④ 暗殺者の直感はざわめく

 俺は、いわゆる暗殺者だ。


 大学で心理学を専攻していたはずが、教授に政府の外郭団体のバイトを紹介され、仲良くなった上司にスカウトされ、気づいたらなっていた。


 いわば成り行きだ。

 ただ昔から人一倍疑り深かったと思う。つまり適性があった。


「旧ソ連時代、KGBのやり口は車の下にボロニウムを仕込むことだった」


「ボロニウム?」


「放射性物質だ。数カ月掛かるが確実に殺せる」


 上司は俺に様々な知識を授けてくれる。


「雑だがこういうシンプルなのが一番厄介だ。気を付けて」


「後で車の下を覗いてみますよ」


 俺の軽口に上司は表情を変えず、続けた。


「もう一つ気を付けないといけないのは」


「ハニートラップですよね?」


「ああ、これもシンプルで有効だ」


「ご心配なく。女は常に疑ってます」


 信じるのは上司だけだ。



---



 いつものように電車でマンションに帰る。

 駐車場の車の下を覗き込んでみたが、何もない。


「何してるの?」


 背後から恋人の声がした。


「…下から猫の声がしてさ。あ、今日はカレー?」


「よく分かったね」


「レジ袋に入ってる材料見れば分かるよ」


 俺と彼女は笑い合ってマンションの中に入る。

 

 彼女とは表の仕事で知り合った。隠し事ができない性格で素性もクリーンだった。

 今はこうして頻繁に泊まりにくる。


 いつものように一緒に夕飯を食べ、体を重ねる。


 彼女がシャワーに行っている間、俺は上司の忠告を思い出していた。

 何の気なしに彼女のスマホのロック画面を解き、予定を覗く。


『7月2日 定期報告・赤坂』


 何の変哲もない仕事の予定に見える。

 ただ、俺が把握していない、知らない予定だった。


 直感がざわめく。


 ベッドのマットレスを持ち上げる。何もない。


 念のためベッドフレームを調べてみると、木板に10センチ四方の黒いシールが貼られていた。


 ボロニウムだろうか。


 赤坂は米国大使館の住所だ。とすればCIA絡みか。


 放射性物質にハニートラップ…なるほど、上司は知っていて俺をテストしたのだ。これを見破れない程度では失格だと。


 彼女との数年間の思い出を噛みしめ、消去する。任務遂行のために会得したメンタル操作だ。


 シャワーから出てきた彼女に俺はシールを突き付けた。


「見事だよ。まさか一緒に寝ているベッドに仕込むなんて」


「ん? 何言って」


「これ、いつも君が寝ている側には貼られてないんだろう?」


「え、それって多分防カビ――」


 俺は小型の銃で彼女を撃った。

 極細の針で血管を収縮させて殺す。彼女の雑な手口とは次元が違う、最新鋭のやり方だ。


 後は穏便に死体を処理すればいい。


 やはり俺が信じられるのは上司だけ。


 明日、報告するのが楽しみだ。


(おわり)

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