第9話 カエル化女子の悩み 1

 煌びやかな繁華街が似合う膝上丈のチャイナドレスを着た少女が、ふらふらとおぼつかない足取りで歩いている。


 もうどれだけ歩いているだろう、気の遠くなる距離と時間を要している気がしている。

 しかしとうとうその歩みも終わりが見えた。

目線の先に、古びた鉄筋の建物と錆びついた看板が現れたのだ。

 少女は恐る恐る看板に書かれた社名を目で追う……。


「ふあ、『有限会社異世界転生』……やった、ついに……ウチは帰ってきたーーー!」


────


「今日の麻婆豆腐、どうでした?」


「うむ、美味だったよ。

腕を上げたね……と言いたいところだが、私はもう少し辛味を抑えた方が好みだ」


「リコは逆に甘すぎますね。

今日の100倍は辛くないと及第点はあげられません」


「極端だなあ」


 今日で僕が働き出してから二週間ほどがが経っていた。

夕食のレパートリーも少しずつ増え、今では「なんでもいい」に悩む軽い主婦気分だ。


 もちろん料理や掃除だけではない、仕事も少しずつだけど覚えていっている。

 なにせあれだけ慣れたくないと思っていた転生合体も、抵抗がない訳ではないが躊躇はしなくなった。

 ああ、合体と呼んでいるのは、文字通りお客様と合体するつもりでアクセルを踏めば、恐怖心や良心の呵責が薄まることに気付いたからだ。


 もしかしたら自分でも気づかないうちに染まり始めているのかもしれないけど、大人になるってそういうことでしょ(鼻息。


「それじゃあ次は、手元で調節できるようにしますよ」


 そう言って僕が食べ終えた食器類を片付けようと席を立った時だった。


「魔王様~~~! た、だ、い、まぁ~~♪」


 入口の戸を勢いよく開け放って女の子が飛びこんできたと思えば、一直線に社長に抱き着いた。


「うぅ~、ウチさびしかったヨ~~!」


 そしてコテコテの猫なで声で社長に頬ずりをしている。

なんだ? なんなんだ……?


「うっ……メイ君……帰ってきたのか……」


「やぁ、もっとかわい~く『みぃ』って呼んで♪」


 社長の方も困ってはいるが、なんだかそれも慣れている様子。

ということは、また知らないのは僕だけのやつ?


「あ、あの社長──」


 あっけに取られつつ口を開くと、社長に抱き着いていた女の子は鋭く僕を睨みつけて。


「ところでなんでオスの人間いるネ」


「ぅ……そ、そちらこそどなたですか!?」


 今にも射貫かれそうな眼光と、さっきの猫なで声からは想像もできないような低く恐ろしい声色に気圧されて、つい声が上ずってしまった。


「面倒なので両方にわかるようにリコが説明します。

その前に……」


「やぁんっ、なにするデカチチ!」


「社長がご迷惑です」


 理子さんはつかつかと社長の所まで来ると、その女性を社長から引き剥がした。


「こっちが少し前から弊社で庶務をやっている向湊徒」


 理子さんは僕の方を指さして、雑に紹介する。

そして次に彼女の方を指さした。


「こっちが約2年ぶりに帰ってきた元社長秘書の蝋梅ラォミェイ


「ラーメン?」


「ラォミェイ! ロウの如く透き通った美しいウメの花のことヨ」


「ああなるほど、ろうばいかあ。

老婆でウメさん」


「……魔王様、コイツコロしていいカ?」


 蝋梅と紹介された女の子は目を赤く光らせると、両手の爪が刃物のように伸び、同時に角と翼が生えた。

 それはまごうことなき「魔物」のそれだ。


「わああ! 嘘っ、悪魔……!?」


「ん? おいオスこれが見えてるのカ?」


 怯える僕に彼女はそう言って羽をパタパタと動かす。

 同時に疑うような眼差しで、鋭い爪を僕の首筋に沿わせた。


「は、はい……蝙蝠みたいな羽に短い角、赤い目と長い爪が」


 あまりに突然すぎて彼女が何を言っているのか全く分からないが、この体勢で少しでも動けば頸動脈を切られて即死だ。

 とにかく嘘偽りなく正直に答える以外の選択肢はない。


「湊徒君はね、異世界に触れたことで我々に干渉できるようになったスキッパー候補だよ」


 さすがに危ないと感じたのか、社長が僕と彼女の間に割り込んで説明してくれている。

 ……というかそれ、僕も初めて聞きましたけど。


「……ふぅん、まあ、今はいい」


 落ち着いたのか彼女の人外の部分が引っ込むと、僕をとん、と突き放す。


「さっきはすいませんでした! 名前をからかうなんて最低でした」


 とにかく先程の無礼を詫びなければ。

僕は体育会系も真っ青の勢いで頭を90度傾けて謝罪した。


「ふん、この場で処されなかったこと感謝するネ。

あとウチはオスが大嫌い、接近禁止ヨ」


「はい、肝に銘じます!

それであの……今後はメイさん、とお呼びすればよろしいですか……?」


「許してヤル」


「あざすっ!」


 ここでようやく頭を上げる。

一歩間違えば今頃、首と胴体が離れていたかもしれないと思うと勝手に安堵のため息が漏れた。


「湊徒、そんなに頭下げる必要ありませんよ。

これからは同僚なんですから」


「は、はあ……」


「黙るネデカパイ、上下関係は最初が大事ヨ。

まさか人間のオスごときと共に働くなんて」


 メイさんが理子さんに食って掛かる。

なんとなくこのふたりもあまり仲は良くなさそうだ。


「まあまあ、いきなりとは言わないよ。

徐々に慣れてくれればいいさ」


 なんとかこの場を収めようと、社長が今度は理子さんとメイさんの間へ割り込む。

 もしかしたら結構苦労人なのかもしれないと、また彼女の新しい一面が覗けた。


「魔王様ぁ~もうふたりきりで会社やろ?」


 RRRR……


 メイさんが再び猫なで声を上げたところで、理子さんのデスクの電話が鳴った。

 そのきっかけで急に社内の空気が会社モードに切り替わり、一同すっと無言になって理子さんの電話に聞き耳を立てていた。


「社長、お客様からの依頼なんですが、訳あってこっちに来られないみたいなんですが、如何します?」


 そして先方の話を一通り聞き終えると、受話器の通話口を押さえて社長に確認を取る。

どうやら明日アポを取りたいらしいが、急な話だしどうだろう。


「ふむ、スケジュールは問題ないのでこちらから面談に伺うとお伝えしてくれ」


 すると社長が意外にあっさり出向くと伝える。

思ったよりフットワーク軽い感じなんだな。


 その後、こちらから行けそうな時間と場所を設定して電話を切った理子さんが、取ったメモを持って社長の元へ来る。


「依頼人は、たちばな 美夜みや様、20代の女性です。

人目につきたくない仕事なので、そういった場所が希望だそうです」


「橘美夜!? MIYAじゃないですか!

人目につきたくないって芸能人だからでしょ!?」


 その名前に思わず飛び上がってしまった。


「ご存じで?」


「ご存じも何も大人気アイドルじゃないですか!

元バーチャルアイドルですけど、去年顔出しアイドルに転向してから人気はあれよあれよの鰻登りで近々海外進出まで噂されていた筈です」


「急な早口キモいですよ湊徒」


「キモい言わないでください、僕は元社会派ライターなの!」


 そんな人気絶頂のアイドルが異世界転生を望んでいる……?

 いったいどういうことだろう。


「その依頼、ウチが聞いてくるヨ!」


 そう言ってメイさんが任せてとばかりに社長の元へ駆け寄った。

 赤く光って恐ろしかった瞳が今度はキラキラと輝いている。


「待ちたまえ、それで2年も帰ってこなかったのを忘れたのかい?」


「え? まさか」


 驚く僕に社長は呆れた様子でこう続けた。


「メイ君は壊滅的な方向音痴なんだよ……更に飛行もできるから行動範囲がとてつもなく広いんだ」


「1回迷うと半年コースですけど、今回の2年は最長です。

……ふっ」


「デカチチィ!」


 社長に続いて理子さんも嘲笑するように笑うと、メイさんが角を出して睨みつける。


「まあ落ち着きたまえ、今回の我々には湊徒君という送迎係がいるじゃないか」


 そう言って社長がなだめに立ち上がると、全員の注目が僕に集まった。


「という訳で、しっかりメイ君を送り届けてほしい。

頼むよ」


 突然の社長の発言に事態が理解できていなさそうなメイさんに、理子さんが補足する。


「湊徒は、こふぃ~ちゃんが運転できるんですよ」


「へえ、やるじゃんオス、ちょっと見直したヨ」


「あの、名前で呼んでもらえません?」


「尚早」


「左様ですか……」


 感謝されるどころか冷ややかな視線を投げつけられ、悔しさに拳をぎゅっと握りしめた。

 くそう、絶対信頼勝ち取ってやる……。


「まあ、わかりましたよ。

僕もMIYAに会いたいし」


「うむ、よろしく頼むよ」


 あのMIYAに会える……せっかくだから洗車してから行こうかな。

そしたら早起きしないとな。


 そうと決まれば、メイさんの乱入で中断していた後片付けを早く済ませてしまおう。


 僕は三人分のお皿を重ねると部屋を出ようとした。

その時、ふと思い出して振り返ると社長に尋ねる。


「あ、あの社長って……魔王なんですか?」



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