2 有限会社エクソダス


 暗闇の中に、懐かしい声が響く。

 それは遠い日の記憶──。


『おい、むかえー、早く迎えに行って来いよ~!』

『ミナトのとーちゃん、幽霊船~♪』


『違うっ! 父さんは立派な──』


 僕をからかうクラスメートの笑い声を必死に否定したその時目に飛び込んできたのは、白い天井パネル。


「!!!?──……どこだ、ここ……?」


 目を醒ますと僕はどこかのベッドに寝かされていた。

 なにか夢を見ていた気がするが、よく思い出せない。


「──そうだっ! あの占い師……、きっとスタンガンかなにかでやられたんだ!」


 まずは盗難の可能性を考え、持ってきたバッグの所在を探そうとベッドから飛び起きて周囲を見回す。

 まだ僅かにくらくらしていたが、まずは貴重品を確認しなくては。


「あった!」 


 ベッドの近くにある棚の上にバッグを見つけ、すぐさま引っ掻き回すように中を確認する。


「ノートPCに財布は……ある、現金やカード類も無事……よかった……」


 ほっと安堵のため息をつく。


「あ、スマホ……」


 と同時にスマホもきちんと入っており、それを手に取るとまだほんのり温かい。

 電源を入れてみる、うん、僕の物で間違いなさそうだ。

 時計を確認すると、まだ気を失ってからさほど時間が経っていないことがわかる。


 ということは、だ……………………。


 ……………………


「ぁ~……♪」


 スマホに頬ずりをして温もりを分けてもらう。

 ついさっきまでこいつはあの谷間の中にあったのだ、羨ましい奴め。


「どうやら目が醒めたようだね」


「わぁあっ!? たったった……!」


 突然背後から声をかけられて手元が滑り、わたわたとスマホをお手玉させてしまう。


「ああ、すまない、声が聞こえたものでノックもせずに失礼した。どこか痛むところはないかな」


 振り返ると、その美しさに言葉を失った。

 立っていたのはスーツが似合う小顔で長身の女性。

 手足も長く後ろに纏めた髪がアクティブさを感じさせる、少女マンガに出てくる王子様を彷彿とさせるイケメン女性だ。


「? どうしたぼーっとして……やはりどこか痛めたかい?」


 今だ彼女に見惚れたままだった僕に、心配した女性が歩み寄る。

 近くで見ると、更に美人の解像度がぐっと増した。

 メイクはほとんどしていないように見えるが、寧ろ必要性を感じない。


「あ、だ、大丈夫です、どこも痛くありませんっ……!」


 美人を前に緊張してしまい声が上ずる。

 しかしこの人は何者なのだろう。


「そうか、安心したよ。……失敬、自己紹介がまだだったね」


 そんな僕の心の中を察したように、そのイケメン女性はとてもスマートな所作で懐からなにか差し出してきた。


 それは光沢のあるパール紙にクロスやバタフライといった特徴的な模様、そして中央にアーティスティックな書体で『狂咲 宵夜』と箔押しされたカードだった。


「名刺……? きょうさきよよ、さん……?」


 外見と名刺に加えて名前までも全てがキラキラしている。

 本当にこんな人が現実に存在していることに驚くばかりだ。


「ふ、正しくは狂咲キサキ 宵夜イヴ。この『有限会社エクソダス』の代表をしている者だ。そして君が運ばれたここは我が社の社屋だよ」


 今どき有限会社の代表だという女性の発言に首をかしげる。

 雰囲気から察するに、歴史のあるホストの派遣業とかだろうか。


 しかしこの近くの建物は小屋に至るまで隅々確認した筈だ。

 会社なんてあるわけ……と考えて、はたと気が付いた。


 僕は『なに』を探してこんな所まで来ているのか、を。


「黙ってしまって……ふむ、漆塗りの方がお好みだったかな」


「あいやそうじゃなくてですね……、あの、助けて頂いてありがとうございます。

それで、その……」


 僕は貰った名刺を丁寧に財布にしまうとお礼もそこそこに、真っ先にその話題に触れる。

 唐突なのはわかっていたが、どうしても確認しておかなくてはならないことだからだ。


「この会社って……あの、なにをされている会社ですか……?」


 なのに、『異世界転生』という言葉が口から出せずに回りくどい質問をしてしまう。

 こんなことを聞いて、もし変な人だと思われたら……そんな見栄と偏見が頬を強張らせていた。


「なにって……、キミはうちがどんな会社か知ってて訪ねてきたんだろう? 向湊徒君」


 狂咲は当然のような顔をして聞き返してくる。

 まるでなにもかも見透かされているような気分だ。


「じゃ、じゃあ……!」


 期待が高まり、つい喰いつくような視線を狂咲に向けてしまう。

 きっと今、僕の鼻の穴はあさましくもぷっくり膨らんでいる事だろう。


「ふっ……よく聞きたまえ、我が社は多くの迷える魂を救済するため顧客ニーズに最適な環境を提供し、新たな人生を歩むきっかけを手助けをする会社──」


 狂咲はつま先でステップするように歩を進めると、見事な所作で体を反転し身をすぼめた。


「それが『有限会社 異世界転生エクソダス』だ!」


 少し溜めがあった後、まるで舞台上で観客にアピールするかのように、腕を大きく広げる。

 まるでミュージカルのトップスターのように彼女の周囲に星が散った、ように見えた。


「それってつまり、異世界転生させてくれる会社……ってことですよね?」


 そんなキラキラポーズも今の僕には目に入らず、更に突っ込んで聞き返すと狂咲は少し物足りなさげにそうだと頷く。


(んんぃいやっったっっっ!! リアルに存在してた……っ!)


 今にも飛び跳ねそうな勢いを押し殺し、後ろを向いてガッツポーズを静かに連発した。

 かの少年が天空を浮遊する島を発見した時の喜びが、今の僕には心から理解できる。


「あのっ! 早速ですが──」


 逸る気持ちを抑えきれず、異世界転生を希望する旨を狂咲に伝えようとしたその時、部屋のドアが開いた。


「社長、ここにいらしたんですか。探しました」


 ──!?


 シャツの胸に開いた大きな穴と、そこから覗く谷間……!

 部屋に入ってきた人物は忘れもしない、彼女は……。


「おっぱいっ!」


 おっぱいであった。


「ああ、気が付かれたんですね。おはようございます」


 無表情で淡々としゃべるところも同じだ、彼女で間違いない。

 僕をスタンガンで気絶させた張本人だ。


「理子君、何度も言っているだろう。来客中はノックをしなさい、と」


「……りこ?」


「うむ、彼女は城前しろまえ 理子りこ、私の秘書だよ。君をここまで運んできてくれたのも理子君だ」


 え? あ、そういえば……それで僕の名前を知っていたのか。


「ぶい。感謝してください」


 ピースサインで居直るおっぱい、もとい理子。

 彼女はここの社員だったのか……しかし感謝はいただけない。


「感謝もなにも、失神させたのはそっちじゃないかっ!ぱい……? パイロリ―なんとかだか知らないけど、勝手に谷間に人のスマホ挟んだりスタンガン仕込んだりする方がまず謝るべきだと思うね!」


 しかし彼女の方も怯まず平坦な表情を動かさないまま反論する。


「パイコメトリーです。そういうエッチな名前も嫌いじゃありませんが。それにスタンガンなんて物騒なもの、リコは所持していません」


 更に彼女は矢継ぎ早に続ける。


「勝手にと仰るなら、リコのデンジャーゾーンに無断で手を深々と挿入した湊徒さまの過失かと存じますが。イエスおっぱいノータッチ」


 そう言って胸の前に手でバッテンを作る理子。


「湊徒君、アソコに無理やり手を入れたのか……君はなかなか勇気があるね。記憶やDNAまで解析されている可能性もあるぞ」


 狂咲は狂咲で、それを聞きまるで珍獣でも見るような眼で僕を見下ろし口を手で覆う。


「そ、それは挟んだスマホを返してもらおうとしただけで……」


 確かに思い返せば僕の方が問題行為だったかもしれない。

 しかし、そのおかげでここにたどり着けたのだとしたら、僕はこのセクハラを褒めてあげたい。


「安心してください。短時間だったので読み取れたのは表層的な部分までです」


「しっかり覗き見てるじゃないか!」


 それにしても、こんなすごいことが普通にできてしまうなんて彼女はもしかして異世界の能力者だったりするのだろうか。


「……というか理子、さんは、あんなところでなにをしていたんです?」


 それ以外にも彼女らはそもそも異世界人なのか等々疑問は尽きないが、まずは軽い質問から投げかけることにした。


「リコは、路上でおっぱいを使ってお客を取っていました」


「は……?」


 これは社会派ライター僕の出番か。


「コホン、理子君……、いつも言っているが君はもう少し言葉にエレガントさが欲しいのだが」


「失礼しました、プレジデント」


「それ社長じゃないけど」


 理子の発言を遮るように狂咲が咳払いで割って入る。

 憂鬱気味に眉間を押さえる仕草ですら美しい。


「誤解の無いように訂正すると、あれも営業の一環でね」


 狂咲の説明によれば、こうだ。


 まずこの会社は、誰でも容易に辿り着ける場所ではないこと。

 それには以下の条件を問われる。


・異世界の存在を心から信じ、行きたいと願っている人

・今の人生と血縁、人間関係といった環境の全てを捨てられる人

・異世界でも魂の器となれる人

・対価として己の魂を捧げられる人


 普通、それらの条件は結界が自動判別するのだが、稀に結界が計りかねる事例があり、そういう時は理子が直接会って資質の有無を判断する。


 つまるところ僕はそのイレギュラーだったという訳だが、判別途中で失神してしまったためここに来られたのは特例だそう。

 あのおっぱい占いのどこに資質を計る要素があるのかと問い詰めたいところではある。


「もしかして、結構来る人がいるってことですか?」


「曲がりなりにも会社なのでね。それにこの事業に需要があることは、湊徒君がこの中の誰よりも理解していると思うが?」


「そりゃまあ……実績としては?」


 狂咲は少し俯いて顎に手をやると、瞳を閉じた。

 どんな角度、表情でもサマになる。


「ああいや、込み入った質問でしたかね、別に──」


 彼女の気分を害してはいけないと慌てて遮るも、狂咲は素直に答えてくれた。


「そうだな……月平均で三名から五名、といったところかな。今日は湊君が運び込まれる前にも、一名予約を承ったよ」


「大忙しじゃないですか、大丈夫かこの国!」


 予想を上回る結構な繁盛ぶりに思わず突っ込んでしまった。

 というか、そんなに失踪者がいたらもっと騒ぎにならないかな。


「なに、心配はいらないよ。アフターケアは万全だ。顧客が新たな人生を手に入れた際には、その痕跡はこちらの世界に一切残さないのがこの事業を行うルールだからね」


『痕跡を残さない』


狂咲は今さらっと言ったが、つまりこちらの世界から旅立った者は存在自体が無かったものになる、ということだろうか……魂を捧げるって部分も怪しい。


 それに『業界のルール』という言葉から、この会社以外にも同じような異世界転生を行っている団体なのか機関なのか法人なのか、そういったものが存在していると見ていいだろう。


 僕の、いやこの世界のほとんどの人が知らないであろうこんなビジネスが存在しているなんて、今日は驚きっぱなしだ。


「それで、その……僕は希望すれば異世界へ行けるんですか?」


 特例で連れて来られただけの僕は実際問題、その資質があるのか。

 もし無かったとして……ここの秘密を知ってしまった僕をこのまま帰してくれるだろうか。

狂咲の返答如何によっては全てを失ってしまうので、正直返事を聞くのが恐ろしかった。


「それなんだが、その話はもう少し後でも構わないかな。君には私たちの仕事を見て欲しいんだ」


 ……どういうことだろう。

 実際の異世界転生を見てから決めて欲しいということだろうか。

 だとしたら僕は合格なのか……?

とにかく今の僕には他に選択肢もないので、了承するしかなかった。


「理子君、三崎様の予約はどうなっている?」


 不意に狂咲は理子の方へ振り返ると、業務的な話を始めた。

 さっき言っていた予約のことだろうか。


「あ、忘れていました。もうお見えになっていて中庭にお通ししています。それで社長を呼びに来たんでした」


「理子君……」


 眉間を押さえてなにか言いたげだったが、言葉を飲みこむ狂咲。

 おそらく「よくあること」なのだろう。


「てへ♪」


 舌を出しながらコツンと自分の頭にげんこつの理子。

 表情はないが、この態度もだいぶ慣れた感じに窺える。


「あと中庭ではなく『ディメンション・コルダ』と呼びたまえ」


 我慢できなかったのか狂咲は、そうひとこと告げると先に部屋を後にした。

 そして理子と僕のふたりも、そのディ──なんとかへ向かうのだった。


 僕はこれから人生初の異世界転生をこの目で見ることになるのだ。

 言い知れぬ不安と期待と、好奇心で心がざわつくのを感じていた。


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