第29話「買い物に出かける(1)」

 ──買い物当日・柳也りゅうや視点──




 待ち合わせ場所はショッピングモールのフードコートだった。

 時間は午後2時半。

 俺は早めに来て、本を読みながら待っていることにした。


 読んでいるのは、学校の図書館から借りたミステリーだ。

 7年間異世界にいたせいで、色々忘れてるからな。

 現代のことを思い出すためにも、現実の描写が多いものを読むようにしてる。


「異世界じゃ紙も貴重品だったもんな。普通に本が読める世界っていいよな……」


 切りのいいところまで読んで、本を閉じた。

 蛍火ほたるびの姿が見えたからだ。


 蛍火は変装用に、大きな眼鏡と帽子を身に着けていた。

 それでも金色の髪は目立っているし、彼女が着ると市販品のパーカーも特別に見える。

 ただ、異能者で配信者の梨亜=蛍火=ノーザンライトとは雰囲気が違う。

 そうじゃなかったら大騒ぎになっているだろうな。


 蛍火は配信中は、認識阻害にんしきそがい効果のある薄化粧をしてる。

 今はそれをしてないから、別人に見えるんだろう。


「お待たせしました。桐瀬きりせさん!」


 俺のところにやってきた蛍火は、ぺこり、と頭を下げた。


「お、お仕事以外で会うのははじめて、ですね」

「あれ? 今日のこれも仕事じゃなかったですか?」

「え?」

「買い物は福利厚生ふくりこうせいのひとつなんですよね?」

「そうでした!」


 蛍火は勢いよくうなずいた。


「は、はい。お仕事です。福利厚生です!」

「ですよね」

「まずは食器を買いに行きましょう。桐瀬さまの好きなものを教えてくだ──」

「その前にお願いがあります」

「は、はい。なんでしょうか」

「少しの間、フードコートの入り口で待っていてください。時間はかかりません。すぐに終わりますから」

「わ、わかりました」


 蛍火がフードコートの柱の向こうに移動する。

 その数秒後、



「やあやあ後輩くん。めずらしいところで会うねー」



 俺のところに、川根みのり先輩がやってきた。

 うん。さっき気づいた。

 というか、先輩が俺に気づいたことに気づいた。


 みのり先輩が着ているのは、フードコートにあるドーナツ屋の制服だ。

 今日も仕事中らしい。


「こんにちは、みのり先輩。ここでもバイトをしてたんですね」

「そうだよ。今の今まで休憩中きゅうけいちゅうだよ。後輩くんは?」

「バイトが休みなので、息抜きに買い物に来ました」

「ふぅん。いい傾向だね」


 みのり先輩はにやりと笑って、


「後輩くんはいつも余裕なさそうな感じだったからね。のんびりするのはいいと思うよ」

「そうですか?」

「買い物が終わったら私のところに寄りたまえ。ドーナツをおごってあげよう!」


 そう言ってみのり先輩は、店の方に走っていった。

 俺は先輩と別れて、フードコートの入り口へ。そこで蛍火と合流する。


「お知り合いの方ですか?」

「バイト先の先輩です。あと、蛍火さんの大ファンです。離れてもらったのは、正体がばれるかもしれないからですけど……その方がいいですよね?」

「は、はい。ありがとうございます」


 蛍火は、こくこくこく、とうなずいた。


「動画では認識阻害にんしきそがいメイクをしてますから、今とは印象が違うはずですけど……近くに来るとわかっちゃいますからね。助かります」

「よかったです」

「元気な方でしたね。桐瀬さんは、あの方と親しいのですか?」

「いい先輩です。ただ、どれくらい親しいのかは……よくわからないですけど」

「え?」

「7年間、離れてましたから」

「……あ」


 蛍火が気づいたような表情になる。


 みのり先輩とは去年から一緒にバイトをしてる。

 それなりに仲は良かったと思う。

 ただ、俺は7年の間、異世界転移してた。

 俺の実感としては、みのり先輩とは再会したばかりだ。


 出会ったころの記憶は薄れかけてる。

 先輩が親切に、仕事を教えてくれたことも、なんとなく覚えてる。

 ただ、それは遠い昔のことで……実感がないんだ。


「というか……異世界から戻って来たという実感そのものが、まだ薄いんですけど」

「わかりました。桐瀬さんにはこの世界の現実を、思い出していただきましょう」


 突然だった。

 気づくと、蛍火が俺の手を握っていた。


「まずは食器を買いに行きましょう。桐瀬さんがどんなふうにこの世界で食事をしていたのか、どんな食器が好みなのか、がんばって思い出していただきます!」

「あ、はい」

「時間がもったいないので急ぎましょう。帰りにはドーナツ屋さんに寄って、先輩からドーナツをおごっていただくのでしょう? 約束を守るのも、正義の貴族のつとめです!」


 そうして蛍火は俺を引っ張りながら、買い物に向かったのだった。







 ──レーナ=アルティノ視点──




「お嬢さまが自分から殿方とのがたの手を!? こ、これは……生まれてはじめてのことではないでしょうか……」


 レーナ=アルティノは柱のかげから、梨亜りあ柳也りゅうやを見つめていたいた。

 彼女はおどろきに目を見開いていた。

 梨亜リアが自分から、柳也の手を取るとは思わなかったからだ。


 梨亜は桐瀬柳也きりせりゅうやのことを気にかけている。

 それは彼が初めての、肩を並べて戦えるパートナーだからだろう。


 本当なら、梨亜と一緒に戦うのはレーナのはずだった。

 けれど、レーナには戦闘用の魔術の才能がなかった。

 レーナが得意とするのは遠隔操作系の魔術や、調査研究用の魔術だ。『攻略配信』に使う『カメラ妖精』の操作には自信があるが、梨亜と一緒に戦うことはできない。


 それに、梨亜は人見知りだ。

 幼いころの経験からか、彼女は初対面の人間とうまく話せない。

 そんな彼女が『攻略配信』できているのは、目の前に相手がいないから。

 配信時は貴族としての仮面を被っているからだ。


 そんな梨亜がパーティを組むのは難しかった。

 だからこれまで、梨亜はソロで『攻略配信』をしていたのだ。


「でも……桐瀬さまは、お嬢さまの壁を取り払ってしまわれました」


 それは柳也が『異世界転移』のサバイバーだからだろう。

 7年間、異世界で暮らした彼は、常ならぬ世界に深く関わってしまった。

 おまけに人間関係が人より7年多いせいで、妙に大人びている。

 普通の人間よりも、どこかいびつなところがある。


 梨亜も彼と同じだ。

 西洋魔術師の名家に生まれた彼女は、他人よりも早く大人にならなければいけなかった。

 本当は人見知りなのに、父との約束を果たすために『攻略配信』を続けている。

 梨亜もまた、どこかいびつな少女だ。


 そんな梨亜は、自分と似たところのある柳也に親近感を覚えたのだろう。


「桐瀬柳也さまは、知人らしい方からお嬢さまを引き離しました。お嬢さまの正体がばれないようにするためでしょうね。なかなかの判断です。あ、ふたりとも、食器を買いにいくようですね。では、先回りして──」


 そう考えたとき、レーナのスマホが震えた。

 画面に表示されたのは『配信者ギルド』の文字だ。

 魔術結社の代表者あてに送られる、エリアメールだった。


 レーナは柱に背中を預けて、メールを開く。

 そこに書かれていたのは──





『注意喚起:違法な動画配信サイトにご注意ください


 最近、アンダーグラウンドの動画配信サイトが、異能者の勧誘を行っているという情報があります。

「配信者ギルド」に登録されている異能者さまに、勧誘のメールが送られているようです。


 ギルドの専門チームが発信元を調べておりますが、特定には至っておりません。

 異能者各位は、不審なメールにくれぐれもご注意ください。

 また、見覚えのないアドレスには、アクセスしないようにお願いします。


 追記:不正アクセス調査チームより

 アンダーグラウンドの動画配信サイトの名称は『ディープ・マギウス』です。

 運営者には「魔術災害」を引き起こした異能者が関わっているとの情報あります。


 続報が入り次第、すぐにお知らせします』




「アンダーグラウンドの動画配信サイト……ですか」


『ディープ・マギウス』のうわさは、レーナも聞いている。

 過激な魔界攻略や、魔術実験の様子をを配信しているサイトだ。


 各地の魔術組織が調査に乗り出してはいるけれど、正体はつかめていない。

 誰が運営しているのかも、なぞのままだ。


「『ディープ・マギウス』には、例の儀式に参加した異能者が関わっているという話を……聞いたことがあります。もしそれが事実なら……『ディープ・マギウス』を潰すのは難しいでしょうね」


 例の儀式とは、『魔術災害』の原因になった儀式のことだ。

 10年前、最高位の異能者たちは世界を安定させるための儀式を行った。

 彼ら、または彼女たちは、人間を超えた異能者だった。

 だから『特別な異能者』の意味を込めて『特異点とくいてん』と呼ばれていたのだ。


『特異点』は8人いた。

 全員が世界のことを思って儀式に参加した──当時は、そう思われていた。



 裏切り者の異能者が仲間を殺して、儀式そのものを乗っ取るまでは。



 結果、儀式は暴走して、『魔術災害』が発生した。

 世界中に魔界が生まれて、異能者たちがそれに立ち向かうことになった。


 儀式に参加した特異点は8人。そのうちの3人が裏切った。

 世界のことを考えて儀式にのぞんだ5人のうち、4人が殺害された。

 残る1人は重傷を負ったが、生き延びた。

 その人──『希望フォーチュン』の異名を持つ女性が、『配信者ギルド』の創立者だ。


 裏切り者たちの行方はわかっていない。

 あらゆる組織が探索の網を広げているが、気配すらもつかめていない。


 ──魔界の向こうに姿を消した。

 ──魔術の暴走により、命を落とした。

 ──魔界召喚の結果を見届けるために、姿を隠している。


 今も、さまざまなうわさが流れている。

『ディープ・マギウス』に『特異点』の1人が関わっているというのも、ただの推測だ。

 配信されている動画が、空間をいじるものが多い、という理由らしい。

 そして裏切り者の『特異点』の中には、結界と空間転移を得意とする者がいる。

 だからこそ、『配信者ギルド』は警戒しているのだろう。


「私たちが『ディープ・マギウス』に関わることはないと思いますが……って、あれ? お嬢さまと桐瀬さまは?」


 気づくと、ふたりの姿が消えていた。

 レーナがメールを見ている間に、移動してしまったらしい。


 レーナは急いでふたりを追いかけ始める。

 確か、食器を買いに行くと行っていたはず。


『ディープ・マギウス』の件について話をするのは、今日の予定が終わってからにしよう。

 梨亜にも普通の女の子のように、買い物を楽しむ時間が必要だろう。


 そんなことを考えながら、レーナは移動を始めたのだった。



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 次回、第30話は、今日の夕方くらいに更新する予定です。

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