2-4

「……もうっ! なんで今日サンダルで来ちゃったかな!」


 全力疾走する足の痛みに耐えかねて、誰に言うでもなく言葉を叩きつけた。

 こんな時に限って追加リハーサルが押すとか、どれだけ意地悪したいのまったく……!

 かかとで八つ当たりするように地面を強く踏みつけると、アスファルトからの反撃を受けて飛び上がる。


 しかし約束の待ち合わせ場所は角をあと二つ曲がった裏通り、目と鼻の先だ。

 運命の悪戯を仕掛ける神様め、私の足の頑丈さを見たか。


 向かい風に煽られるキャップを押さえながら、周囲を一瞥する。

 するとレンガ造りの古い壁際にレトロな電光立て看板が鈍く光っているのを見つけ、その横の地下へ続く階段を駆け下りた。


 『喫茶エトワール』。


 何十年も前から私の事務所が極秘裏に打ち合わせなどで使わせてもらっている、言わば御用達の喫茶店だ。

 私は入り口の前で呼吸を整え、ツバ長キャップに大きめの伊達メガネ、マスクという変装三点セットを外した。

 残念ながらメイクを直している時間はないので、丁寧に汗を拭うまでに留める。

 焦ってはいても今はまだアイドルなんだし、清潔感とイメージは維持しないと。


「すぅ……よし!」


 そして一言気合を入れてドアノブに手をかけた。


 ──カランカラン……♪


 どこか懐かしく心地いいベルの音。

 その音色はとても長閑で穏やかで、私の気合を折りにくる。

 くそう神様め。


 私は早速店内隅の一角、ひと際目立たない場所にあるテーブルを確認する。

 ここが普段私たちが打ち合わせに使っている指定席なのだが、残念ながら座っている人影は確認できず。


「あちゃあ……走ったけど5分遅刻……怒って帰っちゃったかな」


「あれMIYAちゃん!? 今日打ち合わせ入ってたっけ?」


 カウンターの時計を見て肩を落とす私にオーナーが声をかけてきた。

 打ち合わせが入っている時は、彼が事前に店を準備中にしてくれるから変装を解いて入店しても騒ぎにならないのだ。


「あ、おはようございます。いえ、今日は違くて……」


 しかし今回はプライベートなので営業中の札は下ろせない。

 かと言って事情を細かく話す訳にもいかないので、趣旨は濁して訪ねてみた。


「あの、私が来る前までに私を名指ししてきたお客さんっていましたか? 会いたいとか、約束してるとか」


「いたよ。つってもMIYAちゃんのコアなファンならみんなここ使ってるって知ってるから、俺は何も教えてないけ、ど──!?」


「それで!? その人まだいます? 帰っちゃいました?」


「いだだだちょっとどうしたの、いるよほら、あそこの二名様」


 私は力任せに彼自慢の蝶ネクタイを引き寄せて矢継ぎ早に質問すると、オーナーは店の一番奥にあるテーブルを指さした。


 そこには男女二名が並んで座っていた。

 ボックス席に対面で座らないということは、あそこへ座る誰かを待っていると考えていいはず。


「ありがとうございます!」


「え、ダメだよ無断でファンと会っちゃ──」


 私はオーナーの制止を振り切ってなるべく他の客と目が合わないよう早歩きでその席へ向かった。


「お待たせして申し訳ありません、有限会社エクソダスさんのお二方でしょうか!」


 そして直角にお辞儀をしながら身元の確認をする。

 どんな理由があっても遅刻はご法度、まずは深々と頭を下げて謝罪からはいるのがこの業界のルールだ。


 「うわ本物!? やっぱり本物のMIYAですよ!」


 私が自己紹介をする前に男性が立ち上がり私の名前を呼んだので、周囲のお客さんの注目が一斉にこの一角に集中する。

 元々潜伏ファンだらけの店内は、途端にざわつき始めてしまった。


「あ、あの初めまして、僕向みなだだだ!」


「バカオス! 状況見るヨ ……コホン、ここではアレですのデ場所を変えましょう♪」


 すると隣の女性が男性の耳を引っ張り、反対の手で私の手首を掴んで席を立つ。


「どーもお騒がせしましたヨ~♪ おほ、おほほ……」


 そしてそのまま強引に私たちを引き連れて、そそくさと店を出ていく。

 私は呆気に取られ、為されるがままだった。


「あ、あの~……」


「ちぃっ、何人か付いて来てるネ」


「痛い痛いですってば! 放して!」


「こっち!」


 女性の方はそう言って曲がり角に私たちを引っ張り込んだ。

 そして。


「がっちりハグ!」


「え? は、はいっ」


 言われるがままに女性に抱き着いた。

 そしてなんと……!


「う、うそうそ~! 浮いてる──!?」


「えぇ~メイさん、僕は……!?」


「黙れオス、定員は女子ひとりヨ」


「きゃあああ~~!?」


 瞬く間に彼女は私を抱えて、すごい速度で上昇する。

 なにがなにやら全く分からないまま、私は空を飛んでいた。


「怖かったらしばらく目、閉じるといいネ」


「い、いえ大丈夫ですっ……!」


 すごい……すごいすごいすごいっ!


 頬を打つ冷たい風、女性から伝わる体温、そして何よりこの重力……すべての感覚がこれは夢じゃないと告げている。

 今までは『異世界』という空想表現をぼんやりとだけ認識していたものが、これではっきりと現実として捉えられた。


「ん~どこか降りるとこ……ふむ、あそこがいいネ」


「え? きゃあああ~~!?」


「しっかり掴まって」


 上空から地表を見渡していた彼女は、今度は一転急降下。

 今まで乗ったどんな絶叫マシンより怖かった。

 アイドルだからバンジージャンプはしたことないけど。


「おぉおちりゅぅ~~!」


 すごい速度で地面が接近して私は死を覚悟した。

 と思えば今度は衝突寸前でぴたりと停止、最後はふわりと軟着陸。


「ハイ着陸♪

──呀!? なんで泣いてる!? どこか痛かったカ?」


 女性は私を抱きしめたまま私の顔を見て狼狽える。

 それで初めて自分が泣いていたことに気が付く。


「ふゃあ、だ、らいじょうぶ……こわかったぁ……ふえ、うぅ~~」


 そして安心したら、今度は本当に泣けてきた。


「あああ済まなかったネ、追手を振り切ろうとつい張り切ってしまったヨ」


 その場にへたり込んでしまった私の頬をハンカチで拭ってくれる女性。

 きっとこの人はいい人に違いない。


「……たたせて」


「ん?」


「ぐす……あしにちから、はいんない」


「わかったヨ、じゃあ、あそこのベンチ座ろ?

さ、掴まるネ」


 まるで幼子のように振る舞う私を女性は親切に介抱してくれる。

 いい人だと分かると急に甘えたり我儘を言いたくなってしまうのは私の癖みたいなものだった。


「どう? 落ち着いたカ?」


 ベンチに座らせてもらった後も、女性は私の背中を撫で続けてくれた。

 まだ初対面で名前もまだ知らないのに。


「……そうだ、名前」


「ウチか? ウチは蝋梅。メイでいいヨ」


「うん……私、美夜みよ


「ミヨ? ミヤちがうのカ?」


「それ芸名」


「ふ~ん、源氏名カ」


 それから私は、聞かれもしないのに自分の身の上を語り始めていた。

 この人にはちゃんと知って欲しかったのかもしれない。

 私がどんな人間なのか……それが消えてしまうものだったとしても。


 彼女──メイさんはそれをなにも言わずにただ聞いてくれた。

 時折うんうん、と相槌を打ってくれると誰にもわかってもらえなかった心の内を肯定してくれているようで、とても安心した。


「いた……! はあはあ、やっと見つけましたよ~」


 すると、エトワールでメイさんと一緒にいた男性が私たちを見つけて走ってくる。

 だいぶ疲れた様子から、この公園がエトワールからかなり離れた場所にあるのがわかった。


「チッ、オス……なんでウチの場所わかった?」


「ふふふ、あんま舐めないでくださいよ。僕はメイさんが迷わないように派遣されてるんですからね」


 私はこのふたりの仲があまり良くないと直感する。

 というか、まだ知り合って間もないような感じだ。


「あ、MIYAさんですね、僕は向湊徒といいます。よ、よろしく……」


 向さんは照れているのか、私におずおずと手を伸ばしてくる。

 握手がしたいのかな。


「あ、私……」


「オスはそれでいいネ、あと触れるのNG」


「なんでですか!」


「どさくさに紛れてキモい」


「さっきからひどくないですか!?」


 ……うん、確実に仲悪い。


「あの、お二人はその……異世界の方、なんですか? 空、飛んでたし」


 私が疑問に思ってたことを尋ねると、向さんが答えてくれた。


「僕は普通に一般人です。メイさんは魔物──」


「オス……!」


「ああごめんなさいごめんなさい、でもホラ、角と羽が……」


「? なんですか……?」


「い、いえ、あはは……なんでもないです」


「それで、その……私は異世界へ行けるんですか……?」


 私は意を決して話の本題を切り出した。

 答えを聞くのは少し怖かったけど、自分の進路だからしっかり受け止めないといけない。


「ン、問題ナシ♪」


「え、ちょっと待ってください、資質の確認は?」


メイさん私に向かって笑顔でサムズアップするが、向さんが慌ててそれを制している。

 なんだろう、何か問題でもあるのだろうか。


「ちゃんとしたヨ、ミヨを不安がらせんなクソオスが」


 メイさんは私が不安な顔をしていたのだろう、すぐに向さんに牙を剥いて庇ってくれた。

 というか、さっきから向さんにやたら当たりが強い。


「でも『アレ』は」


「それは元々ウチのチカラ、デカチチがウチがいないのをいいことにヘンな形でコピーしただけヨ」


「マジですか!?」


「ウチはあんな下品な真似しなくても身体接触だけで分かる。手を握るのがイチバンネ」


 ふたりが何の話をしているのかさっぱりわからないけど、どうやら私は異世界に行けるらしい。


「よかった……。これって、私の望んだ世界へ行けるんですよね? 私、星々を巡りたいと思ってて」


「異世界にはここより科学の進んだ世界もあるから、探せばきっと見つかるヨ」


 メイさんは優しくそう言って微笑んでくれた。

その言葉で急に目の前に道が開けたような気分がして、とても嬉しかった。

 アイドルも人によっては希望のある仕事だけど、私は大勢に見られるより静かに星々に身を委ねたい……宇宙に出られるなら是非行ってみたい。


「そしたら車で会社に戻りましょうよ」


 そう言って歩き出した向さんだったが、メイさんはベンチで私の隣に座ったまま微動だにしない。


「オスはこれから買い物、その後は明日まで待機ヨ」


「なんでですか?」


 するとメイさんはわたしの肩を抱いて引き寄せると頬をくっつけてきた。

 いきなりのことでちょっと驚いてしまったが、なんかこういうの初めてで照れくさい。


「ウチたちは明日までトモダチやるネ、ホテルでタコパして、パジャパで恋バナで盛り上がるヨ♪」


「メイさん……」


 私に最後にできなかった友達との思い出を作ってくれようとしているメイさんに、涙が出そうになる。


「ずるいですよ、僕だってしたい!」


「黙れオス、女子会に入ってくるな。いいからタコパの材料買いに行くネ、ホテルの場所は後で送る」


 きっぱり拒絶したメイさんの態度に向さんは不満げだったが、すぐにぶつぶつ言いながら公園を出て行った。

 このふたり、仲が悪いだけじゃなくて明確な上下関係も存在するようだ。


「じゃ早速ホテル探そ」


 先に立ち上がるメイさん。

 しかし私は……。


「すいません……その前に下着……さっき腰抜かした時、一緒に漏らしちゃったみたいで……」

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