2章:カエル化女子の悩み

2-1

 深緑に染まる山林の中を、ふらふらとおぼつかない足取りで歩いている少女。

彼女の纏う膝上丈のチャイナドレスはこの風景には酷く浮いていた。


 もうどれだけ歩いているだろう……気の遠くなる距離と時間を要している気がしているが、彼女の目線の先に古びた鉄筋の建物と錆びついた看板が現れとうとうその歩みも終わりを迎えようとしている。

 少女は恐る恐る看板に書かれた社名を目で追った。


「ふあ、『有限会社異世界転生』……やった、ついに……ウチは帰ってきたーーー!」



■□■□



「今日の麻婆豆腐、どうでした?」


「うむ、美味だったよ。腕を上げたね……と言いたいところだが、私はもう少し辛味を抑えた方が好みかな」


「リコは逆に甘すぎます。今日の百倍は辛くないと及第点にも程遠いです」


「極端だなあ」


 今日で僕が働き出してから二週間ほどが経っていた。

夕食のレパートリーも少しずつ増え、今では「なんでもいい」に悩む軽い主婦気分だ。


 もちろん料理や掃除だけではない、仕事も少しずつだけど覚え始めている。

 なにせあれだけ慣れたくないと思っていた転生合体も、抵抗がない訳ではないが躊躇はしなくなった。

 合体と呼んでいるのは、文字通りお客様と合体するつもりでアクセルを踏めば、恐怖心や良心の呵責が薄まることに気付いたからだ。


 もしかしたら自分でも気づかないうちに染まり始めているのかもしれないけど、大人になるってそういうことでしょ(鼻息。


「それじゃあ次は、手元で調節できるようにしますよ」


 そう言って僕が食べ終えた食器類を片付けようと席を立った時だった。


「魔王様~~~! た、だ、い、まぁ~~♪」


 入口の戸を勢いよく開け放って女の子が飛びこんできたと思えば、一直線に社長に抱き着いた。


「うぅ~、ウチさびしかったヨ~~!」


 このコテコテの猫なで声で社長に頬ずりをしている人は誰なんだ? 


「うっ……メイ君……帰ってきたのか……」


「やぁ、もっとかわい~く『みぃ』って呼んで♪」


 社長も困ってはいるが、どこか慣れている様子だし顔見知りではあるようだ。


「あ、あの社長──」


 彼女の醸し出す圧に気圧されながら口を開くと、社長に抱き着いていた女性は鋭く僕を睨みつけてきた。


「ところでなんでオスの人間いるネ」


「ぅ……そ、そちらこそどなたですか!?」


 今にも射貫かれそうな眼光と、さっきの猫なで声からは想像もできないような低く恐ろしい声色に圧倒されて、つい声が上ずってしまった。


「面倒なので両方にわかるようにリコが説明します。その前に……」


「やぁんっ、なにするデカチチ!」


「社長がご迷惑です」


 理子さんはつかつかと社長の所まで来ると、その女性を社長から引き剥がす。

 女性はまるでうなじをつままれた猫のように背中を丸めた。


「こっちが少し前から弊社で庶務をやっている向湊徒」


 理子さんは僕の方を指さして、雑に紹介する。

そして次に彼女の方を指さした。


「こっちが約二年ぶりに帰ってきた元社長秘書の蝋梅(ラォミェイ)」


「ラーメン?」


 中国語のようなイントネーションについ聞き返す。

 チャイナドレスを着ているのだから、なにもおかしいことはないのだが。


「ラォミェイ! ロウの如く透き通った美しいウメの花のことヨ」


「ああなるほど、ろうばいかあ。老婆でウメさん」


「……魔王様、コイツコロしていいカ?」


 蝋梅と紹介された女性は目を赤く光らせると、両手の爪が刃物のように伸び、同時に角と翼が生えた。

 それはまごうことなき『魔物』のそれだ。


「わああ! 嘘っ、悪魔……!?」


「ん? おいオスこれが見えてるのカ?」


 怯える僕に彼女はそう言って羽をパタパタと動かす。

 同時に疑うような眼差しで、鋭い爪を僕の首筋に沿わせた。


「は、はい……蝙蝠みたいな羽に短い角、赤い目と長い爪が」


 あまりに突然すぎて彼女が何を言っているのか全く分からないが、この体勢で少しでも動けば頸動脈を切られて即死だ。

 とにかく嘘偽りなく正直に答える以外の選択肢はない。


「湊徒君は異世界に触れたことで我々に干渉できるようになったスキッパー候補だよ」


 さすがに危ないと感じたのか、社長が僕と彼女の間に割り込んで説明してくれている。

というかその事実は僕も初耳だ。


「……ふぅん、まあ、今はイイ」


 落ち着いたのか彼女の人外の部分が引っ込むと、僕をとん、と突き放す。


「さっきはすいませんでした! 名前をからかうなんて最低な行為でした」


 とにかく先程の無礼を詫びようと僕は体育会系も真っ青の勢いで頭を九十度傾けて謝罪した。

 求められれば土下座も辞さない。


「ふん、この場で処されなかったこと感謝するネ。あとウチはオスが大嫌い、接近禁止ヨ」


「はい、肝に銘じます! それであの……今後はメイさん、とお呼びすればよろしいですか……?」


「許してヤル」


「あざすっ!」


 ここでようやく頭を上げる。

一歩間違えば今頃、首と胴体が離れていたかもしれないと思うと安堵のため息が漏れた。


「湊徒、そんなに頭下げる必要ありませんよ。これからは同僚なんですから」


「は、はあ……」


「黙れデカパイ女、上下関係は最初が肝心ヨ。それにしても、まさか人間のオスごときと共に働くなんて」


 メイさんが理子さんに食って掛かる。

なんとなくだが、両者はあまり仲は良くなさそうな感じを受ける。


「まあまあ、いきなりとは言わないよ。徐々に慣れてくれればいいさ」


 そしてなんとかこの場を収めようと、社長が今度は理子さんとメイさんの間へ割り込んだ。

 もしかしたら結構苦労人なのかもしれないと、また社長の新しい一面が覗けた。


「魔王様ぁ~もうふたりきりで会社やろ?」


 RRRR……


 メイさんが再び猫なで声を上げたところでデスクの電話が鳴り、理子さんが即座に応答した。

 そのきっかけで急に社内の空気が会社モードに切り替わり、一同すっと無言になって理子さんの電話に聞き耳を立てていた。


「社長、お客様からの依頼なんですが、こっちに来られない事情があるようで、如何します?」


 そして理子さんは先方の話を一通り聞き終えると、受話器の通話口を押さえて社長に確認を取る。

どうやら明日アポを取りたいらしいが、随分急な話だ。


「ふむ、スケジュールは問題ないのでこちらから面談に伺うとお伝えしてくれ」


 すると社長が意外にあっさり出向くと伝える。

思ったよりフットワークの軽い対応だ。


 その後、こちらから行けそうな時間と場所を設定して電話を切った理子さんが、取ったメモを持って社長の元へ来る。


「依頼人は、たちばな 美夜みや様、20代の女性です。

人目につきたくない仕事なので、そういった場所が希望だそうです」


「橘美夜!? MIYAじゃないですか! 人目につきたくないって芸能人だからでしょ!?」


 その名前を聞いて僕は飛び上がってしまった。


「ご存じで?」


「ご存じも何も大人気アイドルですよ! 元バーチャルアイドルですけど、去年顔出しアイドルに転向してから人気はあれよあれよの鰻登りで近々海外進出まで噂されている注目株です!」


「急な早口キモいですよ湊徒」


「キモい言わないでください、僕は元社会派ライターなんです!」


理子さんは捲し立てる僕に不快感を露わにし状態を避けるように逸らせた。

 しかしそんな人気絶頂のアイドルが異世界転生を望んでいるなんて、どういうことだろうか。そこにただならぬ事情を感じた。


「その依頼、ウチが聞いてくるネ!」


 メイさんは自分に任せてとばかりに社長の元へ詰め寄った。

さっきまであんなに赤く光って恐ろしかった瞳が、今度は星空の如くキラキラと星を映している。


「待ちたまえ、それで二年も帰ってこなかったのを忘れたのかい?」


「え? まさか」


 社長は僕と目を合わせると呆れた様子でこう続けた。


「メイ君は壊滅的な方向音痴なんだよ……更に飛行もできるから行動範囲がとてつもなく広いんだ」


「一回迷うと半年コースですけど、今回の二年は最長です。……ぷっ」


「デカチチィ!」


 社長に続いて理子さんも嘲笑するように笑うと、メイさんが角を出して睨みつける。

 表情がコロコロとよく代わるメイさんに、表情筋が全く仕事をしていない理子さん、ふたりは対照的だ。


「まあ落ち着きたまえ、今回の我々には湊徒君という送迎係がいるじゃないか」


 そう言って社長がなだめに立ち上がると、全員の注目が僕に集まった。


「という訳で、しっかりメイ君を送り届けてほしい。頼んだよ」


 その社長の発言にキョトンとし事態が理解できていなさそうなメイさんに、理子さんが補足する。


「湊徒は、『こふぃ~ちゃん』が運転できるんですよ」


「ホウなるほど、やるじゃんオス、ちょっと見直したヨ」


「あの、名前で呼んでもらえません?」


「尚早」


「左様ですか……」


 感謝されるどころか冷ややかな視線を投げつけられ、悔しさに拳を握りしめた。

 なんとかメイさんの信用を取りつけなければ、今後の僕の業務にも影響が出てくるだろう。

 ここはなんとしても成功させたかった。


「わかりました。僕もMIYAに会いたいし」


「うむ、よろしく頼むよ」


 あのMIYAに会える……洗車してから行こうかな。

明日は早起きだ。


 そうと決まれば、メイさんの乱入で中断していた後片付けを早く済ませてしまおうと三人分のお皿を重ね部屋を出ようとした。

その時、ふと思い出して振り返ると社長に尋ねる。


「あの社長って……魔王なんですか?」

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