第29話 店番のクリスタ
八月七日。
クリスタはジュード雑貨屋のカウンターで店番をしていた。
椅子に座ってカウンターに頬杖をつく。
開け放たれた入り口から覗く広場の風景は夏の平穏な一幕そのものだ。
奥様たちは旦那の愚痴で盛り上がり、子供たちは強い日差しを物ともせずに楽しげな声をあげ、長椅子で談笑する老人たちは天気の話と持病の話と想い出話を今日も繰り返す。
「お客さんも来ないし、そろそろお昼でも食べよっかなー」
そんなことをぼんやり考えている時だった。
突如として怒号が響いた。
「カルロスカルロスカルロスッ、カアアアルローースッ!」
入ってきたのは、紺色の修道服を振り乱した少女。
親友のアリアだった。
しかし、いつもの彼女とは明らかに様子が違う。
親友は怒りの形相に顔を歪めていた。
「ちょっと! どうしたの、アーちゃん!」
ギョッとしたクリスタは慌ててカウンターを回って親友へ駆け寄った。
アリアが血走った目で獲物を求めるように店内を見回す。
「……あの変態は、どこ」
「お、お兄ちゃんなら……八日前から行商に出てる、よ?」
今日のアリアは、いつにも増して目つきが鋭い。血に飢えた獣のような視線に、見慣れたクリスタですら恐怖を感じるほどだった。
「いつ帰ってくるの」
おまけに声も低くて、もはや別人だ。
「わかんないけど……たぶん三、四日は帰んないかな」
当分は帰らないと聞かされたとたん、アリアが再び吠えた。
「カルロースッ! 逃げたなあああっ!」
「アーちゃん、とりあえず落ち着こ? 話ならあたしが聞くから、ね?」
怒り狂う親友をクリスタは必死になだめた。
その気持ちが伝わったのか、ふしゅうう、とアリアが気炎を吐き出す。
「そうなのです……クーちゃんに怒っても仕方ないのですよ」
ごめんなのです、と軽く頭を下げるアリアにホッとなる。
よかった。いつもの親友だ。
「それはいいんだけど、なにが……ううん、お兄ちゃんになにをされたの?」
「カルロスに……騙されたのです……っ」
と、歯の根が鳴った。
アリアは昔からカルロスに様々なことをされてきた。
それでも、ここまでアリアが怒りを露わにするのは珍しい。
人見知りを治す手伝いを言い訳に性格をカルロス好みに変えられたとき以来だろうか。
だとしたら、それと同じか、それ以上の何かをされたのだろう。
心して聞かなければとクリスタは生唾を飲み下した。
「騙されたって、どういうこと?」
「先月……アーちゃんと遊びに出掛けたのは覚えてるのです?」
「忘れるわけないよ」
あれは楽しかった。
アリアとあんなに長く一緒にいられるのは久しぶりで、今でも思い出すと心の奥が温かくなる。
「その次の日にカルロスが話を聞いてほしいって聖堂へ来たのですよ。そこでカルロスが言ったのです。今の導きを終わらせる方法を教えるって」
「それでアーちゃんはお兄ちゃんの言うとおりにしたんだね」
「そうなのです。十日もすれば変わるって言葉を信じて我慢したのです。なのに……っ」
「何も変わらなかった、と」
ブンブンとアリアが首を激しく左右に振った。
「変わらないほうがまだ良かったのです! 十日前と比べて確実に悪化したのですよ!」
「いったい、お兄ちゃんはなにをしろって言ったのよ? アーちゃんはなにをしたの?」
その質問にアリアが口をつぐんだ。
クリスタは怪訝顔でアリアを覗き込む。
「アーちゃん?」
「…………たくないのです」
「え? なに?」
「言いたくないのです! あんなこと、口に出すのもおぞましいのですよ!」
ああああっ、と頭を抱えてアリアが悶える。
クリスタのなかでさらに疑問が深まっていった。
「ホントにアーちゃん、なにをしたの……?」
あのバカ兄貴は親友に何を教えたのだろう。
その謎が解けないまま、新たな厄介事が転がり込んできた。
「アリアの姐さん! 大変だよ!」
「……ソロさん?」
「ソロちゃん、こんにちは!」
小さな訪問者にアリアは驚いた表情で振り返り、クリスタは接客で鍛えられた親しみやすい笑顔で出迎える。
息を切らせたソロが《ちゃん》付けに珍しく文句を返さずに叫んだ。
「姐さん! よその国の聖女が攻めて来やがった!」
「攻めてきたって、どういうことなのです?」
「そうだよソロちゃん、大げさじゃない?」
乱暴者のオーディラル教ならともかく、平和主義のカノン教が他国に攻め入るわけがない。それくらいはクリスタにもわかる。
まったく危機感のない二人にソロが唾を飛ばして訴えた。
「大げさなんかじゃないよ! 今は修道院で聖女セレーナが相手してるけど、向こうはアリアの姐さんを連れて来いって言ってるんだ!」
攻めて来たというのは置いておくとしても、ただごとでないのは確かなようだ。
少なからずアリアも危機感を持ったようで、
「わかったのです! すぐに修道院へ戻るのですよ!」
大慌てで回れ右をして駆け出した。
そのうしろをヘロヘロになったソロが追いかけてゆく。
「あ、待っておくれよ! アリアの姐さーん!」
いってらっしゃーい、と手を振ったときにはもう、二人の背中が見えなくなっていた。
「さて……あたしはお昼たべよーっと」
親友が心配ではある。
だけど、訪問者は他国の聖女だ。
ならば自分にできることはないだろう。
それがわからないほどクリスタは常識知らずではないし、それがわかっていて立ち会うほど無神経でもなかった。
しがない雑貨屋の店員にできるのはせいぜい、
「がんばってね、アーちゃん」
親友の健闘を祈るくらいだ。
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