕を懐疑的な眼差しで睨みつける。

 どうやら僕が行きがけに目印に折った枝を辿りながらまっすぐ車まで帰り着いたことで、迷わずメイさんの元まで来たことを勘付かれてしまったようだ。

 そして僕の勘の方はまたしても外れたようで。


 そんなメイさんの追及をのらりくらり躱しつつ会社へ到着。

 僕は社長への報告もそこそこにして、逃げるように台所へ閉じこもったのだった。


──


 宵の帳が辺りを包んだ頃、社屋内は思わず唾液を飲みこんでしまうような食欲をそそる芳香で充満した。

 単に僕が換気扇をつけ忘れただけなんだけど。


「皆さん、夕食ですよ~」


 そして各私室の前まで行き、ひとりひとりにドア越しに声をかけ、そして全員が集合するまでの時間で配膳を済ませる。

 この辺はもう慣れたもので、すっかり食事時のルーティーンだ。

「どうしたんだい? また随分と豪勢じゃないか」


 社長は卓に着くなり目の前の分厚いお肉に驚きの声を上げる。


「メイさんのリクエストで。

お金も入ったことだし、少しばかり良い物をと」


「経費は大切に使ってください、じゃないと給料から引きますよ」


 相変わらずシビアな理子さん、メイさんはと言うと……。


「オイ、厨房に逃げたチキン……さっさと白状するネ」


「はは、嫌だなあ、ちゃんとビーフ100%ですよ」


 なんだよせっかく顔合わせ無いようにしてたのに……意外としつこいんだから。


「……呀?」


 無意識に威圧してくるメイさんが怖い……!


「ま、まあ……そんなピキピキせずに、せっかくの料理が冷めないうちにどうぞ。

いただきまーす!」


 こういうのは先に言った者勝ちだ。

 これで全員食事へスムーズに引き込める。

 メイさんは不機嫌そうに肉を口へ運ぶが、想像以上に美味かったらしく半端に顔がほころんで変な顔になっている。


「ところで、なんで湊徒君はメイ君を避けているんだい?」


 食事もある程度進んだ頃、突然斬り込んできた社長の一言にフォークを持つ手が止まる。

 せっかく話題が逸れたのに、まさか話題を引き戻されるとは。


「イヴ様ぁ~、酷いんですよぉ……湊徒がウチに発信機か探知魔法仕込んでるみたいなんです~。

ちょっと外出しても追跡されて、メイこわぁい……。

これって、立派なストーキングですよね?」


 すると早速メイさんの攻勢が再開された。

 久しぶりの猫なで声は最初に聞いた時のイメージとは随分変わり、今では普通に気持ち悪いだけとなった。

 ここにいる全員が彼女の本性を知っているのに、その行為自体に意味があるんだろうか。


「あーあのそれはですね──」


「ふふ、さすがメイ君、私が持たせたマスコットにもう気が付いたとは勘が鋭いね」


 まさかの社長からのカミングアウトで、今まで必死に誤魔化してた僕の立場と気遣いが無に帰した。


「……!? まさかここ、これカ……?」


 メイさんは社長からもらった小さなぬいぐるみを震える手で懐から取り出した。

 相当に大事にしていることは一目瞭然だ。


「いイヴ様……? これはウチの自由を制限するもので……裏切り行為ヨ……?」


 予想外の方向からきた事実にメイさんは驚きを隠せず、ショックを受けているようだ。

 だから必死に隠してたのに、それを自分で言っちゃうんだもんなあ。


「どうだい、我ながらいいアイデアだと思わないかい?

どうしてもキミの自由を尊重したいなら、廃棄するのもまた自由だ」


「そんなの無理! イヴ様に『これを私だと思って肌身離さずお守りとして持っていてほしい』なんて言われたら、捨てられるワケないヨ!」


 メイさんは頭を振って否定する。

 惚れた弱みに付け込むなんて、さすが魔王。


「ぐぎぎぎ……ウチの宝物が足枷なんて……」


 フェルト製のマスコットがメイさんの握力でぐにゃりとひしゃげる。

 その握る強さが彼女の口惜しさを物語っていて、なんかちょっとかわいそうにも思えてきた。


 と思ったのも束の間、メイさんは怒気の籠った視線を放ってきた。

 グルルルと低い唸り声が僕の心の中では聞こえている。


「オマエの入れ知恵なのは、分かってるゾ……憶えてろヨ」


「な、何のことでしょう……?」


「仕方ないですよ、壊滅的な方向音痴なんですから~。

ちょっと出かけたら年単位で帰ってこないんですから……ぷぷ」


「カラカラうっさいねデカチチ!

オマエもこの肉の隣に並べてやろうカ──」


「「「!!?」」」


 理子さんとメイさんが立ち上がり、僕への怒りが飛び火してまたいつものケンカが始まるのかと思いきや。


「まあまあおふたり……とも?」


 社長もなぜか立ち上がっていた。

 そして僕以外の全員が一斉に皆窓の外を向いている。


「……ふむ、結界が破られたようだね。

お客様、という感じではなさそうだ」


「しかも正面から更に強力な魔力でブチ破りやがりました」


「カチコミカ? ちょうどいい、ギッタギタにしてやるネ♪」


「え? え……?」


 社長はグラスに残ったワインを飲み干し、ナプキンで口を上品に拭う。

 理子さんは入り口の方向に神経を集中させてなにか探っているような素振りをしている。

 メイさんは残りの肉を一気に頬張って、リスのように膨らませたほっぺたをもぐもぐさせている。

 三者三様のリアクションだが、全員突然の訪問者を警戒しているという点は共通していた。


「あ、あの僕、出迎えてきます……!」


 一方特に何もできない僕は、せめてもと玄関へ向かって走り出していた。


 玄関で待っていると、間もなくヘッドライトの明かりがよぎって停止した。

 どうやらこの目の前まで車を横付けしてきたようだ。

 そこから伝わってくる威圧感で、体が強張る。


 うん? 待てよ……この感じ、ついこのあいだ……。


 この感覚は僕にも覚えがある……不遜で傲慢、横柄な奴だ。

 そして、呼び出しインターホンも鳴らさず扉が開け放たれた時には答え合わせができていた。


蕩山とろやま……理事長……!」


 入り口の観音開きのドアを全開に開け、黒塗りの高級ミニバンから降りてきたストライプのスーツに身を包んだ大柄な男は、玄関にいる僕を見るなり見下し気味に話しかけてきた。


「おや? 確か……向井さんでしたかな」


「向(むかえ)です」


「はっはっは、これは失敬、他の社員の方はお留守かな?」


 蕩山理事長が突然やってきた。傍らに奥川さんを従えて。

 これから彼がどんな波乱を持ち込むのか、僕は溢れ出しそうな不安を押さえるのに精いっぱいだった。

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