1-2

「失礼します」


 僕がノックをして部屋へ入ると、狭い応接室には緊張した空気が充満していた。

 さっきの社長の反応がどうしても気になり、ポットを手に取るついでに顔をちらりと窺う。


「どうぞ」


 そして社長の正面で不安まじりに俯いている転生希望の少年、薮田やぶた 一真かずま君に冷たい麦茶を出す。

 彼は硬い表情を崩さないまま軽く会釈した。


「温かい方が良かったかな……?」


「いえ、お構いなく」


 張りつめた空気に耐えきれず声をかけるも、彼の年齢以上に大人びた反応に思わず口角がひきつる。


「それでは、お話を伺いましょう。まずは、あなたのことから聞かせてください」


 僕が下がると、社長が一真君の緊張を解そうとしているのか柔らかい口調で切り出した。

見る限り今は普段と変わりない、僕が知る社長のそれだ。


「えっと……、薮田一真、中1です。家は剣道の道場で、兄貴がいます」


「君も剣道を?」


「はい。まだ段は持ってないけど、部活では県六位でした」


「まだ一年なのにすごいじゃないか、強いんだね」


「いえ、でも、もう……」


 そう言うと一真君は、右腕の袖を捲り上げてこちらに見せる。

 そこには肘から手首にかけて大きな傷跡が残っていた。


「腱がやられて握力がほとんど……竹刀も強く握れません」


 一真君は傷を直視したくないのか、俯いて腕から視線を逸らしている。

 僕と理子さんは黙って社長の言葉を待った。


「もう剣道ができないから、転生したいと思ったのかい?」


 社長が本題に切り込むと、一真君の表情が一層曇る。


「それ以上に……大切なものを守れない俺は……、もうこの世界では価値のない人間なんです」


「そんなことは──」


 フォローのつもりでつい口を挟んでしまい、社長に手で制される。

 僅かに浮いた腰を再び椅子に預けた。


「転生したら勇者になりたい理由は、特別なにかあるのかな?」


 そう社長から質問された一真君は少し迷ったように俯く。

 やがて振り切るように首を一回振ると、さっきまでの曇った表情を吹き飛ばし真っすぐ社長を見据え口を開いた。


「今度こそ、大切なもの全てを俺の剣で守りたいから」


 思わず漏れそうになった感嘆を飲み込み、テーブルの下で拳を握った。

 言い切るなんてちょっとかっこいいぞ一真君。


「守りたいだけなら他の職業でもいいんじゃないかな。それこそ大魔王を倒したいとか、世界を救いたいとか、そういう人が勇者って呼ばれるんじゃないかい?」


 社長は少し意地悪ともとれる質問を一真君に投げかけた。

 表情もずっと崩さず、彼をじっと見つめたままだ。


 僕も勇者なんてゲームの世界でしか知らないから、希望が漠然としていても何らおかしくはないけど。


「いちばん勇気のある人だから、勇者なんでしょう?」


 そう勝手に思っていた僕は、一真君のこの言葉に膝を打つ。

 そこには彼の明確な希望と目標が見えた。


「よくわかりました。では、こちらへ」


 社長は一真君の話を正面から受け入れ大きく頷くと、彼を部屋の一角に立たせた。


「……なんですか?」


「なに、簡単なチェックです」


 不思議がる一真君にアイマスクを被せる理子さん。

 そしてブラウスに開いた大穴をちょっと広げた。


 ま……まさかアレを……? 

 まだ中一の一真君には刺激が強すぎませんかね!?


 一人で勝手にハラハラしている僕をよそに、『パイコメトリー』が淡々と実行される。

 一真君にケガをしていない方の左手を出させると、その指先を理子さんの胸の谷間へ徐に挿入させた。


 そして数秒間の沈黙の後なにも無かったかのように一真君のアイマスクが外され、その下から困惑した表情が表れた。


「ど、どう、でした……?」


 どうやら僕の時の様な電撃はなさそうだが、そうならそうで感想が気になり下世話気味に尋ねてしまう。


「どうってなんか……温かかっただけですけど……これがなんのチェックなんですか?」


「それは、なん、でしょうね……社長。……社長?」


 僕が振り向くと社長は理子さんとなにか目配せをしているが、柔和だった表情が一転、硬いものとなっていた。


「では、薮田一真様」


「は、はいっ……!」


 事務的に呼ばれたことで急に背筋がピン、と伸びる一真君。

 まるで合格発表前のような緊張感が走る。


「あ、僕、車を移動させておきますね」


 社長の言葉に合わせ僕が最初に動いた。

 異世界転生にはあの軽トラが必要になるからだ。


「いや、それならお客様をご自宅までお送りしてあげてくれないか」


「え……ダメなんですか?」


 一真君の顔が曇り、僕の足が止まった。


「残念ですが、先程のチェックでお客様のご希望通りに転生させるには、少々資質が不足していることが判明しました」


「どうしてですか!? 結界を抜けて来られた段階で資質はあるんでしょう?」


 僕は一真君より先に感情的になって、冷たくそう告げる社長に詰め寄る。

 ここまで来て簡単にはいダメと追い返すのは残酷だ。


「まあ落ち着きたまえ、異世界転生にもいくつか条件があることは説明しただろう」


「だからそれを判別するための結界なんでしょう!?」


 まだ納得できず食って掛かる僕の肩を叩いて社長はさらに続けた。


「だから不足している、と言ったんだよ。彼のリビアンクォーツはまだ輝きが弱いと判断した」


「リビアンクォーツは魂の輝きそのもの、より美しく輝かせるにはその人の豊富な人生経験が不可欠なんだ」


「だからってっ……!」


「もういいです。よくわからないけど、多分お金が足りない、みたいなことなんですよね」


 まだ諦めようとしない僕を、今度は一真君が制する。

 すっかり立場が逆転してしまった。


「我々も慈善事業ではないのでね。ご期待に添えられず申し訳ありません」


「すいません僕も大人げなかったです……。なんか、ごめんね一真君……じゃ、いこっか」


 僕は一真君の肩を抱いて部屋の入口まで誘導する。

足取りは重かったが一真君は社長と理子さんにきちんと礼をして、僕の後ろをついてきた。

 ガレージまでふたりで歩きながらもずっと、妙に物分かりが良すぎる彼に釈然としないモヤモヤが渦を巻いていた。


 そして一真君を家まで送り届けるため軽トラの助手席に乗せ、会社を出る。

 彼の実家兼道場は会社から車で二十分程度の距離にあったがその間、僕が何を話しかけても道案内以外一言も口をきいてくれなかった。


「着いたよ、ここでいい?」


 サイドブレーキを力いっぱい引くと、錆びた金属音が沈黙を破る。

 それにしても、運転中のいたたまれない沈黙が続いた時間は移動した距離に対して、とてつもなく長く感じた。


「ありがとうございました」


「それにしたって一真君、そんな簡単に諦めてもいいの?」


 暗いトーンで頭を下げる一真君が心配になって訪ねると、会社を出てから初めて彼と目が合った。


「諦めません……俺、また絶対来ますから」


 そして、しっかりした眼差しでそう言い残して車を降りていく。


「あ、まって一真君、もう暗いし親御さんに挨拶だけでも」


 僕も慌てて車から降りて一真君を追いかけた。

門扉を抜けると石畳が続いていて、立派な引き戸の玄関が見える。

 先を行く一真君は無遠慮に戸を開けると、僕に軽く会釈をして家の人を待たずに中へ入ってしまった。


「あれカズ? 遅かったな……ああどうも、うちになにか?」


 戸が開いた音を聞いて顔を出したのは、一真君の兄で長男の毅さんだ。

 筋肉の発達した大きな体躯で、竹刀を握らずとも腕っぷしはわかる。


 僕は会社の詳細は隠しつつ、一真君が迷子になったので保護し、ここまで送り届けたと毅さんに説明する。

 毅さんは「弟がご迷惑を」とわざわざ頭まで下げてくれた。

 彼からも一真君と同じように行儀の良さを感じる。武道家って感じだ。


 帰りがけに買い出しもしなきゃな、などと考えつつ踵を返すと、丁度玄関から見て門扉の内側に、両腕で輪を作った程度の盛られた土に突き立てられた板、そして燃えかけの線香が目に留まった。


「ダイスケ……これお墓ですか?」


 僕は板に書いてある文字を読み上げる。

 マジックで書かれたその字は比較的最近のものだ。


「カズが可愛がってた犬の墓です。今日が月命日で。あいつが産まれた時から一緒にいたもんで、年の離れた俺より余程兄弟みたいなものでした」


「あの、一真君の腕のケガ、見せてもらいました。もしかしてそのことと関係あったりしますか?」


 踏み込んだことを聞くのは気が引けたが、それ以上に一真君があそこまで思いつめている理由が知りたかった。


「あああの、余計なこと聞いたならすいません」


「いえ、別に……内緒にしておく程の事でもないんで構いませんよ」


 毅さんはダイスケの墓へ歩み寄り、墓標をまるでその頭のように優しくひと撫ですると、ゆっくりと話し始めた。



■□■□



 一真は電気も点けず部屋のベッドにうつ伏せたまま、静かに肩を揺らし嗚咽を漏らしていた。


「ダイスケ……俺、悔しいよ……! うっ……うぅ」


 ──それは、遡ること数か月前。


 いつもの時間、いつものルート。

 ダイスケの日課の散歩は一真の役目だった。


 柴犬のダイスケは一真が生まれる前から薮田家の一員で、今ではすっかり老犬だが足腰はまだまだ丈夫だ。

 それは、一日も欠かしたことがない一真との散歩の成果でもある。


 ダイスケは大好きな一真と一緒なら、雨や雪だって全然平気。

 どんな天候だって必ず同じ時間に同じコースを共に歩いた。


 今日もそんな、ありふれた散歩の筈だった。


「ぁ……、ああっ……!」


 一真とダイスケの前に飢えた中型の熊が立ちはだかり、今にも飛び掛からんと低く唸り声を上げている。

 ダイスケがけたたましく吠えて威嚇するが、熊に動じる様子は全く見られない。

 一真の方はと言うと撃退グッズなど何も持ち合わせてはおらず、どうにか安全に逃げ切ることしか考えられずにいた。


「ダイスケ逃げよう! ダイスケ!」


 一真がリードを引っ張ってもダイスケは一歩も引こうとはしない。

 そんな様子に痺れを切らした熊が、一足飛びでダイスケに襲い掛かる。


「ダイスケーーー!!」


 一真はダイスケをかばおうと必死に手を伸ばした。

 ところが恐ろしい猛獣の爪は、一真の腕とダイスケの命を同時に奪っていった。


 その後、病院のベッドで目を醒ました一真は、残酷な現実を毅さんから聞かされる。


 ちょうど車が通りかかったことで熊が逃げて一命はとりとめたことを幸運ととるか、家族と利き腕、剣道の将来と大切なものをまとめて奪われた不幸を呪うか、一真には答えが出せずに時間だけが経過した。


 それからずっと一真は自問自答し続けて彼なりに出した答え、それが「異世界転生」だったのだ。

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