第31話 対カルロス聖女同盟
四人の聖女はマザー聖堂に移動していた。
そこにソロの姿はない。聖女ではない彼女が信者さんの導きに立ち会うことは許されないのだ。今は独り寂しく畑作業の最中だ。
導きを見せるとは言っても、こればかりは相手がいなければ成立しない。
アリアは内心で信者さんが来ないことを切望していた。
それでも個人の願いが世界に影響を与えることなどできるはずもなく、すみませんと声が聞こえてきた。
応答すると、マザー聖堂の扉は無情にも開かれる。
だけど、幸運にも入ってきた中年男性が求めたのはセレーナの導きだった。
「せっかくですから聖女セレーナの導きも拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
というプランの希望をセレーナは快く引き受けた。
そして中年男性の許可を得て、三人の聖女が見守るという異例の導きが始まった。
セレーナには始終、緊張している様子は見られなかった。アリアがよく知る、安定した導きだ。
その内容には他国の聖女たちも歓喜した。
中年男性が帰ったあとで、
「見事な導きでしたよ。まだお若いのに大したものですわ」
プランは素直に称賛を送り、
「素晴らしい導きでした! これほどの導きを見たのは聖女プラン以来でしたのよ!」
ロズは涙を流しながら拍手喝采した。
「ありがとうございます。お二人のように経験豊富な聖女様からお褒めの言葉をいただけて光栄に思います」
そう言って顔を綻ばせる先輩聖女の横顔を眺めていたアリアは気が重くなる一方だった。
大絶賛されたセレーナの導きのあとで、その導きが霞むほどの行為をしなければならないのだ。
お腹のあたりがキリキリと痛い。
次の信者さんは、すぐにやって来た。
「すみませーん」
と、扉の向こうから男性の声がする。
入室の許可を出す。
開かれた扉から入ってきた相手の姿を認めた瞬間、アリアは逃げ場が完全になくなったことを知った。
現れた細身の男性はアリアの導きの常連で、そのなかでも特に熱心な信者さんだった。
男性が慣れた足取りでアリアの前に立つ。
「アリア様、おはようございます!」
「おはようございますなのです、エムエさん」
「今日もアリア様の導きを受けに来たんですが……」
そこでエムエ・ロープが見慣れない二人の聖女に目をやる。
視線の意味を汲み取ってアリアは紹介した。
「このお二人は他の国の聖女様で、聖女プランと聖女ロゼなのです」
プランとロズが会釈し、エムエも頭を下げる。
アリアは言葉を継いだ。
「今日は、わたしからもお願いがあるのです。お二人がわたしの導きを見学したいとのことなのですけど、構わないのです? いやなら断ってもらって大丈夫なのですよ?」
むしろ断ってほしいと全力で思った。
けれどエムエは、
「問題ありません! そっちのほうが燃えます!」
そんなことを輝かせた瞳で言い放った。
お前が燃え尽きてしまえ。
「そ、それでは……まずは祈りの姿勢を取ってくださいなのです」
「はい!」
眼下でエムエが赤い絨毯に両膝をつき、胸の前で両の指を絡める。
「女神カノンに自己紹介をしてくださいなのです」
「おれはエムエ・ロープ。今年で二十八歳になる、アリア様の忠実な下僕です!」
下僕にした覚えは、もちろんない。
「それではエムエさん、今日はどうされたのです?」
「アリア様!」エムエがまっすぐな視線を向ける。「おれに、お恵みをお与えください!」
眩暈をとおりこしてアリアは卒倒しそうになった。
十日ほど前にカルロスが言っていた、現在の導きを終わらせる方法。
それが、
『いいか、アリア。どんなことでもやりすぎは毒になる。いきすぎた親切は相手を不快にさせたりするだろ? お前の導きも同じだよ。罵倒を求めて来た奴には、もっとひどいことをしてやればいいんだ。具体的には言葉をもっと汚くしたり、あとは……そうだな。踏んだりとかも効果的だと思うぞ』
などという、おぞましいものだった。
それでもカルロスを信じて、そのおぞましい行為をアリアは素直に実行した。
これまで以上の汚らしい辛辣な言葉を吐き散らし、信者さんを踏みつけにもした。
それが異質な導きを終わらせると信じて十日間も続けた。
それなのに、ちっとも信者さんが減らなかった。逆に少し増えたくらいだ。
さらには信者さんの間で《お恵み》なる新たな表現が生まれもした。
お恵みとは導きでアリアが信者さんに対してする、一般的には屈辱的な行為――具体的には《踏む》や《罵る》などを指す。これまでの《叱る》の上位互換であり、カルロスがいつも言う《ご褒美》とも似ているかもしれない。
どうにでもなれという半ば自暴自棄気味な心境でアリアは体の所有権を手放した。
「ふうん? あなたはワタシになにをお望みなのかしら」
「アリア様の綺麗な足を舐めさせてください!」
「そう。あなたはワタシの足を舐めたいのね。この変態」
「はい! おれは変態です!」
「顔を爛々と輝かせて言うことじゃないわよね。だからダメよ。あなたなんかの汚い舌に触れられたりしたらワタシの足が腐っちゃうでしょ」
「そんな……っ」
まるで死刑宣告された囚人のような表情のエムエを、嗜虐のアリアは冷酷な表情で見下ろし、なおも容赦のない言葉を浴びせる。
「黙りなさい。気色の悪い声を出さないで。ワタシの耳が腐るじゃない。でも……そうよね。せっかく会いに来てくれたんですもの。あなたが良いことをしてきたっていうなら考えてもいいわよ」
「良いこと、良いこと……あ! 昨日、妻の腰を揉んでやりました!」
「言いつけどおり、ちゃんと奥さんを大事にしてるみたいね。それは良いことだわ」
と、嗜虐のアリアがにっこりと唇を歪めた。
エムエの表情が期待で満ちる。
「じゃあ、その足を……っ」
「だれが足を舐めさせてあげるなんて言ったかしら?」
「えっ、だって……」
「ワタシは考えてもいいって言っただけよ。足を舐めてもいいなんて約束してないわ」
「そんなあ……」
「奥さんがいるのに他の女の人に触れたいだなんて情けないったらないわ。自分の性欲が抑えられないのは相変わらずみたいね。ああ、気持ちが悪い」
「はい、すみません!」
「そんな気持ちが悪くて情けないあなたにはお仕置きが必要よね?」
嗜虐のアリアは一歩、右足を前に出して続けた。
「さあ、靴を綺麗にしてちょうだい。なにで綺麗にするかは、言わなくてもわかるわね?」
靴は日々の作業で汚れている。
まともな神経の持ち主であれば土埃が染みついた靴を舐めろと命令されたら顔をしかめて拒絶するだろう。
人によっては怒り狂うかもしれない。
だけどエムエは、本日一番の笑顔を見せたのだった。
「はい! ありがとうございます!」
四つん這いになったエムエが舌を伸ばし、アリアの靴に近づけてゆく。
そして舌先が靴に届く寸前、
「そんな所を舐めたら靴が汚れるじゃない」
「ふぐ……っ!」
右足を咄嗟に引っ込めて、嗜虐のアリアは靴底をエムエの顔面に押し付けた。
「あなたの汚い舌に比べれば泥のほうがまだマシよ。あなたには靴の裏がお似合いだわ」
正常な人であれば靴底を顔面に押し当てられた段階で反射的に体を仰け反らせそうなものだ。
けれど、エムエは正常ではない。
嗜虐のアリアによって調教された信者である。
彼はアリアのかかとを宝物を扱うように両手で優しく掲げ持ち、指示どおりにペロペロと靴の裏側に舌を這わせ始めた。
ぴちゃ、ぺちゃ…。
マザー聖堂に湿った音が響く。
エムエは顔を土で汚しながらも靴底に付着した泥を舐め取っていった。
その行為は、
「もういいわ。やめなさい」
嗜虐のアリアが中止を命じるまで続けられた。
子供から玩具を取り上げるように嗜虐のアリアが右足を絨毯へ下ろす。
ああああっ、とエムエの名残惜しそうな声が聞こえた。
四つん這いのままでいるエムエに嗜虐のアリアは興味なさげな口調で言った。
「いつまでそんな情けない姿勢でいるつもり? 目障りよ」
「す、すみません!」
エムエが慌てた様子で祈りの姿勢に戻る。
残酷な微笑みで嗜虐のアリアは尋ねた。
「どう? 満足した?」
「はい! とても幸せです!」
「ワタシは不愉快よ。あなたって、本当に気持ちが悪いんだもの」
「ありがとうございます!」
「はああ……。そういう部分がイヤなのよ。できれば二度と会いたくないわ」
「わかりました! 日を空けずに、また来ます!」
それからいくつかのやり取りを終え、導きは終わる。
エムエはお気持ちを置いて満足げに帰っていった。
聖堂の扉が閉まるのと同時に、
「なんなのですか、今のは!」
「信じられませんのよ!」
プランとロズが発狂寸前の声で絶叫した。
「えっと……導き、です」
たぶん。
「今のが導き? 今のを導きだと言うのですか!」
プランの意見にロズが大きく頷く。
「あんな汚い言葉を吐いて! いえ、言葉だけでなく靴を舐めさせるだなんて! おぞましいにもほどがありますのよ!」
そして、驚いていたのは他国の聖女たちだけではなかった。
「聖女アリア……あんなことまでしていたのですね。知りませんでした」
と、セレーナまでもが愕然としていた。
すべてを見通していそうな先輩聖女でも知らないことがあるのだと新しい側面を見られて少しだけ嬉しい気分になった半面、穏やかな彼女の微笑みまでも曇らせてしまって悲しくなる。
三人の反応を見てアリアは改めて思い知った。
(やっぱり、わたしの導きは普通ではないのです)
そうではないかとは思っていた。
それでも自分の被害妄想かもしれないと、もしかしたら自分が知らないだけで他の聖女も似たようなことをしているのではないかと、そんな極小の可能性もまだどこかで捨てきれていなかった。
(でも、これではっきりしたのです。わたしの導きは間違っていたのですっ)
間違っているなら対処は単純だ。
間違いを正せばいい。
これまでは一人では無理だと諦めていたけれど、この場には自分を含めて四人も聖女が集まっている。
これほど恵まれた機会は二度と来ないかもしれない。
(抗うなら今しかないのです!)
アリアは他国の聖女たちに詰め寄った。
「聖女プラン! 聖女ロゼ! お願いがあるのです!」
アリアの迫力にプランとロズが気圧される。
「なんですか、聖女アリア」
それでもさすがは熟練の聖女。
プランが落ち着いた声で訊き返した。
「実は……わたしも今の導きは間違っていると思っていたのです! 信者さんにひどいことをするのを、ずっとやめたいと思っていたのです! でも、自分一人ではどうすることもできなかったのです。ですから、お二人に今の導きから一般的な導きに戻る手助けをしてほしいのです! どうか、どうかっ、助けてくださいなのです!」
と、アリアは深々と頭を下げた。
現状を打開するのが一人では難しいというのなら誰かの力を借りればいい。
助けてもらえばいい。
それが熟練された二人の聖女ならカルロスの企みも打ち砕けるはずだ。
アリアの下げた頭の上では、小さな話し声が往復していた。
相談はすぐに終わる。
「聖女アリア、顔を上げてください」
アリアは声のとおりにした。
プランが続ける。
「聖女アリアの気持ちはわかりましたわ。自身の恥を認め、他者に、それも他国の聖女であるワタクシたちに助けを求めることは容易にできることではありません。微力ながら力になりましょう」
「アタクシたちを頼ってくれて嬉しく思いますのよ。明日からは共に、この難題に立ち向かっていきましょう」
そう力強く言ったロゼのあとに、セレーナも大きく頷いた。
「聖女アリア、ここまで事態が深刻になっていたことに気づいてあげられなくてごめんなさい。ですが、もう心配はいりませんよ。ここには聖女が四人もいるのです。解決できない問題などありません」
「みなさん……っ、ありがとうございますなのですっ!」
自信に満ちた三人の微笑みが、アリアには救いの笑顔に見えた。
「そうなれば数日はこの国に滞在することになりそうですわね。その間、こちらの修道院で寝食を共にさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
プランの申し出にセレーナとアリアは快く頷いた。
「もちろんです。豪華なもてなしはできませんが、ご自身の修道院だと思ってごゆっくりなさってください」
「快適な生活を送れるように、できる限りのことはさせていただくのです」
「そこまで気を遣わなくてもいいんですのよ」ロゼが笑う。「さて、とりあえずは国の代表をしている方にご紹介していただけますか? 数日とはいえ、滞在させていただく以上はご挨拶をしておいたほうがよろしいでしょう」
「わかりました。さっそくご案内します。聖女アリアも一緒に来てもらえますか?」
当事者のアリアもいたほうが話が早いという判断なのだろう。
「わかりましたなのです」
「では、参りましょう」
先導するセレーナのうしろにプランとロゼが並ぶ。
最後尾から聖女たちの背中を眺めながらアリアはしみじみと思った。
(二人の聖女様に会えたのは、もしかしたら女神カノンのお導きかもしれないのです)
そんな聖女らしいことを珍しく心の底から思ったからなのかもしれない。
その夜、アリアは夢を見た。
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