第9話「肉弾戦」」

   ”轢殺の黒輪”...コンクリートを突き破り地上に現れたのは、周囲に並ぶ一軒家の屋根まで届く身長と、人間三人分のウエストを持つ巨体が最強の武器となる刺客である。


「そうさァ!久しぶりだね水無様ァ!相変わらず小さいお体を、この轢殺の黒輪ことシュヴァルツライフェン様が始末してくれるよォ!妹君から逃げ回り力を消耗している貴方になら勝てるよォ!!」


   風を切り裂き迫りくる黒い手袋、ただのビンタだが、まともに喰らえば小柄な体などペシャンコになってしまう程の凄まじい破壊力を持っている。


「水無ちゃん!危ない!!」


   緋美華は水無の前に飛び出すと同時に、曲げた膝でビンタ攻撃を受け止めた。


「う〜っ!いった〜い!!」

    

   力を膝に集中させて防いだとはいえ、圧倒的な破壊力を前に骨が軋む音がする。


「また無茶をして!!」

「ひよりは下がってて、危ないから!」

「あんたに言われたくないけど、わかったわ!」


   緋美華の戦いの邪魔にならないように、ひよりは少し離れた電話ボックスに身を潜めた。


「やるなァ嬢ちゃん、まともに受け止めるとはさァ!」

「貴方こそ、ただの脂肪の塊じゃない、凄まじい筋肉量だよ...正直うらやましいかも」

「羨ましい?あんたみたいな可愛こちゃんがこんなデブをかよォ、はじめて言われたなァ!」


    黒き刺客は、巨大な脂肪と―――筋肉の集合体である肉体に力を込めて、黒い鉄球をボウリングボールのように投げ、凄まじい勢いでコンクリートを抉りながら地を這わせる。


己から見て三分の一もない赤髪の少女が、今はピンの代わりだ。


「だって私は強くなりたいもん、貴方だって、強くなりたいから、たくさん食べて、たくさん鍛えたんでしょ!」


   数百キロの重量×時速百二十キロの投擲速度=とてつもない破壊力を秘めて転がってくる黒き鉄塊を、緋美華はサッカーボールに対するそれと似た蹴り方によって粉砕した。


「確かに最初はそうだったが、結局は殺す以外に取り柄が無くなっただけさァ!!」


   球体投擲が通用しなかったシュヴァルツライフェンは、結局は武器よりも己の肉体だと言わんばかりに、両手足を脂肪と筋肉で出来たボディの中に引っ込めて巨大な黒い球体へと変化した。


「今度は貴方自身がボール代わりなんだね...こんなのが転がってくるのか」

    

   ダンゴムシの如き黒き巨塊は、特訓の成果だろうか、肉体が著しく強靭になった事を把握して、心の片隅に慢心を生んだ緋美華を怯ませる。


「あれには、どう対処する...春野 緋美華...」

 

   緋美華に庇われてからずっと、ひよりの隠れている電話ボックスにもたれ掛かって、彼女と漆黒の刺客との対決を眠たげな眼差しで観戦していた水無。


自動車どころか戦車すらも押し潰す威力を備えた、“漆黒朧車輪”《しっこくおぼろしゃりん》に対する緋美華の行動に期待を膨らませ、僅かながら、いつもより瞳を大きく広げる。


「ちょっと、アンタも見てないで戦いに参加しなさいよ!あんなの幾ら緋美華でも、どうにもできないわ!!」


   ひよりが慌てるのも無理もない、塀や電柱、信号機、停車中の軽トラックすらも押し潰しながら転がってくる、五メートルはあろうかという巨大な肉塊を、せいぜい百五十数センチの少女が、どうにかできる訳が無いのだから。


「できないじゃ駄目っ、どうにかできないと、私はこれから先も今までみたいに誰も守れない!」


   死の黒輪を避けようともせず仁王立ちで間違える緋美華は、深く息を吸い込んだ。


「...けどこれは、私の力でもなんとかなるかな」


   緋美華は拳を突き出す構えをとる、どうやら自分のパワーによるゴリ押しでなんとかするつもりらしい。


「あんなのさっきみたいには行かないわよ!」

「緋美華が砕いた鉄塊はせいぜい二百キロほど、あいつ自身は五百キロ...そして今や時速六百キロ―――もう彼女の眼の前!!」

「死ぬじゃない!!緋美華!逃げなさい!!」


    六百キロとか詳しいスピードは分からないが、最も近い場所に立っていた緋美華自身が、逃げ切れない速度で敵が転がってきているのを一番理解していた。


「たまたま足元に転がってきてくれたから、間に合ったけど、ギリギリだった」


    赤い髪を風に靡かせる少女が、そんなセリフを発し終わる頃にはもう、黒く巨大な団子虫は宙へと放り出されていた。


「いったいなにが...あれは!」


    緋美華の目の前には、押し潰されたものの何とか原型を留めていた電柱と軽トラックの三角形の残骸で作られた、不格好な簡易シーソーがあった。


彼女は足元に転がってきたアイテムを素早く組み合わせて作り上げたシーソーを全身全霊を込めた脚を使って利用し、巨大な敵を空に舞い上げたのだ。


「梃子の原理なんて、よく覚えていたわね〜!」  

「流石に小学生レベルだから、ひよりってば馬鹿にしすぎでしょ...」

 

   幼馴染からお褒めに預かり嬉しい気持ちもありつつ、美しいほどの憂いを秘めた表情を浮かべたまま、緋美華はさっきまでシーソーに使っていた潰れた電柱を拾いあげた。


「あいつらは殺すしかない―――敵に情をかけるは即ち、罪なき人々を見殺しにすることだから」


  水無は緋美華の心に、躊躇いがあるのを見抜いていた。凶悪なる異能者といえど、人間の形と言葉は変わらず持っている者を殺すのにも勇気が必要なのだ。


「わかったよ、ありがと...!!」


   落下してくる漆黒の球体目掛けて、緋美華は槍の如く電柱を投擲し、敵の命を終わらせた。


血の雨、脂肪と筋肉の雨、黒い衣服の雨、とにかく悍ましい雨が一帯に降り注ぐ。


「...辛いね、親しい人の命を奪われるのも、自分自身が奪うのも」


   赤黒い雨の一部が、空を見上げる緋美華の瞳の下に落ち、頬と顎を伝って流れた。

   


   

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