第24話 想い出の丘にて・前編
「とうちゃーくっ!」
と、クリスタが元気よく両手を広げる。
そこはアリアにとっても思い入れの深い場所だった。
町から東にしばらく歩いた所にある、小高い丘。
幼い日にアリアとクリスタがよく遊んでいた場所だ。
「なんだか、すごくひさしぶりに来た気がするのですよ」
「実際、かなり久々だよ。だいたい三年ぶりくらいになるのかな?」
んーっ、と伸びをするクリスタの横でアリアは丘を眺めていた。
背の低い草が一面に広がる。そこに野花が色とりどりの模様をつける様は、まるで天然の絨毯だ。
平地より高所だから、いつもより空を近くに感じられる。
「ここは前に来たときと変わってないのですよ」
想い出にある景色そのままだ。
クリスタがゆっくりと歩を進める。
「ねえ、覚えてる?」
彼女は野花が密集した場所の中心で立ち止まり、背中の背負袋を下ろして座りながら言葉を足した。
「昔はよくさ、ここで冠とか首輪とか作ったりしてたよね」
「覚えてるのですよ」アリアもクリスタの隣で落ち着く。「カルロスが『これでオレを縛ってくれ!』って草と花で作った鎖で頼んできたのは今でも忘れられないのです」
「ちょっと! せっかくきれいな感傷に浸ってたのにイヤなこと思い出させないでよ!」
「えへへ、ごめんなのですよ」
そういえば、とクリスタが思い出したように言う。
「アーちゃんは家に帰った? 聖女になったんだから、もう家族とも会えるんだよね?」
聖女の見習い期間中は自宅へ帰ることも家族との面会も許されない。
だから聖女になったら会いに帰ろうとアリアも思っていた。
そう、思っていたのだ。聖女になる前までは。
「……まだ、なのです」
だけど今は、あまり帰りたくない。
そもそもアリアが聖女になろうと思ったのは割と単純な理由だった。
聖女に命を救われたからだ。
あれは、アリアが六才になる年。
ケニス小国に疫病が蔓延した。
その当時は――現在もなのだけれど、治癒士がいなかった。
そのため、病が重症化すると助かる術がなかった。
しかし治療士がいなくともケニス小国には聖女がいた。治療士に及ばないまでも聖女には病から人々を救える《奇跡》がある。
アリアは、あの時のことを忘れたことがない。
熱で意識が朦朧とし、ぼやける視界で見た聖女マザーの穏やかな笑顔。
『大丈夫だからね』
そう何度もかけてくれた優しい声。
温かな掌の感触。
その何もかもが記憶と心に焼き付いている。
もしも、とアリアは今でも考える時があった。
聖女マザーがいなかったら両親と同じように自分も疫病で死んでいたはずだ。
そうやって犠牲者は比較にならないほど増え、もしかしたらケニス小国自体が滅んでいたかもしれない。
だけどアリアの聖女に対する憧れは、長い間は憧れのままだった。
聖女マザーに感謝を忘れたことはないけれど、アリア自身が聖女になろうとは考えもしなかったのだ。
そんなアリアが聖女になりたいと思うようになったのには何か大きな出来事があったわけではない。
九歳になる直前、唐突に、なんの前触れもなく思ったのだ。
――早く自立しなくちゃ。
アリアの両親は疫病の大流行で他界していた。
両親を失ったアリアはケニス小国内に住んでいた父方の祖父母に引き取られた。
それまでも毎年のように会っていたおかげでアリアはすぐに祖父と祖母に懐いた。
祖父母もまた、まるで息子を失った悲しみを埋めるかのようにアリアを実の子と同じく、もしくはそれ以上の愛情で大事に育ててくれた。
祖父母との暮らしは穏やかで幸せだった。
けれど幼かったアリアの心に、いつしか漠然とした不安がよぎるようになっていった。
はじめは、なぜ不安に思っているのかもわからなかった。けれど、十歳を過ぎるころにはその正体に気づいていた。
祖父母は年を追うごとに衰えていった。
それは何かの病気ではない。
単純に、純粋に、高齢による衰えだった。
アリアを引き取ったとき、すでに祖父母は六十歳を過ぎていた。
本来ならこれから楽をして、わずかな貯えを切り崩しながら好きなように生きてゆける年齢だ。
それなのに、アリアを育てるため、しなくてもいい畑仕事を続けなくてはならなくなった。
『アリアはなーんも心配することねえよ。運動になってちょうどいいくらいだー』
『ほうじゃほうじゃ。ジイさんの言うとおり体を動かしとらんとボケてしまうかんの』
『バアさんは動いとってもボケとるじゃろ。この前なんぞメシ食ったのも忘れとったし』
『ありゃあ、ボケたんじゃなくて愛嬌よ。あんたこそ色ボケはいつになったら治るんじゃろうかの。若い女の尻ばっか追っかけて。ああ、恥ずかし。ああ、情けない』
『なんじゃ? 自分が干からびとるからってひがんどんのかいな』
『だれが干からびとるってー!』
アリアに心配させまいとしていたのだろう。祖父母は賑やかな人たちだった。けれど肩を弾ませ、曲がった腰をさすりながら畑で仕事をする姿を目にするたび、ささくれが疼くように胸の内がジクジクと痛んだ。
この生活は、ずっとは続かない。
いつまた疫病が流行るとも限らないし、何かが起こらなくとも祖父母に残された時間は多くないのだ。そんな貴重な時間を祖父母は惜しげもなく自分に費やしてくれる。
それなのに自分は祖父母に何をしてやれるだろう。
何をしてやれただろう。
アリアは、このまま祖父母の時間を食い潰すわけにはいかないと思った。
だから聖女になる決意をした。
聖女になるまでの期間は修道院で生活しなければならないけれど、生活に関わるすべては修道院が面倒をみてくれる。
そして聖女になれば、そのまま修道院での生活を続けられる。
そうなれば、いくらかは仕送りもできるようになるはずだ。
これ以上、祖父母に負担をかけないですむ。
そうしてアリアは一年をかけて人見知りの性格を克服し、聖女になりたい気持ちを祖父母に伝えた。
負担が減るのだから喜んでくれるだろうと楽観していた。
けれど、
『なんでそんなことを言うんじゃ!』
『ほうじゃ、早すぎるんよ!』
祖父と祖母は、これまで見せたこともない厳しい顔で反対した。
『あれか? ワシらに迷惑かけとるとか思っとるんか? 子供がそんなこと考えんでもええ。ワシらは好きでやっとるんじゃから』
『そうよお、ジイさんもうちも、逆にアリアちゃんから元気をもらっとるんよ。それにアリアちゃんはまだ十五にもなっとらんでしょ? 将来を決めるのなんて成人してからでも遅くないんでない?』
ケニス小国では十五歳で成人と認められる。
成人すれば就ける職業の幅も広がり、自身で責任を負わなければいけなくなる代わりに出来ることも増える。
成人してから進む道を決定するというのがケニス小国では一般的な将来設計だった。
それでもアリアは頑なだった。
祖父母の掛け替えのない時間をこれ以上、一分でも、一秒でも、自分のために浪費させてしまうことに堪えられなかった。
もちろん、そんなことは祖父母に余計な気を遣わせるだけだから口には出さない。
その代わりになんと言って二人を説得したんだったろうか。
たしか、
『わたしは、むかし助けてくれた聖女様みたいになりたいのですよ!』
そんなことを口走った記憶がある。
夜更けまで続いた問答は、最後に祖父母が折れる形で決着した。
『そうか……そこまで決心しとるなら、しょうがないのう』
『まったく、アリアちゃんがこんなに頑固だったなんて知らんかったわ。いったい、だれに似たんでしょうねえ』
その三日後。
アリアは修道院入りした。
喧嘩別れとまではいかないまでも祝福されて家を出たわけではないから早く聖女になったと伝えて祖父母を安心させたい気持ちはある。だけど今の自分が本当に聖女と名乗って良いものか、その自信が持てなかった。
「……どんな顔をして会えばいいのかわからないのですよ」
と、アリアは緑色に目を伏せた。
どうにか聖女にはなったけれど、なんの後ろめたさも感じずに《立派な聖女になったのです!》と胸を張ることはできそうにない。
「アーちゃんの気持ちもわかるよ」クリスタが苦笑する。「なんたって無慈悲な聖女様、だもんね?」
「うー……陰でそう呼ばれてるのは知ってるのですよ。だけどヒドイのです! わたしだってやりたくて信者さんを罵倒してるわけじゃないのですよ? 求められるからしているだけなのですよ? そこには慈悲しかないのに、どうして無慈悲だなんて言われなくちゃならないのですか!」
「おーおー、珍しく荒れてるねー」クリスタが愉快そうに言う。「あたしはアーちゃんがホントはしたくないって知ってるよ? でも噂っていうのは、事実とは関係なく広がるものだからね。この調子だとたぶん、アーちゃんのおじいさんとおばあさんの耳にも入ってるんじゃないかな」
「やっぱり、そうなのですよねー……」
いくら祖父母が町から離れた場所に住んでいるとはいえ、ケニス小国は狭い。噂が広まって一ヶ月以上も経っているのに知らないはずはないだろう。
そのことがまたアリアの足を祖父母の家から遠のかせる。
「会いにくいのはわかるけどさ。いつまでも会わないってわけにもいかないと思うよ?」
「それはわかってるのですけど……」
「ホントにわかってる?」
珍しくクリスタが声音を低くして続ける。
「アーちゃんのおじいさんとおばあさんはご高齢で……ううん。年なんて関係なく、会いたくても会えなくなる日っていうのは必ず来るんだよ? それも突然に。会えなくなってから《ああしておけばよかった》とか考えても遅いんだよ? それをホントにわかってる?」
言われてアリアはハッとした。
祖父母の限られた時間を浪費させたくないと修道院に入ったはずなのに、二年の間に忘れていた。
人は必ず死ぬ。
年齢に関係なく、あっさり死ぬのだ。
アリアの両親のように。
そしてクリスタの両親のように。
今こうしてクリスタと楽しく話しているうちに祖父母が命の灯を消していたとしても不思議はないのだ。
「クーちゃん、ごめんなのですよ。クーちゃんの言うとおりなのです。近いうちに……来月の休導日には帰るのですよ」
次の休導日はセレーナに休んでもらうとして、帰るとしたらその次の休導日だ。
「うん。それがいいと思うな」
にっこり笑ったクリスタを見て思う。
(クーちゃんは強いのです)
さきほどの話は、きっとクリスタ自身の体験だろう。
同じ失敗をしてほしくないと苦言を呈してくれたのだ。
本当に強くて、優しい親友だ。
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