② 娘のくれた優しい嘘
ふと気づくと、娘が僕のスマホをいじっていた。
「勝手に触っちゃだめだよ」
「えへ、だって置いてあったんだもん」
スマホを取り上げると、予定帳に何やら書き込みが。
『9月10日 おとおさんと おまつりをひらく』
習いたてのひらがなを使ったのだろう。その可愛らしい内容に笑ってしまう。
「お祭りって、どんなの?」
「えっと、かぜ祭り!」
「なにそれ」
「風にのって、みんなでお空にいくの!」
「それは楽しそうだね」
にこにこ笑う小さい頭を撫でる。
この楽しい日々は、ずっと続くと思っていた。
一か月後、娘は死んだ。
交通事故だ。
意外にも悲しみに暮れることはなかった。葬儀の手続きや事故遺族の集まり、裁判準備など用事が山積みだったせいだろう。
娘の死を悼む暇もないほど忙しない日々が、半年ほど続いた。
用事も少なくなり、空白が増えていく予定帳に焦り始めた頃、覚えのない予定を見つけた。
『4月20日 おとおさんと いぬをみにいく おとおさんだいすき』
あのとき、娘が書いたものだろう。
相変わらず可愛らしい内容に胸が締め付けられる。
娘は犬を飼いたがっていた。『かいにいく』ではなく『みにいく』なのは彼女なりの遠慮だろうか。お父さん大好き、はきっとあの場にいた僕へのサービスだ。
僕は、ほとんど話さなくなった妻にスマホを見せに行った。
「なあ」
「…なに?」
「これ」
その文面に妻は目を見開き、やがて堰を切ったように号泣した。
『4月20日 おかあさんと おとおさんと いぬをみにいく おかあさんだいすき おとおさんだいすき』
文面を改ざんしたのは許してほしい。
その日、僕と妻は犬を買いに行った。
以来僕らは、娘の予定通りに行動した。動物園や遊園地に行き、ドッグランのあるホテルに泊まる。
「ねえ、次の予定は?」
「三人でお祭りに行くんだってさ」
「ふふ…あの子、お祭り好きだったものね」
微笑む妻に隠れ、僕はひらがなで予定を書き込んでいく。
娘の書いた予定は、犬を見に行く、で終わりだった。50年先まで見てみたが娘の書いた形跡はない。
だからそれ以降の見知らぬ予定は、全て僕が書いた。罪悪感はあったが、今にも消えてしまいそうな妻と僕にはどうしても必要だったから。
そうして三年が経った。
いつものようにスマホを開くと、覚えのない予定が書かれていた。
『9月1日 おとおさんと おかあさんが なかよくまえをむく おとおさん おかあさん だいすき』
膝から崩れ落ちた。
目の前が霞んで見えない。
喉から雄叫びのような嗚咽がこぼれて止まらない。
あの世から、娘が?
いや、そうじゃない。
僕は優しい妻のいる寝室に、泣きながら走った。
(おわり)
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