第28話 聖女、二人

 八月四日。

 アドニス小国のミラルダ修道院を一人の女性が訪れていた。

 

「こうして聖女ロズと会うのはひさしぶりですわね」

「最後にお会いしたのは六年前になりますのよ、聖女プラン」

 

 二人の聖女は修道院の多目的部屋で座っている。


 聖女プランの顔には聖女として過ごしてきた四十五年の歴史と貫録が感じられるような皺が刻まれ、向かいに座る聖女ロズの顔にも浅いなりに威厳が備わりつつあった。

 

 プランが遥かを眺めるような眼差しをロズに向ける。

 

「もう、そんなになりますか。早いものですわね。ところで聖女ロズは、聖女になってどれくらいになるのだったでしょうか」

「アタクシがミラルダ修道院を離れてミール小国に移ったのが十五年前ですから……今年で二十三年目になりますのよ」

 

 プランの住むアドニス小国はケニス小国の東隣にあり、ロズが住むミール小国はケニス小国の北東に位置している。

 アドニス小国もミール小国も《小国》が付くだけあって、どちらも弱小国家だ。国土も人口もケニス小国と大差はない。

 

「どおりでワタクシも老けるわけですわね」

「聖女プランは十五年前と変わらず、お元気なままですのよ」

「無理にでも元気を出さなければやっていられませんよ。聖女ロズが『ミール小国はアタクシが守りますのよ!』と出て行ってしまってミラルダ修道院はワタクシだけになってしまいましたからね」

 

 お恥ずかしいです、とロズが苦く笑う。

 

「あれは若さゆえの暴走でした。ですが、あの決断は今も後悔しておりませんのよ」

「責めているわけではありません。当時、修道士のいなかったミール小国を見かねて出て行ったあなたを、そして立派な聖女になった現在のあなたを誇らしく思いますわ。ただ、それとは別にどうしても思わずにはいられないのです。もしも無理にでも引き止めていれば、とね。ワタクシも若くないですから」

 

 ロズが神妙な面持ちで頷く。

 

「小国が抱える深刻な問題ですのよ」

「後継者がいなければ先細りの未来しかありません」

 

 プランが短い溜息をつく。

 それから重苦しい雰囲気を払うように彼女は努めて明るい声で言葉を継いだ。

 

「それで……聖女ロズが訪ねてきたのは、どのような用件ですか?」

「もちろん、六年ぶりに恩師の顔を見にですのよ」

「忙しい聖女の身でありながら、そのような理由でわざわざ他国を訪れるわけがないでしょう。少なくともワタクシはそんなふうに教えた覚えはありませんわ」

「『聖女たる者、動くのは他人のためであるべきです』という聖女プランの教えは今でもアタクシのなかでしっかり生きていますのよ」

「疑ってなどいませんとも。あなたは優秀でしたからね」

 

 慈愛の深い微笑みを見据えてロズは声音を低くした。

 

「聖女プランは、ケニス小国をご存じですの?」

「お隣の国ですから……もちろん知っていますわ」

 

 プランの顔がわずかに強張ったのをロズは見逃さない。

 

「その反応は、あの話をすでにご存じのようですね」

「さて……あの話とは、どの話でしょう」

「無慈悲な聖女のお話です」

「その、お話でしたか」

 

 ケニス小国には信者を口汚く罵る聖女がいる。

 そんな噂がアドニス小国やミール小国で広まっていた。

 

「信じられません! 聖女が信者様を罵倒するなんて、あってはならないですのよ!」

「聖女ロズは相変わらず正義感が強いですわね」

 

 感心するプランに、なおもロズが憤慨する。

 

「これは正義感や個人的な感情の問題ではありません! ミール小国でもアタクシに《罵ってください》と求めてくる信者様が出ていますのよ!」

「そちらでもでしたか。実はアドニス小国でも似たような信者様が出ています。そのうち治まるものと思っていましたが、今のところはその気配もありません」

「本当に困ったものです。どうにか今はそれが良くないことだと言い聞かせていますけれど、このままの勢いで広まり続けると抑えられなくなるのも時間の問題ですのよ」

「このままでは聖女の印象が悪くなるかもしれませんわね。そうなれば、ますます後継者を見つけるのは難しくなるでしょう。もしかしたらカノン教はこのまま衰退してゆくのかもしれません。そうなる前になにか手を打てればよいのですが……」

 

 バンッ、とロズがテーブルに手をついて立ち上がる。

 

「だからこそアタクシはここへ来たのです!」

「聖女ロズ、考えがあるのですか?」

「考えなどありません! それでも誰かが立ち上がらなければなにも変えられませんのよ! 聖女プラン! アタクシたちでカノン教の未来を守りましょう!」

「未来を守る、ですか」

 

 プランが薄く目を閉じる。


 それからしばらく考えるように沈黙していた彼女は、ゆっくりと立ち上がり、正面のロズを見据えた。

 

「わかりました。ワタクシも動いてみるとしましょう。カノン教の未来のために」

 

 プランは窓の外に視線を投げた。

 外は熱を持った光が降り注ぎ、地上は眩しさで満ちている。

 雲の少ない青空を見る限り、数日は天気が崩れる心配はなさそうだ。

 

 まさにそれは、ちょっとした旅に出るには最適な日和だった。

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