第16話「福利厚生の話を聞く」

 仕事が終わったら、まっすぐ家に帰るつもりだった。

 でも、車の中で蛍火ほたるびは、


「今後の打ち合わせをしませんか?」


 ──と、そんなことを言い出した。


「攻略中に申し上げた通り、わたしたちはもっと、おたがいのことを知る必要があると思うのです。ですから、打ち合わせも兼ねて、少しお話をしませんか?」

「いいですよ」

「ありがとうございます!」


 蛍火は、ぽん、と手を叩いた。


「では、わたしのお部屋にいらしてください。お茶を飲みながら、今後の打ち合わせをしましょう」

「蛍火さんの部屋に?」

「わたしは桐瀬きりせさまに仕事をお願いする立場です。おもてなしするのは当然のことでしょう」


 ……そんなこと言われたのはじめてだ。

 こっちの世界でも異世界でも、上司からは『上下関係をわきまえろ』って言われてたからな。


「私も賛成です」


 答えたのは、運転席のアルティノだった。


「桐瀬さまがよろしければ、このまま私たちのマンションに来ていただきましょう」

「レーナは反対すると思ってました」


 助手席の蛍火は、おどろいたような顔で言った。

 でも、アルティノは冷静な表情で、


「桐瀬さまとは、正式な契約を交わさなければいけませんから」

「正式な契約を?」

「桐瀬さまは、現在『お試し』の状態です。これからもお嬢さまと一緒に『攻略配信』をされるなら、書面で契約を交わす必要がございます」

「あ、そうでしたね」

「桐瀬さまは、当社との契約を希望されますか?」


 車のミラー越しに、アルティノがたずねた。

 俺は少し考えてから、


「『攻略配信』を行うのは土日ですよね。報酬は全体の15パーセントで」

「そうです。その他に、福利厚生がつきます」

「福利厚生?」

「異能者の生活を支えるのは魔術結社の役目です。それに、『攻略配信』は万全な状態で行う必要がありますから」


 アルティノはうなずきながら、


「『ポラリス』は、桐瀬さまの体調管理に必要な費用を出す用意があります。具体的にはアパートの家賃、光熱水費などですね。食費は桐瀬さまからレシートをいただいて、後で精算することに──」

「……あのね、レーナ」

「なんでしょうか。お嬢さま」

「桐瀬さまに、うちのマンションに住んでもらうのは……どうかな?」

「……はい?」

「わたしとレーナはマンションの最上階を借り切っているでしょう? 空いている部屋がありますよね? そこを桐瀬さまに使ってもらえば、わざわざ家賃を払う手間もなくなります。だから──」

「話を急ぎすぎですよ。お嬢さま」


 アルティノはため息をついた。


「まだ桐瀬さまのご意志も確認していないのですよ?」

「で、でもでも、桐瀬さまとわたしはパーティ仲間で」

「落ち着いてください。お嬢さま」

「はい」

「お嬢さまのご提案は別として……」


 改めて、アルティノが聞いてくる。


「桐瀬さま。あなたは契約を希望されますか?」

「契約します。もちろん、契約書を見せてもらってからですけど」


 契約すれば、魔術結社『ポラリス』が家賃を負担してくれる。

 俺にとっては、願ってもない条件だ。


 生活費の心配がなくなれば、バイトも減らせる。

 いや……逆にバイトを増やして、進学の費用をかせぐという手もあるかな。

 たくわえができれば、あとは奨学金しょうがくきんでなんとかできるかもしれない。

 未来の選択肢せんたくしが増えるんだ。この機会を逃す手はない。


 それに、異世界での経験が役に立つのもうれしい。

 7年もブラック労働をしてたけど……それが履歴書りれきしょに書けるわけじゃないからなぁ。


 でも、蛍火とアルティノは異世界での職歴と、俺の仕事ぶりを評価してくれてる。

 だったら、彼女たちの魔術結社のお世話になるのが一番いいよな。


「俺は、これからも蛍火さんやアルティノさんとお仕事をしたいと思っています」

「はい! よろしくお願いしますね。桐瀬さん!」


 助手席で振り返り、蛍火は言った。


「わたしは桐瀬さん──トキさんと一緒にいると、とても安心するのです。できればずっと、一緒にお仕事ができれば……」

「いえ、いずれは桐瀬さまには、ソロでお仕事をしていただきたいと思っています」

「え?」

「桐瀬さまは、ソロでも通用する実力をお持ちです。まずはお嬢さまと一緒に『攻略配信』を続けていただいて、ランクを上げるのがよろしいでしょう。そうして、お嬢さまが目標としている視聴者数を達成したら、おふたりは、それぞれがソロで『攻略配信』をしていただく。そうすることでより効率的に収益を上げることができると思います」


 事務的な口調で続ける、アルティノ。


「いずれにしても、詳しい話は部屋に着いてからですね。それから、今後のことを決めましょう」

「わかりました。それでは……これからよろしくお願いしますね。桐瀬さま」


 蛍火は助手席から身を乗り出して、手を差し伸べてくる。

 その手を、俺は軽く握り返す。


 蛍火は信用できる。

『攻略配信』をしている間、彼女は積極的に前に出ようとしていた。

 たぶん、初心者の俺を守ろうとしていたんだと思う。

 そういう人となら、安心して仕事ができると思うんだ。


 それに、蛍火たちは、俺に選択肢をくれた。

 俺はこれまで、自分がなにをするかを選べなかった。

 この世界では生きていくために、目の前にある仕事を続けるしかなかった。

 異世界でも、生きていくために、与えられた仕事をこなすしかなかった。


 でも、今は選べる。 

 蛍火たちは情報をオープンにした上で、仕事をするかを選ぶ権利を与えてくれている。

 そういう人たちだから信頼できる。そう思うんだ。


「マンションに着きました。では、お部屋で契約のお話を……あら?」


 車が停まると同時に、音がした。

 アルティノはスマホを取り出し、画面を見て、しぶい顔になる。


「少し、失礼いたします」


 電話の着信のようだった。

 アルティノはスマホを耳に当てながら、車を降りた。


「はい。レーナ=アルティノです。旦那さま。はい──」


 彼女は車から離れて、通話を続けていた。

 しばらくして、彼女は戻ってきて──


「申し訳ありません。急用ができてしまいました」

「お父さまからですね」

「はい。お嬢さまの状況について報告するように、とのことです」

「わかりました。お願いしますね。レーナ」


 ふたりは会話を交わした後、俺を見て、


「魔術結社『ポラリス』は、魔術師であるわたしの父がバックアップしてくれているのです。株主や、役員のようなものですね」


『ポラリス』を支援しているのは、西洋魔術を得意とする高位の魔術師たち。

 そのひとりが蛍火の父親だそうだ。

 会長のような立場で、『ポラリス』を管理しているのだとか。


「父はときどき、レーナに報告に来るように言ってくるのです。『ポラリス』の活動状況や、収益などを確認するために」

「おそらく、今日は桐瀬さまのことを聞かれるのでしょう」

「お父さんも配信を見ていたということですか」

「……ええ。たぶん」


 蛍火は小声で、答えた。

 それから、彼女はかぶりを振って、


「とにかく、レーナは報告に行ってください」

「ですが……お嬢さまと桐瀬さまをふたりきりにするわけには」

「わたしだって、お客さまをもてなすくらいできますよ?」

「そういうことではなく……」


 言いかけて、アルティノはため息をついて、


「わかりました。できるだけ早く戻りますので、後はお願いいたします」

「ええ。任せてください」

「桐瀬さまも……お嬢さまをよろしくお願いいたします」


 アルティノは俺に向かって頭を下げた、


「あなたにとって、お嬢さまは大切な取引先で、仕事仲間でもあります。それを、お忘れなく」

「問題ありません。俺も異世界で、社会人としての経験を積んでますから」

「そういえば……あなたの精神年齢は25歳でしたね」

「アルティノさんが戻られる前に、契約書を確認しておきます」

「……承知しました。よろしくお願いします」


 そう言って、アルティノは車に乗り込む。

 そのまま、走り去ったのだった。


「それでは、お部屋へとご案内しますね。まずは一休みしましょう」


 そうして俺は、部屋で蛍火と話をすることになったのだった。



──────────────────────


 次回、第17話は、今日の夕方くらいに更新する予定です。

 3連休の終わり (11月5日)まで、1日2回更新になります。



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