3-5

「あれ? さっきの」


 部屋を出るとそこには受付の女性が。


「お願いです、私も連れて行ってください!」


影乃かげの君、仕事はどうしたね」


 僕を見つけるなり駆け寄る女性に対し、蕩山理事長は威圧的に注意する。

 というか、受付の女性は影乃さんって言うのか。


「湊徒、意外にたらし属性があるんですね。もしかして魔族におモテになられるんですか?」


 理子さんの嫌味はまるで、こんな時に脳内ピンクかと言わんばかりに侮蔑がこもっていた。

 確かになに初めての訪問で口説いてるんだと言われても仕方がないシチュエーションだ。


「あちょ、待ってくださいって」


 そして言うだけ言うと、影乃さんに構いもせず入り口に向かって歩き出してしまう。


「聞こえなかったのか影乃君、仕事に戻りたまえ!」


 苛々しだしたのか更に語気を強める理事長。

 この巨体で怒鳴られると威圧感が半端ない。

 ましてや上司であれば尚更恐怖なことだろう。


「…………」


 思った通り理事長に恫喝された影乃さんは、すっかり黙りこくって萎縮してしまった。

 しかし僕を頼って待っていたということは、余程の決意があったに違いない。


「行こう!」


 僕は迷った挙句、彼女に手を差し伸べてしまった。

 今はただでさえ理子さんと険悪なのに、これ以上のトラブルは避けるべきなのは分かっている。

でも、こんなパワハラ無視できなかった。


 影乃さんが僕の手を命綱のようにしっかり握ってきたのを確認すると、走って理子さんに追いつく。


「それで? それ・・をどうするんです?」


「さ、さあ……なんか転生したいらしくて。今はとにかく逃げましょうか」


 三人で僕らが入ってきた入り口を目指す。

 後方から理事長たちが追ってくる気配は感じないけど、このまま素直に帰してくれるとは思えない。


 そして、僕たちが入り口の受付を通過したときだった。


「ですよね~……」


 前方の共有スペースには既にスーツ姿の男性が数人、僕らに立ちはだかっている。

 彼らは皆一様に細く長身で、同じような見た目だ。


「やれやれ、困った人たちだ」


 そして後方からは、蕩山理事長が一人でゆっくり歩いてくる。

 奥川さんの姿はない。


「我々も御社とは良好な関係でいたい、お宅だって無用な揉め事を起こしたくはないでしょう。さあ、大人しく影乃君をこちらへ引き渡しなさい」


 まるで人質解放を説得する刑事のような口ぶりだが、その形相たるや本物の鬼の如きそれで。

 恐怖から影乃さんは震えて首を振りながら口をパクパクとさせるだけで、まるで言葉になっていない。

 引き渡せば、この後彼女はきっと厳しい罰を受けるだろう。

 しかしあの怖い顔……やはり元は人間食べていたという話は誇張でもなさそうだ。


「はあ……ホント湊徒はお節介で面倒ごとばかり。リコはこんな場所さっさと帰りたいんですけど」


「理子さん、まさか手貸してくれないんですか? いくら何でも冷たすぎじゃありませんかね」


 まさか影乃さんを置いてこのまま帰ろうとか言うのか。

 雰囲気を察した影乃さんは今にも泣き崩れそうだ。


「貸しイチですよ」


「え? うわっ……お、重……っ」


 理子さんは金塊入りのトランクを僕に向かって放り投げ、スーツとブラウスの胸ボタンをカッコよく外した。


「後輩の尻拭いはパイセンの特権ですので」


「おお……っ」


 そしてまろび出た巨大バストの谷間へ手を突っ込んだ!

 そのビジュアルとかけ離れた勇ましさ、さすがですぱいセン。

 そこから取り出した物はなんと──


「あれは……『過保護魔法少女インキュベイター』のミラクルワンド! 僕、見てましたよ!」


「ぶぶー、よく見てください。

これは続編『超過保護魔法少女インキュア』のママンステッキです」


「どっちでもいいですから助けてください~~」


 それにしてもあの谷間、キャパに限界はないのだろうか。

 そんなことを考えている間にも、男性たちは僕らの抵抗する意思を確認して動き出していた。


「奴らはガーゴイル、目から出る怪光線に触れた場所は石にされますから絶対避けてください」


「そんな急に言われても……!」


 金塊が入ったトランクが重くて思うように動けず、千鳥足の僕にその注文はなかなかハードだった。


「カーーッ!」


「ぎゃー! マジで撃ってきた!?」


 間もなく本当にビームが飛んできて、無我夢中で体を反って翻す。

 おそらくとてつもなく不格好だろうが気にしている余裕なんてない。


「リコはこっちですよ。ざぁこ、ざぁこ♪」


 僕がわたわたしている隙に走って距離を取った理子さんがウサ耳ポーズでぴょんぴょん跳ねてガーゴイルを挑発する。


「カーーッ! カーーッ!」


 その誘いに乗ったガーゴイルたちは理子さんに石化ビームを一斉掃射。


「理子さぁんっ!」


 だめだ、理子さんが石にされる……!

 僕が叫んだ、そのほんの一瞬だった。


「……リーディング開始スタート


 ガーゴイルたちの放った石化ビームが、なにか呟いた理子さんの胸の谷間に吸い込まれるように消えていく。


「えいっ!」


 今度はスケート選手のようにくるりとターンしてママンステッキをひと振り。


「うそ……」


 すると瞬く間にガーゴイルたち全員と蕩山理事長の膝から下がセメントのような色をして動かなくなった。

 まさかのたったワンアクションで形勢逆転してしまうなんて。


「さっきは偉そうなこと言った割にリコのこと、もう忘れたんですか?」


 その発言の先には、不覚を取って苦虫を噛み潰したような顔に変貌した蕩山理事長がいた。


「リーディング賢者リコ……」


「なんですそれ?」


「相手の固有特技を覚えて行使する魔法のことですよ」


「ご丁寧にどうも……あ!」


 律儀に答えてくれた理事長に会釈したその時、思い出した。


 ~『それは元々ウチのチカラ、デカチチがウチがいないのをいいことに、ヘンな形でコピーしただけヨ』~


 そういやこの間、メイさんがそんなこと言ってた!

 それにしてもおっぱい芸、おそるべし。


「それでは落ち着いたようですので、リコたちはこれで御暇します。買い取りありがとうございました」


「くっ、この借りは高くつきますよ……」


 理子さんはまるで何事もなかったかのように平然と帰り始めた。

 僕も金塊のトランクを抱え慌てて後を追う。


「さ、影乃さんも」


 影乃さんは動けない理事長に、申し訳なさそうに深々と頭を下げたあと踵を返して歩き出す。


「……そうそう、最後に忠告しておきますが……そこの影乃は『シャドウゴースト』という死骸に取り憑いて体を乗っ取る下級魔族でしてね」


 それを聞いた影乃さんの足が止まる。


「……それが?」


「魂が無いんですよ……つまり、転生させても抜魂結晶を生まない無用の長物というわけです。お宅も影乃を転生させようと言うなら、見返りは期待しないことですな」


 蕩山理事長の投げつける心無い言葉。

 振り向けば、彼は余裕の顔を取り戻していた。

 それが単なる虚勢なのかは僕にはわからなかった。


 僕は暗く堕ちそうになる心を必死に掻き消しながら、立ち止まったまま俯く影乃さんの背中を軽く押す。


「では失礼します……行きましょう」


 一発殴ってやりたい気持ちをぐっと堪えて理子さんの待つエレベーターホールへ。


「遅いですよ湊徒」


「すいません」


 僕と影乃さんがエレベーターに乗り込んだのを確認すると、理子さんは来た時と同じようにパネルに魔力のようなものを当ててボタンを操作した。


「…………」


「…………」


「…………」


(まさか今、襲われたりしないよね……?)


 降下中のエレベーターの中を重苦しい空気と緊張が支配する。

 室内が半分くらいに狭く感じて、息が詰まりそうだ。


 やがて三人を乗せたエレベーターは特に妨害などされることもなく、無事に入ってきた地下エントランス階に到着した。


「あの~、いいですか……?」


 扉が開く前に、影乃さんが沈黙を破った。

 僕たちは少し緊張した様子で彼女の言葉を待つ。


「出しっぱなしで外、出るんですか……?」


 影乃さんは自分の胸をツンツンしながら理子さんに向かってそう言った。


「ぷっ……! 露出狂だ(笑」


 僕が思わず噴き出したことで、重苦しい空気が塗り替わる。


「!!? うるさいですね、リコはエレベーターでの万が一に備えてたんです~っ……! ぶ~」


 理子さんは慌ててステッキをしまい、ブラウスとスーツのボタンを留め直す。

 口を尖らせて怒っているが尖った気配はなく、普段のコミカルさが戻ったように思う。


「どんまいどんまい、先っぽ見えてないからギリセーフ……ぷ、ふふ。というか聞きたかったんですけど、どうやって入ってるんですかそれ。四次元ポッケなんですか?」


「湊徒は今月給料ナシ」


「ふっ甘いですよ、今売上持ってるのは僕なんですからね~」


「ふふ、ふふふ……」


 僕たちのやり取りを見ていた影乃さんの顔にもようやく笑顔が戻ってきたようで、少しホッとした。

 しかしまだ彼女を無事送り出すという仕事が残っているし、気を引き締めないと。


「さあ会社に帰りましょう!」


 僕はふうっと息をひとつ吐いて開ボタンを押した。

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