有限会社異世界転生(エクソダス) ~あなたの異世界転生承ります~

岩田コウジ

序章

1 夢の場所をさがして


「……こんなところに本当にあるのかな……」


 ローカル線のバスを下車し、周囲の景色を見渡してみる。

ここはとある県境の山奥。近くには有名な巨大ダムがあり、鬱蒼と茂る森林とまっすぐ伸びた舗装道路だけが視界を埋めていた。


 次第に不安になってきたが、とにかく今は進むことだけ考えることにする。

 辞表も出してきたし、部屋も解約してきた。

何よりもう報われない生活と決別するって決めたんじゃないか、これしきの事で音を上げていられなかった。


だって僕は行くんだから、希望に溢れた異世界へ──!



■□■□



「またこんなに赤入ってる……はあ~……」


 僕は、むかえ 湊徒みなと。21歳。

 雇われライターの仕事を始めて3年が経とうとしていた。


なりたての頃は政治不正を大々的に糾弾したり、国の経済問題を論ずるルポライターを目指していた。

しかし仕事と言ったら芸人のスキャンダルや効果不明なサプリと健康医療、保険の営業といった安価な提灯記事ばかりで、碌に取材にも行けていない有様。


 こんなお手本みたいな受け売り文章に直さないといけないのか、自分の意見が何一つ許されない原稿仕事なんてうんざりだ。

 僕はため息をつきながら逃避気味にスマホを手に取った。


「ん? なんだこれ」


『なんか異世界に転生させてくれる会社があるんだって』

『それただのブラック運送会社だろ草』

『極秘の事故処理www』


偶然見かけたのは、SNSでの他愛のない会話。どこにでも転がっている世間話。


「なにを言ってんだ。異世界なんか本当にあったら僕が行きたいよ」


 ──異世界、か……異世界に転生ねえ……、異世界に転生させてくれる会社……。


 普段であればなにも考えずさらりと流すようなことなのに、今日はその言葉が何度も頭の中を往復して頭から離れない。

 気付けば取り憑かれたように匿名掲示板や裏サイト、SNSで『異世界に転生させてくれる会社』に関する情報を片っ端から検索していた。

そして、あっという間に二日が過ぎた頃には、ただの噂話だったものが信憑性のある情報へと昇華し、ついにはこの目で確かめたい衝動に突き動かされるまでに大きく膨れ上がっていた。


 いつ以来だろうか、僕は腹の底から湧き上がってくるような高揚感を覚え、ロキソニンを噛み砕いてドリンク剤でワイルドに飲み下した。


「よし、やるぞ……僕の異世界転生を始めるんだ!」



■□■□



 これが、つい十数時間前までのやる気と希望に満ち溢れていた僕。

 だが今やそのどちらもが徒労の前に消えかかっていた。


 バスを降りた幹線道路から枝分かれした細い道をひた歩く。

 既に車の騒音は聞こえなくなって久しく、辺りを静寂が包む。


 かき集めた情報によれば、異世界転生させてくれる会社はこの先にあるはずだ。

あるはずなんだ……全然そんな気配がしてこないんだけど。


 スマホで地図アプリを何度も確認するが、近くに会社を示す記号はない。

 やはりそんな会社なんてどこにもなくて、インチキ情報を掴まされたのだろうか。

 そしてそんな僕を情報の発信者はどこかで嘲笑っているのだろうか。


「そりゃあね、こうなることくらい予想してたけどさ……、だって情報があったんだもん、期待したくなるってもんでしょ!」


 際限なく膨張を続ける不安を必死にかき消したくて大きめに独り言ちる。

そして、蜘蛛のそれより細い希望の糸を必死に手繰り寄せるかのように一心不乱に歩いた。


「うん? あれ人かな……看板? マネキン?」


 やがてどれだけ歩いたのか自分でもわからなくなってきた頃、遠くに人影のようなものを認めた。

 なんとなく髪の長い女性に見えるが、こんな山奥に手ぶらで突っ立っているのはかなり不自然だ。

 置き去られたマネキンか看板の類だろうか。夜ならそれだけで結構怖いので減速の注意を促す意味はありそうだが。


 不安な気持ちは更にネガティブな想像を掻き立てる。例えば幽霊……? いやまだ夕方前だしそれはないだろう。では妖怪なら……。

様々な想像が湧いては打ち消しを繰り返しながらも前へと進む。


「やだこっち見た!」


これで看板とマネキンのセンは消えた。

しかしこれで残った人ならざる者の可能性が大きくなり、鼓動が加速する。

引き返したくて仕方がないが、それで万一追いかけられでもしたら疲労で棒になった足で逃げ切る自信はない。


 そうこう悩んでいるうちに、両者の距離はどんどん縮まっていく。

 女性まで10メートル……5メートル……。


「こんにちは」


「くぁwせdrftgyふじこlp!!!」


 瞬間、呼吸が止まった。

心臓が痛い、酷い圧迫で握り潰されそうだ。


「ここ、こんちは……」


 ギリギリ声を振り絞り、ぎこちなく会釈をしつつ必死に足を出した。

 とにかく追いかけてこないことを祈って早く通り過ぎよう。

 くわばらくわばら、と心の中で唱え続けた。


「占い、しませんか?」


「……は?」


 しまった、予想外の発言に思わず足が止まってしまった。

 そしてその時、初めて女性の全身を視界に収めた。


 少し影があるが、画面の中でしか見たことが無いような美人だ。

 そしてなぜか胸元、というかバストの中央に大きな穴の開いたブラウスを着ており、見事な谷間がその穴を二分している。


「今、見ましたね」


「み、見てませんよっ!」


「それと、手ぶらでもできる占いってなんだろう、気になるな―? と俄然興味を惹かれましたね。ちなみに無ブラです」


「ちょっとなに言ってるか分かりません」


 ブラはさておき、彼女のほとんど抑揚のない表情と喋り方の方が気になった。

 自分から挨拶しておいて無表情なんて気味が悪い。やっぱり妖怪の仲間か。


「仕方がありませんね、特別にお教えしましょう。この占いは特別なんですよ……ふふふ」


 何も聞いていないのにその女性は、まるで台本を読むかのように続ける。

 僕の態度などお構いなしだ。


「なんと、おっぱいの間に挟んだものを全て見通せてしまう神の業なのです。ワタシはこの御業のことを敬意を込めて『パイコメトリー』と呼んでいます」


 違う意味でヤバい奴だった。妖怪以上だ。


 おかげで怖さは吹き飛んだけど、これなら単純な人外だった方がマシにも思える酷さだ。

とは言え、自分の豊満なバストを指さしながら眉一つ動かさずに下ネタを淡々と語る美女はなかなかのインパクトだ。


 しかし相手が悪かったな、僕は繁華街の片隅でそんなことを生業にしている女性を取材した経験もある社会派ライターだ。

 多分これもその類のものだと直感した。


「残念だけど、自分のことはもっと大切にしなきゃダメだよ。今から警察に通報させてもら──ぁっ、あれ……?」


 そう言ってスマホを取り出したが、手の中には無い。


「嘘だと思ってらっしゃるようですので、今からコレをパイコメトリーしてみましょう」


 そしてなぜか今消えた僕のスマホが彼女の手の中にあり、なにを思ったかそれを自分の胸元へ近づけていくではないか。


「あっ……僕のスマホ……!?」


「ご安心ください、サービスですからお代は頂きませんので」


 まるで自販機に挿し入れた紙幣のように、みるみるうちに僕のスマホがその谷間へ吸い込まれていく。


 なんだこれ、意味が分からない!


「んっ……♪」


 そして女性はふるりと身体を震わせる。

 それはスマホを味わっているかのように。

 なんだか新しいプレイを見せられているようでドン引きする一方、美女がうっすら上気する光景は眼福でもあった。


「なるほど……むかえ 湊徒みなとさまと仰るのですね」


「え、名前なんで……!?」


 彼女は僕の名前を読み方まできっちり言い当てた。

 もちろん何ひとつ教えていないし、初見で正しく読まれたことは今まで一度もなかった。


「ふふふ。驚いていますね。もちろんこれだけじゃありません。パイコメトリーの前では、どんなことでもお見通しなのです」


 僕のリアクションが予想以上で嬉しかったのか、女性は上機嫌でその谷間占い(?)を続行する。


「ふんふん、地図を何度も見返して……どこか目的地に向かう途中──」


「もうわかった、あなたがすごいのはわかりました! だからなにも言わずにスマホ返してくださいっ!」


僕はこれからの目的まで彼女に知られたくなかった。

退路まで断って本気で異世界転生させてもらおうとしている上に、迷って遭難しかけていることまで言い当てられたら、恥ずかしさで立ち直れない。


「なにやら建物が……その場所は──」


「すとぉおっぷ!!」


「えっ……!?」


 スマホを奪い返そうと、無我夢中で彼女のおっぱいの谷間に手を伸ばす。

 しかしおかしい。スマホの大きさを考えてもすぐに指が届くはずなのに、手首まで潜っても手のどこにも触らなかった。


「!?!!!」


 代わりに感じたのは、おっぱいの温かさでも柔らかさでも圧力でもなく、電撃のようなショックだった。

 脳髄を痺れが駆け抜け、全身から力が抜けた。


 そして…まるでスローモーションのように膝から崩れ落ちると、その後はゆっくり視界が暗くなっていくのだった。

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