3-3

「おっと、こんな場所で立ち話はいけませんな。ささ、中へどうぞ」


 蕩山理事長が手で案内するような合図をして社内に向かって歩き出し、奥川さんがすぐに追随する。

 僕もすぐについて行こうとしたのだが、まずその前に。


「すいません、トイレいいですか?」


 長時間の運転が響いて、急に尿意を催してしまった。

 訪問する前に気が付かなかった僕の失態だ。


「それでは私がご案内いたします。こちらへ」


 僕が手を挙げると、先程受付してくれた女性が同行してくれることになった。

 一言伝えようと理子さんをちらりと窺うが、彼女はそんな僕には目もくれず理事長たちについて行ってしまった。


「……まあいいや」


「どうぞ」


「あ、どうもすいません」


 僕たちは三人の少し後方を歩き、次の角を右に曲がる。

 トイレはその曲がったすぐ先にあった。

 どうやら理子さんたちはそのまま廊下を直進していったようだ。


「あ、もう大丈夫なんでここでいいです。ありがとうございました」


 僕は案内してくれた受付の女性に頭を下げてトイレへ。

 トイレ自体は至って普通のもので、蕩山さん用巨大便座とか期待したが残念ながらそんなものはなかった。


「ふう……結構危なかった」


 僕が用を足し終えハンカチで手を拭いながら出てくると、まだ受付の女性が待っていてくれた。


「あ、案内なら場所だけ聞けば大丈夫ですよ──ぉ!?」


 すると女性は僕に抱き着くように迫ってきて、そのまま壁際に押し込まれてしまった。


「え、あの、ちょ」


 え? なになに、怖い怖い……!

 いやまてよ、襲うなら用足し中の方がより確実……。

 じゃあもしかして、僕に一目惚れとか!

 まてまて僕には父さんを捜すという目的が──。

 でも彼女の気持ちを邪険にするのも良くないし……。


 ほんの一瞬の間に僕の思考は富岳も裸足で逃げ出すレベルで高速回転し、様々な妄想を脳内に繰り広げていく。

 それは次第に飛躍し、痛々しい物語を紡いでいた。


「でも僕たち今会ったばかりだし、名前も知らないのに結婚なんて早──」


「お願いです、私を元の世界に帰してください!」


「……ん?」


 ちょっと待って欲しい。物語の中の僕たちは既に円満な家庭まで築いているんだが。

 しかし彼女はそんな僕などお構いなしに続けた。


「私、蕩山に騙されてこっちの世界に連れて来られたんです!」


「えっ……!?」


 唐突過ぎる告白内容に僕の困惑は更に酷くなった。

 妄想など一瞬で吹き飛び、最早頭の中はカオスだ。


「蕩山は転生の魔法を利用して、自分の世界とこの世界を繋いでいます。そして転生と銘打って人間の精神を往来させることで莫大な魔力を手にしているんです!」


 彼女の必死さとは裏腹に、僕には彼女が何を言っているのかさっぱりわからない。

 転生で魔力を……集めるとはどういうことだろう。


「私はこっちの世界で人間に転生させてもらう契約だったのに……人間にもなれず手足のように働かされて」


「ちょ、ちょっと待ってください、今はとにかく仕事があるので。後で必ず話は聞きますから、すいません!」


「あ、待って──」


 僕は追いすがる彼女を振り切って、さっきの曲がり角まで引き返した。

 どういうことだ? いったいここは何をしている組織なんだ……?



■□■□



 蕩山は『第1会議室』とプレートに書かれた扉をノックなしで豪快に開け放ち入室すると、最も上手の椅子へどっかりと腰を落とした。

 奥川も続いて腰掛けようと蕩山の隣の椅子を引いたその時。


「奥川君、飲み物は」


「あ、はい! 失礼しました!」


 蕩山に聞かれて慌てた奥川は、扉近くにいた理子を押しのけ部屋を出て行ったと思えば、即座に引き返してきた。


「えぇと、ホットでしょうか……?」


「ペットボトルでいい、その方が残りをお持ち帰り頂けるだろう」


「は、なるほど。承知いたしました」


 奥川は今度こそ部屋を出て行き一目散に廊下を駆けて行く。

 蕩山はそれを見下すような目つきで見ていた。


「……フン。それしきのことも考えられんとは、やっぱり人間は知能が低い生き物ですなあ。

あ、どうぞお掛けになって構いませんよ」


 客人の前で部下に対し尊大な態度を見せる蕩山に、理子は不快感を露わにしている。


「あなたのような下等魔族の分際で人間を見下すとは随分と偉くなりましたね」


「なんですか城前さん、あなたまだ私どもがこの魔法を利用していることが気に入らないんですか?」


 蕩山と理子の間に険悪な空気が流れる。

 敵意を剥き出しにする理子に対し、蕩山の顔にはかなり余裕が窺えた。


「申し訳ありませんお待たせいたしました。

……あれ? どうかされました?」


 そこへ飲み物を取りに行った奥川がハンカチで額の汗を拭き拭き申し訳なさそうに帰ってきて、二人の雰囲気に目を丸くしていた。



■□■□



「参ったな、なんか動揺して場所聞くの忘れちゃったよ」


 このオフィスは壁やパーテーションで細かく区切られているらしく、さっきからずっと細い廊下だけを右へ左へ歩いている。

 誰かに聞こうにもさっきから人っ子一人遭遇しないのはかなり不気味で、まるでゲームの3Dダンジョンのようだ。


「やっぱりここは魔物の根城でしたと、そういう訳ですか」


 脳裏に浮かんだダンジョンという単語がこの状況とのドンピシャ具合に、思わず独り言ちる。


 その時、近くで人の走る足音が聞こえた。


「あっ、奥川さん」


 音のする方へ歩いて行くと、奥川さんが部屋に入るのが見えた。

 おそらく理子さんはあの部屋だ。

 急いでその部屋のドアノブに手をかけたが、中から不意に蕩山理事長の声が聞こえて手を止めた。


「なんの話だ……いきなり入ったらタイミング悪いかな」


 なんとなくそう思えて、僕は彼の話が区切りいいところまで扉の向こうで待つことにした。



■□■□



「いいことを教えて差し上げましょう、魔法というものは行使すれば必ずその痕跡が残るんですよ。それが今まで見たこともない未知のものであっても、ね。

いや、そちらの言葉で言えば釈迦に説法というやつでしたかな」


 蕩山はしたり顔で奥川の持ってきたお茶のペットボトルを開けるとひとくち含む。


「まあ、我々には到底理解できないとお考えになったあなたの奢りですな。

それでも術式の解析と再構築には数年を要しましたよ。そこはさすがとしか言いようがありません」


「おかげで我らは効率的に魔力を補給でき、人間は新しい人生を与えられる、正にウィンウィンな理想のシステムを手に入れることができました」


「……今日は随分と饒舌ですね」


 理子が皮肉を言うと、蕩山は悪辣な笑みを浮かべた。


「それはもう、久しぶりに上質な抜魂結晶ばっこんけっしょうが手に入るのですから。

私どもも質は数で補いたいところなんですが、最近ご利用になりたいという方が頭打ちでして」


「……外道め」

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