第17話 ソロとセレーナ
マザー聖堂に到着すると、トーマスが重厚な扉を叩いた。
「セレーナ様、いらっしゃいますか」
どうぞ、とかすかな声が内側から返ってきて、トーマスが扉を開ける。
聖堂の奥。
女神像が置かれた祭壇の前に、修道服姿の女が立っていた。
女が穏やかな笑顔で出迎える。
「長老さんに、それにカルロスさん。今日はどうされましたか」
「セレーナ様にお客さんを連れてきたんですよ」
そう言ってカルロスが紹介を始めた。
「こちらがオーディラル教の修士ソロ、うしろの二人が彼女の弟さんで従者さん。スラっとしてるのがデュオくん、大きいほうがドリオくんっていいます」
紹介されたからには大人として黙っているわけにはいかない。
ソロは一歩前に出た。
「改めて。アタイがオーディラル教の修士、ソロ・コラスだ。よろしく頼むよ」
あらあら、と柔らかく微笑みながら歩み寄ってきた女がソロの前に立って一礼する。
「ご丁寧にありがとうございます。先に名乗らせてしまった無礼をお許しください。わたくしはセレーナ。ここ、ケニス小国で聖女をしております」
「セレーナさんね。ところで、聖女はもう一人いるって聞いたんだけど?」
それらしい姿は見当たらない。
「はい。聖女アリアという者がおります。現在は外出しておりまして、もう少しで戻ると思います。戻りましたらご紹介させてください」
「ああ、かまわないよ」
いないなら好都合だ。
敵は少ないほうがやりやすい。
「ところでソロさん。さきほどオーディラル教の修士様とおっしゃっていましたが、ソロさんはどの階級でしょうか」
涼しい顔のセレーナが放った質問に、ソロは舌打ちしそうになった。
(ちぃっ! やっぱりかい!)
カノン教の人間であれば敵とも言えるオーディラル教について知っていても不思議はない。少なくともオーディラル教ではカノン教についての知識を叩き込まれる。
問題は、セレーナがオーディラル教についてどこまで知っているかだ。
ここは慎重に、見栄は張らないほうがよさそうだ。
「アタイは……正修士、だよ」
セレーナが舐めるような視線を白色無地のスカプラリオに這わせる。
ソロは無表情を保ちながら、その裏で心臓の鼓動が速まるのを止められなかった。
(落ち着きな、アタイ。スカプラリオに気づかれたって構うもんか)
その場合は《あんたの知識が古いんだよ》と突っぱねてやればいい。
ソロの緊張をよそに、セレーナが変わらぬ微笑みで軽く頷いた。
「そうですか。ずいぶんとお若いのに、それは素晴らしいことですね」
「先に言っとくけど、これでもアタイは二十歳だよ」
「まあ!」セレーナが大仰に驚く。「これは重ねて失礼しました。とてもお若く見えて、同じ女性として羨ましい限りです」
「素直に幼いと言えばいいだろ」
「いえいえ、いつまでも若さを保つのは女性にとって永遠の夢ですから。ところで、」
セレーナが自身の左手にある二重円の痕を右人差し指で示しながら笑顔で続けた。
「聖痕を見せていただいても、よろしいですか?」
そこで、ソロは自分がとんでもない大馬鹿者であったことを知った。
(やばいやばいやばい! なんてこったい! 一番大事なもんを忘れてたよ!)
カノン教の修道士がそうであるように、オーディラル教の正修士以上にも聖痕が授けられる。聖痕こそが修士の証。聖痕に比べればスカプラリオなど付属品にすぎない。
すでにソロは自分が正修士だと名乗った。準修士ならともかく、正修士が聖痕を刻まれていないのはありえない。
「わたくし、オーディラル教の聖痕を拝見したことがないもので、とても興味があったのです。わたくしどもとは形がちがうのですよね?」
セレーナが遠回しに早く見せろと急かしてくる。
(この女……何食わぬ顔でなんてヤツだい!)
とんだ腹黒だ。
そうと知ってあの笑顔を見ると恐ろしさすら感じる。
「せ、聖痕は……」
言いながらソロは必死に考えた。
聖痕は、ない。
しかし聖痕を見せなければ信じてもらえない。
だけど、事前に細工をしていないから見せられない。
聖痕を見せずに相手を納得させる方法は……。
(そんなもんがあるのかい?)
何も思い浮かばない。
もうダメだとソロが諦めかけた、その時。
「せ、聖痕は……お、お見せ、できません……っ」
ソロの背後で弱弱しくも必死に絞り出した声が響いた。
「デュオ……!」
驚くソロを伸びすぎの前髪から覗く瞳で見据えたデュオが続ける。
「お、お姉ちゃん、の……せ、聖痕は、その……ひ、ひとには……見せ、にくい……ところ、に……あ、あるん、ですっ」
その手があったか、とソロは弟の意図を悟った。
聖痕は本来、手の甲に刻まれる。
しかし稀に、異なる部位に現れる場合もあるのだ。
(さすがは賢いデュオ! あとでいっぱい褒めてやるからね!)
ソロはセレーナに向き直った。
「そうなんだよ。悪いね」
「わかりました。そういうことでしたら仕方ありません」
残念そうに肩を落としたセレーナが、すぐさま聖女の笑顔に戻って言葉を継いだ。
「それで……修士ソロは、どのようなご用件でこちらにいらっしゃったのですか」
どうやら窮地は脱したようだ。
ソロは密かに安堵の息を漏らす。
「この方たちは、旅をしながらオーディラル教の教えを広めて回っているそうです」
と、トーマスが簡単に説明をする。
「遠い所からありがとうございます。ですがケニス小国にはわたくし共がおりますので」
だから異なる宗教は不要だと言いたいのだろう。
しかし、それで引き下がってはここまで来た意味がない。
セレーナに負けじとソロは口もとを微笑みの形にした。
「そうだね。だけど、こうやって出会ったのも何かの縁だと思うんだ。アタイらが親睦を深めれば、いつか二つの宗教がわかり合える日も来るかもしれないだろ?」
こう言えば相手は断れない。
拒絶は溝を深めるからだ。
ソロの思惑どおり、セレーナは多少の間を空けたあとで頷いた。
「そう言っていただけてこちらとしてもうれしく思います。ときに、ケニス小国にはどのくらい滞在されるご予定ですか」
「さあ……どうだろうね。決めてないけど、そんなに長くいるつもりはないよ」
「でしたらぜひ、滞在されている期間中は我が修道院にご宿泊ください。ささやかではございますが、お食事も用意させていただきますので」
「なら、遠慮なくそうさせてもらうよ」
計算外の出来事はあったものの、最終的に計画は上々。
今度は作りものではない笑顔でふり返ったソロに、デュオが胸を撫で下ろし、ドリオは両手を挙げて喜んでいた。
そこへ、
「聖女セレーナ! 聖女セレーナはご無事なのですか!」
聖堂の扉を乱暴に開けて、何者かが飛び込んできた。
✝
「あれが、アタイとアリアの姐さんとの出会いだったね。あのときは、まさかこんなふうになるなんて夢にも思わなかったよ」
と、ソロが想い出を懐かしむように言う。
「わたしもなのです」
自分もソロと同じ表情をしているのだろうとアリアは思った。
まだひと月ほどしか経っていないのに、ずいぶん前のように感じられる。
「そういや、なんであのときの姐さんはあんなに焦ってたんだい」
「町で怪しい三人組が聖堂に行ったと聞いたのです」
「さすがは小さい国だけあって情報が広まるのも早いもんだね」
「まったくなのです」
と、アリアは深く同意した。そのせいでこんなに苦労させられている。
ヤンが待ちきれない様子で話の続きを急かした。
「それで? そのあとはどうなったの?」
「このあとかい?」ソロが、おもむろにアリアへ視線を向ける。「この続きはアリアの姐さんにお願いしようかね」
「わたしなのです? ソロさんがこのまま話せばいいと思うのですよ」
やんわりアリアが断ると、ソロが唇をゆがめた。
本人的には邪悪な笑みのつもりだろうけど、子供がいたずらを企んでいるようにしか見えない。要するに可愛い。
「いいのかい? アタイは姐さんに心酔しちまってるからね。カルロスほどじゃないにしろ、話を誇張する自信があるよ。それでもいいかい?」
「それは……、」
困る。
これ以上、おかしな話を広められでもしたら精神がどうにかなってしまう。
アリアはソロの提案を受け入れるしかなかった。
「わかったのです。ここからはわたしが話すのですよ」
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