第6話「緋碧邂逅」

 「私が助けないと...!」


   凶刃に倒れた緋美華を前に取り乱した、ひよりだったが、なんとか冷静さを取り戻して、彼女を横抱きする。


「...わざわざ、お姫様抱っこしちゃった、ロマンスの欠片もないわね」

   

   体力にも腕力にも自信の無い、頭脳派なひよりだったが、緋美華を助ける為なら普段以上の力を発揮する。


それでも、亀の歩みとまでは言わないにしろ、お世辞にも迅速に場を離れられているとは言い難い。


「わわ!ひよちゃん何この状況!!」

「なにか分からないけど、ヤバそう」


   緋美華の警告を受けてから、暫くして目を覚ました羽砂美と信歩が、テントから出てきた。


「ヤバいわよ!めっちゃヤバイ!!」

「そうだよ〜ヤバイよ〜君たち〜赤髪のクソガキが〜倒れたいま私の暗殺遂行は完全に果たされる〜!!」


   気を失っていた暗殺者が目を覚ました、普通の人間が緋美華からあれだけ攻撃を受けたなら、数時間は立ち上がれないが、流石に常人以上のタフさを持っていた。


「君はなんだか〜私と同じ”陰”のニオイがするから〜ちょっと貰いたくなったから〜殺さないでやるよ!」


   暗殺透明人間は口を開けると、普段は丸めている、まさにカメレオンの如き長い舌を勢いよく伸ばして、 ひよりの膝裏を突き刺した。


「あああっ!!」


   激痛に襲われた、ひよりは涙を浮かべるが、それでも緋美華を助けるために、歩みを止めない。


「うわあ、化け物じゃんあれ、きっしょ〜」

「どうすれば良いかな、この場合」

「逃げるが勝ちじゃんね?」

「...あのふたりなら、まだ死なないだろうしね」


   友人たちの生命の危機を前にしながら、羽砂美と信歩は、薄情にもこの場から去っていった。

   

「ふ〜ん、痛めつけてやろ〜!」


   ひよりの膝裏を貫いた長く粘着質な舌は、今度は彼女の背中を鞭のように、執拗に殴打して皮膚を裂く。


「怪我して〜歩みも遅くなって〜逃げ切れるわけ無いのに〜理解してるはずなのに〜しつけえ〜!!」


   業を煮やしたカメレオン女は、ひよりの背中をブーツを履いた脚で思い切り蹴って転倒させた。


「わ...私はもう、どうなってもいいから、この子だけは...」


  もはや逃げられないと悟るも、ひよりはうつ伏せの状態で、緋美華を抱きしめて庇う。


「け...健気だな〜じゃ、じゃあさ〜全身をさ〜隅から隅まで舐めさせてくれたら〜見逃しちゃおっかな〜」


   けけけ、かかか、と下卑た笑い声を浴び、ひよりの全身に嫌悪感が走る。


「...悪霊どころか色情霊ってわけね、アンタは」

「気の強さが〜たまらんね〜」

「わかったわ...お願いだから、緋美華から離れた場所まで、連れてって...」

    

  ひよりは唇を噛み締めて、霧のように掠れた声で懇願するが、それはカメレオン女を著しく興奮させ理性を失わせてしまう理由となった。


「あ〜やっぱ辞めよ〜別にこのまま〜やっちゃった方が盛り上がりから!!」

「そんな...」

「絶望しなよ〜貞操と愛する者を一気に奪われてさあ〜!!...あっ?」


   もはやここまでかと両眼を閉ざしたひよりの、先ずは黒いタイツに覆われた脚に、カメレオン女は舌を伸ばした、その時だった。


「”水は生命の母たる故に、我が子の生命を奪う力ともなる、人の親子がそうである様に”」


   幼馴染を命懸けで護らんとする健気な少女を凌辱せんとする下衆な舌が、第三者の呪文を唱えるような声と共に出現した蒼い三日月の閃光により本体から切り離されて宙を舞った。


「ぐぎゃあああああおあああお!!」


   風見ひよりと、舌を切断されてのた打ち回る者の間に、小さな黒い影が降りたった。


「あ...あなたは...」 


   呪文を唱え、ひよりを助けたのは、青髪のツインテールを靡かせ、漆黒のゴシックロリィタ服を着て、素足のまま紺色のストラップシューズを履いた、あどけない顔と大人びた瞳を備えた、幼き少女だった。


「みっ、水無様...!飛んで火にいる夏の虫とは、まさにこの事ですね〜!!」

「”我を無しに生き永らえる者は極僅か、即ちそれは生涯の束縛を意味した”」

「ぎゃばっ!?」 

 

   相手に行動の隙を与えないほど高速の詠唱を水無と呼ばれた少女が終えると、カメレオン女の体を水で構成されたリングが拘束した。


「あ、あわわわ」

「私が飛んで火にいる夏の虫なら、あなたは水に沈む夏の害虫だね」

「ひいいいいいいいっ…!どうか、お赦しを!!」


   これまでに数多の人間を恐怖させてきた悪霊が、いまは逆に恐怖していた、何故なら彼女は水無に勝てないことを理解していたから。


では先程の威勢の良さは何だったのかと言うと、これまで能力により人間を始末して力を付けた今ならば勝てるのではないかと、自信過剰になっていただけだった。


しかし一瞬にして、やはり敵わないと思い知らされてしまったのだ。


「あなたは幽霊の異名を持っていたけど、死んだら本当に幽霊になるのかな...」

「ひっ...ひいいいいいいッ!!」

「“海に沈むように空に浮かぶ貴女の夢を、私は叶えましょう”」


   今度はゆっくりと詠唱を完了させる水無、すると拘束されたカメレオン女の足元からやや青みがかった透明な泡が、彼女の爪先から頭のてっぺんまで全身を包み込んでふわふわと浮かび上がる。


「貴方は一人が好きだったよね...暗い場所も...責めてお好みの場所で死なせてあげる」


   水無が冷淡に言い放つと、カメレオン女を包み込んだ泡は、彼女ごと川の中に沈んでいった。


「...あれは、何をしたのよ?!」

「川底に沈めただけ、溺れ死んで魚の餌になるまで、そう時間は掛からないはず」


   問いかけに対して、いくら相手が凶悪無比とはいえ、残酷な所業を平然と答える水無の態度に、ひよりは冷たいものを感じた。


「助けてくれてありがとう、だけど幾ら殺人鬼とはいえ、人を―――」

「あの類を人扱いしない方がいい、私も含めて...それより」


  そう言いながら水無は、血だらけで意識を失っている緋美華に目をやる。


「こっそり様子を見ていたけど、春野 緋美華...なるほど、あの強さと勇敢さ、あいつが直々に暗殺しようとしただけの事はある...まだ死なせる訳にはいかない」

「私も緋美華を死なせたくないわ...取り敢えず脅威は去った今なら、救急車を呼べるわね」

「その必要はないよ」

「あんた、さっきの戦い...というより一方的な処刑を見るに水を操れるみたいだけど、治癒までできるの?」


  水無はこくりと頷きながら、緋美華の体をひっくり返して、深く切り裂かれた背中を自分に向けさせる。


そして水無が一番傷が深い箇所に両手を添えると、青白い光が、緋美華を優しく包むのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る