2-3
「おつかれさまでーす♪」
私はリハーサルを終えると、ぺこりとお辞儀してセットの袖へ抜ける。
そこは煌びやかに飾り付けてあっても、裏から見ればただのベニヤの合板……、
虚飾の世界だ。
「お疲れMIYAちゃん、振り付けバッチリ! 最高にかわいかったよ!」
振り返ると、ステージ裏でマネージャーがそう言って冷たく絞ったタオルを渡してくれる。
彼女は私が気分良く仕事できるように、いつも努力してくれていることはよくわかっていた。
「……控室戻ってます」
しかし私は受け取ったタオルを頭の上から顔が隠れるようにかぶると、マネージャーに礼も言わずにそれだけ告げて足早にスタジオを後にした。
堆く積まれた機材の間に作られた細い通路を縫うように歩く。
それはさながら巨大迷路のような出口の見えない迷宮……まるで今の私の心の中のようだった。
それから入り口の重い扉を全身と体重を使ってよっこら開ける。
防音の為なのはわかるけど、いつも開けるのはひと苦労。
顔を上げると、丁度廊下の角からこちらへ来る人影を見かけた。
「おはようございます、プロデューサー!」
そう言うが早いか壁にぴったり着くまで下がって頭を下げる。
頭から被ったタオルがつま先にばさりとかかった。
「MIYAちゃ~ん今日もかわいいね~、本番も頼むよ♪」
「はい、よろしくおねがいします!」
今どき肩からカーディガンを羽織り、高そうな革靴のかかとを素足で踏んでいる若作りの男は軽い口ぶりでサムズアップ&ウインクすると、立ち止まらずにパタパタと大きな足音を立てて歩いて行った。
私はそれをお辞儀のまま足音を頼りに通り過ぎるのを待つ。
これが、業界で生きていくということだと割り切っている。
……でもその本番、私の代わりに誰が出るのかな。
そんなことを想像して、口角が僅かに吊り上がっていた。
この局では若手アイドルの楽屋は、人気と関係なくスタジオから一番遠く離れた場所に用意される。
ようよう自分の控室へ雪崩込んで、化粧台のパイプ椅子に体をどっと預けた。
もう少し、あと少しだから……。
私は念仏のように唱えながら鏡に正対する。
鏡の前にいるのは、今や国民的美少女と持ち上げられ画面を賑わせる
こんな私とも、もうすぐお別れ。
「……?」
ふと目線を下げると鏡の前に複数の封筒を目にし、宛名を確認して開封する。
中身はカラーペンで所狭しと文字が躍っているピンクの花柄の便せんで、更に封筒を逆さにすると折り紙で作った私も入っていた。
「ファンレター……嫌いなのよね」
私は丁寧に折りたたまれた便箋を開いて中の文字を確認する。
鉛筆でやや丸文字、蛍光ペンでハートが所狭しと描かれている。
『MIYAちゃんはすごくかわいいから、大大大大すきです!』
そこには見飽きた文言が並んでいた。
誰も彼も、私の前で口を開けばその言葉。
「もうやめてよ、私のこと『かわいい』って言うの……」
今の私にはこの『かわいい』という最もポピュラーな誉め言葉が、とても空虚な言葉に思えて仕方が無かった。
今日もかわいいね、笑顔がかわいい、かわいい、かわいいかわいい……!
いつの間にか私は、私のことをその言葉で褒める人達全員のことが信じられなくなっていた。
あんなに大好きだったファンなのに、私の感受性は壊れてしまったのだろうか。
「………!!」
恐怖を振り払うようにシャワー室へ飛び込んでコックを最大まで捻る。
一斉に降り注ぐ熱めのお湯を頭から浴びていると、少しは気が紛れた。
「MIYAちゃん……? あ、シャワーか。じゃそのまま聞いて。
なんかさっきのリハーサルね、照明とのタイミング合わせでオケのチェックもっかい入れるそうです」
「え!? それは困りますっ……! 今日はこの後アポの予定が──」
ノックの音に気付かなった私は、突然言い渡された残業に抗議すべく体を乗り出した。
「なんで服着たままでシャワー浴びてるの……?」
「──あ」
「と、とにかく困るんです! このあとは絶対」
慌ててシャワー室に戻りながら、なんとかならないかマネージャーに訴えた。
この機会を逃してしまったら、二度と転生なんてチャンス訪れないかもしれない。
「そのアポってプライベート? デートは困るわよ、マジで。今MIYAちゃん大事な時期だからね」
「違います、そんなんじゃありませんっ……!」
声色から懐疑的な態度がまるわかりのマネージャーを説得するのは大変だったけど、彼女はなんとか納得してくれてスマホを取り出す。
「あ、はいお世話になっております──……、あ、はい、はい……よろしくお願いします、失礼します」
「このあとすぐ休憩なしでリハをさせてもらえることになったから急いで」
「ありがとうございます! さすが敏腕マネージャー♪」
そうと決まればすぐにスタジオに行って、一刻も早くリハーサルを終わらせてしまおう。
シャワー室から飛び出して控室のドアノブを握ると、びしゃっと飛沫が飛んだ。
「そのままリハするつもり?」
「──あ。えへへ……」
苦笑いで誤魔化しながら前髪をかき上げる。
じっとりと指にまとわりつく濡れた髪の感触が、過去の私を思い起こさせた。
■□■□
『やーい、フケ顔~』
──トイレの個室に閉じこもっていた私の頭上から大量の水が降りかかる。
私はクォーターで、小学生の頃は年齢の割に背が高く顔が少し大人っぽかったからか、変なあだ名をつけられた。
やがて中学に入ると髪色も明るかったせいで、生活指導の先生にも散々嫌味を言われて過ごした。
女子の友達は少数ながらいて悪口を言う男子を諫めてくれたりもしたが、中学に入ってからはその構図が逆転してしまう。
私が男子の興味を集めすぎると言う理不尽な理由から、どこのグループにも入れてもらえなくなった。
下駄箱には毎日のように男子からは好意、女子からは敵意や恨みを綴った手紙が入っていたものだ。
私はこの頃からよく独りで空を見て過ごすことが多くなり、昼は雲を眺めて穏やかな気持ちを取り戻し、夜は個々で輝きながらも集団で図形を成す星々に憧れた。
特に星についてはどんどんのめり込んでいき、放課後は図書室にこもって星座と神話の本を読み漁るのが日常になっていた。
新しい知識を得ることは楽しかったが、次第に独りでは寂しさを覚えるようにもなってきていた。
そして星好きの友達が欲しい、そんなささやかな動機から私は顔を隠し本名の「
人気は無かったけど、誰も私の顔を知らずに好きな話題だけで盛り上がるのは、初めて本当の友達ができたような気がしてとても充実していた。
ずっとこのままでいいと思っていたのに、少しずつ登録者が増えるにつれ注目されるようになってきたある日、芸能事務所から所属をしないかと誘いを受ける。
芸能界には欠片も興味はなかったけど、もっといろんな話がしたいし、ちょっとはチヤホヤされてみたい……そんな願望が顔を覗かせて所属したことが今にして思えば選択ミスだったのかもしれない。
しかし業績は順調に推移し、あれよあれよ言う間に配信の規模もどんどん大きくなってスポンサー企業案件も扱うまでになった。
素直にそのことを喜び、もっと人気者になりたいと欲を出した私に事務所が突きつけたのは、私からバーチャルの仮面を引き剥がすことだった。
後から知ったことだが、どうやら最初から私の素顔のことまで調べ上げた上でのオファーだったようだ。
断りたかった……断るべきだった。
なのに私は、今更たくさんできた
事務所の思惑通り、私はその気持ちを他所に瞬く間に人気になった。
ファンは何倍にも増えたけど、以前のように星談議で盛り上がったり、他愛のない日常を語り合う関係ではなくなってしまった。
そんなファンたちは口を揃えて私をこう褒めたたえてくれる。
『かわいい』と。
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